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第十九話

 黒い石は、もはや“道具”の域を越えていた。


 掌の内で微かに熱を帯び、脈動は一定の律を刻んでいる。

 それは方角ではない。距離でもない。

「干渉が濃くなる場所」を示していた。


 アルフレッドはそれを理解したうえで、歩を進める。


 西へ。

 灰の海を越え、砕けた都市の残骸を抜け、かつて名を持っていたであろう平原へ。


 空は低く、雲は不自然に層を成している。

 風が止み、音が減り、世界の輪郭が薄れていく。


「……来ているな」


 独り言は、空気に吸い込まれる前に歪んだ。


 セイセス=セイセス。

 人を素材とし、世界を実験場とする集団。

 彼らは破壊者ではない。

 意味を分解する者たちだ。


 そして――


 虚空教団ベイリル=オラリオン。

 観測し、記録し、必要とあらば世界に“指を差し込む”存在。

 破壊も創造も、彼らにとっては等価の手段に過ぎない。


 その両者が、同じ戦場に姿を現す。


 それが何を意味するか、アルフレッドは理解していた。


「……俺を、秤にかける気か」


 黒い石が、応えるように強く脈を打つ。


 やがて地平が裂けた。


 いや、正確には――重なった。


 一歩踏み出した瞬間、景色が切り替わる。

 平原は消え、代わりに現れたのは、幾何学的に歪んだ石造構造群。


 柱は空へ伸びながら途中で折れ、床は上下の概念を拒絶する。

 空間そのものが、複数の理屈で同時に成立している戦場。


 セイセス=セイセスの主拠点級実験域。

 そして――観測者が介入可能な“開放区”。


 拍手が響いた。


 どこからともなく。

 方向の概念を嘲笑うように。


「素晴らしい。実に素晴らしい到達だ、アルフレッド」


 声は若く、軽く、だが底知れない。


 空間の縁が裂け、仮面の人物が姿を現す。

 顔は白く、滑らかで、表情を拒絶する形状。

 だが、その“視線”だけは、確かにこちらを測っていた。


「虚空教団ベイリル=オラリオンとして歓迎しよう。ここは君の復讐が、個人的な物語で終われなくなる地点だ」


 続いて、反対側の構造体が軋む。


 黒晶に覆われた装置群が起動し、その中心から現れたのは――

 人の形を保ちながら、どこか“人ではない”存在。


「久しいな、アルフレッド」


 声は落ち着いている。

 だが、その内側には、制御された狂気が脈打っていた。


「我らセイセス=セイセスは、君を失敗作とも成功作とも定義できずにいる。それが――実に不愉快で、そして愉快だ」


 セイセス=セイセスの男、グラウ。

 左右に敵。

 背後は閉じている。


 だが、アルフレッドは剣に手をかけただけだった。


「定義なんてどうでもいい」


 一歩、前へ。


「俺は――潰す」


 仮面の人物が、楽しげに声を弾ませる。


「いいね。その単純さ。だからこそ、観測に値する」


 グラウが、静かに腕を上げる。


「始めよう。実験でも、観測でもない」


 空間が、戦意に応じて震え始める。


「――選別だ」


 黒い石が、これまでになく激しく鼓動した。


 アルフレッドは剣を抜く。

 雷が、今度は抑えられず、刃の外へ滲み出した。


 復讐の旅は、次の段階へと踏み込む。


 個人の憎しみが、世界の意思と衝突する戦いへ。



 雷鳴は、まだ鳴っていなかった。


 だが――世界が鳴る準備を始めていた。


 歪んだ石造空間の至るところで、符号の異なる魔力が干渉し合い、空間の“縫い目”が軋む。

