第8話:天衣無縫の公爵令嬢
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「……え?」
私には、言葉の意味がすぐには解らなかった。ステファンから婚約を?
「えっと、それはどういうことですか? おじさま」
「詳しい話は明日、王城ですることになっている。私は陛下と話をしてくるから、メルフィナは学校で殿下から直接、話を聞いておいで」
「……わかりました」
「落ち込むんじゃないよ? お前のせいではない、と先方も言っている。――話は以上だ。部屋に戻って構わないよ」
「はい、失礼します」
私は、頭が真っ白なまま、とぼとぼと階段を上っていった。
「どうした? メルフィナ。何があった」
「……ステファンが、私との婚約を白紙撤回する、って」
「……そうか。なに、お前が気にすることではない。あの男にも考えがあるはずだ。明日、学校で話を聞けばいい」
「……その時、ケーニヒはそばに居てくれる?」
「お前が望むなら、そうしよう」
「……ステファンが嫌がっても?」
「俺には関係がないな。――いいか、俺は『お前だけの味方』だ。あの男がどれほど自分を惨めに思おうが、お前が必要とするならば、お前の傍に居よう」
「……うん」
「そう落ち込むな。だいたい予想はついている」
「……この指輪が、関係してるのかな?」
「そうだな。それはきっかけの一つにはなっただろう」
「きっかけ?」
「その指輪を手に入れることで、あの男が自分自身を見つめなおした、そういうことだ。そして出した結論が、婚約の白紙撤回なのだろう――これ以上はあの男から直接聞くといい」
「そう……だね」
「今日はもう疲れただろう。少し休め。もし必要だと思うのならば、その黒い指輪に願え。俺はいつでも応じよう」
「……うん」
そうして、私の頭を優しく撫でた後、ケーニヒは部屋を出ていった。
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――時間は遡る。
俺はメルフィナに魔道具の片割れを渡した後、ケーニヒに連れられて部屋から退出した。
そのまま二人で階段を下りていく。
「レクチャーって、あれ以上なにが必要なんだ」
俺はケーニヒに聞いた。
「なに、お前が怖気づいているようだからな。それ以上態度に出されると、メルフィナに勘づかれる」
――怖気づいて当たり前だ。何故この男は平然とあんな指輪をメルフィナに渡していられるんだ?!
「お前とは覚悟が違う。それだけだ」
俺の表情を見て思考を読んだように、ケーニヒが言った。
「お前の馬車に乗せろ。中で話してやる」
ケーニヒは自分の馬車を帰して、俺の馬車に乗り込んできた。
そしてケーニヒは遮音結界を張り、外に音が漏れないようにしていった。
「――さて、この指輪については、十分わかっているな?」
俺は頷いた。そして指輪を見る。
――その金の指輪は、まだ俺の手の中にあった。
「なんだ、まだ嵌めていなかったのか。覚悟ができたから、メルフィナに渡したんじゃなかったのか? ――今すぐ使われることはない。そんなに怯えるな」
「そうなんだが、どうしても手が震えて……嵌められないんだ」
「やれやれ。――言っただろう? メルフィナのために生きてみろ、と。今すぐメルフィナの人生を背負え、と言っている訳じゃない。その指輪を外せば、いつでも解放される。そんな緩い条件ですら、お前は覚悟ができないのか」
「…………」
何も言えなかった。
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――更に時間は遡る。
俺はケーニヒから魔道具を受け取るため、隣室の空き部屋にケーニヒと向かった。
空き部屋に入るとケーニヒは、部屋の外に音が漏れないよう魔法で結界を張った後、説明を始めた。
「いいか、これは帝国の軍事機密だ。この指輪のことは他人には決して漏らすな」
「わかった」
俺は頷いた。
「それともう一つ。この指輪の詳細な情報を、決してメルフィナに悟らせるな」
「指輪に話しかけるだけじゃないのか?」
「それはメルフィナに渡す指輪の機能だ。こちらが嵌める指輪は別の使い方をする。それを悟らせるな」
「何故だ? 何か困ることでもあるのか?」
「――頷けないなら、指輪は渡さん」
「……わかった」
俺は頷いて見せた。
「いいだろう。――口で説明するより、体験するのが一番だ。まずは思い知ってもらおう」
(不思議な言い方をするんだな)
そうしてケーニヒはメルフィナに渡す指輪を小指に嵌めた。
指輪は伸縮自在のようで、ケーニヒの指にぴったりとおさまっていた。
「さぁ、貴様も自分の小指に指輪を嵌めろ」
俺は自分の左手の小指に金の指輪を嵌めた。
「では会話を開始するぞ? 歯を食いしばっておけ」
(どういう意味だ?)
