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第十二話

 夜明けとともに、アルフレッドは廃村を後にした。

 まだ黒い灰が漂う瓦礫の上に足跡を残しながら、背には雷鳴の気配を纏った剣を背負う。

「……深淵が待っている」

 声に出せば自らを鼓舞するように響き、胸の奥に眠る不安をかき消していった。


 北へ向かう街道は、次第に自然の姿を失っていった。

 枯れ果てた森、倒れ伏す木々、そして動物の死骸。

 いずれも血や牙の跡はなく、ただ声を奪われたように静まり返っていた。


 時折、風に混じって囁き声が聞こえる。

 しかし振り返っても誰もいない。

 それは残滓か、あるいは深淵から滲み出る予兆か――。


 三日目の夕刻、彼はようやく深淵と呼ばれる断崖に辿り着いた。

 大地が裂け落ちたかのように広がる巨大な亀裂。

 底は闇に覆われ、覗き込んでも深さを測ることはできない。


 崖の縁には古い石碑が立ち、そこには血で刻まれたような文字が残されていた。

《影ノ主、其処ニ眠ル》


 アルフレッドは石碑に手を触れ、深淵を見下ろした。

 冷気が肌を刺す。

 だがその眼差しに迷いはなかった。


「……影の主。お前が何者であれ――斬り伏せる」


 彼は剣を握り直し、深淵の闇へと歩みを進めた。



 アルフレッドは断崖に設けられた古びた階段を降りていった。

 苔と血のような黒い染みが石を覆い、足音はすぐに闇に呑まれる。

 灯した松明の火は、ここでは異様に短く揺らぎ、まるで光そのものを拒絶されているかのようだった。


 進むにつれ、空気は重く粘つき、息を吸うたびに肺が蝕まれるような感覚が広がった。

 足元には古い人骨が散らばり、その頭蓋の目孔からは黒い液体がじわりと滲み出ていた。

「……ここは、墓場ですらない。生きたまま呑まれたのか」

 アルフレッドは剣に触れ、雷の気配を微かに纏わせた。


 奥へ進むほど、かすかな音が耳に忍び込んでくる。

 それは滴る水音のようでありながら、よく聞けば囁きの連なり。

「……見ている……」「……喰われよ……」

 壁に触れれば、脈動するかのように震え、冷たい粘液が手にまとわりついた。


 視線を向けた暗がりの奥――人影が一瞬だけ現れては、溶けるように消えた。


 やがて通路は広間へと開けた。

 天井は見えず、底知れぬ暗黒が空洞を満たしていた。

 中央には、黒い石の巨塊が脈動している。

 その表面には、かつて倒した異形たちの顔が浮かび上がり、呻き声を漏らしていた。


「……これが影の主の根か」

 アルフレッドは剣を構え、闇の奥を睨んだ。

 まだ姿を現してはいない。だが確実に、この深淵の奥で何かが目を覚まそうとしている――。



 黒い石の巨塊が脈打つたび、広間の壁に走る亀裂から闇が滴り落ちた。

 それは液体のようであり、煙のようでもある。

 やがてそれらは集まり、人の形を模した。


 ひとつは四肢がねじれ、頭部に複数の眼孔が開いた異形。

 もうひとつは口だけが異様に大きく裂け、そこから呻きの声を垂れ流す。

 ――影の主の眷属たち。


 十、二十……数えることが無意味になるほど、闇から眷属が次々と滲み出てきた。

 その全てが、アルフレッドを中心に円を描き、逃げ場を塞いでいく。

 圧迫感は空気を歪め、松明の火は絶え絶えに揺れた。


「……逃げ道を潰すつもりか。なら、切り開くだけだ」

 アルフレッドは魔剣を抜き、雷の気配を解き放った。


 最初に飛びかかってきたのは、腕が鎖のように伸びる異形だった。

 アルフレッドは身を沈め、地を蹴る。

 刹那、雷光を帯びた斬撃が闇を裂き、眷属の頭部を消し飛ばした。