 床でも壁でも天井でもない場所から、黒晶の結節が芽吹くように浮上し、セイセス=セイセスの実験装置が次々と起動していく。


「配置完了だ」


 グラウが、淡々と告げた。


「君の戦闘様式は把握している。雷属性、近接主体、高速思考。だが――」


 黒晶の結節が歪み、人型へと変質する。


「今回は“殺すための構造”ではない」


 それは兵器ではなかった。

 意思を持つ敵ですらない。


 アルフレッドの戦闘を“学習し続けるための場”そのもの。


 仮面の人物が、空間の一段高い場所に腰を下ろす。

 足は宙に投げ出され、芝居を見る観客のようだ。


「いや、いい構図だ。復讐者と解析者、そして観測者」


 仮面が、指先で虚空をなぞる。


「君が勝てば、セイセス=セイセスの理屈は崩れる。負ければ――君という“可能性”は、記録され、再利用される」


 楽しげな声。


「どちらに転んでも、世界は前に進む」


 アルフレッドは答えなかった。


 視線は前。

 黒晶構造体の“間”に流れる魔力の癖、干渉の遅延、観測の焦点。


(……三重構造か)


 敵は三ついる。


 前方のセイセス=セイセスの実験域そのもの。

 側面からの仮面による遠隔干渉。

 そして――


(“俺自身”だ)


 怒りに飲まれれば解析に捕まる。

 冷静すぎれば、観測者に“安全なデータ”として扱われる。


 剣を握る手に、力を込めた。


「――始めるぞ」


 雷が走る。


 音よりも速く、アルフレッドは踏み込んだ。


 刃が閃き、最前列の黒晶構造体を叩き割る。

 だが砕けた瞬間、破片は消えない。


 再構成される。


「いい反応だ」


 グラウが、わずかに口角を上げる。


「破壊を選ぶ。だが破壊“きり”では終わらせない。やはり――君は理想的だ」


 黒晶の兵装が、アルフレッドの動きに合わせて形を変える。

 雷を通せば拡散し、斬撃を受ければ分裂する。


「……ちっ」


 アルフレッドは即座に戦法を切り替えた。


 雷を纏うのではなく、放つ。

 剣を媒介にせず、身体そのものを導体にする。


 雷光が弾け、空間に“静止した稲妻”の網が張り巡らされる。


「解析速度が上がった!」


 グラウの声に、抑えきれない高揚が滲む。


「その選択――想定より早い!」


 次の瞬間、空間が歪む。


 仮面の人物が、指を鳴らした。


「――介入、少しだけ」


 アルフレッドの視界が、一瞬“ずれる”。


 距離感、重さ、音の遅延。

 致命的ではないが、戦闘の最中では致命になりうる誤差。


「っ……!」


 黒晶の刃が、肩を掠める。

 血が宙に舞い、重力を忘れたまま散った。


 仮面が、満足そうに頷く。


「いいデータだ。君は“不利”でも戦いを止めない」


 アルフレッドは歯を食いしばり、血を拭いもしない。


 代わりに――笑った。


「……なるほどな」


 雷が、今度は内側で鳴る。


「お前らは俺を見てるつもりで――俺に見られてるってわけだ」


 剣を振り上げる。


 雷光が、一本に収束した。


「だったら――」


 一歩、踏み込む。


「逃げ場は作らせない」


 雷が落ちる。


 黒晶が悲鳴を上げ、空間が割れ、観測と解析が同時に揺らぐ。


 三者の均衡が、ここで初めて崩れ始めた。


 ――戦いは、本当の局面へと突入する。



 雷光が収束した刹那、空間そのものが軋み、張り巡らされていた黒晶構造が一斉に悲鳴を上げたかのように振動した。

 アルフレッドの踏み込みは止まらない。彼の身体は魔力と筋力の境界を超え、常人の知覚を置き去りにした速度で前へと突き進み、剣先はもはや光の残像としてしか認識できない。