ケーニヒが指輪に話しかけ始める。
「聞こえるか?」
その瞬間――全身に耐えがたい激痛が奔った。
俺はみっともなく悲鳴を上げ、床を転げまわっていた。
「――聞こえるか、と言っている。返事はどうした」
左手の指輪からも、ケーニヒの声が聞こえてきている。だが、会話どころではなかった。
――ふっと痛みが消えた。
「貴様、随分と痛みに弱いんだな」
まだ痛みが残っている気がする――俺は何とか立ち上がった。
「……なんだったんだ今のは」
「この魔道具の機能だ。会話を始めると、子機の着用者を激痛が襲う。寝ていても、確実に叩き起こせるような痛みだ」
あれほどの痛みだ、寝ているどころではない。それどころか喋ることすらできなかった。
「なに、痛みに慣れれば、会話くらいはできるようになる。――元々は、魔族の伝令に使われる呪具を改良したものだ。邪神の力を借りて、着用者の痛みを魔力に変換して動く。魔石もいらん」
「呪具、だと?! そんなものをメルフィナに渡したのか!」
「メルフィナが持っているのは親機だ。会話の主導権を握る機能しかない。子機だけが魔力を供給する。要は手下に無理矢理つけるのが子機だ」
「……親機側は安全なんだな?」
「ああそうだ。そして子機側は、いつでも通話要請に応じられるよう、着用する必要がある」
「……着用してる間中、あの激痛の恐怖に怯え続ける。そういうことになるのか?」
ケーニヒは頷いた。
「その『いつか来る激痛の恐怖』に、人間は長時間耐えられない。帝国でも最大一時間を限度と定めている。時間が来れば、着用者を交代する。時間が決まっていれば、案外耐えられるものだ」
だとしても狂ってる。そう思った。
「恐怖に耐えられなければ、指輪を外せばいい。改良してあるから、抜けなくなる、なんてことはない。痛みに耐えられない時でも、指輪を引き抜けばそこで痛みは終わる」
「救済措置はある、ということか?」
「前世の時代より、だいぶ人道的だ」
「……お前も、子機を身に着けているのか」
ケーニヒはにやりと笑いながら両腕を広げて見せた。
「ああ、もちろんだとも。メルフィナが必要とする時、いつでも応じられるよう常に身に着けている」
そう言うケーニヒの両手には、黒い指輪がなかった。
「……どこにつけているんだ」
「あの黒い指輪は特別製でな。色々機能を追加していったら、指に嵌める程度では済まなくなった。なので体内に埋め込んである」
「お前?! それじゃあ外せないじゃないか?!」
「外す気もないからな。何も問題がない」
「……外す気がない、というのは?」
「無論、死ぬまで子機を着用する、という意味だが?」
「……痛くはないのか」
「慣れれば、どうということはない」
「……いつかくる痛みが、恐ろしくはないのか」
「覚悟があれば、問題はない」
「……後悔、したことはないのか」
「そんなもの、前世でメルフィナをむざむざ殺されたと知った時に、死ぬまで味わった。あれに比べれば、この程度は些事だ」
「…………自分が狂ってる、とは思わないのか」
「全く思わないが? もう二度とあの後悔を味わわないよう、メルフィナが助けを願った時、必ず助けられるようにした。ただそれだけだ」
言葉がなかった。
ケーニヒは前世で、いったいどれほど苛烈な後悔の念に苛まれたというのか。――想像すらつかなかった。
「――いいか、このことを、決してメルフィナには悟らせるな。知ったが最後、メルフィナは指輪に願うことをやめるだろう。それは彼女を守る最後の砦が無くなることを意味する。メルフィナを愛するのであれば、その恐怖がわかるだろう?」
「……もし、俺がばらしたら?」
