最終回
「白悧! こっちだ!」
突然割りこんだ呼びかけが、続く言葉を飲みこませた。
「子ども捜してるんだろ? こっちにいるよ」
庭に降りる階段から、矩水が手を振っているのが見える。
どちらを優先したものか、迷って目を戻すと、他言は無用だとの碧凌の目があった。
そのまま、速足で歩き出した碧凌のあとについて歩き出す。けれど白悧は先の衝撃から立ち直りきれておらず、彼の頭の中では依然、破片となった言葉が明滅を繰り返していた。
「ほらあそこ。太い枝の影のとこだ」
矩水が指差した先を追って少女にたどりっく。
少女は木の枝に股がり、幹にしがみつくようにしてバランスをとっている。
「髪がきらきらしてたんで分かったんだ。
でも、どうやって登ったんだろうな?」
目を細めて言う矩水に、心配してるだろうからと蒼駕への伝達を頼む。
2つ返事で引き受けた矩水が十分離れたのを確かめてから、白悧は少女のいる木の真下へ歩を進めた。
幸い少女のいる枝は太く、折れる心配はなさそうである。ただし、手が届かないのも間違いなかった。
爪先立って伸ばせば、あるいは枝に指が触れるかもしれない。思い切ってとび降りてもらえたら、受けとめられる自信はあった。ただし、少女に降りる気があればの話だ。
矩水の言ったとおり、こんな小さな少女がどうやって登ったのか。その困難さを克服した意志強さを考慮に入れると、いっそ好きなだけそこにいさせてやりたい気もする。だがそういうわけにもいかないだろう。
第一に、白悧は一刻も早く少女を連れ戻り、蒼駕から詳しい事情を聞き出したい思いでいっぱいだった。
「……いつまでそうしてるつもりだ?」
白悧の呼びかけに、少女は黙秘した。しっかと幹を抱きしめて、つんとそっぽを向く。
「あのなあ……。なにが不満なのか分からないけど、そんなことしたってなんにもならないんだよ。むしろよけい悪くしてるだけなの。
このままだとおまえはよそにやられて、蒼駕とも離れ離れ。知らない人だらけの場所に1人っきりになっちゃうんだぞ? それがいやならさっさと降りて、ここにいられるように蒼駕と一緒にお願いしてこい」
ほら、と両手を出すが、やはり無視だ。額まで幹に押しつけて、ぴくりとも動こうとしない。
まるで木の付属品のようだ。
「あーっもおっ! おれの言ったこと、ちゃんと分かってるか!? ほらおいでってば!!
ここにいられなくなってもいいのか!?」
いらついて思わず口にした言葉に、白悧ははっとなった。
その直感の正誤を確かめるべく、少女にまじまじと見入る。
「…………おまえ、まさか。それが狙いか? あいつと離れて、ここを出たいって……?」
そんなまさか、と口元が歪む。
母親を失い、身内もいない少女のことを親身になって考えているのは蒼駕だ。誰だって知らない人だらけの知らない場所にすすんで行きたがりはしないし、独りきりはいやなはず。まして、こんな小さな少女が。
けれど、白悧の脳裏にはもうひとつ、それを納得させるだけのひらめきが走っていた。
「まさかおまえ、あいつが、おまえの母親を見殺しにしたと、そう思ってるの……?」
そんなばかなと白悧自身思った言葉なのに、ぴくりと、小さく少女の肩は震えた。
「んな……んなわけないだろ!? あいつがそんなことするやつかよ! 自分より他人が傷つくのを恐れるやつなんだぜ? おれの知るだれより優しいやつなんだ! 自分が助かりたくて操主を見殺しにするなんて、そんなの、絶対あるかよ!! 第一あいつは、彼女を愛して――」
「白悧」
混乱し、相手が幼い少女だということも忘れてわめいていた白悧の肩に碧凌が手を置いて制する。
彼を見ることで、自分が何をしていたかに気付いた白悧は、軽い自己嫌悪から言葉を噛みつぶすように口を閉じ、場を譲った。
「きらいなのか。あいつが」
碧凌の言葉に、またも少女の肩が震える。
「そうでなければあいつのせいで死んだ母親にすまないと、そう思っているのか」
今、少女は泣き出しそうなのを必死にこらえているように顔を歪め、碧凌を見つめていた。
何か言いたげに唇が動いたが、声にならないらしく、きゅっと噛みしめる。
「きらえないからきらってほしいのか。
だがあいつはどんな事があろうとおまえを手放したりはしないぞ。おまえがここを出て行くのなら、あいつも出て行く。おまえのためなら全て捨てるつもりだ。
おまえの母がなぜ死んだのかは知らない。だがこれだけは言える。あいつはおまえも、おまえの母も、自分の命より大切に思い、愛していた。おまえもそれを知っているはずだ」
「……って。だっ……て……」
ぽろぽろと、大粒の涙をこぼして少女はつぶやいた。言葉にならない思いが大きすぎてか、ぎゅっと目をつぶり、そればかりくり返している。
「テディ」
ふいに少女を呼ぶ声がした。
優しく、ささやくように彼女をそう呼ぶ、今ではただ1人の人が、いつの間にか彼女の真下に立っている。
