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 日が暮れた。

 

 あいかわらず路地の入り組んだ住宅地は、暗くなると人の気配がぱたりと絶えた。

 行き来する人の姿はなく、かといって室内に電気の点いている家も少ない。仕事から帰宅するには早すぎる時間だし、近所で被害者が出たので不要不急の外出は控えている、といったところだろうか。

 

 敵を待ち受ける身としては、ありがたい状況である。

 

 和彦とフォウは二手に分かれて、白蛇の気配を追っていた。

 フォウは指南車と彼が呼ぶ、羅針盤のご先祖のような板を持っての捜索である。霊幻道士にとっては妖怪退治の定番アイテムで、邪悪な気配を感知してその方向を指し示す道具なのだそうだ。

 

 和彦のほうはリューンの腕輪がもたらしてくれる超常感覚が頼りである。無限の可能性を秘めているという腕輪に、新たな機能を期待するしかない。

 

 迷路のような行き止まりが続く住宅地では、二人一緒にいるよりはまだ遭遇の確率が上がるだろう、という希望的観測による分散捜索だった。

 お互い、大蛇に出会ったら大声で相手を呼ぼうなどという原始的な打ち合わせをしたにすぎない。

 

 腕輪に意識を集中させながらも、頭の隅で和彦は、自らを白蛇の立場において考えようと試みた。

 

 急に長い眠りから解放されて、地上に出てみたらすっかり様子が変わっていたとしたら。住み慣れた沼がもう存在しないと知ったら。

 

 かつて知っていた別の川への道は、さまざまな建築物で遮られていて、何度も行き止まりに突き当たる。

 苛立ち、焦るだろう。

 絶望的な気分になるだろう。

 自分を封印したことばかりでなく、知らぬ間に土地をつくり変えてしまった人間に対して、さらに憎しみを募らせるだろう。

 

 ぷうんと、嫌な臭いが鼻先をかすめた。

 

 間違いない。大蛇の臭いだ。

 

 和彦は指先を舐めて空中にかざした。

 穏やかで風もない冬の夕暮れ。けれども指先にはかすかに、空気の流れを感じる。そちらの方角から臭いは漂ってくる。

 

 振り返って、舌打ちした。

 また行き止まりだ。

 

 路地の先にはコンクリート作りの無骨な塀があった。

 塀の向こうには小さめのマンションがあって、手前は駐車場になっていた。この駐車場を部外者が自由に通行しないようにと、わざとここに塀を作って、道を塞いでいるのだろう。

 塀にそって、狭い暗渠があった。

 かつてこのあたりは田畑になっていて、これは稲作のため川から引かれた用水路だったのかもしれない。

 

 前もそうだった。

 蛇は用水路のそばにいた。

 

 白蛇は、かつて知っていた川筋をたどっているのだ。

 

「どこだ!」

 

 和彦は周囲を見回し、叫んだ。

 

「出てこい、怪物め!」

 

 だしぬけに。

 塀の向こうにぬっと大蛇の姿が現れた。

 

 数日前よりも格段に大きくなっている。

 人間の生気を吸うたびに図体が膨れていくのだろうか。そういえば伝説にも、神社の供え物を食べて巨大になったという話があった。

 面倒な性質だ。

 

 ものすごい悪臭が周囲に流れ、満ちた。

 

 覚悟していた和彦も、これにはたまらずせき込んでしまった。フォウのいう硫化水素の効果なのか、瞳の中に何かが跳びこんだときのように目の前がチカチカして、痛みさえ感じた。

 慌ててまばたきを繰り返し、視界を確保しようとした。

 

 ぐおおおおん。

 

 蛇が夜空に向かって咆哮した。

 正確には、音はしなかった。

 けれども和彦の耳には蛇の怒りの叫びが届いていた。

 

「和彦さん! 見つけたんだな!」

 

 大声で呼ぶまでもなく、フォウが駆けつけてきた。

 塀の反対側にこの駐車場の入口があるのだろう。フォウは指南車を手にしている。その盤の上に乗った仙人の人形が片手をあげ、まっすぐにこちらを指さしている。

 

「うええ⁉ なんだこりゃ、大きさが二倍くらいになってやがる!」

 

 フォウも和彦と同じく、大蛇の巨大化ぶりにぎょっとして立ち止まった。

 

 その駐車場は、車が六台ほどが十分に置けるくらいの広さがあった。

 蛇はその空間のほとんどを使っている。高く首をもたげているだけでなく、胴体は駐車場いっぱいにとぐろを巻いていた。

 