「なに、先ほどの痛みが児戯に思えるほど、生まれてきたことを後悔するだけのあらゆる責め苦を与えてやろう。元・魔王の息子が直々に拷問してやるんだ。光栄だろう?――だから、わざとばらすことも、やめておけ」
「そんなことをしたら、メルフィナに嫌われるだろうに」
「彼女に感づかれないよう、お前を責め殺すことなど造作もない。お前の家族を嬲り殺すこともな。――だが、お前が俺との約束を破らない限り、決してそのような真似はしないことを、メルフィナの名に懸けて誓おう」
「……わかった。決して悟らせない」
そうしてケーニヒは不敵に笑った。
「いいこだ。――最初のうちは、着用時間を短く決めておけ。帝国基準の最大一時間は訓練された者が対象だ。一日五分から始めろ。慣れてきたと思ったら少しずつ伸ばせ。恐怖や痛みに耐えられない、そう思ったときは素直に指輪を引き抜け。たとえ会話の最中でも、だ。何か言われたら『魔道具の調子が悪かった』とでも言っておけ……ああ、メルフィナは夜になると会話をしたがる。最初は夜に着用しろ」
「何故……そこまでしてこの指輪を俺に渡すんだ」
「貴様が望んだことだろう?」
「そうじゃない。俺が望んだからとはいえ、こんな大切な情報を何故、俺に教えた?」
「メルフィナはまだ、貴様に惹かれる心を残している。メルフィナが貴様との会話を望んだ時、その望みをかなえられるようにした。ただそれだけだ」
「……メルフィナが俺を選んだ時、お前は子機を外すのか」
「外す気がない、と言ったはずだが? 俺が望むのは、メルフィナの幸福だ。最後にメルフィナが貴様を選んだとしても、俺は生涯メルフィナを守り続ける。貴様以外であろうとも、それは変わらん」
「…………」
「ああ最後に。――メルフィナの前では、指輪を嵌めて見せろ。メルフィナから離れたら外せ。さすがに、目の前で使われることはない。心配するな」
俺はゆっくりと頷いた。
「さぁ、そろそろメルフィナが待ちくたびれるころだ。説明は理解したはずだ。――戻るとしよう」
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俺は、馬車の中で金の指輪を見つめていた。
「なぁケーニヒ」
「なんだ?」
「俺にも、耐えられるだろうか」
「知らんな。貴様の覚悟次第だ。――だが、無理に耐える必要はない。貴様にはこの魔道具が合っていなかった。そう思っておけ」
「……俺は、メルフィナを幸福にできるのだろうか」
「それこそ知らんな。少なくとも、今の貴様には無理だ。あらゆるものが足りていない。今の貴様を認めることは、俺にはできん」
「……今の、と言ったな。いつかは、そうなれるのだろうか」
「どうした? 魔王を退治した男の生まれ変わりにしては、決断力がないな。勇者も、貴様も、決めたことは覆さずやり遂げる男ではなかったか?」
「……ケーニヒには、メルフィナを幸福にする自信があるのか?」
「愚問だ。俺はメルフィナのために生きる、メルフィナだけの味方だ。俺の全てはメルフィナを幸福にする為だけにある。ならば父である魔王も殺して見せるし、人間に生まれ変わっても見せよう。メルフィナを脅かすものは全て俺が排除して見せよう。メルフィナの笑顔を守るためならば、あらゆる手段を惜しまず費やそう」
「……何故、そこまでする」
「メルフィナに、それだけの価値があるからだ。少なくとも、俺にとってはな。それだけで理由に足る。――貴様は違うのか?」
「俺は……」
「言い切れんようでは、まだまだ俺が認めるには足りんな。俺に並べ、とは言わん。貴様なりに、全身全霊を賭してメルフィナを幸福にできる男になってみせろ。そうしてメルフィナが貴様を選んだ時には、俺も祝福してやろう」
