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第二十一話

 夜明けの光は、救いではなく、傷口を照らすためにあるかのように荒野を白く塗り替えていった。


 アルフレッドは歩みを止めない。

 魔力嵐の渦は、遠目にも不自然なほど規則正しく、まるで巨大な心臓が拍動するたびに雲と大気を巻き込んでいるかのようだった。その中心へ近づくにつれ、空気の密度は変わり、肺に吸い込む一息一息が、刃物のような冷たさと重さを帯びていく。


 黒い石が、外套の内側で低く鳴動した。


 道を示すというよりも、警告に近い反応だった。

 前方にあるものは、これまでの実験場や前哨拠点とは性質が異なる。

 即席の儀式でも、狂信者の暴走でもない――意図的に整えられ、維持され、守られている“拠点”だ。


「……ようやく、腰を据えたか」


 アルフレッドは口元だけで笑った。

 剣士としての嗅覚が、魔法使いとしての感覚が、そして能力者としての直感が、同時に同じ結論を叩き出している。


 ここから先は、小競り合いでは済まない。


 荒野が終わり、地形が変わる。

 露出した岩盤の上に、意図的に削り取られた溝が走り、魔術陣の名残が焼き付いている。古代様式ではない。だが近代魔術とも異なる――複数の系統を無理やり縫い合わせた歪な構造。


 セイセス=セイセスのやり口だ。


「効率と結果だけを信仰する連中……相変わらず趣味が悪い」


 だが、足を踏み入れた瞬間、違和感が走った。


 ――静かすぎる。


 防衛結界の軋みも、監視魔術の反応もない。

 代わりに、空間そのものが“待っている”。


 アルフレッドは、剣を抜いた。


 雷はまだ解放しない。

 代わりに、身体能力を底上げし、感覚を極限まで引き上げる。筋肉の反応速度、視覚の解像度、魔力流動の制御精度――すべてを戦闘用に最適化する。


 次の瞬間、空間が歪んだ。


 音もなく、岩壁の影から“それ”が現れる。

 人型だが、人ではない。肉体は均整が取れているが、どこか人工的で、関節の動きが異様に滑らかだ。顔には仮面もない。だが、眼だけが異常な光を宿している。


「……侵入を確認」


 声は平坦で、感情の揺らぎがない。

 それでも、次の言葉には、歪んだ愉悦が滲んでいた。


「対象:アルフレッド。戦闘能力、想定値を上回る。――解析、再開」


 同時に、背後、左右、上方。

 空間が連続して裂け、同型の存在が次々と姿を現す。


 数は七。

 配置は包囲陣形。逃走経路は最初から想定されていない。


「なるほど……捨て駒じゃないな」


 アルフレッドは剣先をわずかに下げ、重心を落とした。

 雷が、剣身の内部で低く唸る。


「来い。分析するのは――生き残ってからだ」


 最初の一体が踏み込んだ瞬間、地面が砕けた。

 衝突音は雷鳴のように遅れて届き、岩片と衝撃波が周囲へ弾け飛ぶ。


 剣と刃が交錯する。

 だが相手の武装は、金属ではない。魔力を凝縮した疑似構造体――斬れば砕けるが、即座に再構成される。


「再生速度、確認……」


「喋りながら戦う癖は直した方がいい」


 アルフレッドの剣が、角度を変える。

 雷が走り、再構成の“間”を突いた一閃が、敵の肩口から胴を斜めに断ち割った。


 だが、倒れない。


 分断された肉体が、意思を持つかのように蠢き、無理やり結合しようとする。


「……面倒だな」


 アルフレッドは一歩踏み込み、拳で地面を叩いた。

 衝撃が伝播し、魔術刻印の溝を逆流するように雷が走る。


 魔法剣技――《裂界衝》


 空間そのものが震え、再構成を試みていた魔力構造が一斉に崩壊した。


 七体のうち、三体が同時に沈黙する。


 だが、残りは動きを止めない。

 むしろ――学習した。


「……危険度、再定義」


 平坦な声の奥で、狂気が微かに軋む。


「排除ではない。捕獲へ移行」


 アルフレッドは、その言葉を聞き逃さなかった。


「――捕獲、だと?」


 セイセス=セイセスだけではない。

 虚空教団ベイリル=オラリオンの影が、確実に重なり始めている。


 この戦場は、単なる拠点攻略では終わらない。


 アルフレッドは剣を構え直し、雷をさらに深く、静かに沈めた。

 長期戦を見据えた構えだ。


「いいだろう」


 視線の先で、異形たちが一斉に踏み込む。


「――まとめて来い。全部、叩き潰す」


 新たな戦いは、ここから本格的に牙を剥き始めていた。



 踏み込んだ瞬間、世界が軋んだ。


 異形たちは同時に動いたのではない。

 時間差を伴う連携――一体が視線を引きつけ、次の一体が死角へ滑り込み、さらに別の個体が魔力干渉で行動予測を上書きする。人間の反射速度を基準にすれば、確実に仕留めるための配置だ。