 このすごい悪臭にも、窓を開けて下を見下ろしてくる人はいなかった。建物の気密性が高いのだろうか。

 なんにしろ、邪魔が入らないのはいいことだ。

 

 だが、勝負を長引かせることはできない。

 

 和彦を睨みつける蛇の目には、憎しみの光が満ちていた。和彦が想像したとおり、自分の全ての不運は人間たちのせいだと思っているのだろう。

 その憎い人間たちの生気を奪い取ることは、蛇にとってはなんの罪悪感もないはずだ。

 

 大蛇が大口を開いた。

 大量のヘドロが、和彦に向けて吐き出される。

 

 もちろん和彦はそれを予測していた。ゆえに、すでに腕輪を使って、暗渠から水を呼び寄せていた。

 

「そうはさせん!」

 

 壁の上に飛び上がる。

 そこに仁王立ちになって、ヘドロに向けて呼び寄せた水流を真っ向からぶつけた。

 

 水圧がヘドロの勢いに勝った。

 蛇へと毒液を押し返す。


 自らの毒をかぶった蛇が、怒りの雄叫びをあげた。

 のたうち、首と尻尾を振り回し始めた。

 塀だろうと植木だろうと、当たるを幸いとなぎ倒す。

 

「フォウくん、気をつけろ!」

 

「おおっと!」

 

 巨大な尻尾に足をすくわれそうになって、フォウがたたらを踏んだ。そこへ蛇の頭部がカウンター攻撃をかける。

 フォウはかろうじて直撃を避けた。

 

「そうはさせるかよ!」

 

 地面を蹴り、蛇の首っ玉に飛びついた。

 

 驚いた蛇がぶんぶんと頭を振り回す。

 右へ左と激しく揺れながらも、フォウはしっかりと両腕を蛇の首に巻き付けて放さない。しかもその間に足も使って、どうにかこうにか蛇の首へ馬乗りになった。

 

「やつの粘液に気をつけろ、フォウくん!」

 

「わかってるって!」

 

 このことを予測して、フォウも和彦も革の手袋をはめている。ジャケットもズボンも革製だ。

 それでも蛇の身体に直接触れている部分が、ぐずぐずと黒い色に染まっていく。粘液が絡みついて、動きがにぶくなる。

 

「うへっ。しかしこの臭いだけはたまんねえな! 俺の鼻もあんまり長くは持たねえぜ、和彦さん」

 

「わかってる!」

 

 フォウに首の部分をしっかりと押さえつけられた大蛇は、思うように動くことができない。焦れて尻尾をバタバタと動かし、首元のフォウを払いのけようと必死だ。

 

「おい、こっちだ化け物!」

 

 フォウから意識をそらそうと、和彦は大蛇に向けて大声で怒鳴った。

 氷の剣をこれ見よがしにかざして、挑発を試みる。

 

「お前の相手はこの僕がする! かかってこい!」

 

 しゃあっ。

 

 大蛇がまたヘドロを吐いた。

 和彦は氷の剣の一閃でそれを切り裂いた。

 

 剣の刃に触れたヘドロは一瞬のうちに凍り付き、バラバラに割れて地面に飛び散った。凍った状態では地面にしみこむこともない。どす黒い粘液は氷の中に閉じ込められて、悪さができなくなっている。

 

 それを確認してから、和彦は構えを取り直した。

 

 氷の剣は手近の地面に刺した。

 空になった左手の、腕輪の部分を大蛇に向けた。

 腕輪に全身の気力を注入するため、右手で腕を支えて両足を踏ん張った。

 

「いくぞ、フォウくん!」

 

「おう!」

 

 蛇にまたがったフォウが叫び返し、革手袋をはめた手をいきなり蛇の両目に突っこんだ。

 

 蛇が驚きと苦痛の声をあげ、頭をメチャクチャに振った。けれどもフォウは両膝でしっかりと蛇の首の部分を挟みこみ、振り落とされなかった。

 まぶたに指をかけて、それを手がかりにする。

 

 目が見えなくなった大蛇は狂ったように暴れた。のたうち、這いまわった。しつこく自分に取りついて離れようとしない敵に対して、全身から粘液を放出した。

 

 その粘液を浴びる寸前、フォウは大蛇の首から飛び降りた。

 鮮やかに空中でとんぼ返りをきって、重力など存在しないかのような軽やかさで着地した。

 

