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開けて翌日は和彦の予言どおり、きらきらお日様のいい天気になった。
「ちぇっ。大吹雪になったら中止になるかもと、ちょっと期待してたのになあ」
フォウの憎まれ口も表面だけ。冬には滅多にない陽光を全身に浴びて、ご機嫌な猫のように伸びをしている。
「わあ、ほんとにいい眺めだ!」
丘から周囲を見下ろして歓声をあげた。
「そうだろう? このあたりでは、日の出がいちばん綺麗に見える場所がここなんだよ。ずっと昔、ここがもっと大きな村だった時代から、村人は正月になるとここに来て、御来光を拝んでいたらしい」
「なるほどねえ。ちくしょう、この景色を見たら、俺もご来光とやらを拝みたくなってきちまったよ。氷浦教授の思うつぼにはまるのは悔しいけど、しょうがねえや」
こういうとき意地を張り続けないのはフォウのいいところだ。状況が変われば柔軟に自分の考えを改められる。
とはいっても、それをあらかじめ読んで、あの手この手でここまで引っ張り出してきた氷浦教授もたいしたものだ。
「ご来光を拝んだら、その後はみんなで村に戻って、あらかじめ総出で作っておいたお雑煮とおせち料理がふるまわれるんだよ。珊瑚ちゃんの煮た黒豆は美味しいって、お年寄りにも毎年好評みたいだ」
「みたいだって、和彦さんの感想はどうなのさ」
「僕は、何を食べても美味しいと思うんだけど。田村のおばあさんの作る栗きんとんも美味しいし、木下さん家の秘伝だっていいう煮しめも美味しい」
「あー。確かに和彦さんって、そういうとこあるよな」
フォウが肩をすくめた。
「珊瑚ちゃんの黒豆のことも、毎年ちゃんと褒めてやってるんだろうな? おばあさんたちと同じに扱われちゃあ、珊瑚ちゃんがかわいそうだぜ」
「なぜだい?」
和彦は本気で聞き返したのに、フォウは頭を抱えてそこにうずくまってしまった。
耳をすますと、この朴念仁とか鈍感とかなんとか、不穏な罵倒の言葉が漏れ聞こえた。それがなんに対してのことかはよくわからないが、たぶん自分のことを罵っているのだろうと和彦は推測した。
だから、務めて明るい話題を持ちだしてフォウの機嫌をとろうと試みた。
「お雑煮って知ってるかい。スープの中に餅を入れて食べるという単純なものなんだが、これが意外に美味しいんだよ。僕らがこの間ついた餅を使うんだって。この辺りの習慣は味噌汁仕立てなんだけど、その味噌も村のおばあさんたちの手作りだからね。それだけでも味は保証つきだ」
和彦の努力に応えねばと思ったらしく、フォウは形成を立て直して明るい声を出した。
「うわあ。それを聞いたら、ますます日本の正月に参加しなきゃいけない気分になってきたぜ」
ほっとして和彦も言った。
「よかった、フォウくんがその気になってくれて。でも、そのためにも、みんなの初詣代わりのこの祠を、せいぜい綺麗にしておかなくてはいけないね」
丘の先端を見守るように、ちんまりとした木製の祠が建っていた。
何が祭っているあるのか知る者さえいない、いつの頃からかここにあるものだという。去年のこの時期に和彦が修理したとはいうが、一年の雨風を受けて屋根は傾き、土台の石造りには敗れた紙垂の名残がへばりついている。
正面には両開きの扉があったが、開けてはいけないものなのだと和彦は言った。
「僕も最初に見たとき開けようとして、村の人たちにしかられたんだ。中には神様が住んでるんで、勝手に開けたらいけないんだって」
「ふうん」
好奇心がフォウを突き動かした。
「なんていう神様?」
「ええっと……この村最古参の大野さんちのおじいさんが、弁財天、とか言ってたような。それはどんな神様なのか、僕にはよくわからないけれど」
「へえ。そいつは女の神様だよ。元は中国の八仙の一人で、日本にくるとこれが七福神となった。琵琶を抱えてるところから、芸能神ということにされてる」
「よく知ってるなあ」
「霊幻道士だもん、俺」
神様との付き合いは、霊幻道士にとってはお手の物。日本の神様のことも、一般常識程度には学んでいる。
そうして、国がどこであれ、芸能神が村に祭られているのは珍しいことだ。
かつてはこの村に、旅回りの劇団とかがいたのだろうか。
和彦が修理の道具をバッグから取り出している間に、フォウは、左目の上に指で呪文の形を作った。
指と指の間から、そつと祠をのぞいてみる。
「ありゃ」
目をぱちくりさせた。
そこにいたのは、白い狐だった。
しかも祠の中ではなく、その後ろを急ぎ足で通り過ぎようとしている狐だった。
フォウの視線に気付いてこちらを振り向いたが、のぞき見をとがめる時間も惜しいらしい。じろりと睨みつけただけで、また走っていこうとする。
二本足で器用に立って、両方の前脚では、何やらふろしきに包んだものを捧げ持っていた。
「おうい、待てよ」
フォウは慌てて呼び止めた。