 だが倒れてもなお、その影は地に染み込み、新たな形を作り出していく。

「……やはり、根を断たねば意味がないか」


 周囲の眷属たちが一斉に声を上げた。

 それは悲鳴でも歓喜でもない、深淵そのものの音。

 耳を裂くその咆哮に、岩壁が振動し、石片が落ちてくる。


 アルフレッドは雷を纏わせた剣を高く掲げ、

「――来い! すべて斬り伏せてやる!」

 と叫び、深淵の闇に立ち向かっていった。



 眷属たちは次々と襲い掛かってきた。

 四肢を刃へと変じた影が跳びかかり、口腔から闇を吐き出す異形が背後から迫る。

 斬っても斬っても、倒したはずの影は地に染み込み、別の形を生んで立ち上がる。

 広間は、もはや生きた闇の海と化していた。


 アルフレッドは身を翻し、雷光の剣で連撃を捌いた。

 一閃ごとに雷鳴が轟き、十体、二十体と眷属を弾き飛ばす。

 だがそのたびに腕が重くなり、汗が視界を曇らせていく。


「……無限に斬ることはできん……!」

 剣を振るいながら、彼は心の奥で冷静に状況を見極めようとしていた。

 ――この群れを生み出す核を突かなければ、終わりはない。


 次の瞬間、耳を劈く囁きが頭蓋に響いた。

「……斬れ……もっと斬れ……」

 気づけば、眷属の一部はアルフレッド自身の姿を模していた。

 かつての旅の仲間、導師ゼム、そして自分自身の幻影までもが、剣を構えて襲い来る。


 雷を纏う斬撃で幻を振り払いながら、彼は叫んだ。

「――俺は、俺を斬らん!」


 幻影を薙ぎ払ったその刹那、広間中央の黒石が脈動を強め、眷属たちの動きがわずかに同調した。

 群れを操る律動――そこに一瞬の歪みが生じる。

 アルフレッドの瞳が鋭く光った。


「……そこか」

 全身に雷を巡らせ、彼は次なる突撃の機を狙った。



 黒石が脈打つたび、眷属たちの動きは律動に縛られていた。

 だが、幻影を斬り払ったその直後、わずかな歪みが波紋のように広がる。

 群れの連携が一瞬だけ乱れ、包囲の輪に小さな裂け目が生じた。


 アルフレッドの眼光が鋭く走る。

「――今だ!」


 全身の筋肉に雷を巡らせ、地を蹴った。

 空気そのものが爆ぜ、雷鳴が轟く。

 眷属の影が幾重にも飛びかかるが、アルフレッドの剣が光となって弾け飛ばす。

 斬り伏せるたびに火花が散り、闇が裂け、雷の尾が広間に刻まれていく。


 包囲を破り、広間中央へと走り抜ける。

 そこに鎮座する黒石は脈動を強め、まるで心臓のように血管めいた裂け目を光らせていた。

 その奥で、異形の顔が幾重にも重なり、呻きと狂気を吐き出している。


「……貴様らの源を断つ!」

 アルフレッドは剣を振りかざし、雷光を一点に凝縮させた。


 無数の眷属が最後の防壁として壁を成す。

 黒い腕、牙、眼――その全てが奔流となり、彼の突撃を阻もうと押し寄せた。

 だがアルフレッドは怯まなかった。


「ゼム導師……俺は今、限界を超える!」

 雷光が剣身を包み込み、空間を裂く。

 彼は黒石の核心へ向けて、決死の斬撃を振り下ろした。



 アルフレッドの剣が黒石へと叩きつけられた瞬間、轟音が広間全体を震わせた。

 雷光は裂け目へと走り込み、内部から爆ぜるように閃光が迸る。

 黒石の表面に刻まれていた異形の顔が一斉に悲鳴を上げ、歪み、砕け散った。


 だがそれは崩壊ではなく、むしろ目覚めの合図であった。


 石から滴り落ちた闇が、広間を覆う波となって広がった。

 眷属たちはその波を浴びると同時に発狂したかのように動きを荒げ、互いにぶつかり合い、叫び、暴れ回る。

 目は赤黒く光り、口腔からは血に似た影液を垂れ流す。

「……抑えが外れた、か」

 アルフレッドは周囲を睨み、呼吸を整えた。


