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 現場監督が売土地の看板を外した。

 

 ずいぶん長い間、放置されていた空地だった。ようやく買い手がつき、今日から土地を整備する手筈だった。高層マンションが建設されることになっていた。 

 広々とした土地ではあるが、ところ狭しと雑草が生え、それが人の背丈ほどにも伸びている。

 分け入っていくことさえ困難なほどだった。

 しかしこれを人力で除草作業をするには人件費がかかりすぎる、ということで、シヨベルカーで土をひっぺがすという荒っぽい整地が行われた。

 

 急にがくんと車体が揺れた。

 

「うん? なんだ?」

 

 草むらに硬い大きなものが隠れているときにはよく起こる現象だった。

 ショベルがひっかかって動かなくなるのだ。

 

 運転手が助手に顎をしゃくって見に行かせた。

 若い助手は見るからに嫌そうな顔をしたが、拒否したところでどうなるわけでもない。しかたなく、草をかきわけて中へもぐりこんだ。

 

 しばしの奮闘の末、助手はシャベルが止まっているところまできて中を覗き込んだ。

 ありゃっと大きな声を出した。

 

「こりゃいかんですよ、親方。壊しちゃってますよ」

 

「何を?」

 

「これは……えーと。たぶん、祠ですね」

 

 建築業者は、工事前に神官を呼んで祈祷するくらいには信心深い。御多分に漏れずこの親方も、どきっとして慌てて車から下りた。

 

「あーあーあー……」

 

 草むらの下にあった小さな祠は、すでにバラバラになっていて元の面影もなかった。

 そもそもがすでに木材も朽ちて、誰にも顧みられることのない状態が長く続いていたようだ。

 

 それでも、祠は祠。

 

 御神体は、脇に転がっている丸い石らしかった。

 仰々しく飾ってあればそれらしく見えるのかもしれないが、こうしているとまさに、ただの石というしかなかった。

 

「ど、どうしましょうか親方……」

 

「うー」

 

 バラバラになった祠と丸い石の前で頭を抱えていた親方は、急にまなじりを決して立ち上がった。

 

「このまま闇に葬る!」

 

 力強く宣言した。

 

「ええっ? それでいいんですか?」

 

 助手はたじろいだ。

 

「いいも何も、こんなところに祠があるなんて、依頼主からも不動産屋からも聞いとらんかったのだ。誰も知らないものは、ないも同然。このまま土の中へ漉き込んでしまおう!」

 

「えー……」

 

 バチあたりな話ではあっても、下請けにできることなど他にない。ここで大騒ぎしたところで、とばっちりは結局、自分の会社がかぶることになる。

 

 ゆえに、細かい木切れとなった祠は、うやむやのうちに地面と一体化されてしまったのである。

 

 もちろん、それで済むはずもなく。

 

 そうしてこの話は始まるのだ。


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 もういくつ寝るとお正月。

 

 という歌を教えてくれたのは珊瑚だったと思う。正月を待ち望む子供たちの気持ちがこめられているのだそうだ。

 

「でも、俺は子供じゃないから」

 

 さっきからフォウは、必死で抵抗を試みている。

 

「こんなに寒いのに、なんで夜明け前の真っ暗で一番気温の下がる時間帯に、山になんか上らなきゃならんのですか。え、ご来光? 正月だろうがいつだろうが、太陽は毎朝おんなじように上りますよ」

 

「まあ、そう言わずに」

 

 苦笑しつつ説得を試みているのは氷浦教授である。

 

「一月一日の朝にみんなで山の上から日の出を見るのが、ここの村の伝統なんだよ」

 

「伝統っていっても、この村は元々が限界集落で、住民の半分は数年前に地域活性化事業とかでやってきた、都会からのUターン組じゃないですか。わずか数年の伝統って、そんなの伝統とは言わんでしょう?」

 

 一方のフォウは、てこでも動かぬという構えだった。

 

 フォウは南国、香港の生まれである。そして香港では、旧正月が本当の正月として祝われる。新暦の正月は若者同士でカウントダウンするくらいのイベントでしかないし、祝日なのも一月一日の当日だけだ。

 もういくつ寝ると、などと国をあげて正月休暇を楽しみにしている日本人の感覚とは、そもそものスタートが違っている。

 

 そのうえ日本人には初日の出を拝むという恐ろしい習慣があると聞いて、フォウは恐怖に震えた。

 ただでさえフォウは寒さが苦手なのだ。しかも、暗闇も大嫌いときた。

 誰が何を好んで夜明け前の真っ暗な中、凍えながら日の出を見に行かねばならぬのか。

 