 だが、アルフレッドはその“基準”の外にいる。


 最初の刃が迫る刹那、彼の身体は既に次の動作へ移行していた。

 踏み込み、回旋、剣閃――その一連の動きに、思考の介在はない。超常の身体能力が、判断を必要としない領域で戦闘を成立させている。


 剣が描いた弧に、雷が遅れて追いつく。


 空間が裂け、疑似構造体の刃が粉砕された。


「――反応速度、再補正」


 異形の一体がそう告げた瞬間、アルフレッドの足元に魔術陣が展開する。拘束用だ。

 地面から伸びる魔力鎖が、四方八方から絡みつこうとする。


「甘い」


 アルフレッドは跳ばない。

 踏み抜いた。


 踵が地を砕き、衝撃が魔術陣そのものを破壊する。

 術式が成立する前に、基盤ごと叩き潰された鎖は、意味を失った光の屑となって霧散した。


 そのまま前進。


 剣を低く構え、間合いの内側へ滑り込む。

 異形の胸部――魔力核が集中する位置を、正確無比に見切っている。


「解析が遅い」


 一閃。


 雷が内部から炸裂し、異形の身体を支えていた魔力構造が暴走する。

 爆ぜた衝撃で、周囲の二体が巻き込まれ、地面へ叩きつけられた。


 だが、残る個体は動きを止めない。


「……予測不能要素、増大」


 その声に、わずかな“熱”が混じる。

 恐怖ではない。興奮だ。


「素晴らしい。これほどの逸脱――」


「黙れ」


 アルフレッドの声は低く、鋭い。


「お前たちは戦士じゃない。観測対象を削るための道具だ」


 剣を振るうたび、異形は一体ずつ沈んでいく。

 だが、それでも“全滅”には至らない。


 倒れたはずの個体の残骸が、灰のように崩れ、地面へ溶け込んでいく。

 その灰が、魔術刻印の溝へと流れ込み、拠点全体が脈動を始めた。


「……やはり、ここ自体が――」


 アルフレッドが理解した瞬間、空間が反転した。


 上下の感覚が反転し、視界が歪む。

 世界が“内側”へと折り畳まれ、彼は巨大な構造体の中心部へ引きずり込まれていく。


 だが、驚きはない。


 むしろ――確信があった。


「やっと本命か」


 落下しながら、アルフレッドは剣を握り直す。

 雷を、解放ではなく凝縮へ切り替える。


 次の戦場は、拠点の内部。

 セイセス=セイセスの思想と、虚空教団ベイリル=オラリオンの観測意図が、露骨に交差する場所だ。


 そして――


 ここから先は、

 隠す意味のある敵しか出てこない。


 アルフレッドの瞳が、暗闇の中で鋭く光った。


「……いいだろう。次は誰だ」


 重力が止まり、足裏に確かな感触が戻る。

 戦いは、さらに深い段階へと踏み込んでいた。



 着地と同時に、床が鳴いた。


 金属でも石でもない、生き物の内壁を踏みしめたような感触。踏圧に応じて脈動が走り、足元から鈍い鼓動が伝わってくる。拠点の内部――否、これはもはや建造物ではなく、機能する器官だった。


 周囲は円環状の空間で、壁面には幾何学的な刻印と、解剖図のように配置された魔術回路が絡み合っている。どれも未完成ではない。実験でも試作でもない。ここは明確な目的を持って造られている。


「……選別炉、か」


 アルフレッドは低く呟いた。


 黒い石が、外套の奥で明確な反応を示す。

 近い。

 だが、それだけではない。歓迎されている。


 次の瞬間、空間の奥が裂けた。


 音も予兆もない。切り裂かれたのは空気ではなく、概念の層だ。そこから現れたのは、異形という言葉では足りない存在だった。人の輪郭を保ちながら、関節の数が合わず、動きが連続ではなく“間引かれて”いる。