「はは……ッ!」


 セイセス=セイセスの男――グラウは、笑った。

 恐怖ではない。焦燥でもない。

 純粋な、高揚だった。


「いい……実にいいぞ、アルフレッド。雷を“技”としてではなく、“環境”に昇華するとは……!」


 黒晶構造が再構成を始めるより早く、アルフレッドは次の一手を打つ。

 雷の網を、意図的に歪ませた。


 電流が乱反射し、黒晶の自己修復用の魔力回路に干渉する。

 刃を振るわずとも、構造体の内側から亀裂が走り、結晶が粉砕されていく。


「解析が……追いつかない?」


 グラウの声に、初めて違和感が混じる。


「違うな」


 アルフレッドは低く答え、踏み砕いた黒晶の残骸を蹴り上げる。


「追いつかせてない」


 次の瞬間、雷光と共にアルフレッドの姿が消えた。

 否、消えたように“見えただけ”だ。


 仮面の人物が、わずかに首を傾ける。


「……ほう?」


 視界の死角。

 観測の焦点が“最も重要でない”と判断した位置。


 そこへ、アルフレッドは踏み込んでいた。


 剣が唸りを上げ、黒晶の中枢――解析核へと叩き込まれる。


 衝撃。

 雷が爆ぜ、黒晶の内部で連鎖的な崩壊が始まる。


「ッ――!」


 グラウが一歩、後退した。


 だが、すぐに立て直す。


「なるほど……観測の癖を読んだか。さすがだ、君は“使い捨て”には惜しい」


 仮面の人物が、ゆっくりと立ち上がる。


「……これは予想以上だな。セイセス=セイセス、君の玩具は壊れかけている」


「壊れる?」


 グラウは笑い、血の滲む口元を拭った。


「いいや。完成に近づいている」


 彼の足元で、黒晶の残骸が再び蠢き始める。

 だが今度は、人型ではない。


“場”そのものが変質していく。


 床と壁の区別が曖昧になり、黒晶が脈動する臓腑のように膨張し始めた。


「来るぞ……」


 アルフレッドは剣を構え直し、魔力をさらに深く引き出す。

 限界ではない。

 だが、本気だ。


「次は――解析じゃない」


 雷が、剣身に集束する。


「叩き潰す」


 仮面の人物が、愉快そうに拍手した。


「いいね。

 ようやく“物語”らしくなってきた」


 黒晶の臓腑が裂け、そこから新たな敵意が形を持って這い出してくる。

 解析と観測と狂気が交錯する戦場で、アルフレッドは一歩前に出た。


 ――次の衝突は、もはや試し合いではない。

 本質を賭けた、真正面からの激突が始まろうとしていた。



 黒晶の臓腑が裂ける音は、生き物の悲鳴に酷似していた。

 それは破壊されつつある“装置”の音ではない。

 構造そのものが、自己を生体として再定義し始めた兆候だった。


 脈打つ壁面から滲み出た黒い粘液が空中で凝固し、骨格を形づくる。

 関節は人のそれに近いが、可動域は異常に広く、逆関節が滑らかに噛み合い、背部には結晶質の棘が束となって伸びていた。


「……結晶生体兵器か」


 アルフレッドは一瞥で理解する。

 解析と実戦を重ねてきた彼にとって、これは初見ではない。

 だが――完成度が違う。


「いい目だ」


 グラウの声は、もはや隠そうともしていない昂揚に満ちていた。


「だがこれは“兵器”じゃない。場が自ら導き出した解だ。君という異物に対抗するためのな」


 黒晶生体が、動いた。


 床を蹴った瞬間、衝撃波が遅れて追いつく。

 アルフレッドは迎撃のために剣を振るうが、刃が触れる直前、相手の装甲が瞬時に再配列し、雷の伝導を断ち切った。


「……っ」


 火花が散る。

 手応えはある。だが浅い。


 次の瞬間、黒晶の拳が迫る。

 アルフレッドは半身を捻り、拳を掠めさせるに留めるが、それだけで空気が爆ぜ、背後の柱が粉砕された。


「解析済みだ、アルフレッド」


 グラウの声が重なる。


「君の魔力波長、身体加速の閾値、雷属性の収束速度――すべて、この場が学習した」


 アルフレッドは、口角をわずかに上げた。


「……それで?」


 一歩、前へ。


「俺が学習しないと思ったか」


 踏み込みと同時に、雷の性質が変わる。

 直線的だった電流が、渦を巻き、層を成し、刃の周囲に“遅延領域”を形成する。


 黒晶生体が回避行動を取ろうとした瞬間、その動きが“引き延ばされた”。


「――なッ」


 グラウが、初めて声を荒げる。


 アルフレッドの剣が、ゆっくりと、しかし確実に装甲を貫く。

 遅延領域内では、時間の感覚が歪む。

 装甲の再配列が追いつかない。


 雷が内部で爆ぜ、黒晶生体の胴体が裂けた。


 だが、倒れない。


 砕けた結晶が宙で再結合し、四肢が増殖する。


「はは……ははははッ!」


 グラウの笑いが、狂気の色を濃くする。


「いい……いいぞ……! 観測者よ、見ているか!? これは“予測不能”だ!!」


 仮面の人物は、静かに応じた。


「……記録している。だが同時に、警告も記しておこう」


 一歩、前へ出る。


「これ以上は――世界への影響が無視できない領域に入る」


 アルフレッドは、視線だけで仮面を一瞥した。


「なら、目を逸らせ」


 そして、剣を構え直す。


「ここから先は――俺の戦いだ」


 雷が、今度は音を失った。

 静寂の中で、光だけが増幅されていく。


 黒晶生体が、全身を震わせ、最後の突進を仕掛ける。


 その刹那。


 アルフレッドは、剣を振るった。


 ――雷は、斬撃そのものとなり、

 黒晶生体と、その背後の“場”をまとめて切り裂いた。


 爆音が遅れて世界を揺らす。


 崩壊する構造体の中で、アルフレッドはなお立ち続けていた。

 剣を下げ、息を整え、次なる敵を見据えながら。


 戦いは、まだ終わらない。

 だが――主導権は、確実に彼の手にあった。



 崩壊は連鎖的だった。


 雷の斬撃によって切り裂かれた黒晶生体は、単なる一個体の破壊に留まらず、戦場そのものに組み込まれていた魔術的演算式を根こそぎ破断し、床、壁、天井という概念を支えていた力学が一斉に瓦解していく。空間は軋み、重なり、剥離し、まるで世界が誤った答えを自ら消去しようとしているかのようだった。


