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導きの少女

眩い光が徐々に収束し、ゆっくりと視界が開けていく。光の残滓が、まだ目に焼き付いているのか、視界がチカチカと明滅し、まるで壊れかけの蛍光灯のようだ。あるいは、古いフィルム映画のワンシーンのようでもある。翔太が最初に感じたのは、ひんやりとした、どこか懐かしいような、それでいて今まで経験したことのない、独特な空気感だった。そして、古い書物に包まれた、独特の匂いが鼻腔をくすぐる。インクと紙が長い年月を経て混ざり合い、独特の芳香を放つ。どこか落ち着くような、不思議な香りだ。


(ここは…どこだ…?さっきまで、俺は…自分の部屋にいたはず…)


先ほどまで、自宅のソファで、過去の苦い思い出に浸りながら、言いようのない後悔の念に苛まれていたはずだ。それなのに、気がつけば全く知らない場所にいる。まるで、SF映画のワンシーンに迷い込んだような、非現実的な感覚だった。いや、映画よりも、もっと現実離れしているかもしれない。夢か、幻覚か、あるいは…


ゆっくりと、重たい体を起こすと、自分が革張りの、年季の入ったソファに寝かされていたことに気づく。丁寧に手入れされているのだろう、古びてはいるが、深い光沢を放ち、座り心地も悪くない。ハイブランドの、それもヴィンテージものといったところだろうか。座っただけで、長い歴史を感じさせるような、そんな風格がある。部屋全体は薄暗く、窓から差し込むわずかな光だけが、室内の様子をぼんやりと照らし出している。まるで、中世ヨーロッパの隠れ家、あるいは錬金術師の工房のような雰囲気だ。壁一面には、天井まで届くほどの大きな本棚が設えられ、そこには、様々な言語で書かれた、古びた本がぎっしりと並べられている。その光景は、まるで知の神殿のようだった。


「…気がついたみたいね」


突然、どこからか声が聞こえた。静寂を切り裂くような、しかし耳に心地よい、鈴を転がすような、それでいて、どこか神秘的な響きを持つ、少女の声だった。まるで、教会の鐘の音のように、厳かに、そして優しく響く。


翔太は、声のする方へ、ゆっくりと視線を向けた。緊張と警戒で、体は硬直している。そこには、一人の少女が、静かに佇んでいた。まるで、闇の中から、ふわりと浮かび上がってきたかのような、幻想的な登場だった。


歳は16歳くらいだろうか。長い黒髪を、白いリボンで一つにまとめている。その髪は、この暗い部屋の中でも、艶やかに輝いて見える。華奢な体つきで、儚げな印象を受ける。しかし、その瞳は、まるで夜空に浮かぶ星のように、強い光を放ち、強い意志を宿しているように見えた。彼女は、この薄暗い部屋の中で、唯一、光を放つ存在のように見えた。その存在感は、まるで、この部屋の主のようだった。


「ここは…どこなんだ?君は…一体…?」


翔太は、混乱しながらも、少女に問いかける。何が起きているのか、全く理解が追い付かない。しかし、この少女が、何かを知っていることは、直感的に分かった。この状況を説明できる、唯一の存在であることも。


「ここは、時の狭間…とでも言えばいいかしら。時間と時間の、境目のような場所。そして、私はユキ。時を導く者」


少女…ユキは、淡々とした口調で答えた。その言葉は、まるで、日常会話のように、自然に発せられた。しかし、翔太にとって、その言葉は到底信じられるものではなかった。


「時を…導く…?時の…狭間…?何を言っているんだ…?からかっているのか?」


翔太は、オウム返しに呟くことしかできなかった。そんな馬鹿なことが、あるはずがない。これは、夢か、幻覚か、あるいは、徹夜続きで、ついに頭がおかしくなってしまったのだろうか。それとも、手の込んだ、悪質なドッキリか何かか。様々な可能性が、頭の中を駆け巡る。


「ええ、そう。あなたは、その手に持っているペンダントの力で、過去へ時間旅行タイムトラベルをしようとしているの」


ユキは、翔太が右手に握りしめているペンダントを、細く白い指で指差した。あの、不思議な光を放つ、古びたペンダントだ。ダンボール箱の奥深くに眠っていた、古代の紋章のようなものが彫られた、あのペンダント。