 歩いたのではない。

 更新されたのだ。


「――被験体アルフレッド」


 声は複数重なっていた。男とも女とも判別できない。

 それでいて、知性は明確だった。


「戦闘ログは良好。適応値、想定以上」


「セイセス=セイセスは優秀だな。君をここまで導いた」


 アルフレッドは剣を抜かない。

 あえて、構えもしない。


「なら本題に入れ。雑音は不要だ」


 異形の口角が、左右非対称に歪んだ。


「急くな。君は“壊す側”だが、同時に“測られる側”でもある」


 床の刻印が一斉に光る。

 重力が増す。いや、正確には方向が分解された。上下左右という概念が曖昧になり、力が全身へ均等に圧し掛かる。


 だが、アルフレッドは一歩も退かない。


 筋繊維が軋み、骨格が軌道修正される感覚。

 それでも姿勢は崩れず、視線は揺れない。


「……この程度で拘束のつもりか」


「反応、記録」


 異形が腕を振るう。

 その動きに連動し、空間そのものが刃と化した。見えない斬撃が、断続的にアルフレッドへ襲いかかる。


 避けない。


 代わりに、踏み込む。


 圧力を前進力へ変換し、魔力を神経系へ直結させる。

 次の瞬間、剣が抜かれた。


 雷が、遅れて世界を追い越す。


 一太刀で、空間の刃がすべて断ち切られた。

 切ったのは現象ではない。干渉そのものだ。


 異形が初めて一歩退いた。


「……なるほど。これは確かに惜しい」


 声が変わる。

 今度は、はっきりと“個”を帯びていた。


「仮面どもが欲しがる理由も分かる」


 アルフレッドの剣先が、異形を捉える。


「お前は何だ」


「観測者ではない。信徒でもない」


 異形は胸部を叩く。そこには黒い石と同質の結晶が、脈動しながら埋め込まれていた。


「管理者だ。この層の」


 瞬間、空間全体が敵意を剥き出しにする。


 壁が蠢き、床が隆起し、刻印が牙のようにせり上がる。

 ここにいる“全て”が、アルフレッドを試そうとしていた。


 だが――


「試す相手を、間違えたな」


 アルフレッドは剣を低く構え、雷を静かに収束させる。

 これは解放ではない。貫通のための形だ。


「次は、お前の番だ」


 言葉と同時に、彼は踏み出した。


 拠点の中枢で、

 管理者と魔剣士の衝突が、

 ついに本当の戦いとして火を噴いた。



 踏み込みは一歩。

 だが、その一歩が空間の規則を書き換えた。


 アルフレッドの身体能力と魔力制御が完全に同期し、床に刻まれた魔術回路が一瞬、追随できずに遅延する。管理者はそれを即座に検知したが、理解が間に合わなかった。


 雷を圧縮した剣閃が、直線ではなく楔として突き込まれる。


 衝撃は音を伴わない。

 代わりに、空間が悲鳴を上げた。


 管理者の身体が揺らぎ、表層を構成していた概念的な外殻が剥離する。人の形を保っていた輪郭が崩れ、内部の構造――複数の魔術核と、それらを束ねる演算陣が露わになった。


「……っ!」


 管理者が後退し、床に刻まれた刻印が瞬時に再構築される。

 壁面から伸びる魔力導管が脈動し、膨大な情報と力が一斉に流れ込んだ。


「やはり単純な破壊では終わらないか」


 アルフレッドは追撃を急がない。

 視線は、敵の再構成過程を冷静に追っている。


 ――複数核。

 ――外部供給。

 ――この拠点そのものが、予備の脳であり心臓だ。


「……拠点と一体化した存在か」


「正確だ」


 管理者の声は、先ほどよりも明確に“一人分”へ収束していた。


「我々は戦うために存在しない。調整するために存在する」


 床が割れ、そこから黒い石と同質の結晶がせり上がる。

 一本ではない。十、二十――円陣を組むように立ち並び、それぞれが異なる位相で脈動を始めた。


「世界は偏る。力は集中し、必ず歪む」


「セイセス=セイセスも、虚空教団も、その歪みを測るための道具にすぎない」


 アルフレッドは一歩、前へ出た。


「――だから俺を量る?」


「そうだ」


 管理者の声に、わずかな高揚が混じる。


「君は特異だ。破壊者でありながら、世界を壊しきらない」


「選択を誤らず、だが躊躇もしない」


「だからこそ――」


 結晶群が一斉に光を放ち、複合干渉領域が展開された。


 視界が分断され、重力、時間感覚、距離の概念が歪む。

 通常の存在であれば、立っていることすら困難な領域だ。


 だが、アルフレッドは剣を肩に担いだまま、静かに息を吐いた。


「理屈は分かった」


 雷が、剣身の内部で低く鳴る。