「俺のことはどうかどうか、置いてってください。ちゃんと研究所をあったかくして、留守番してますから。日の出は春になってから、いくらでも拝みに行きますよ」

 

 フォウはついに、両手を合わせて拝み始めた。

 暖炉へ薪を継ぎ足していた和彦も笑い出した。

 

 暖炉を囲んでの楽しい冬の夕べ、といった時間帯である。

 仕事をすませて夕食を終えて、そのまま寝室に引き取るのがもったいないような、穏やかないい夜だった。

 最近は吹雪もなく、天候も落ち着いている。

 そのせいか、今夜は誰ともなく言い出して、もう少し夜を楽しもうということになった。そこで、三人が思い思いに好みの飲み物やつまみを持って、宿泊棟の談話室に集まった。

 

 そして、よもやま話の末に出てきたのが、年末年始の約束事に関する話だったというわけだ。

 

 和彦が援護射撃を試みた。

 

「山の上は、フォウくんが思ってるほど寒くはないよ。村のお年寄りたちだって毎年平気で参加してるんだし」

 

「あの人たちは雪にも寒さにも慣れちゃってるだろ」

 

「村の人だって、元からこの豪雪地帯の寒村に住んでいた人ばかりじゃないというのは、たった今フォウくんも指摘してたことじゃないか。ということはフォウくんだって、そろそろ慣れていいってことでは?」

 

「慣れてたまるかよ!」

 

 フォウは一人ですねている。

 

「そう言いなさんな」

 

 氷浦教授が懐柔策に出た。

 

「せっかくの正月の、初日の出じゃないか。留守番だなんてさびしいことを言わないでほしいな。君と一緒でなければ、私たちだって、新しい年の始めという気になれないよ」

 

 情に厚いフォウの弱点を突く、巧妙な戦法である。

 亀の甲より年の劫、この一撃にフォウはウッときた。

 それまでかたくなに意地を張っていたのが、逡巡の表情になる。

 

「うう……そんなふうに言われたら俺だって……」

 

「おっ。その気になってくれたかね?」

 

「でも、夜明け前の真っ暗な中で山を登るっていうのが、どうしてもなあ……。百歩ゆずって昼間に行くんだったら、まだいいんだけどさ」

 

「何を言ってるんだフォウくん。昼間に行っても、そんなのは初日の出でもなんでもなくなってしまうじゃないか。一月一日の朝、年の初めにのぼってくる太陽だからこそ値打ちがあるんだよ」

 

「そりゃそうですけど、でも……」

 

「よし、わかった。じゃあとにかくまず、昼間にそこまでのぼつて行ってみてはどうかね。それほど大変な行程じゃないということもわかるから」

 

「は? それって、どういうことっすか。それこそ、なんでもない普通の日の昼間にわざわざそんなとこまでのぼっていっても、なんの意味もないんでは?」

 

「意味はあるんだ」

 

 氷浦教授は重々しく言った。

 

「村人たちがみんなでご来光を拝む丘には、祠があってね。正月以外はほとんど人の訪れない場所だから、年末には前もって、修理したり補修したりする必要があるんだ。ほら、せっかくの正月だというのに、丘に上がってみて祠が壊れてたら、お年寄りたちが不安になるからね」

 

「うえええ」

 

 フォウはますます顔をしかめた。

 

「なんかそれ、うまいこと言ってるけど要するに、余分な仕事を押し付けられてる……?」

 

「余分な仕事とはひどいなあ、フォウくん」

 

 和彦が言葉を挟んだ。

 

「その仕事は今まで僕が一人でやっていたんだ。今年はフォウくんが一緒にやってくれるものだと思って、頼りにしてたんだけどなあ」

 

「うっ」

 

 フォウは詰まった。

 義を見てせざるは勇無きなり、がフォウの信条でもある。彼が頼りにされて知らん顔はできないことを知っていての、親子の波状攻撃である。

 

 行ったら行ったで、どうだそれほど大変な遠出でもないだろうと言われて、気が付いたら正月に並んでご来光を拝む羽目になるのは目に見えている。

 なんでそこまでして新暦正月を祝いたいのか、フォウには理解できない。いや、したくない。

 それでも、ここまで言われては断れるはずもなく。

 

「……交換条件次第では」

 

「交換条件?」

 

「こたつ、買おうぜ」


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