 アルフレッドは剣を低く構えたまま、崩れ落ちる黒晶の雨の中を歩く。

 瓦礫は彼を避けるように落ち、雷の残滓が足元を淡く照らしていた。


「……見事だ」


 グラウの声は、もはや拠点のどこからともなく響いていた。

 肉体を失ったわけではない。だが、彼はこの場から半歩、引いた。


「この段階で“場”を破壊するとは思っていなかった。君はやはり――想定を越える」


「褒め言葉ならいらない」


 アルフレッドは歩みを止めずに応じる。


「ここは拠点だ。潰す。それだけだ」


 黒晶の壁面に、歪んだ像が浮かび上がる。

 それはグラウの顔だったが、いくつもの位相が重なり、視線が定まらない。


「焦るな。拠点は“点”に過ぎん。だが――君がここまで踏み込んだ以上、こちらも遊びでは済まさない」


 空間の奥、まだ崩壊に巻き込まれていない中枢域が、不気味な静けさを保っている。

 そこに集束する魔力の質が、明らかに変わった。


 その変化に、仮面の人物が反応する。


「……セイセス=セイセス。それ以上は“記録外”だ」


 仮面の声は冷静だったが、そこには確かな警戒が滲んでいた。


「この世界線で許容される干渉量を超える。君たちの実験は、観測の域を逸脱する」


「だから何だ?」


 グラウの声が、愉悦を帯びる。


「君たちは“見るだけ”だろう? なら、黙っていろ。これは――我々と彼の問題だ」


 アルフレッドは、そこで初めて仮面の人物を正面から見据えた。


「……聞いているか、観測者」


 仮面は首を傾ける。


「もちろん」


「なら覚えておけ」


 剣を持つ手に、再び雷が集まる。

 だが今度のそれは、派手な奔流ではない。

 静かで、研ぎ澄まされ、刃と完全に同化している。


「俺は――“記録”の中で終わる気はない」


 一瞬、仮面の人物が沈黙した。

 そして、わずかに笑う。


「……興味深い。ならば、その結末まで見届けよう」


 次の瞬間、中枢域が開いた。


 そこに立っていたのは、人の形をしていながら、人ではない存在。

 黒晶と肉体、魔術と概念が融合した、セイセス=セイセスの実働核。


 それが、一歩を踏み出す。


 地鳴りが走り、空間が再び戦意に染まる。


 アルフレッドは、迷わず前へ出た。


 復讐の旅は、もはや一点突破では終わらない。

 だが――


 彼の剣は、依然として曇っていなかった。


 次なる激突が、今まさに始まろうとしていた。



 中枢域に立つそれは、もはや「個体」と呼ぶには不適切だった。


 人の輪郭を借りてはいるが、肉体は黒晶と生体組織が幾重にも重なり、関節という概念すら曖昧で、動くたびに構造が書き換わっていく。胸部には核となる結晶が露出し、その内部で複数の魔術式が同時並行で稼働しているのが、遠目にも分かった。