「過去へ…?タイムトラベル…?そんなことが、本当に可能なのか…?そんな、SFみたいな話…信じられるわけ…」


「ええ、可能よ。少なくとも、このペンダントは、それを可能にする力を持っている。でも、いくつか、絶対に守らなければならないルールがあるわ」


ユキは、ゆっくりと、しかし、迷いのない足取りで、翔太に近づき、ソファの隣に、音もなく腰掛けた。その距離、わずか数十センチ。近距離で見ると、彼女の肌は、陶器のように白く、透き通るように見えた。まるで、長い間、陽の光を浴びていないかのようだ。そして、その瞳の奥には、深い知性と、どこか悲しげな光が宿っているように感じられた。その瞳は、あまりにも神秘的で、翔太は、思わず息を呑んだ。


「ルール…?ルールってなんだ…?」


「ええ。まず、あなたが行けるのは、あなた自身の過去だけ。他の誰かの過去に、干渉することはできない。それは、このペンダントの力でも、不可能よ。そして、過去の出来事を大きく変えることはできない。過去の自分自身や、他の人間に、強く干渉しようとすると、あなたの意思とは関係なく、強制的に現代に戻されることになるわ。…これは、絶対に守らなければならない。…運命に、抗うことはできないの。」


ユキは、真剣な眼差しで、翔太の目を真っ直ぐに見つめながら、静かに、しかし、はっきりと、タイムトラベルのルールを説明し始めた。その瞳には、一切の迷いがなく、彼女の言葉が、絶対的な真実であることを、物語っているように見えた。その声には、凛とした響きがあった。


「過去を…変えられない…?それじゃあ、過去に戻る意味がないじゃないか…。俺は、過去を変えたいから…過去に戻って、やり直したいから…」


「いいえ、そんなことはない。変えられるのは、過去じゃない。あなた自身の未来だけ」


「どういう…ことだ…?過去を変えられないのに、どうやって未来を変えるんだ…?矛盾してるじゃないか…。そんなの、おかしい…」


翔太は、混乱と疑念を隠さず、ユキに問いかけた。彼の目には、戸惑いと、わずかな反抗の色が浮かんでいた。


「過去に戻ることは、過去を変えるためじゃない。過去の自分自身、そして、過去の大切な人たちと、もう一度向き合い、そこから学びを得るため。…それが、あなたの未来を変えることになるの。過去の出来事そのものは変えられなくても、それに対するあなたの解釈や、そこから得られる教訓は、あなた自身の選択で変えることができる。…それが、未来に繋がるの。…分かりますか…?」


ユキの言葉は、翔太にとって、すぐには理解できないものだった。まるで、禅問答のようだ。抽象的で、難解な言葉。しかし、その瞳の奥に宿る、強い意志と、どこか悲しげな、それでいて優しい光は、彼女の言葉が、真実であることを、物語っているように感じられた。そして、その不思議な説得力に、翔太は、少しずつ心を動かされ始めていた。彼女の言葉は、まるで、魔法のように、翔太の心に染み込んでいく。


「…分かった。…信じるよ、君の言葉を。…今は、まだ、完全に理解できなくても…信じてみる。それで、俺は、どうすれば過去に行けるんだ?具体的に、何をすればいい?教えてくれ、ユキ」


翔太は、ユキの目を真っ直ぐに見つめ返し、静かに言った。まだ、全てを理解できたわけではない。しかし、今は、彼女の言葉を信じてみようと思った。この不思議な少女、ユキの導きに従ってみようと、心が決まり始めていた。何かに、導かれるように。


「そのペンダントを、両手でしっかりと握りしめて、行きたい過去の日時を、強く念じるの。頭の中で、その時の情景を、できるだけ鮮明に思い浮かべて。場所、時間、匂い、音、温度…五感を使って、その場にいる自分を、想像するの。…ただし、過去にいられる時間には制限があるわ。最初は、数時間程度が限界でしょう。…それ以上は、危険…」