 派手な閃光はない。音も抑えられている。


「だが――」


 一歩。


 結晶の一つが、内部から破裂した。


 二歩。


 干渉領域が歪み、管理者の制御が乱れる。


「俺は測られるために生きてきたわけじゃない」


 三歩目で、アルフレッドは完全に間合いへ入った。


 剣が振るわれる。

 今度は雷ではない。純粋な剣技だ。


 管理者の腕が切断され、再構成が間に合わず、床へと崩れ落ちる。


「……理解した」


 管理者はなおも声を失わない。


「君は変数だ。想定外の」


「なら覚えておけ」


 アルフレッドは剣先を向けたまま、告げる。


「次に会う時は――測る側でいるな」


 雷が、ようやく解放された。


 中枢空間を貫く一撃が走り、結晶群が連鎖的に砕け散る。

 拠点全体の脈動が乱れ、鼓動が弱まり、やがて止まった。


 管理者の身体が、光の粒子となって崩れていく。


「……興味深い……本当に……」


 最後に残された声が、空間に溶けた。


 静寂。


 アルフレッドは剣を下ろし、周囲を一瞥する。

 ここはもう戦場ではない。機能を失った殻だ。


 だが、黒い石はまだ沈黙しない。


「……終わりじゃないな」


 次の導きは、すでに始まっている。


 アルフレッドは外套を翻し、崩れゆく拠点を後にした。

 セイセス=セイセス。

 虚空教団ベイリル=オラリオン。


 そして、それらの背後にある“測る意思”。


 戦いは、確実に次の段階へ進んでいた。



 崩壊する拠点の外へ踏み出した瞬間、空気が変わった。


 冷たい――だが、単なる気温の低下ではない。

 世界そのものが、アルフレッドを意識しているかのような感触。


 黒い石が、低く震えた。


「……またか」


 呟きは独り言ではない。

 石は言葉を持たないが、方向と予兆だけは正確に示す。


 視界の端で、空がわずかに歪む。雲の流れが不自然に滞り、地平線の一角が“薄く”なっている。そこだけが、現実に貼り付けられた幕のように見えた。


 ――次は、隠す気がない。


 アルフレッドは歩き出す。

 瓦礫の山を越え、枯れた魔力の流れを踏み、かつて人が通ったであろう道をなぞる。


 途中、黒焦げの標識が倒れていた。


 文字は半分ほど消えているが、読み取れる。


 《境界監察区・第七層》


「監察……か」


 セイセス=セイセスの拠点にしては、言葉が露骨すぎる。

 だが、虚空教団の影が絡むなら話は別だ。


 境界。

 監察。

 測定。


 あの“管理者”の言葉が、脳裏をよぎる。


 ――調整するために存在する。


「……調整される気はない」


 踏み込んだ瞬間、地面の感触が変わった。

 土でも石でもない。記録媒体のような硬さ。


 靴底に走る微細な抵抗。

 同時に、無数の視線が――見えない“目”が、こちらを向いた気配。


「歓迎されてるな」


 返事はない。

 だが、沈黙が答えだった。


 空間の奥から、ゆっくりと“構造”が浮かび上がる。

 塔でも城でもない。階層が露出したままの、未完成の戦場。


 足場は断続的に途切れ、宙に浮かぶ平台が不規則に連なっている。

 それぞれに刻まれた紋様は異なり、属性も、年代も、思想すら一致していない。


「……寄せ集めか」


 黒い石が、これまでで最も強く震えた。


 次の瞬間、前方の空間が割れる。


 裂け目から現れたのは、人影――否、人の形を模した何か。

 鎧のような外殻の隙間から、光ではなく“計算途中の数式”のようなものが漏れ出している。


「アルフレッド」


 名を呼ばれた。

 声は単数だが、発音が微妙にずれている。


「当観測区において、君は――」


 剣が、自然と抜かれていた。


「説明はいらない」


 雷が、再び剣身に宿る。


「どうせ倒す」


 存在は、わずかに首を傾げた。


「……その応答は記録済みだ」


 背後で、さらに空間が歪む。

 一体、二体、三体。


 いずれも違う形をしているが、根は同じだと直感する。


 ――ここは試験場。

 ――そして、これは“前座”。


 アルフレッドは足場を蹴った。


 落下ではない。

 突撃だ。


 雷鳴が轟き、戦場が目を覚ます。


 次なる戦いは、もはや復讐の延長ではない。

 だが、アルフレッドの剣は迷わない。


 敵が増えようと、世界が歪もうと――

 切るべきものは、ただ一つ。


「来い」


 その一言で、戦記の新たな頁が、確かに開かれた。



 最初の衝突は、音よりも先に歪みとして訪れた。