 これまで律動を保っていた群れは、一転して統制を失った。

 だがその分、攻撃は予測不能の狂気と化した。

 四方八方から牙と爪が飛びかかり、広間の壁に叩きつけられたものは破裂するように闇の塊となって弾ける。

 そしてその破片すら、新たな影の獣を生み出していった。


 黒石は今なお脈動を続け、裂け目からは光とも闇ともつかぬ力が漏れ出している。

 それは眷属たちを狂乱させるだけでなく、空間そのものを歪め始めていた。

 床は脈打つ心臓のように鼓動し、天井の闇は流動して渦を巻く。

 広間全体が、影の主の器として変貌していく。


「――本当に現れる気か」

 アルフレッドは剣を握り直し、迫り来る狂乱の群れを迎え撃った。



 狂乱した眷属たちは、もはや群れの秩序を失っていた。

 しかしその混沌こそが恐ろしく、四方八方から予測不能の角度で襲い掛かってくる。

 牙が頬をかすめ、爪が鎧に食い込み、背後では咆哮が響いた。

 アルフレッドは必死に剣を振るい、雷光の閃きを絶やさずに応戦する。

「……押し潰されるか……いや、まだだ!」


 戦いの最中、広間の中心に鎮座する黒石が鼓動を強めた。

 脈動は地を揺らし、壁を震わせ、天井の闇を落とす。

 裂け目からは血のように濃い影が流れ出し、眷属たちの身体へと吸い込まれていく。

 それらは膨れ上がり、巨躯となり、あるいは翼を生やし、さらに凶暴な異形へと姿を変えた。


 その時だった。

 広間全体を満たす闇の波が一斉に揺らぎ、耳ではなく心臓へ直接響く声が鳴り渡った。

 ――見ている。

 ――喰らう。

 ――闇の胎より、我が眼は開く。


 アルフレッドの背筋を冷たい電流が走った。

「……出てくるのか……影の主」


 足元の床が裂け、血に似た影液が噴き出した。

 その中に、巨大な眼のようなものが一瞬だけ浮かび上がる。

 群れの眷属たちは狂乱をさらに増し、主の誕生を祝うかのように咆哮を上げた。


 アルフレッドは血に濡れた剣を握り直し、迫りくる波を斬り払いながら、奥底でうごめく気配を睨み据えた。

 ――戦いは、まだ序章に過ぎなかった。



 黒石の鼓動が頂点に達し、裂け目から迸る闇はもはや広間を満たす奔流となった。

 その奔流が一点に収束し、巨大な輪郭を描き始める。

 人の形に似てはいるが、余りに歪み、余りに異形。

 頭部には無数の眼が瞬き、胸には裂けた口腔が開き、吐息そのものが影の霧を撒き散らした。


 その存在が放つ声は、空気を震わせるのではなく、直接魂を抉った。

 ――余は見ていた。

 ――余は喰らう。

 ――光を欺き、闇を抱きし者こそ、余が糧。


 広間の岩壁が共鳴し、過去に犠牲となった者たちの声が重なって響き渡る。

 アルフレッドは全身を粟立たせながらも、剣を強く握りしめた。


 眷属の残滓はすべて影の主の身体へと吸い込まれていった。

 その巨体はさらに膨れ上がり、天井すら超えた暗黒の巨躯となる。

 眼の群れが一斉にアルフレッドを射抜き、胸の口腔が深淵の咆哮を吐いた。


「……来い。ここで貴様を断つ」

 アルフレッドは地を蹴り、雷を全身に纏う。

 雷鳴と闇が激突し、深淵の決戦がついに幕を開けた。



 影の主は広間を埋め尽くすほどの巨躯を誇り、無数の眼が一斉に開いた。

 その眼は光を呑み込み、視線そのものが圧力となって空気を歪ませる。

 アルフレッドは膝を折られそうになりながらも、雷を纏って踏みとどまった。

「……視線で押し潰す気か。だが、俺は屈しない!」


 胸の裂け口が大きく開いた。

 そこから吐き出されたのは闇の奔流――液状の影でありながら炎のように燃え盛り、広間全体を呑み込もうと迫る。

 アルフレッドは跳躍し、雷光をまとった斬撃でその奔流を両断した。

