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 受付でおそるおそる聞いてみたが、市民図書館は市民でなくても利用できるとのことだった。

 和彦はほっとしつつ、受付で運転免許を出して利用カードを作ってもらった。

 

 学生アルバイトかと見まがう童顔の女性司書が、こぼれんばかりの笑みを浮かべて和彦にカードを渡した。

 

「それで、何かお探しの本がおありですか?」

 

「ああ。この街の郷土史の本と……古地図があれば」

 

「郷土史、ですか?」

 

「ええ。神話と伝説が書かれているような……できれば子供無向きのがいいんですが」

 

 司書は和彦をまじまじと見つめた。

 子供向けという要求をおかしいと思ったのではない。

 こんなハンサムな人が先生をやっている小学校の生徒がうらやましくなったからである。

 

 初めてこの図書館を利用するというのだから、臨時採用の先生なのかな。これから定期的に利用しに来てくれるといいな。

 それにしても、すごい美男子。

 これぞまさに、見てるだけで目の保養ってやつよね。

 

「あっ。すぐに準備しますから、あちらの閲覧室で座って待っててください」

 

 ウキウキした足取りの司書に案内され、和彦はガラス窓で仕切られた小部屋に通された。


 開架図書の大部屋ではこの時期ということで何人もの学生が受験勉強をしていたが、この閲覧室には誰もいなかった。

 ぽかぽかとお日様が入り込んでくる、居心地のいい部屋である。

 

 すぐに司書が、何冊もの本を重ねて持ってきてくれた。

 注文どおり、地元の出版社から出された子供向けの本ばかりである。中には、まんが仕立てになっているものもあった。

 

「こんなのでいいんですか?」

 

「ええ。これがいいです」

 

 和彦はしごく愛想よく答えた。

 

 日常の読み書きにこそ不自由しなくなったが、和彦にとってこの国の言葉を覚えるのはなかなかの苦行ではあった。今でも、学術書を読みこなす自信はない。

 

「古地図のほうは地下にありますから、ちょっと待ってくださいね。見つけたらすぐにお届けします」

 

 何かもっと話しかける言葉はないかと、司書は和彦の前でもじもじしていた。しかし、すぐにあきらめて本を探しに出ていった。

 女心の機微はわからずとも、たいていの女性が自分に対してこういう態度を取ることに、和彦は慣れている。司書の言動は特に気にもせず、おもむろに本を読み始めた。

 

 まず、すべての本の目次に目を通して、蛇や妖怪封印の話がないか探した。

 

 二冊ほどに、それらしいものを見つけた。

 指で行をたどりながら、その章を丁寧に読んでいった。

 

 片方の本は、より詳しくその伝説について説明されていた。

 白い蛇の伝説だった。

 白蛇は沼に住んでいて、最初は水神の使いとして村人に貴ばれていた。それなのに、神様へのお供え物をこっそりつまみ食いするようになって、そのせいで身体が大きくなるばかりか、性格も傲慢になってしまった。

 そのうち、勝手に雨を降らせたり洪水を引き起こしたりして村人を困らせ、もっとたくさんの食べ物を要求するようになった。

 村人たちが困り果てていたところ、旅の行者がふらりと村を訪れて、蛇を封印してくれた。

 あの人こそ神様の化身だと村人は言い合い、感謝の意味もこめて、蛇を封印した石の上に祠を建てたという。

 

「ふうん」

 

 二冊目はもっと簡潔に書かれていたが、大筋は同じだった。

 どこにでもありそうな話で、地方色が薄いせいだろうか。他の本もぺらぺらとめくってはみたが、新しい手がかりは見つからなかった。

 

 和彦は本を自分の前に積み上げ、手の甲に顎を乗せて考え込んだ。

 

 白蛇の由来はこれでわかった。

 しかし、知りたかったのは蛇の使う毒についての情報だったのだ。

 大蛇が吐くあの臭くて邪悪な粘液については、どこにもなんの記述もなかった。ただ、身体が大きくなってわがままになったことが書かれているだけだ。

 村人を困らせる方法も、雨や洪水である。

 これでは、有力な情報を見つけたとはとうてい言えないだろう。

 

 そこへさっきの司書が、息を弾ませながら大きな箱を抱えて戻ってきた。

 

「見つけましたよ!」

 

 宝物のようにそっと箱を開けてくれると、中からいかにも古そうな和紙のひとつづりが出てきた。

 印刷されたものではなく、墨で直接、その紙に書き込みがされている。

 

