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中編

 ややあって。


 食事の後、内職の傘張りをしようとした衣織いおりは、戸締まりをしていたたつに休むように口うるさく言われて、彼女が布団を敷いておいた奥座敷へと移動した。


「だから早く寝てくだせぇって」

「そろそろしまいにしようとしていた所ですから」

「嘘吐けぃ」


 だが衣織は午後10時過ぎ(いのこくよつ)になっても、ろうそくの下で捜査資料の写しを読み込んでいて、便所に起きたたつにそれを発見されてとがめられた。


「あっしの事なら全部頭に入ってんじゃねぇんですかい?」

「あなたの事ではありません。〝山猫小僧〟専任とはいえ、他の捕り物も受け持っていますので」

「へえ、あっしというものがありながら?」

「恋仲みたいに言わないで下さい」


 咎められようと気にせず、手にしている白い表紙の冊子をめくっていた衣織は、覗き込もうとするたつから誌面が見えないように裏返しつつ冷静にツッコミをいれる。


「ちょっとぐらい良いじゃねぇですか」

「あなた見ただけで覚えるでしょう? だめです」

「ちぇっ。ケチ」

「部外者に見せないのは当然でしょう」

「……」

「……」

「……分かりましたっ。今すぐ休みますからっ」


 意地でも見てやろう、と床に転がったりするたつと攻防を繰り広げていたが、衣織は諦めて今度こそ冊子を文机ふみづくえに閉じて置いた。


「全く、姐さんの仕事熱心ぶりも困ったもんだ」

「私が末代になる訳にはいけませんので。評判を上げておくに越したことはありません」

「さいですか。じゃ、いつか婿をとるつもりなんで?」

「それは……、……そのうち、考えます」


 自分に言い聞かせるような物言いの衣織に、何気なく訊いたところ、彼女が目を伏せって非常に歯切れの悪い言い方をして、


「そういえばあっしがここに来たときも、そうやって遅くまで仕事していやしたね」


 その反応に、気軽にしていいものでない、と判断したたつは流れる様に話題を変更した。



                    *



「――」


 いつも通り誰もいない自宅へと帰って、家の南側にある次の間で、たすき掛け姿で夜遅くまで傘張りをしていた衣織は、庭先に何者かの気配を察知した。


 目を少し細くし、すぐ近くに置いてあった脇差わきさしを手に立ち上がると、玄関から草履を取ってきて広縁で素早く履いた。


「何者ですか?」


 勢いよく右端の障子を開くと、満月の光でほんのり明るい、塗り壁の塀で囲われた庭へと足を踏み出した。


「へへっ。どうやらあっしも年貢の納め時らしい」


 すると、正面にある塀の下の方で、白いほっかむりをした人間が寄りかかって座っていて、額に脂汗を浮かべつつ自嘲的に笑いつつそう言った。


「お前は……。〝山猫小僧やまねここぞう〟、ですね?」

「そういうお侍さんは田中衣織殿、か……。あのとき以来、でんすね……」


 すぐに脇差を抜こうとしていた衣織は、月明かりに照らされる人間の顔をまじまじと見つめて、つい数日前、すんでの所で夜の闇に紛れて逃げられた盗人ぬすっとであると気付いた。


