第三話:聖域の洗礼
浅い眠りを繰り返しながら、どれくらい時が経っただろうか
空腹と全身の痛みが、思考を鈍らせる
それでも、じっとしてはいられない
組織の追手が、いつこの森に辿り着いてもおかしくない
俺は墜落した「クレセント」の元へ戻り、応急修理を始めた
旧式の機体で幸いだったのは、構造が比較的単純なことだ
サバイバルキットの工具と、機体に積んでいた予備パーツで、なんとか最低限の機能回復を試みる
損傷は見た目以上に酷い
特に翼の付け根のダメージが深刻で、高機動戦闘は絶望的だろう
それでも、飛べないよりはマシだ
ここを歩いて脱出するなんて、考えるだけで気が遠くなる
数時間後、俺は汗だくになりながらコクピットに収まっていた
コンソールを叩き、再起動シーケンスを走らせる
祈るような気持ちで、モニターが一つ、また一つと息を吹き返していくのを見つめた
《システム、再起動…》
《ジェネレーター出力、35%で安定…》
《フライトコントロール、一部機能に制限あり…》
不完全な状態だが、飛べる
俺は安堵の息を漏らし、操縦桿を握りしめた
この森を出て、姉さんが遺した座標へ…
その瞬間だった
突如、けたたましい警告音が鳴り響き、機体が激しく揺れた
《WARNING! 高速接近物体!》
「…ッ、なんだ!」
モニターに映し出されたのは、一筋の赤い軌跡
森の木々を縫うように、信じられない速度で接近してくるフェザーフレーム それは、俺が今まで見たどんな機体よりも速く、鋭かった
回避する間もない
強烈な衝撃が「クレセント」を襲い、再起動したばかりの機体はバランスを崩して地面に倒れ込む
追手か…!
こんなに早く見つかるなんて
赤い機影は反転し、再びこちらへ向かってくる
容赦のない射撃が、雨のように降り注いだ
俺は必死に機体を動かし、近くの岩陰へ身を隠す
だが、損傷した翼ではまともな回避運動もままならない
「くそっ…!」
相手は明らかに俺を弄んでいる
正確な射撃で、コクピットだけを巧妙に避けながら、じわじわと機体の装甲を削り取っていく圧倒的な技量差
まるで、赤子の手をひねるかのように
勝ち目はない
それでも、ここで死ぬわけにはいかない
ブラインは最後の力を振り絞り、翼に内蔵されたビーム砲を放った
だが、相手の動きは完全に俺の上を行っていた
赤い機体は光条を紙一重で躱し、瞬く間に距離を詰めると、その鋭いクローで翼の砲門を破壊した
終わった…
そう思った時だった
ピシリ、と空気が凍るような感覚がした
レーダーの片隅に、新たな機影が出現する
それは、先ほどの赤い機体とは比べ物にならない、圧倒的な存在感
ただそこにいるだけで、空間そのものが軋むような、途方もないプレッシャーだった
赤い機体のパイロットも、その存在に気づいたのだろう
ぴたり、と動きを止める
そして次の瞬間、俺には目もくれず、全速力でその場から離脱していった
まるで、恐ろしい何かから逃げるかのように…
残されたのは、沈黙と、ゆっくりとこちらへ向かってくる巨大な影
ブラインは、レーダーに映るその機影を睨みつけた
増援…
組織のエース部隊か何かか
絶望的な状況に、かえって腹が据わった
どうせ死ぬなら、一矢報いてやる
俺は破壊された砲門を睨みつけ、最後の武器である脚部のクローを展開した
「…来いッ!」
雄叫びと共に、地面を蹴る
満身創痍の「クレセント」が、新たに出現した機体――ハヤブサを思わせる、気高くも獰猛なシルエットを持つフェザーフレームへと突っ込んでいく
だが、その攻撃はあまりに無力だった
相手は最小限の動きで俺のクローによる突きをいなし、懐に潜り込もうとした俺の機体を、その足で軽く蹴り上げた
いとも簡単に宙を舞う「クレセント」
なすすべもなく、地面に叩きつけられる
抵抗すら許されない
これが…本当の…
モニター越しに見えるハヤブサの機体は、まるで動じていない
ただ静かに、倒れた俺を見下ろしているだけだった
力の差は、歴然としていた
それはスコアなどという陳腐な数字では測れない、絶対的な隔絶
自身の未熟さと、自分が求めていた「強さ」が、いかに途方もなく遠いものだったかを、ブラインは叩きつけられた鉄塊の中で、ただ痛感していた