 剣が振り抜かれる刹那、アルフレッドの周囲の空間そのものが引き延ばされ、雷の軌跡が直線ではなく“意図を持った線”として刻まれた瞬間、最前列にいた存在の外殻が悲鳴のような数式音を発しながら裂け、その内部に蓄積されていた演算結果が未完成のまま噴き出し、空中で意味を失って崩壊する。


 ――一体、沈黙。


 だが、倒したという実感はない。

 破壊ではなく、処理を中断させたに過ぎないと、アルフレッドは即座に理解する。


「やはりな」


 次の瞬間、左右から同時に圧がかかる。

 宙に浮かぶ平台がわずかに回転し、足場の“意味”そのものが書き換えられ、重力の向きが反転したかのような錯覚が全身を貫いた。


 普通の戦士なら、そこで均衡を失う。

 だが、アルフレッドは落ちない。


 剣先を空間に突き立てる――否、現実の継ぎ目に差し込む。


 雷が迸り、歪みが固定される。


「……重力じゃない。優先度か」


 敵は殴り、斬る存在ではない。

 世界の処理順を変更する存在。


 それを理解した瞬間、背後から声が重なった。


「観測対象アルフレッド。戦闘中における解析精度、想定値を上回る」


 別の個体だ。

 声は冷静だが、その内部にわずかな――ほんのわずかな歓喜が混じっている。


「セイセス=セイセスは、君を破壊対象として定義した」


 アルフレッドは振り返らない。

 剣を低く構え、雷の収束を抑えたまま、あえて“余白”を残す。


「だが、我々は異なる」


「……虚空教団か」


「否」


 間。


「我々は前段階だ」


 次の瞬間、四方の空間が同時に割れ、無数の“観測線”がアルフレッドへと収束する。

 見えないはずの線が見えるのは、彼の感覚がすでに観測される側から、観測する側へ踏み込み始めている証だった。


「君は、壊れない」


「壊れないからこそ――」


 敵の声が、初めて揺れた。


「壊し方を探す価値がある」


 雷が、爆ぜた。


 アルフレッドは一気に距離を詰める。

 だが、斬らない。

 振り下ろさない。


 踏み込んだまま、止まる。


 その動きに、敵の反応が一瞬遅れた。


「……?」


「分析してるのは、お前らだけじゃない」


 次の瞬間、剣の腹で空間を叩く。

 衝撃は敵ではなく、足場そのものに伝わり、平台に刻まれた紋様が逆流するように崩れ、戦場全体の構造が軋みを上げた。


 観測線が乱れる。

 処理が追いつかない。


「構造依存型……なるほど」


 アルフレッドは、静かに笑った。


「なら、壊すのは“俺”じゃない」


 剣を振るう。


「――舞台だ」


 雷鳴とともに、戦場の一角が意味を失って崩落する。


 宙に浮かんでいた平台が消え、そこに立っていた存在が演算途中のまま宙に溶け、声にならないノイズを残して消失した。


 残る個体が、初めて明確な感情を示す。


 焦燥。


「……危険度、再定義」


「遅い」


 アルフレッドは、すでに次を見ている。


 この戦場の向こう。

 この“前段階”のさらに奥。


 セイセス=セイセス。

 そして、虚空教団ベイリル=オラリオン。


 観測者たちは、まだ高みから見ているつもりでいる。


「――引きずり下ろしてやる」


 低く呟いたその言葉は、雷よりも重く、確かに世界に刻まれた。



 崩れ落ちた“舞台”の残骸が、光でも影でもない粒子となって宙を漂い、やがてそれらが風に攫われるように霧散していく中で、アルフレッドは剣を下ろさなかった。

 敵が消えたからではない。

 消えたという判定が下されたに過ぎないと、彼の感覚が告げていたからだ。


 静寂が戻る。

 だがそれは、戦闘の終わりに訪れる静けさではない。

 処理の切れ目、幕と幕の間に生じる、極めて短い“無音”だった。


 アルフレッドはゆっくりと息を吐き、剣身に走っていた雷の奔流を意図的に沈める。完全に解放すれば、この場そのものが壊れる。だが今は、それを望まない。

 彼は破壊者ではあるが、盲目的ではない。


「……来る」


 そう呟いた直後、黒い石が応えた。


 胸元に吊るされたそれが、脈動するように鈍い光を放ち、まるで生き物の心臓のように不規則な鼓動を刻み始める。

 導き。

 あるいは、選別。


 アルフレッドは歩き出す。

 足元に広がる灰の大地は、先ほどまでの歪みを嘘のように忘れ、しかし確かに“別の形”へと変質していた。踏みしめるたび、灰が音を立てて沈み、その下から古い石畳が顔を覗かせる。街道だ。かつて人が行き交い、交易と生活が交差していた痕跡。