「あんた、ここの神様なんだろう? 年末も押し迫ってるってのに、どこへ行く気だい? 俺たち、あんたの家を修理するために来たんだ。今年も村中総出で拝みに来るそうだから、どこに出掛けるにしても、正月にはちゃんとここにいてくれよ」
「フォウくん? 誰と話してるんだい」
和彦が不審げに問いかけてきた。フォウの絡めた指に気づき、さらに眉を寄せる。
「神様? が、そこにいるのかい?」
「姿は狐だけどね」
狐が神様の使いなのも、日本独自の文化である。
狐神のことをお稲荷さんといったりする。元は大陸から日本へ移住した一族が拝んでいた神だというが、中国ではその系統は廃れ、狐といえば妖怪の一種という認識でしかない。ゆえにフォウも、神様に対するよりはくだけた調子になってしまう。
「なあ、狐の神様ってば。何をそんなに急いでるんだい? 上級の神様から呼び出しを食らったとか?」
そのとおりだ、と狐が答えた。
狐の姿は和彦に見えていない。声も聞こえない。
脇で和彦がもの問いたげにしていることはフォウにもわかっていたが、なにしろ狐は先を急いでいて、呼び止められたことにいらいらしている。目をそらしたら、すぐに駆けだしていってしまいそうだ。
和彦に構わず、話を続けた。
「ここの村の人はあんたと正月を迎えるのを楽しみにしてるんだけどな。いくら上司の呼び出しだといっても、人間に拝まれるのは神様の誉だろ。だから、正月には戻らせてもらえるよな?」
知らぬ、と狐は当初、邪険に答えるつもりだったらしい。
しかしフォウをまじまじと見つめて、気を変えたようだ。
お前はこの国の者ではないな、中華の国から来た道士だな。
と問い返してきた。
あまり友好的な雰囲気ではなかった。
というのも、中国本土だろうが香港だろうが、中華圏では道士と狐の仲は悪いものと決まっているからだ。
狐は人を化かす悪い妖怪で、それを退治するのはたいてい道士の役目である。
お前の同類のせいで眷属がひどい目にあった、などとなじられるのかもしれない。
罵倒を予測して、フォウは首をすくめた。
しかし狐は、意外なことを言いだした。
私が見えるということは、お前はまがいものでない、本物の道士らしい。
ならば、話してやろう。
祠が壊された。そこに封じてあったものが解き放たれた。
かつてやつを封じた呪術師は私の主に願をかけ、主もその意気に感じて呪術師に力を貸してやったのだ。
ゆえに主はご機嫌斜めである。
我らは主をお慰めするため、膝元にはせ参じておる途中だ。我が主は芸能の守護神。そうして私は舞いが得意ゆえ、それを披露する。ここに持っているのは、そのための衣装だ。
「へええ」
どこの世界でも下っ端は大変なようだ。
狐は、続けて言った。
しかし、私がこの衣装を持てるのも、お前たち村の者が私を思い出し、毎年きちんと祭ってくれるがゆえ。
お前のいうことももっともだ。
私とて、正月には戻ってきてお前たちの新年を祝福してやりたい。
「そのためには、どうすればいいんだい?」
知れたことよ。妖怪を倒すのだ。
「うえええ」
急に顔をしかめて呻いたフォウを、和彦が怪訝そうに見守っていた。神様との会話中に声をかけてはいけないと、我慢してくれているようだ。
しかし、事は急に和彦にも関わってきた。妖怪退治となれば、和彦の力も借りねばならないし、一人でやるといっても無理についてきてしまうだろう。
フォウも今度はちゃんと和彦に事情を説明しようと、口を開きかけた。
だが、フォウが何か言う前に、壊れた祠についての情報がイメージ映像となって一気にフォウの頭の中へ流れこんできた。
狐の仕業だ。
だしぬけに大量の情報を与えられ、フォウは衝撃で倒れそうになった。
急に足をふらつかせたフォウに仰天した和彦が、きわどいところで身体を支えてくれた。
狐は平然としていた。
それで場所と状況はわかったろう。
放っておけば人間にも災いが生じるぞ。もっとも、この村からはずいぶん離れておるから、お前たちに直接の被害はないがな。
だが、年内にお前がやつをなんとかしてくれたら、私もこの祠に戻れるのは確かだ。
お礼にこの一年、村人のことは全力で守ってやると約束する。
「ずるいなあ、神様」
フォウがぼやくと、狐はうっすらと笑ったようだった。
狐は元々、ずるいものではなかったか?
ふさふさした尻尾をぶるんと振って、再び狐は駆けだしていった。
ポーズではなく本当に急いでいることが、その後ろ姿からは見て取れた。
ふろしきを抱えたまま、ぴょんと飛び跳ねたかと思うと、宙へ消えた。
「あーあ」
フォウは脱力し、祠の脇に座り込んだ。
なんか、えらいことになってしまった。
これも、こたつを欲しがったせいだと思うと、巻き込んだ和彦にも申し訳ないような。
正確には、今から巻き込むわけなのだが。
和彦はもちろん、まだ何が起こったか理解していない。不思議そうにフォウを見下ろした。
「どうしたんだい。神様との話は終わったのかい?」
「終わったというか、始まるというか」
「始まる?」
「ともかく、祠の修理をちゃっちゃと済ましちまおうぜ。これからちっとばかり、忙しくなりそうだからな」