「ねえテディ、ぼくたちはかけがえのないひとを失ってしまったね。
彼女のいた場所が突然ぽっかりと穴になってしまったから、どうすれば元通りにできるか、きみも、ぼくも、混乱してる。でも彼女は死んで、もう手の届かない存在になってしまった……。
正直言って、二度とこの胸の穴が埋まることはないと思う。でも彼女は、ちゃんとぼくたちに救いを残してくれていたよ。テディ」
すっ、と蒼駕の両腕が少女に向かって伸ばされた。
あと少し、ほんの少し少女が身をのり出して、手を伸ばしさえすれば、指をからめあうことができる距離に。
「きみの悲しみとぼくの悲しみは同じものじゃない。ひとは、同じ気持ちを感じあうことはできないし、わけ与えることもできない。
でも、慰めあうことはできると思うんだ。無理に穴を埋めようとしなくても、触れあうことはできる。ほら、ちょうどこんなふうに、たがいに手を伸ばしあえば。
だから、一緒にいよう。ずっとというのは無理かもしれない。でも今は一緒にいよう。彼女のために、ぼくたちのために……。
うまく説明できなくて、ごめんね。おかあさんを助けられなくて、ごめんなさい。でもぼくは、きみまで失いたくないんだ」
「……ぉ……とーさんっ!」
少女は涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、叫ぶと、蒼駕に向かって木を蹴った。
「おとーさん、おとーさんっ! あたし、悲しかったの! 怖かったの! おとーさん!!」
堰を切って流れ出した少女の心に、蒼駕は自分にしがみついて震えている小さな体を、ただ抱きしめていた……。
◆◆◆
「あー、今日もいい天気ーっ」
陽光をぽかぽか背に受けて、湯飲みを手に大あくびする白悧に、それまで黙々と書類に向かっていた央輝が手をとめた。
「なら、そんなとこでいつまでもお茶飲んでないで、さっさと仕事に戻ってくださいよ」
心底からいやそうに顔をしかめ、口をとがらせる。
すると、央輝の童顔にますます磨きが入った。
「いいじゃんいいじゃん。おれがいなくたってちゃんとやれるいい子ばかりなんだから」
ったく、これだから古株はヤなんだ。入れかわり立ちかわりみんな出立してるってのにいつまでも居残って、えらそうに。大体ここをどこだと思ってるんだか。執務室はじじいの茶飲み場じゃないって何度言ってもきかないんだから。などなど。ぶちぶち言っていた央輝の上が、ふと陰る。
「央輝くんー? なぁに言ってるのかなあ?」
「なっ、なんでもないです先輩っっ!!」
やだなあー、あはははははははは。
いつの間にか後ろに立ち、指を鳴らしている白悧に央輝が身の危険を感じたとき。ドアが開く音がした。
2人同時にそちらへ顔を向けると、白金の髪を横三つ編みにした長身の少女が戸口に立っている。
「あ、あの。お邪魔してすみません。こちらに蒼駕補佐長がいらっしゃらないかと……」
逆光にとまどったものの、それがだれか分かった途端、白悧は笑みを浮かべる。
「ああ。あいつなら西館へ書類を取りに行ったよ。
ついさっきだから、走れば追いつける」
その言葉に、少女はぺこりと頭を下げる。
そのまま出て行こうとしたのを、白悧が呼びとめた。
「鎖、金がとれたんだ。がんばったね。次は感応式か。
あいつと組めるといいね」
瞬間、少女はどう返せばいいのかとまどったように足をとめる。数瞬沈黙した後、「ありがとうございます」と、ためらいがちに頭を下げて去って行った。
あれを蒼駕に見せに来たのだろう。最終実技試験で優秀な成績をおさめた者だけが手にすることのできる、金鎖。
退魔師としての最高位、退魔剣師としての才を開花させた少女は、今では立派な退魔師候補生だ。
あの2人が感応し、手を取り合ってここを出て行く日も、きっとそう遠くないに違いない。
出立を、どんなふうに祝ってやろう?
「なににやついてるんです? 気持ち悪いなあ、もう」
蒼駕が少女を伴って戻ってきてからの出来事を思い出し、思い出にふけってにたにたしている白悧を怪訝そうに見て央輝が言う。けれど、今度こそ、白悧が耳を貸している様子はなかった。
『魔断の剣4 思い出にかわるまで 了』
ここまでご読了いただきまして、ありがとうございました。
以前も書きましたが、魔断と人は別種であるため子どもはできません。それをセオドアが知って、蒼駕が父親じゃないと知ってからは「おとうさん」呼びはやめています。……蒼駕、しんみりきて部屋でこっそり泣いていそう(笑)。
アスールが死んだときの話も、なぜそうなったのか事情があるのですが……まだ書いていません。
いつか書きたいですね。
明日からの魔断の剣5は、『隻眼の魔剣士』をするつもりです。長編です。20回はいかないと思いますが……。
日常物とバトル物を交互に公開できたら、と思っています。(でも日常物が多い……たぶん)
よかったら、引き続き読んでいただけたらと思います。