 ――次なる戦場は、すでに用意されている。


 遠く、地平線の向こうで空が歪んだ。

 それは雷雲でも、蜃気楼でもない。空間そのものが“観測される前の姿”へと戻ろうとする兆候だった。


「セイセス=セイセス……」


 名を口にした瞬間、胸の奥で冷たいものが蠢く。

 復讐という言葉では、もはや足りない。

 あれは個人への憎悪ではなく、在り方そのものへの否定へと変質しつつあった。


 さらに、その向こう側。


「虚空教団……ベイリル=オラリオン」


 観測者。

 世界を盤面として眺め、手を汚さずに因果へ指を差し込む存在。

 グラウの狂気は理解できた。あれは人が堕ちる先として、あまりにも分かりやすい。

 だが、仮面の向こう側にあったものは違う。


 理解しようとしない冷静さ。

 壊れるかどうかではなく、使えるかどうかで世界を見る視線。


 アルフレッドは、無意識のうちに歯を噛みしめていた。


「……利用されるつもりはない」


 黒い石が、わずかに強く光る。

 それは同意なのか、それとも嗤いなのか。


 やがて、視界の先に巨大な構造物が浮かび上がる。

 岩山を削り出したような外殻。そこに埋め込まれた無数の黒晶破片が、夜空の星のように明滅し、全体が呼吸するかのように低く唸っている。


 セイセス=セイセスの次なる拠点。

 儀式場であり、工房であり、そして――実験場。


 アルフレッドは立ち止まり、剣を肩に担ぐ。


 ここから先は、もう旅ではない。

 一つの拠点を潰すことが、世界の“反応”を引き起こす段階だ。


「見ているなら、よく見ておけ」


 誰にともなく言葉を投げる。


「俺は、壊す」


 雷が、再び剣身に宿る。

 だがその光は荒々しくはない。研ぎ澄まされ、静かで、逃げ場がない。


 こうしてアルフレッドは、黒い石の導きのまま、次なる戦場へと足を踏み入れた。

 セイセス=セイセスと、虚空教団。

 二つの異なる悪意が交差する地点へ――彼自身が、嵐となるために。



 拠点へと続く道は、道と呼ぶにはあまりにも歪んでいた。

 石畳は途中で途切れ、代わりに黒晶が地表を侵食するように隆起し、鋭利な結晶の列となって進路を塞いでいる。だが、それらは完全な障害ではない。アルフレッドが一歩踏み出すたび、結晶は彼の存在を測るかのように低く共鳴し、わずかに道を譲る。