「……実働核、か」


 アルフレッドは一歩も引かず、剣先を向ける。


「人を捨てて、ここまで来たか」


 応答は言葉ではなかった。

 実働核の全身を走る魔術回路が一斉に点灯し、空間の密度が変わる。重力が揺らぎ、足元の感覚が一瞬遅れて追いつく。


「来るぞ」


 アルフレッドがそう呟いた直後、実働核は“消えた”。


 否、移動したのではない。

 座標を書き換えた。


 次の瞬間、背後から圧倒的な衝撃が襲う。

 アルフレッドは反射的に身を捻り、剣で受け流すが、その一撃は斬撃でも打撃でもない、純粋な“干渉”だった。


 空気が爆ぜ、雷の膜が弾ける。


「……ほう」


 アルフレッドの足が、床を削りながら数歩後退する。

 だが、膝は落ちない。


「力押しじゃない。位相干渉……いや、概念衝突か」


 実働核が、初めて“声”を発した。


「――解析完了。対象アルフレッド、脅威等級を再定義」


 無機質で、感情の欠片もない声。

 それは個人の意思ではなく、セイセス=セイセスそのものの判断だった。


 同時に、周囲の黒晶残骸が浮かび上がる。

 破壊されたはずの構造体が、別の形で再利用され、無数の刃、槍、砲口として空中に展開されていく。


「数で来るか」


 アルフレッドは深く息を吸い、吐いた。


「……いいだろう」


 剣を逆手に持ち替え、地面へ突き立てる。


 雷が大地へと流れ込み、次の瞬間、アルフレッドの足元を中心に、円形の雷陣が展開された。

 電流は単なる攻撃ではない。

 空間を固定するための術式だ。


 黒晶の刃が一斉に射出される。

 だが、雷陣に触れた瞬間、軌道が歪み、互いに衝突し合って砕け散った。


「干渉を……上書きしている?」


 遠くで、仮面の人物が低く呟く。


「なるほど。彼は“環境”を支配する段階に入っている」


 実働核が、わずかに動きを止めた。

 解析の再計算。その隙を、アルフレッドは見逃さない。


 剣を引き抜き、雷陣を踏み砕くように前進する。


 距離は一瞬で詰まった。


「――ここだ」


 雷が、刃に収束する。

 今度は斬撃ではない。

 貫通。


 剣先が実働核の胸部、露出した核へと突き立てられる。


 激しい光。

 黒晶が悲鳴のような振動を発し、内部の魔術式が次々と破断していく。


 だが、完全ではない。


 実働核は、自らの胸を掴み、アルフレッドの剣を封じ込める。


「対象――危険度、想定外」


 その声に、わずかな歪みが混じった。


「それでいい」


 アルフレッドは、至近距離で告げる。


「想定内で、俺は倒せない」


 雷が爆ぜた。


 剣を媒介に、内部から解放された魔力が、実働核の全身を貫き、構造を根本から崩壊させていく。


 中枢域が、ついに耐えきれず、崩れ始めた。


 瓦解する空間の中で、アルフレッドは剣を抜き、静かに後退する。


 セイセス=セイセスの拠点は、確実に終わりへ向かっていた。


 だが――

 遠くで、グラウの気配が、まだ消えていない。


 そして、仮面の人物は、そのすべてを黙って見届けていた。


 戦いは一つ、決着へ向かう。

 だが同時に、より大きな争いの幕が、確実に上がりつつあった。



 実働核の崩壊は、音よりも先に“感覚”として訪れた。


 空間に満ちていた圧が抜け、張り詰めていた魔術的緊張が一斉に解け落ちる。黒晶は砕け散るのではなく、意味を失った砂のように崩れ、重力に従って静かに降り積もっていった。


