35.可能性
民族が占拠する区域の、とある木陰で、トーリは胡坐をかき、短い草の生える広場を見つめる。
広場では、明るい様子のシュカとリクロの近くには、短い草の生えた地面に座り、はしゃぐリンリの姿があった。
トーリは、前かがみになり、胡坐を組む太股に肘をついて、その手を、被ったフードから覗く顎に当てることで、支える。トーリの顔は、はしゃぐリンリを、ずっと見つめている。
そんなトーリの後ろから、背の高い痩せた男、ロクが、穏やかな歩みで、近づいてくる。
「助かる見込みはない、という話ではなかったのか?」
ロクは、責めるように、しかし、どこか明るい声色で、座りこむトーリを見下ろしながら、そう言葉を投げかける。
その言葉に、後ろのロクの方向に、意識を向けたような動きで、肩を傾け、横顔を向けることで、一瞬、反応を示すと、すぐに顔をリンリに向け直す。
「そうなんだよねぇ。それも快楽に耐性のない、未成年の子が。助かるなんてことは、絶対にありえなかったはず、なんだけどなぁ」
そしてトーリは顎を支えている方の手の、指で、今度は自らの口元を、どこか曖昧で、粘度のある、ゆっくりとした動きでかく。
ロクは、足元の、その背中を、少し見つめると、そんなトーリの隣に屈みこむ。
「それでも、あの子が助かったということは、他の仲間も助かるかもしれないということだ」
そう落ち着いた声で、呟くように告げると、ロクは、その落ち窪み、眼窩の彫りが深くなった目を、一瞬、向ける。
「お前からされた提案は、正直、複雑だ。それでも、なんども私たちが生き残れる可能性を、希望を示してくれた。私が複雑に思っている提案だって、元をただせば、その一つだ。だから、お前には感謝しかない。ありがと」
トーリから目を逸らすと、ロクは、そのまま正面を見つめながら、そう言う。
そんな言葉に、トーリは、少し勢いをつけて、顎を手のひらに置くと、その小ぶりの下唇を突きだす。
「シュカとリクロもそうだけどさ。私なんかを信じるとか、見る目がないというか、危機感がないというか。そんなんじゃ、その内、破滅でもするんじゃない?」
「かも、しれないな。だが、それくらいで受けた恩を忘れるくらいなら、破滅した方がましだ。これは私の考えだが、他の皆だって、気持ちは一緒のはずだ」
トーリの、呆れたような言葉に、ロクは、はっきりとした答えを返す。
その返答に、トーリは「ふぅん」と力なく呟く。
「なんとも。そんなんで、よくもまぁ、生き残ってこれたもんだ」
嫌味ったらしい口調で、トーリは面倒そうに言う。
ロクは、頭をかきながら、はしゃぐリンリについて行く、シュカとリクロを見つめる。
「そう言うな。リンリが居なくなって、暗くなっていたシュカとリクロが、今、あんなに明るくなったのは、お前が寄り添ってくれた、おかげだ」
そんなロクの言葉に、トーリは、わざとらしくそっぽを向く。
「はぁ、そんな減らず口が、いつまで続くか見ものだね」
その言葉に、ロクは太いが、毛量の薄い眉が、困ったように下がった顔を、トーリに向け「なぜ、そう偽悪的なのか」と呟く。そしてまた、正面に向き直り、少し俯くと、口を開く。
「前、お前が言っていた提案については、もう少し待ってくれ。情けない話し、まだ決心がつかないんだ」
そう疲れた声で、ロクは言う。
トーリは、そんな隣のロクを、前かがみの状態で、見あげるように、少し顔を向ける。
「まぁ、そこは、ゆっくり考えるといいよ。揺らぎの大きさと長さは、その後の決断の正しさに比例する。悩んだ後に出した、君の答えは、皆が信頼したいと思えるものになるさ」
淡々とした口調で言う。
ロクは、それに「あぁ」と、どこか安堵したような声で返す。
「とーりぃ!」
トーリがロクと話しこむ、その最中に、トーリを呼ぶ、大人っぽさのある声色に比べ、やけに幼い口調の声が、広場に響く。
トーリとロクが、その声の元に、同時に振り向く。
二人が見つめる先には、肉のつき方や、骨の形状が、歪になった脚で、走りづらそうにしながらも、必死に駆けてくる、リンリの姿があった。
そんなリンリを、シュカとリクロが、少し心配そうに見つめている。
やがてリンリは、明るく笑い声をあげながら、倒れこむようにして、トーリに抱きつく。
トーリは、自分の体よりも大きな、リンリの体を「おぉう」とうめきながら受け止める。
しかしリンリののしかかりを受け止めきれず、トーリは、バランスを崩し倒れこんでしまう。その勢いで、トーリの被っていたフードがはがれる。
押し倒されながらも、トーリは困ったように笑い、リンリの頭をなでる。リンリは、頭をなでてくる、トーリの手に、自らの手触りの良い髪をこすりつける。
「リンリ、どうだい? 二人と久しぶりに遊んで。楽し?」
そう言いながら、トーリは、リンリの頭から、手を離すと、今度はリンリの、肉のつき始めた、その両頬を、両手で包みこむ。そしてリンリの頬を、こねくり回すようにしてなでる。
リンリは、特徴的な、斜めに生えた八重歯の目立つ、明るい笑みを浮かべ「ぱぱとまま? えへへ」と幼い口調で、甘えるように、トーリの胸元に顔をうずめる。
「はは、ご機嫌だねぇ。まったく、私よりも図体でかいくせに」
困ったように切れ味のある、薄く、細い眉を下げ、苦笑し、そう言う。そしてシュカとリクロの方を見て、軽く、手を振る。
そんなトーリとリンリを、どこか、おかしそうにロクが見おろしている。
リンリの相手をしている、トーリは、そのロクの視線に気がつく。
すると、すぐさま剥がれたフードに手をかけ、湿り気を持ち、細まった目で、ロクを見て「なに? 文句でもあんの?」と怠るそうな、粘度のある声で言う。
そんなトーリに、ロクは苦笑しながら「いや、そうじゃないが」と返し、目を逸らす。
「よくフードを気にしてるが。お前は、胡散臭いが、けっこう愛嬌のある顔をしてるぞ? そんな神経質に隠すこともないのではないか?」
その言葉に、トーリは「うっせぇ、こっちの勝手だろ」と冷たく切り捨てる。
ロクは「そうか」と微笑みを浮かべ、立ちあがると「では、私は、これくらいで失礼する」と言い、リンリの頭を一なですると、その場を去っていく。
そんなロクの後ろ姿を、リンリは、やけに丸いが、しかし大人びた印象もある、その目を見開き、凝視する。
その様子を、リンリの腕の中で、トーリも、静かに見つめる。




