第5回
なんでここにいるんだ?
という疑問は一時脇へおいて。とりあえず、前に行ってしゃがみこむ。
「ほら、こっちへおいで」
笑顔で手を差し出すが、少女はしげみの中で半分こちらに背を向けて膝を抱いたまま、白悧の手をにらみつけていた。警戒心丸出しで、まるで追いつめられて毛を逆立てた子猫のようだった。
幻聖宮一の美貌の持ち主と言われ、その目で見つめられるとどんな女性も彼には逆らえない、と評判の白悧の笑顔も、さすがに幼児には通用しないらしい。
「白悧教え長ぁ、どーしてこんなチビっ子がここにいるんですかあ? おれ、すっげえびっくりしましたよ。てっきり厨房から脱走した食材だとばっかし思ってたから」
白悧の肩越しに少女を覗きこんだ少年が、興味津々顔で訊いてくる。
そこで白悧は彼らのことを思いだし、
「いいからおまえたちは訓練に戻れ。大勢でいたらますますおびえて出てこないだろ」
しっしと犬でも追い払うように手を振る白悧に少年たちの何人かは眉をひそめたものの、教え長の言葉は絶対なので、声を大にして反論をする者はいなかった。
全員が散ったのを確認してから白悧は再度少女へと向き直る。
「えーと、セオドア、だっけ。覚えてるかな。ほら、昨日会っただろう? 蒼駕の友達だよ。
おれたちだけで、もうだれもいないから、安心して出ておいで」
笑顔で、なるべく声を丸くして言ってみる。
女子たちにはウケがよくて効果的なのだが、子どもなど扱ったためしは一度もないのではたして有効な手かどうかは分からない。
他に手段が浮かばないからとにかくそうしてみたわけだが、やはり少女の態度は少しも軟化する気配を見せなかった。
燃えるような翠の目で、頑なににらみ返してくる。
存在に驚いている間にすぐ眠ってしまったので昨日は気付かなかったが、こうして見ると、少女はかなり険しい顔立ちをしているのが分かった。
白金の髪に白桃の膚、翠の瞳といった、素材は上等の部類で、造りもそれなりに整ってはいるのだが、その分険が鋭さを増している。懐疑がそのまま形となったように引き結ばれた桃色の口元とか、相手を正面から見据えてそらさない目とか。
思いだしてみれば、アスールも勝ち気で男勝りな少女だった。意志強さは母親譲りか。
これは相当扱いのむずかしい子だぞ。
そう思った瞬間、知らぬうち、眉がひそまる。
その小さな変化から思考を読まれたのか。突然少女は四つん這いになって、さらにしげみの奥へ向かって進み出した。
「あ、ちょっ、待てっ」
あわてて伸ばした手でズボンの裾をつかみ、そのまましげみから強引に引っ張り出す。
「んーっ、んーーっっ!」
「いてっ! あばれるな、こらっ! おとなしくしろってば!!」
「やーっっ!!」
逃れようとばたばた振り回す手足をおさえこんではがいじめる。痩せぎすの体は、そうして触れてみると意外にも標準より大きめで、手足が長く、力も強かった。おかげで押さえ込むのに少々手間がかかったが、いったん押さえ込んでしまえば骨と皮しかない手首は右手一つで楽々握りこむことができた。
「白悧? どうしたんだ、一体」
「その子どもは? サキスの子が紛れ込んだのか?」
離れた所から見守っていたほかの教え長たちが、口々に尋ねてくる。
「あー、まあ。ちょっとわけありでね。
この子、保護者に引き渡してくるからおれの生徒の面倒を頼むよ」
肩越しに振り返り、そう断りを入れておいてから、白悧はずんずんと東の棟に向かって歩き出した。
◆◆◆
「監督不行届きだぞ、養い親」
少女を抱いて両手がふさがっているため、足のつま先で蹴って扉打する。
扉を開いた蒼駕に向かって開口一番そう告げた白悧は、押しつけるように蒼駕の腕へ少女を移した。
ここまでの道すがら、あばれにあばれた少女は、もうどうやっても逃げ出すのは無理だと観念したのか、借りてきた猫のように蒼駕の胸でおとなしく丸くなっている。
「起こそうとしたら部屋からいなくなってて。ちょうど捜しに行こうとしてたところだったんだよ。
どこにいたの?」
「西の奥庭の草むらん中。生徒が見つけて悲鳴あげた」
「? まあとにかく無事でよかった。
心配したんだよ、テディ」
こつんと額をつきあわせて瞳を覗きこむ。
少女は無言だ。
「何か飲む物くれ。喉かわいた」
よろよろと椅子にへたりこんだ白悧の言葉に蒼駕の注意が戸棚のほうへと向いたとき。
チャンス到来とばかりに少女がいきなりあばれだし、腕の中からとびだした。
「あっ、こいつッ!」
白悧が、あれは観念したわけじゃなくて実は機をうかがっていただけだったことに気付いて声を上げたが、時遅かりし。
転がるように床に下りて自由を得た少女は、扉から素早く走り出てしまった。
「あらら」
「あらら、じゃないっ! 感心してる暇があったらさっさと追ってつかまえろっ! 宮が混乱するだろうがっ!」
そう言い終わる前に、白悧自身が部屋からとびだしていた。
ばたばたばたっと、さわやかこの上ない早朝の静かな廊下中に鳴り響いたそのけたたましい足音が、あっという間に遠ざかって消えたと思う間もなく再び近付いてきたと思うやばたんと内側の壁にあたって音を出すほど勢いよく扉が開く。
r………………っ、まえ……たぞ……っ……」
満足な言葉も喋べれないままぜいぜい肩で息をする白悧の脇にはしっかりと、じたばたもがく少女が抱えられており――なんとこのパターンは、以後3日の間で数えること十数回もくり返されたのである。