 その瞬間を、和彦は待っていた。

 

「今だ!」

 

 腕輪を通して強い念を放出した。

 

 大蛇に叩きつける。

 

 ふりまかれた粘液が、空中で凍りついた。


 次には、大蛇の胴体が。頭が、尻尾が。

 氷は大蛇の全身を走り、覆いつくす。


 蛇が動きを止めた。

 口を開けかけたままで、凍り付いた。

 

 和彦は先ほどの暗渠から再び水を呼んだ。

 地面の隙間を這わせ、地下を通らせて大蛇の足元まで引っ張ってくる。

 

 駐車場のコンクリート舗装された地面に、亀裂が入った。

 亀裂から水が噴き出した。

 噴水となる。

 

 氷の塊となった大蛇が、凍ったまま水圧に持ちあげられ、宙に浮いた。

 

「よしっ! 次は俺の出番だぜ!」

 

 フォウが壁でマッチを擦った。

 

 生まれた炎がフォウの両手に支えられて、瞬く間に巨大な火球へと成長した。

 さらに大きく、広く。周囲を圧倒せんばかりになる。

 それを作っているのはフォウの精神力だ。

 炎の勢いを維持するためにフォウは気力の全てを使い、全身から汗をしたたらせる。

 

「そおれ!」

 

 水流のてっぺんに鎮座している凍った大蛇に向けて、その巨大な炎を放った。

 

 炎が大蛇を包んだ。

 凍ったままで、燃え始めた。

 

 ヘドロの主成分である硫化水素には引火性がある。それを利用して、ヘドロを土と混ぜて焼成することで毒性を消し、レンガとして再生する事業もあるほどだ。

 

 高温で焼けば、ヘドロは元の土くれとなる。

 和彦が調べてきたその情報が、今回の合わせ技のヒントになった。

 

「和彦さん、ちゃんと表面のヘドロだけを凍らせてくれたんだろうな?」

 

 滝のように流れる汗をふくこともできず、炎を最大出視力に維持しながら、フォウが怒鳴った。

 なにしろヘドロは凍っているので、できるだけの高温を維持しなければ、焼くことができないのだ。

 

「僕はそのつもりでやったけど」

 

 と、和彦は答えるしかない。

 

 和彦としても、相手の表面だけを凍らせて内部は保つ、という技を使うのは初めてのことだった。

 けれどもフォウはその方法をあくまで主張した。

 本体である蛇は倒したくないと言うのだ。

 

 なぜそんなことをいうのか、和彦にはよくわからなかった。

 けれども、いったん言い出したらきかないのがフォウという男の性質である。

 しかたなく、手探りで試してはみたのだが。

 

 闘いが始まってからずっと周囲に漂っていた悪臭が、いつの間にか消えていた。

 鼻が慣れてしまったわけではなく、ヘドロが燃やされて無害化されている証拠だった。

 

 フォウは汗水垂らして炎を調節し続けている。

 和彦に要求しただけでなく、彼自身も表面だけを焼くように、細心の注意を払っていると見えた。

 

 やがて、火の勢いが緩やかになってきた。

 

「もういいよ、和彦さん」

 

 言われて和彦も、蛇を持ちあげていた水に退却の命令を出した。

 水はあっという間に引いていったが、駐車場の亀裂は残ったままだ。修理は大変なのではないか。誰かにとがめられる前に逃げ出したほうがよさそうだった。

 

 炎がゆっくりと小さくなり、消えた。

 

 小さな蛇の姿がその場に残った。

 

 手のひらに乗るほどの大きさである。全身が真っ白の、きれいな蛇だった。

 赤い丸い目が、いかにもきょとんとしたふうに和彦とフォウを見上げた。

 

 これがあの大蛇の本体。

 

「ふう」

 

 フォウがようやく額の汗をぬぐった。

 

 和彦はそおっと蛇に近づいた。

 間近で見ても、やはりなんの変哲もないただの蛇にしか見えなかった。これがたった今まで粘液を吐き、人を襲っていたとはとうてい思えなかった。

 

 だが、妖怪は妖怪だ。

 このまま逃してしまうわけにはいかないだろう。

 

 これからどうするつもりなのかと、和彦はフォウに問い正そうとした。なぜこうまでして、妖怪を倒さずにおいたのか。

 

 だが、和彦が口を開く前に、フォウがあさっての方向に大きく手を振った。

 

「おおい、ここだよ、ここ!」


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