 切り裂かれた闇は断末魔の声をあげ、壁を抉りながら消散していった。


 次の瞬間、無数の眼から光線が放たれた。

 それは光ではなく視線そのものを形にしたもの。

 触れた石は一瞬で腐敗し、鋼鉄ですら粉々に崩れていく。

 アルフレッドは紙一重で回避しつつ、剣に雷を集め、反撃の閃光を放った。

 雷光が数個の眼を撃ち砕き、血に似た黒液が噴き出した。


 だが影の主は怯むどころか、さらに狂気を増して動きを速めた。

 巨腕が叩きつけられ、床が砕け、深淵の底へと引きずり込まれるような衝撃が広間を揺らす。

 アルフレッドは衝撃波に弾かれながらも転倒を回避し、再び立ち上がった。

「……ここで退くことはできん!」


 雷光と闇が激突し、広間はもはや天地の区別を失った混沌の戦場と化していた。



 影の主の巨腕が振るわれるたび、広間の床は砕け、岩盤が深淵へと崩れ落ちた。

 アルフレッドはその合間を縫って跳躍し、影の主の全身を視界に収めた。

「……どれほどの巨躯でも、必ず支えとなる核があるはずだ」


 無数の眼は次々と潰しても再生し、口腔は影の奔流を吐き続ける。

 だが――その動きにはわずかな偏りがあった。

 胸の裂け口が鼓動するたび、全身がわずかに痙攣し、眷属の残滓がそこへ吸い込まれていく。

「……胸部……いや、もっと深く――」


 導師ゼムの声が脳裏で甦る。

「弱点は必ずしも目に見えるものではない。だが力が集まる場を探せ。そこが命脈だ」


 アルフレッドは影の主の動きを観察し続ける中で、裂け口の奥にかすかに光るものを見た。

 それは血肉でも闇でもなく、結晶のように硬質で冷たい輝き。

「……あれが核か!」


 巨体の猛攻は止むことなく、眼の視線が石を腐らせ、闇の奔流が空間を呑み込んでいく。

 アルフレッドは迫る攻撃を振り払いながら、心を決めた。

「――胸の奥だ。あそこを断ち切らねば、この戦いに終わりはない!」


 雷を剣身に集めながら、次なる一撃のために体勢を低く構えた。

 その瞳には、深淵を貫く光が宿っていた。



 影の主の胸部が脈打ち、核の輝きが外からも見えるほどになった。

 その瞬間、異形は異様な咆哮をあげ、全身の眼を一斉に光らせる。

 腐敗をもたらす視線が網のように広がり、逃げ場を一切与えない。

 さらに胸の口腔は広く裂け、影の奔流を噴き出し、広間を血と闇の津波で覆った。


 アルフレッドは視界を覆う奔流に飛び込み、雷光を全身に纏わせた。

「――退かん! ここで仕留める!」

 剣を振るうたびに奔流の一部が蒸発し、雷の閃光が闇を切り裂く。

 しかし、そのたびに全身は削られ、鎧はひび割れ、腕は痺れで感覚を失っていった。


 視線が皮膚を焼き、奔流が骨を軋ませても、彼は足を止めなかった。

 胸部の奥で脈打つ核――結晶の輝きが、確かに弱点としてそこにある。

「……ここを斬らずして、何のために生きてきた!」


 雷光がさらに収束し、剣身は白熱する閃光と化した。


 影の主の巨腕が振り下ろされ、広間の床が砕け散る。

 その一撃をすれすれでかわし、アルフレッドは跳躍した。

 奔流と視線を貫き、彼の姿は雷光の矢となって胸部の核へと迫る。


「――これで終わらせる!」


 深淵そのものを裂くかのような斬撃が振り下ろされようとしていた。



 アルフレッドの全身は雷光に包まれ、広間の闇を裂く矢となった。

 無数の眼が同時に彼を射抜こうと光を放ち、胸の口腔は奔流を吐き出す。

 だが、その全てを振り切り、雷光の剣は核へと突き進んだ。


「――斬り裂けッ!」


 白熱した閃光が結晶の中心を直撃した瞬間、轟音と共に空間が揺れた。


 核の表面に、蜘蛛の巣のような亀裂が走った。