 ――歓迎ではない。

 観測と試験だ。


 アルフレッドは周囲に視線を巡らせる。気配は多い。だが、そのほとんどが“生”のものではない。

 壁面に溶け込むように刻まれた符文。空間に残留する魔力の渦。意識だけを引き延ばして貼り付けたような、歪んだ存在感。


「ずいぶんと、趣味の悪い連中だ」


 低く呟いた瞬間、応えるように空気が軋んだ。


 前方、拠点の外郭部――巨大な黒晶の門が、音もなく開く。

 そこから現れたのは、人影だった。


 数は三。

 だが、いずれも人の形を保っているだけで、中身はまるで違う。


 先頭の一体は、全身を黒い布で覆い、その隙間から覗く皮膚は硝子のようにひび割れている。胸元には黒晶の核が埋め込まれ、拍動に合わせて不規則な光を放っていた。

 左右に立つ二体は、かつて騎士だったのだろう。だが鎧は肉体と癒着し、関節の可動域を無視して歪に動くその姿は、戦うために再構築された“道具”に過ぎない。


「対象確認」


 先頭の人影が、掠れた声で告げる。


「魔剣士アルフレッド。脅威等級――更新。観測値、想定以上」


 感情のない声音。

 だが、その奥に、かすかな昂揚が滲んでいるのを、アルフレッドは聞き逃さなかった。


「喋る実験体か。少しは進歩したらしいな」


 挑発でも嘲笑でもない。

 純粋な事実の指摘だった。


 次の瞬間、左右の“騎士”が動く。

 床を蹴る音はなく、重力を無視するように滑るような加速。刃が振り抜かれるよりも早く、アルフレッドはその軌道を読み切っていた。


 剣を振るわない。


 ――代わりに、踏み込む。


 超常の身体能力が一気に解放され、距離という概念が圧縮される。衝突音が鳴るより先に、彼の肘が一体の胸部へ叩き込まれ、内側から黒晶核が砕け散った。


 爆ぜる瘴気。

 しかし、アルフレッドは止まらない。


 空中で体勢を切り替え、もう一体の背後へ回り込むと、今度は剣を抜く。

 雷光が走り、刃が鎧ごと胴を断ち割った。


 倒れた二体を一瞥することもなく、アルフレッドは正面の“観測体”へ視線を戻す。


「データは取れたか?」


 その問いに、観測体は喉を震わせた。

 笑い――否、壊れかけた歓喜が漏れ出す。


「十分だ……いや、まだ足りない。君は……もっとだ。もっと壊れてくれなければ、式が完成しない」


 黒晶の核が、異様な速度で明滅を始める。


 アルフレッドは剣を構え直し、雷をさらに深く、静かに沈めた。

 力を誇示する必要はない。

 必要なのは――正確な破壊。


「なら、続きをやろう」


 その言葉を合図に、拠点全体が低く唸りを上げた。

 壁が脈打ち、床の符文が一斉に点灯する。


 これは前哨戦ではない。

 拠点そのものが、彼を敵として認識した瞬間だった。


 アルフレッドは、わずかに口角を上げる。


 ――ようやく、話が早くなってきた。



 拠点全体が敵意を帯びた瞬間、空間の“質”が変わった。

 音が遠のき、色が沈み、視界の端で世界がわずかに歪む。これは幻覚ではない。結界による隔離だ。外界との因果を遮断し、この場で起きる出来事を“内部処理”として完結させるための装置。