 お互いが動けなくなるまで追跡劇を繰り広げ、どこかの原っぱで2人して大の字に転がり、衣織は面の下にある女の素顔を見せられていた。


「どうしたのですかその怪我けがは」

「しくじっちまってな……」


 よく見ると身体のあちこちに切り傷が出来ていて、衣服にブチ模様のように血が滲んでいた。


「あっしとしたことが、逆さづりのわなにはまっちまってな。なんとか抜け出したところで、寄ってたかって斬りかかられてこのザマよ」

「なるほど。盗った物は?」

「注意を逸らすために放り出しちまったよ。おかげで切られ損ってぇわけさ」


 あんまり心配している様子も無く、まず盗品の確認から入った衣織に苦笑しながら、深々とため息を吐いて、


「いてて……」


 その動きが傷に響き、盗人は歯をむき出しにして顔をしかめて痛みを堪える。


「さ、早くお縄をかけてくだせぇ……。絶好の機会ですぜ?」

「いえ、お断りします」

「へ?」

「いくら顔を知っているとはいえ、盗んだ現物モノもない以上、あなたはただ怪我をした不審な人物でしかありませんので」


 失礼します、と言ってポカンとしている盗人を抱き抱え、風呂場の方へと連れて行った。


「傷を洗いますので脱いでください」


 盗人を風呂椅子に座らせると、台所から水を入れた桶と手ぬぐいを持ってきた衣織は、一切の躊躇ためらいなく服を脱ぐように言う。


「ま、待てぃ! その、いくらお侍様とはいえ女子の前で……っ」

「お構いなく。襲ってきたらトドメを刺すだけですから。らちがあかないので脱がしますね」


 動揺しまくって目が泳いでいる盗人へ、衣織はこれまた何の躊躇いもなくそう言って、素早く帯を外してさらしと褌姿にした。


「……えっ、あなた女だったんですか?」


 その段階になって、衣織は〝山猫小僧〟の正体が女だと気が付き、身体を丸めて恥ずかしそうにする彼女を指さして、あんぐりと口を開けて訊ねる。


「気付いて無かったんで……?」

「はい。では失礼して」

「あ痛ッ!? もうちょっと丁寧に……っ」


 桶の水で濡らした手ぬぐいを軽く絞り、衣織はかなり大ざっぱな動きで傷口を洗浄していく。


「ひとまず今のところはこれでいいですね。お医者様呼んできますので待っていてください」


 あらかた洗い終えて水分を拭うと、衣織は大ざっぱな巻き方で包帯を巻いて応急処置をした。


 それから、女を居間まで連れて行って座布団をいくつか並べ、その上に彼女を寝かせて医者の下へ向かう。


 家紋の着いた提灯片手に通りに出たところで、衣織は〝火盗〟の提灯ちょうちんをもったおかきと遭遇した。


「あっ、田中様。こちらの方で、何か不審な者を見かけませんでしたか?」

「いえ。何かあったのです?」

「へい。どうも〝山猫小僧〟が出て、こちらの方向へと逃げていった様でして」

「なるほど。ヤツのことです。もうこの辺りにはいないでしょうね」


 彼にすっとぼけてそう言った衣織は、更に専任という立場を活かした説得力で助言し、〝山猫小僧〟への追跡を撹乱かくらんした。


 くれぐれも気を付けて、と彼を見送った衣織は、小走りで田中家とは関係の深い医者の家へと向かった。


 わざわざ呼びに来た事で、何か特殊な事情があると察した、やや髪に白い物が混じる男医者を連れて家に戻ると、怪我からばい菌が入ったせいで女はぐったりと倒れていた。


 キッチリと切り傷を処置してから、男医者は身体の抵抗力を高める丸薬を処方し、何かあれば遠慮無く呼ぶように、と言って帰っていった。


「完全に傷が治るまで、いてもらっても構いませんよ」


 衣織は水の入った桶から手ぬぐいを出して絞り、真顔であるためやや分かりにくいが、心配そうな顔でそう言って、それをなんとか丸薬を飲み込んだ女の額に乗せた。


「へ、へえ……。……なん、で、そこまで……?」

「これでも私は武士の端くれです。今のあなたをお縄にかけたところで、果たして武士の誉れとなり得るでしょうか」


 腰に手を当てて正座し、威風堂々とした精悍せいかんまな差しを女に向けつつ言い、


「それより――」

「たつ」

