第9話:猟犬の咆哮/前編
ネストのブリーフィング・ルームに、重い沈黙が満ちていた
カイの死から数日、仲間たちの顔には未だ癒えぬ悲しみの色が濃く、それは俺も同じだった
中央のホログラムテーブルに、目標となる大森林の立体地図が浮かび上がる
先日、俺とギャレスが訪れた村からの、正式な討伐依頼だった
「目標は、この森に潜む山賊どもだ」
ファルシアの声が、静寂を破る
その声には、普段と変わらない、鋼のような硬質な響きが宿っていた
「依頼内容は、山賊の撃退と、彼らが村から奪った物資の奪還。いつも通りの仕事だ」
だが、その言葉を聞く仲間たちの雰囲気は、いつもとは明らかに違っていた
カイの死と、この山賊の活発化。時期が重なりすぎている
誰も口にはしないが、この任務が単なる仕事ではないことを、皆が感じ取っていた
「敵の戦力は不明。だが、この森が奴らのテリトリーであることは間違いない」
ファルシアは、立体地図の森を指し示す
「空からの奇襲は期待するな。むしろ、我々が狩られる側になる可能性が高い」
「今回の任務は、俺と、ブライン、そしてギャレスのスリーマンセルで行う」
ファルシアは、メンバーを見渡す
「リース、お前は後方支援と索敵に専念しろ。ギャレスのヴァウルから送られてくる情報を統合し、敵の情報を少しでも多く拾い上げろ」
「…了解」
リースは短く、力強く頷いた
「ブライン」
不意に、ファルシアが俺を見た
「お前のクレセントは、小回りが利く。俺のヘブリンに付かず離れず、常に周囲を警戒しろ。何かあれば、すぐに報告を」
「…了解した。だが、一ついいか」
俺は、自分から言葉を発していた
ネストに来た当初の俺なら、ただ黙って命令を聞くだけだっただろう
「敵がどこから攻撃してくるかわからない以上、俺たちが森の上空を飛ぶのは危険すぎる。一度、高高度から森の周辺全体をスキャンし、熱源や金属反応を探るべきじゃないのか」
それは、組織で叩き込まれた、教科書通りのセオリーだった
俺の言葉に、ファルシアはわずかに口の端を上げた
「悪くない判断だ。だが、この森は厄介でな。地中に特殊な鉱脈があるのか、広範囲センサーの類はほとんど役に立たん。それに、この樹海の密度だ。上から見たところで、木の葉しか見えんだろうさ」
「…つまり、目視で探せ、と」
「そういうことだ。だからこそ、この任務はお前にとっても、いい『訓練』になる」
その言葉に、俺は静かに頷いた
ファルシアは、俺を試している
同時に、信頼しようともしている
それが分かった
出撃準備を終え、俺たちはそれぞれの機体に乗り込む
格納庫のゲートが開き、俺たちは静かに、しかし決意を込めて、深い緑の海へと飛び立った
森の上空は、不気味なほど静かだった
鳥の声も、風の音さえも、厚い樹冠に吸い込まれていくようだ
俺たちは高度を下げ、木々の梢を掠めるように飛行する
いつ、どこから攻撃が来るか分からない
息の詰まるような緊張感が、コクピットを満たしていた
『…ファルシア、何も反応がない。本当に、この森にいるのか』
後方で待機するリースの冷静な声が、回線に響く
『奴らは、俺たちが来るのを分かっているはずだ。息を潜めて、俺たちが油断するのを待っている』
ファルシアの言葉通り、敵は完璧に気配を消していた
まるで、森そのものが巨大な捕食者となって、俺たちを見つめているかのようだ
その時だった
『ッ、下から!?』
ギャレスの悲鳴のような声と同時に、閃光が走った
下から、だ
木々の隙間を縫って、一筋の光がギャレスの機体「ヴァウル」の翼を正確に撃ち抜いた
索敵に特化した彼の機体は、一瞬でバランスを崩す
錐揉み状態に陥り、黒い煙を引きながら、森の奥深くへと墜落していった
「ギャレス!」
俺は、思わず叫んでいた
操縦桿を倒し、彼を追おうとする
『待て、ブライン!』
ファルシアの制止の声が飛ぶ
『罠だ!深追いするな!』
だが、俺の身体は動いていた
仲間が、目の前でやられた
組織にいた頃には感じたことのない、熱い感情が、俺を突き動かす
「だが、彼を助けに…!」
『落ち着け!まず敵の位置を特定する!リース、今の閃光の座標を割り出せ!』
『ダメだ、ファルシア!今の攻撃で、森の木々が邪魔をして、正確な位置が…!』
その瞬間、ノイズ混じりの通信が回線に割り込んできた
『…ファル…シア…聞こえる…か…』
「ギャレス!無事か!」
『…なんとか…機体はもう動かない…だが…』
彼の声は、苦しげに途切れる
『…奴ら…いた…!戦車だ…旧世紀の…多脚戦車…!数が多すぎる…!10機…いや、それ以上だ…!』
多脚戦車…?
地上から、空を飛ぶ俺たちを狩るだと…?
木々の隙間から、こちらの死角を正確に突いてくる、旧世紀の亡霊。
これが、この森の『厄介さ』の正体か。
俺は、自分の考えの甘さを呪った。
相手は、俺たちの常識が全く通用しない、この森の戦い方を熟知している。
ファルシアは、これを予測していたというのか。
『…ブライン、聞こえるか』
ファルシアの、静かな声
『これが、俺たちの戦場だ。教科書通りにはいかん。だが、仲間を見捨てるのが、俺たちの流儀じゃないことも、覚えておけ』
彼の言葉は、俺の心に深く突き刺さった
そうだ、ここは組織じゃない
ここは、ネストだ
俺は操縦桿を握り直し、決意を込めて言った
「…指示をくれ、ファルシア」
モニターの向こうで、ファルシアのヘブリンが、静かに、しかし力強く頷いたように見えた 眼下には、仲間を飲み込んだ、底知れぬ緑の迷宮が広がっている
ついに戦いの火蓋が落とされた