 アルフレッドは一歩も退かなかった。


「閉じたな……いい判断だ。逃げ道がない方が、後腐れがない」


 その言葉に応えるように、観測体の黒晶核がさらに輝度を上げる。


「逃げる? 違う。これは……歓迎だよ、魔剣士」


 観測体の身体が歪み、皮膚の亀裂から黒い光が溢れ出す。人の形を保っていた輪郭が崩れ、複数の関節が不自然に増殖し、腕が四本へと分岐していく。

 それでも顔だけは、人間だった。歪んだ笑みを貼り付けたまま。


「君は貴重だ。グラウでさえ、ここまで綺麗な反応は示さなかった」


 その名を聞いた瞬間、アルフレッドの視線がわずかに鋭くなる。

 だが、それだけだ。


「比較対象にされる趣味はない」


 踏み込み。

 雷が炸裂し、床の符文が焼き切れる。空間制御が追いつく前に、アルフレッドは距離を詰め、剣を振り抜いた。


 しかし――斬れない。


 刃は確かに肉体を捉えた。だが、切断されたはずの部分が黒晶の粒子となって霧散し、次の瞬間には別の位置で再構成される。


「再配置……いや、分散か」


 アルフレッドは即座に理解する。

 これは再生ではない。存在の分割だ。肉体という“殻”を捨て、複数の位相に分散することで、単一の攻撃を無効化している。


 観測体が笑う。


「理解が早い。やはり君は、壊す側の人間だ」


 四本の腕が同時に動く。

 刃、呪符、黒晶の杭、そして――触れた意識を侵食する“概念圧”。


 アルフレッドは後退せず、前へ出た。


 剣を逆手に持ち替え、雷を刃の外ではなく内部へと圧縮する。魔力と身体能力が完全に同期し、踏み込んだ瞬間、床が砕け散った。


「なら――分けるな」


 剣が閃く。

 それは斬撃ではない。衝撃でもない。


 位相そのものを叩き潰す一撃だった。


 雷が爆ぜ、空間が悲鳴を上げる。分散していた観測体の存在が強制的に一点へ引き戻され、歪な形のまま床へと叩きつけられる。


 観測体が、初めて声を荒らげた。


「っ……!? そんな……調整外だ……!」


 アルフレッドは一歩近づき、剣先を黒晶核へ向ける。


「観測は終わりだ。次は、結果だろ」


 だが、その瞬間――。


 空間の奥、結界のさらに向こう側で、別の視線が重なった。

 冷たく、静かで、どこまでも遠い。


 虚空教団。

 ベイリル=オラリオンの“観測”が、この拠点に干渉し始めていた。


 観測体が、苦しげに笑う。


「……ああ、見ている……君を、君たちを……」


 アルフレッドは剣を止めない。

 視線が増えようと、構わない。


「見物料は――高くつくぞ」


 雷光が、黒晶核を貫いた。



 雷光が核を貫いた瞬間、音が消えた。


 爆発は起きない。

 断末魔もない。

 ただ、崩壊だけが発生した。


 黒晶核は粉砕されるのではなく、内部から意味を失っていき、存在理由を剥がされるように淡い塵へと変じていく。その過程で観測体の身体は支えを失い、四肢がばらばらに落下しながら、なお数秒のあいだ痙攣を続けた。


「……記録……不能……」


 それが、最後の言葉だった。


 拠点が悲鳴を上げる。

 壁面に走っていた符文が一斉に反転し、制御魔法が暴走を始める。これは防衛反応ではない。中枢喪失による自己崩壊だ。


 アルフレッドは剣を引き抜き、即座に周囲を見渡す。

 来る。


 天井が裂け、黒晶の柱が落下する。床下からは瘴気が噴き上がり、複数の影が同時に蠢いた。

 量産型。

 意識を持たない代替観測体――“処理用の兵器”。


「……まだ出すか」


 苛立ちはない。

 むしろ冷静だ。


 アルフレッドは呼吸を整え、剣を低く構える。雷は抑えたまま、必要な分だけを刃に通す。力で押し潰す段階ではない。

 数を処理する段階だ。


 一体が突進してくる。

 剣閃一つ。首が落ちる。

 次の一体が背後を取ろうとするが、踏み込み一つで位置関係が逆転し、肘打ちで胸部を破壊。


 無駄がない。

 速さはあるが、急がない。

 まるで訓練の延長のように、アルフレッドは次々と敵を沈めていく。


 だが、その最中――。


 空間の奥で、拍手が鳴った。


 音ではない。

 概念的な“賞賛”が、直接意識へ流し込まれる。


「――見事だ、アルフレッド」


 声は、拠点のどこにも属していなかった。

 距離も方向もなく、ただ“そこに在る”。


 アルフレッドは敵を斬り伏せながら、視線だけをわずかに上げる。


「出てくるなら、最初から来い。観測者」


 虚空が歪み、黒い裂け目が開く。

 そこから、仮面の人物が半身だけを現した。


 ベイリル=オラリオン。


 完全な顕現ではない。

 干渉の最小化――安全圏からの接触だ。


「この拠点は、君が潰しても問題ない。むしろ、想定より早く“不要”になった」


 淡々とした口調。

 罪悪感も、悪意もない。


「セイセス=セイセスは、常に暴走する。制御不能な狂気は、観測には向かない」


 アルフレッドは、最後の一体を斬り捨て、血も瘴気も払うように剣を振る。


「つまり……掃除役か?」


「近い。だが、少し違う」


 仮面の奥で、視線がわずかに細まる。


「君は“変数”だ。固定されない。だからこそ価値がある」


 アルフレッドは一歩、前へ出た。

 裂け目の向こうへ、雷が漏れ出す。


「価値で語るな。俺は、俺の意思で動く」


 一瞬、空気が張り詰める。

 だが仮面の人物は、引いた。


「理解している。だからこそ、今は干渉しない」


 裂け目が閉じ始める。


「だが忘れるな、アルフレッド。君がセイセス=セイセスを潰せば潰すほど、世界は――こちらを必要とする」


 その言葉を残し、仮面は完全に消えた。


 直後、拠点の中枢が完全に崩壊を始める。

 床が割れ、天井が落ち、黒晶が砕け散る。


 アルフレッドは迷わず走り出した。

 爆発の連鎖を背に、崩れゆく構造物を跳び越え、最後の瞬間に外へと脱出する。


 振り返ると、拠点は巨大な陥没孔となり、瘴気と光を吐きながら沈黙していた。


 ――一つ、終わった。


 だが、終わりではない。


 アルフレッドは剣を納め、黒い石を見下ろす。

 それはすでに、次の方向を示していた。


「……行くぞ」


 復讐の道は、まだ途切れない。

 そしてその先で、世界そのものが彼を試そうとしていることを、アルフレッドははっきりと理解していた。

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