 深淵の奥底から悲鳴が響き、影の主の巨体が痙攣する。

 無数の眼が一斉に狂乱のごとく動き、口腔は絶叫を吐き出した。

 闇の奔流は制御を失い、壁を溶かし、床を崩壊させながら暴れ狂った。


 広間全体に走る衝撃波が岩盤を裂き、深淵そのものが崩れ落ちるかのように震動する。

 眷属の残骸は引き寄せられるように巨体へと吸い込まれ、その度に亀裂はさらに広がった。

「……効いている……! 今こそ――」

 アルフレッドは剣を握り直し、残された力を振り絞って構え直した。


 影の主はなおも抗い、胸の口腔を限界まで裂いて咆哮をあげた。

 その声は、音ではなく存在そのものを揺るがす絶叫。

 広間の岩壁は粉砕され、天井の暗黒は渦を巻き、全てを呑み込もうと崩壊していく。


 だが、巨体の中心に走る亀裂は止まらず、確実に終わりを刻んでいた。



 胸の核を貫かれた影の主は、絶望の咆哮を上げた。

 それは空間そのものを裂くような声であり、耳で聞くものではなく、魂を引き裂く叫びだった。

 無数の眼が一斉に血涙を流し、胸の口腔は絶叫のまま裂け広がり、深淵の暗黒を吐き出した。


 蜘蛛の巣状の亀裂が全身に広がり、巨体は断続的に爆ぜ始める。

 腕は砕け、眼は潰れ、闇の奔流は制御を失い、暴風のように広間を切り裂いた。

 アルフレッドは爆発する破片と奔流の嵐をかわしながら、なお立ち尽くしていた。

「……終わるのか――いや、俺が終わらせる」


 影の主の絶叫に呼応するかのように、広間の壁や天井に亀裂が走った。

 岩盤が崩れ落ち、底知れぬ闇の淵が口を開ける。

 そこから噴き出す黒き液は空間を侵食し、まるで世界そのものが崩壊していくかのようだった。


 だが、核を失った影の主は抵抗できず、断末魔をあげながら深淵そのものへと呑み込まれていく。

 巨体は千々に砕け、最後に残った眼がアルフレッドを睨んだ。


 ――見ている。まだ、終わらぬ。


 その言葉を残し、闇は轟音と共に崩壊し尽くした。


 やがて広間には静寂が訪れた。

 闇の奔流は消え去り、ただ瓦礫と影の残滓が漂うのみ。

 荒い呼吸の中でアルフレッドは剣を下ろし、膝をついた。

「……断った……だが、これで終わりではない」


 深淵の残滓はなお蠢き、さらなる闇の影を予兆していた。



 影の主が崩壊し、広間を満たしていた闇は霧散していた。

 残されたのは瓦礫と、黒く固まった残滓の塊だけ。

 耳に残るのは自身の荒い呼吸と、滴り落ちる水音のみだった。

 アルフレッドは剣を鞘に収め、深く息を吐いた。

「……生き残った、か」


 広間の中心には、かつて核があった場所に黒い結晶片が散らばっていた。

 拾い上げると、内部には符号のような模様が浮かんでいた。

 それは人為的な印であり、偶然ではない。

「……セイセス=セイセス。やはり貴様らが背後にいる」


 さらに壁際には、奇妙な刻印が掘られていた。

 円環に三本の線が交差する意匠――それはこれまでに見たどの幹部の痕跡とも異なるものだった。


 刻印をなぞった瞬間、低い囁きが耳に届いた。

「……西へ……囁きを越え……声なきものに従え……」

 幻聴か、あるいは残滓に残された声か。

 アルフレッドは目を細め、刻印を睨み付けた。

「……次は、声なきものか」


 戦闘で裂けた傷口を布で縛り、背を瓦礫に預ける。

 深淵の空気はなお重苦しく、眠りとはほど遠い。

 それでもアルフレッドは目を閉じ、次なる戦いに備えて力を蓄えた。

 炎のように疼く痛みを抱えながらも、彼の心は折れてはいなかった。

 ――旅路はまだ続く。

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