第2回
「とりあえず、ここが当座の部屋だとさ」
長い間使われてなかった客室に外気を通すため、日中開け放しておいた窓を閉めながら白悧が言った。
窓閉めのときと同様、雑な所作でカーテンを閉じあわせ、向き直る。
「今ちょっと宮内がごたごたしてて、部屋割りもまだ組めてないんだ。ま、たぶんまたおまえらが同室になるんだろうけどさ。
碧凌んとこには今1人入ってるけど、もう感応を済ませて出立が決まってるから、そいつが出立するまでの数日ってとこだな」
それを聞いて、蒼駕はぐるりと首を巡らせて碧凌を見た。
碧凌はこの部屋へ入った早々壁に設置されてある戸棚から飲料とグラス一式をトレイに小分けしている。
その背に向かって何か口にしかけたものの、しかし言葉を発する前に蒼駕のした身動ぎに揺り起こされた胸の少女がぐずる声を発したので、すぐにそちらへ気を戻してしまった。
門をくぐったときからずっと蒼駕の肩にぺったり貼りついていて、ぴくりとも動かずにいたので、あれは人形だと思いかけていただけに、彼女がぐずる姿を目撃した白悧も、つい過剰に反応してしまう。
ぱっと後退し、窓に背をおしつけた格好で硬直している白悧の目の前で、蒼駕は
「どうしたの? テディ。ほら、なんでもないよ。なんでもない……」
と、あやし言葉を二言三言少女の耳元にささやきかけ、ぽんぽんと調子をつけて軽く背をたたいた。
実に手慣れたものだ。
彼が向こうの地でどんな生活を送っていたか、その一端がうかがい知れたと心中複雑な思いでしげしげ見つめていたら、再びうとうとと眠りについた少女から目をはなした蒼駕と視線がかちあった。
「話の途中すまないけれど、先に寝室へ行ってくるよ。この子を寝かせたいんだ」
そう断りを入れて、位置を聞く前からさっさと寝台のある続き部屋へ行ってしまう。
まあ、たしかに出立する前は宮母補佐長をしていたやつには、客室の構成なんて勝手知ったるだよな、と見送る白悧の前で、ぱたんと扉が閉じる。
寝台へ下ろし、何かささやいて寝かしつけている蒼駕の気配には、ため息をつくしかなかった。
はたして彼の子守姿など、一体だれが想像しただろう?
魔断のつく職務では頂点と言って過言でない補佐長に就任し、宮内の祭事から他国との外交まで、さまざまな事どもに采配をふるっていた彼が、こともあろうか幼子を抱いてあやし、寝かしつけるなど……。
まさに、よもやよもやだ。
ずかずか大股で中央の机に歩み寄り、引きはがすように椅子を引っ張り出した白悧は、どかりと腰をおろすなり、頬杖をついた。
再会以来だいぶ時間が経ったが、あれは今もって信じがたい存在だった。あまりにありえない存在すぎて、はじめなど目に入ってなかったほどだ。
『すっかり遅れてしまってすまない。サキスがすごい人混みで、この子とはぐれてしまって、ずっと捜してたんだ。
てっきり2人とも、もう帰ってるとばかり思ってたよ。書に記した時刻はとうにすぎてしまっていたし……町の宿屋で1泊する覚悟もしてたんだ。
どうにか見つけられて、こうして閉門には間にあったわけだけど』
5年前と少しも変わらない、やわらかな物言いで、心からすまないと彼は謝罪した。
『……こ、のあほうが! なんで戻ってきたりしたんだよ、ばかやろうッ!!』
せっかくいいほうへいいほうへと流していた考えが気休めの絵空事でしかなく、最悪論のほうこそが真実であったことに裏切りすら感じて、こぶしを作って怒鳴りつける。
飽き足らず、胸倉をつかもうとしたのを逸早く碧凌の手が制したのだが、そのときも、まだ気付けていなかった。
思えばずいぶん間の抜けたことだ。どうして止めるのかと碧凌をにらんだあと、「見ろ」と言うように彼が流した視線の先を追って、ようやくそこで気付いたわけだ。蒼駕の腕に、小さな女の子が抱かれていることに。
『ああこの子? アスールの子だよ。かわいいだろう?』
驚きすぎてとっさに声が出ず、それは何かと身振り手振りで伝えた白悧に対し、蒼駕は少女の白金の髪に頬をすり寄せながら得意顔で言ってきた。
違うのだ。
白悧は、そういうことが訊きたかったわけではない。
その子どもを、『なぜ』連れているのかを知りたかったのだ。
だから白悧は、隣室から戻ってきた蒼駕が自分の前に座わるのも待ちきれずに、真っ先にその質問を投げた。
「アスールが亡くなったからだよ」
碧凌が差し出したグラスを受けとりながら、蒼駕はさも当たり前の顔で答える。
「操主が死んだからってどうしておまえが連れてるんだ!? 普通親族が引き取るもんだろっ。
身内は? いないのか?」
「昔、姉がいると言ってたのを聞いた覚えがあるけど、行方は知らない。1度も訪ねあったりしなかったし。音信は途絶えてる」
「じ、じゃあ父方は?」
この問いに、やおら蒼駕は難しい顔をした。テーブルの上で指を組むと少しの間沈黙し、やがて格段にひそめた声でつぶやく。
「父親は、分からないんだ」