ユキは、翔太の目を見つめながら、静かに、そして丁寧に、過去への行き方を説明した。まるで、大切な儀式の手順を教えるかのように。あるいは、秘伝の技を伝授するかのように。


「数時間…たったそれだけか…。そんな短い時間で、何ができるんだ…。やり直すには、時間が足りない…」


「ええ。でも、最初はそれで十分。何度も行き来するうちに、過去の世界に慣れ、少しずつ長く滞在できるようになるはず。ただし、過去の世界に長く留まりすぎると、あなた自身の存在が、不安定になる危険もある。…そうなれば、二度と現代に戻れなくなるかもしれない。…それは、絶対に避けなければならない。分かったわね…?」


ユキは、真剣な表情で、翔太に警告した。その言葉には、彼を心配する気持ちが、確かに込められていた。そして、その言葉の裏には、何か、過去に辛い経験があったことを、感じさせた。


「分かった…肝に銘じておく…。ありがとう、ユキ」


翔太は、小さく頷き、手に持っていたペンダントを、両手で強く握りしめ、目を閉じた。まるで、神に祈りを捧げるように。あるいは、何かに縋るように。


(過去に戻る…健二と、美咲に、もう一度会うんだ…)


翔太の脳裏に、健二と美咲の顔が、走馬灯のように、次々と浮かんだ。あの頃の、楽しかった思い出、そして、苦い後悔が、鮮明に蘇る。まるで、昨日のことのように。


(健二、あの時は、本当に悪かった。俺は、自分のことしか考えていなかった。自分の夢を、お前に押し付けていただけだ。もう一度、お前と話がしたい。ちゃんと、謝りたい…。あの時、お前の気持ちを、少しでも理解しようとしていれば…。美咲…もう一度、君に会って、ちゃんと謝りたい…俺は、君の優しさに甘えて、君の気持ちを、少しも理解しようとしていなかった…君が、どれだけ傷ついていたのか、今なら分かる…。今なら、ちゃんと、向き合えるはずだ…)


翔太は、心の中で、強く、強く、過去への帰還を願った。そして、彼が一番戻りたいと願う、あの日、あの時を、頭の中で、鮮明に思い描いた。後悔と、懺悔の念を込めて。そして、そこから、未来を変えるのだという、強い決意を込めて。


「20XX年、6月10日…健二と喧嘩別れした日…あの日の、スタジオに…」


翔太が、絞り出すような声でそう呟いた瞬間、ペンダントが再び、眩い光を放ち始めた。先ほどよりも、さらに強い、強烈な光。まるで、小さな太陽が、彼の掌の中で生まれたかのようだ。あるいは、彼の強い意志に、呼応しているかのようだった。


「…しっかり、過去と向き合ってきて。そして、後悔しない選択をして。それが、あなたの未来を、きっと変えるはずだから…。過去のあなた自身に、伝えてあげて…それが、彼のためにもなるはず…」


ユキの、どこか遠くから聞こえるような、祈るような声を最後に、翔太の意識は、再び光の中に呑み込まれていった。まるで、深い、深い海の底に、ゆっくりと、しかし確実に、沈んでいくかのように…。そして、意識が薄れていく中で、翔太は、ユキの言葉の真意を、朧げながら、理解し始めていた。これは、ただ過去に戻るだけじゃない。未来を変えるための、旅なんだと。


そして、次に翔太が目を開けた時、彼は、懐かしい、しかし、二度と戻ることはできないと思っていた、あの場所に立っていた。


20XX年6月10日。大学近くの、小さなライブハウスに併設された、古びたリハーサルスタジオ。埃っぽい空気、壁に貼られたインディーズバンドのポスター、使い古された楽器たち、そして、汗の匂い。


そこで、若き日の自分自身、そして、親友だった健二、恋人だった美咲と、再会を果たすことになる。


しかし、この時の翔太は、まだ知る由もなかった。


このタイムトラベルが、自身の運命を、そして、ユキ自身の運命をも、大きく変えることになることを…。


そして、この再会が、ほんの序章に過ぎないことを…。


この先に待ち受ける、更なる試練と、ユキという謎の少女の真実を…。


そして、このタイムトラベルの、本当の意味を…。

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