 アルフレッドは、その中心に立ったまま剣を下ろす。


 勝利の余韻はない。

 達成感も、安堵もない。


 ただ一つ、確信だけがあった。

 ――ここは終わった、と。


「……やはり、壊したか」


 声は背後からではなかった。

 頭上でも、側面でもない。


 空間の奥行きそのものから、滲み出るように響く。


 黒晶の残滓が集まり、ひとつの像を結ぶ。

 半身だけを現したグラウの投影体だった。


「実働核の破壊。拠点としては致命的だ」


 だが、その声に悔恨はない。

 むしろ、満足があった。


「いい戦果だ、アルフレッド。君はまた一つ、我々の“計算”を裏切った」


「計算のために人を使うな」


 アルフレッドは、感情を乗せずに言い放つ。


「次は、直接潰しに行く。

 逃げ場は減ってきているはずだ」


 グラウは、静かに笑った。


「減っている? いいや、逆だ」


 投影体が、わずかに歪む。


「君がここまで来たことで、世界は“広がった”」


 その言葉に、仮面の人物が反応した。


 空間の裂け目から、ゆっくりと姿を現す。

 白い仮面の奥で、視線だけが鋭く光る。


「……その表現は正確ではない、グラウ」


 淡々とした声。


「正確には――重なり始めた、だ」


 アルフレッドは、二人を見据えた。


「何の話だ」


 仮面の人物は、一瞬だけ沈黙し、やがて答える。


「君が壊したのは拠点だけではない。“前提”だ」


「前提?」


「セイセス=セイセスが、この世界を一方的に弄れるという前提。そして、我々虚空教団が、干渉せずに済むという前提だ」


 グラウが低く息を吐く。


「観測者にここまで言わせるとは……やはり君は、想定外だ」


 アルフレッドは剣を肩に担ぎ、視線を逸らさない。


「だったら、はっきり言え」


 一歩、前へ。


「次はどこだ」


 仮面の人物が、わずかに笑った気配を見せる。


「……いいだろう」


 指を鳴らすと、空間に淡い光の線が走る。

 それは地図でも座標でもない。

 干渉の流れそのものだった。


「黒い石が導く先。次に“濃くなる”地点だ」


 その先にあるのは、ひとつではない。


 セイセス=セイセスの残存拠点。

 そして――虚空教団が、これ以上傍観できなくなる“臨界点”。


 グラウの投影体が、ゆっくりと薄れていく。


「次に会う時は、もう少し世界が壊れているだろう」


「その前に、俺が壊す」


 アルフレッドの返答は、短く、迷いがなかった。


 仮面の人物もまた、後退する。


「記録は続く、アルフレッド」


 裂け目が閉じる直前、最後に言葉が落とされる。


「だが――君自身が、物語をどう終わらせるかは、観測できない」


 次の瞬間、空間は完全に崩れ落ちた。


 アルフレッドは、瓦礫と灰の中に立っていた。

 空は再び現実の色を取り戻し、風が吹く。


 掌の黒い石は、静かに、しかし確かに脈打っている。


 次の戦場を示すように。


 アルフレッドは歩き出した。


 復讐のためだけではない。

 観測者に選別されるためでもない。


 ――自分の意思で、終わらせるために。


 そして、彼の前には、

 さらに深く、さらに危険な戦いが待ち受けていた。

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