「はい?」

「どう呼べば、良いか、ってんだろ?」

「まあそれもありましたが。おたつさん、何か食べられそうなら言って下さい」

「かたじけねぇ……」


 と、衣織は呼び方に悩んで言いよどんだが、たつ、と名乗った女へ不器用ながらも微笑ほほえみかけ、返事を聞くと居間から出ていった。



                    *



「――で、そこからすっかり居着くのは、流石さすがに肝が太すぎません?」

「ははは。まあそんくらいじゃなけりゃ、独り働きのおつとめなんか出来やしねぇよ」

「それは言えてますね」


 日誌を付けながら昔話に花を咲かせていた衣織は、クスッと笑って、ちょうど最後まで書き終えると帳面を閉じ、たつがいるのにろうそくの火を吹き消してしまった。


「ちょっと姐さーん。これじゃ帰れねぇじゃねぇですか」


 火を貰おうと持ち運び用の釈台を持っていたたつは、行き場のなくなったそれをそっと置いて、半笑い気味に衣織の肩に手を回して言った。


「あなた夜目が……、ああ今日は新月でしたね。すいません。まあ別に同衾どうきんでもすれば良いだけですし」

「えっ」

「寝首をかけるとでも?」

「やだなぁ。んな事砂粒ほども思ってねぇですよぉ」

「そうですか。では私はそろそろ寝ます」


 おやすみなさい、といって布団に入った衣織は真っ暗で見えていなかったが、このとき、たつはだこの様に真っ赤にしていた。


「――お役人様に盗まれるたぁな……」


 すでに寝息を立てている衣織に向かって、たつは独り言じみてそう言い、右に目一杯寄っている彼女を起こさない様にこっそりと布団に潜り込んだ。


 翌朝。夜明けと共に起床した衣織は、小袖だけをはだけさせてサラシを巻き、目を閉じて頭の中で敵を思い浮かべて刀を振るっていた。


「姐さんおは――」


 その音で目が覚めたたつは、こっそりと衣織の背後から忍び寄って脅かそうとしたが、


「急に話しかけられると危ないですよ」

「そ、その様で……」


 衣織が反射的に振り返って、その手の白刃がたつの頸をはねる直前で止まり、その風圧で押されたように、ヘナヘナと彼女は顔を引きつらせながら崩れ落ちた。


「何かご用ですか?」

「ああいえ、メシは何にしやしょうかと」


 手を借りて立ち上がらせてもらった衣織からの問いかけに、イタズラというと怒りそうなので、背中にだくだくと冷や汗をかきつつそう言ってたつはごまかした。


「めざしとナッパのすまし程度で良いですよ」

「んなシケたもんで良いんですかい?」

「シケたとは聞き捨てなりませんね。漁師と農民の方々が汗水垂らして届けてくださったものなのですよ。それに、贅沢ぜいたくなどしては気が緩んでしまいますので」


 家主の要望を訊いたたつが、かなり質素なそれに対してやや不満げな顔をしたので、衣織は目を細くしながら納刀すると、寺子屋で読み書きを教えるように説教をした。


「じゃ、漬物も無し――」

「――それはいります」

「贅沢はダメなんじゃねぇんで?」

「問題ありません。彩りなので」

「こじつけじゃねぇですか……」

「彩りなので」

「……」

「彩り、なので」


 気を利かせたつもりの発言を、くわっと目を開いた衣織に食い気味で否定され、困惑するたつへ彼女は涼しい顔で同じ言葉を繰り返す。


「いくら倹約とはいえ、その範疇はんちゅうで味を求めても良いのでは?」

「……昨日と言ってる事まるっきり違うじゃねぇですかい」

「あなたに言われて考えを改めたんですよ」

「さいですか……。まあ姐さんが良いならあっしはいいでんすが……」


 昨夜まで炊事場に何があるのかすら把握していなかった衣織へ、たつが苦笑いでそう答えると、


「ではお任せしますね。あと、今夜は遅くなりますので、夕餉ゆうげは不要です」

「へい。承知しやした」


 彼女は口角を少し上げてたつの肩に手を置き、会釈して答えたたつが離れてから、居合い切りの動きで刀を抜き再び振るい始めた。

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