「地元の素封家の物置から数年前に出てきたという、城下町の地図なんです。江戸幕府に対して地震の被害を報告するときに作ったものというのが、大学の研究室が出した結論でした。ほら、朱墨で囲んであるのが崩れた家や塀のようです。こういうのがお入り用だったんでしょう? それとも、これよりも昔のほうがいいんですか?」

 

「あー……」

 

 和彦は途方に暮れつつ、目の前に置かれた古文書をさらに広げてみた。

 ミミズがのたくったような字があちこちに書かれているのだが、もちろん和彦には手書きの行書など読めはしない。日本独特の地図の書き方もよくわからない。

 とりあえず、俯瞰図の中に写実的な建物を書き込むという斬新な方法で書かれている、ということが理解できたくらいだ。

 

 しかし、名残惜し気に和彦の脇にとどまっていた司書が、意外な助けになってくれた。

 

 和彦が開けたままにしていた児童書のページをのぞきこんで、あらっと声を上げたのである。

 

「白蛇伝説の話をお調べでなんですか? うわあ、なつかしいわ。私、小学校の頃に地域調べであの祠を見に行って、班で新聞とかも作ったんですよ」

 

 司書は古地図の別の一枚を取り出して、とある一か所を指さした。

 

「ほら、見てください。ここに昔は沼があったんですよ。おどろが沼って言います。おどろおどろしい、という言葉が元になっているんじゃないかと思われます。といっても、今は埋立地になっているんですけど」

 

 はっとして、和彦は司書を見上げた。

 

 和彦の驚きの表情に、司書は満足そうに笑った。

 ハンサムの意中にかなったこともあるが、調べ物をしている人に有効な情報を提供できたことが、まずは司書として嬉しかったのだろう。

 うきうきした調子で、さらに説明をしてくれた。

 

「元々は、白蛇を封じた祠はおどろが沼のほとりに建っていたそうなんです。あ、地図にもちゃんと書きこまれていますね。けれども、この沼に流れこんでいる川の上流に明治時代になってから石鹸工場ができて、そこから流れる排水や化学物質がたまってヘドロになったんです。当時はそりゃあもうすごい臭いだったんですって」

 

「臭い?」

 

 和彦は思わず声を漏らしてしまった。

 

 ヘドロとはなんのことか、和彦は知らない。だが、あの蛇の特徴がものすごい臭いであることと、実際に嗅いだ臭いの強烈さは、はっきりと記憶に残っている。

 

「公害の補償については今もごたごた揉めてはいるけれど、汚染された沼については、もうどうしようもないってことで、ヘドロごと埋めたててしまったんですよ。祠はその後で埋立地の上に移設したと聞きました。

 私たちが見に行ったときは、もう誰もお参りする人もなくなって、雑草に埋もれそうになってましたけど。あれって、今もあるのかしら」

 

 もうないですよ、とは答えなかった。

 そんなことよりも和彦の目を捉えていたのは、古地図にあるおどろが沼とその他のものとの位置関係だった。

 

 フォウのいう、蛇が目指していた方角に。

 川がある。

 

「ああ、こっちの川は今もありますよ」

 

 和彦の凝視している部分に気付いた司書が言った。

 

「護岸工事もしてある大きな川です。水量はたいしたことないんですけど、地下に伏流水が通ってて、この地域の水源として重宝されてるんです。水質もきれいですよ。きっと、おどろが沼に流れ込んでた川というのも、昔はあの川とおんなじくらいきれいだったんでしょうね」

 

 司書のせっかくの説明も、半分は和彦の耳を素通りしてしまった。

 

 そういうことか。

 蛇は、川を目指しているのだ。

 

 元は沼に住んでいた水蛇である。失った沼の代わりに、自分の住める新たな水場を探しているのだろう。

 かつて川のあった方向を覚えているのか、水の気配を感じ取っているのか。しかし、道が入り組んでいて、たどりつけないでいるのだ。

 

 目的地がわかれば、待ち伏せもできる。

 

 あとは退治する方法を考えるだけだが、こちらはヘドロという有力な手がかりを得た。これとフォウの分析結果を合わせれば、なんとかなりそうだ。

 

「ありがとう。あなたのおかげで助かりました」

 

 微笑んで、和彦は図書館を辞した。

 夢見がちな若い司書に、超絶イケメンの役に立てて感謝の言葉までもらえたという、美しい思い出を残して。


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 フォウも中二日で研究所からとんぼ返りしてきた。

 うまいこと飛行機のキャンセルが出たところに滑り込めたということで、行きも帰りも飛行機を使えたのが大きかった。これが鈍行に乗って移動していたら、間違いなく年を越えていたところだ。

 

 ホテルはまだ二人の名前で泊まっているし、カードキーも持って出ていたので、和彦が部屋に戻ってきたときには、フォウはベッドに入ってぐうぐう寝ていた。

 揺り起こして苦言を呈すると、だって二日も徹夜して飼料分析をしてたんだぜと文句が返ってきた。

 

「氷浦教授も専門は物理学だからさ、化学分析を手伝わせちゃって、申し訳なかったよ。試薬も思うようなのがなくて、二人でああだこうだと手作りしてさ」

 

 手作りの試薬というのは、聞くだに恐ろしい。

 

 それでも二人はきちんと分析作業を成し遂げていた。最終的な結論も、和彦の推測とほぼ一致していた。

 

 ヘドロ、である。

 

 それがどんなものかは、和彦も自分なりに調べてみた。語源は反吐と泥のかばん語だという説を見つけて、さもありなんと納得してしまった。

 基本的には、川の底にたまる汚い物質のことを指すものらしい。

 その中には有害物質を含んでいるものも多いようだ。

 

 それがどんな物質であれ、共通事項としては悪臭があり、公害の一種とみなされている。毒のある場所に住んでいる者は、慢性的な嘔吐や下痢を患うこともある。

 

 あの粘液の特徴と同じだ。

 

「悪臭の主な原因は、このヘドロに含まれている硫化水素だというのが、俺と氷浦教授の結論だ」

 

 大あくびをした後で、フォウはおもむろにそう言った。

 

「他にもいろいろ化学物質、たとえばダイオキシンみたいなのも混じってはいるけれど、基本的には硫化水素が悪さをしてるんじゃないかと思う。吸い込むと息ができなくなって気絶するのも、下痢も嘔吐も、硫化水素中毒の特徴だからな」

 

「やはりそうか」

 

 和彦は深々と頷いた。

 

 事の順序からいえば、白蛇が行者に封印されたところから始まるわけだが、その時点では、沼にはまだなんの問題もなかった。

 しかし、時代が変わって川の上流に工場ができ、その排水が沼に蓄積されるにしたがって、そこへ封印されていた蛇もヘドロにまみれた。

 いくら逃げ出したくても、封印されているのでどうにもならない。

 そうやって長年、積み重なる毒の下敷きになっているうちに、蛇自体の性質も汚染され、変化していった。

 こんな毒を自分に振りかけてくる人間に対する恨みも蓄積されていった。

 

「そんなときに、何も知らない現代人が祠を壊して、封印を破ってしまった……というわけか」

 

 和彦が図書館で調べてきたことと、そのことからの自分の推測を話すと、フォウも少し気の毒そうな顔になった。

 

 蛇はただひたすら、元のように住みやすい水場を求めているだけなのだろう。

 だが、街は蛇の知っていた形ではなくなり、入り組んだ市街地で迷いながら、憎い憎い人間に出会うたびにそその生気を吸って、生き延びようとしているのだ。

 

「かわいそう、ではあるけどな」

 

 退治しなくてはならない。

 

 それが蛇のためでもある。

 和彦も、そう信じなければやっていけない気分だった。


 夕刻、二人で問題の市街地に出掛けた。

 

 工場予定地のだだっ広い空間を見渡しても、かつてここが沼だったとは信じられなかった。

 

「いったい、ここに流れ込んでいた川ってのは、どこへ行っちまったんだよ? いくら工場の汚染水が流れてたからといって、川まで埋め立てちまうわけにはいけないだろ?」

 

「今は地面の下だよ」

 

 和彦は足でコンクリートの側溝の蓋を指し示した。

 

「汚染対策もされて水質は改善されているそうなんだけど、それとは別に、市街地の開発計画で邪魔になるということで、川の上からコンクリートで蓋がされて地下に押し込められ、暗渠になってしまったんだ」

 

 そういえば、白蛇が出現したときに和彦が飛び越えた用水路にも、覆いがされて車道の一部になっていた。

 

「ああ、ここはあのとき和彦さんが水を取り出したところだろ? へえ、完全に埋められてて、水の流れる音も聞こえなくなっちまってるのか。確かに日本の都会では、こういうふうに地下で流れてる川って、あちこちにあるんだよな。これも川にとってはかわいそうって気がするな」

 

 春の小川と歌われる牧歌的な光景は失われ、川は人間の眼に触れない場所へ追いやられてしまった。

 水資源としては有効なので命だけは助けてやるが、眼には触れないようにする。人間の傲慢というしかない。

 蛇もまた、その犠牲者の一端に連なっている。

 

「公害で苦しむのは、人間だけじゃねえのにな」

 

 フォウがぽつんと呟いた。


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