こいつには勝てない。そう思ってしまった。
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朝になった。
(ステファンと話し合い、かー)
お日様に左手をかざしてみる――三つの指輪が、光を反射してキラキラしていた。
でも、たぶん今日、この指輪は二つ減るだろう。婚約指輪と、金の指輪。ステファンがくれた指輪を、返すことになるはずだ。
ふぅ、とため息をついて起き上がり、顔を洗ってから部屋でご飯を食べる。
制服に袖を通し、馬車に乗った。
(話すとしたら貴賓室、かなー。じゃあ放課後かな)
馬車から学園が見えてくる。
(なんだか、怖いな)
教室に入るのが、怖い。
『お前が必要とするならば、お前の傍に居よう』
ケーニヒの言葉。そうだ、今は教室にケーニヒが来てくれる。だからきっと、大丈夫。
教室に入り、みんなに挨拶をする。
私の席に目をやる――その机の上で、ケーニヒが腰を下ろして待っていた。私は目を瞠っていた。
「どうした? 何を驚いている?」
「いつもより、早いね」
「そうだな。だが、俺が居ることを確認して、少しは安心しただろう?」
「……早く来てくれたんだ?」
「お前に必要だと思っただけだ――さぁ、立ってないで、座るがいい」
「はーい」
そうして着席する。ケーニヒは、何も言わずに私の顔を見ている。いつものように。
私の右手は机の下で、そっと黒い指輪を撫でていた。
「おはよう諸君!」
ステファンが、久しぶりの挨拶で入ってきた。ステファンを見る。
(あれ? なんだか笑ってる?)
「ようメルフィナ! おはよう!」
「お、おはよー」
「放課後、貴賓室に来てくれ。そこで説明するから」
「う、うん。わかった……」
「あの! ケー――」
「もちろんケーニヒも一緒に連れてこい」
……先に言われてしまった。
「貴様に言われずとも、俺はメルフィナの傍に居るさ」
ケーニヒは不敵な笑みでステファンの顔を見ていた。そうして口を開く。
「――少しは成長したみたいだな」
「いいや? まだまだこれからだろ?」
「ああ、まだまだ、まるで足りていないからな」
そうしてケーニヒとステファンは、ニッと笑みを交わしていた。
……男の子って、よくわからない。
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貴賓室には、私とケーニヒとステファンが居た。
私の向かいにステファン、隣にはケーニヒ。
「突然ですまなかったな。俺もようやく目が覚めた」
ステファンの顔は、ふっきれたように爽やかだった。
「目が覚めた、って?」
「そもそも、メルフィナを望まない婚約で縛り付けてることが間違いだったんだ。これを清算しなけりゃ、俺とメルフィナはこれより先には進めない――それに気が付いた」
「でも、婚約白紙を繰り返したらステファンの信用が――」
「その程度、俺が跳ね返して見せればいいだけだ。時間が必要だというのなら、時間をかけて取り戻す。たったそれだけのことだ。お前が気にすることじゃない」
なんだか、言うことがケーニヒに感化されてない?
「でも、王妃教育とかはどうするの? 婚約解消したら、受けられなくなるよ?」
「別に、学園を卒業したらすぐ結婚しなきゃいけないわけじゃない。俺がメルフィナを手に入れた後、ゆっくり覚えてもらえばいい。焦る必要なんてなかったんだ」
「……そっか、まだ私を諦めてはいないんだ?」
「俺は、一度決めたことは覆さないことにしているからな!」
ステファンはそう言って、子供みたいな笑顔で笑った。
その笑顔が眩しくて、思わず微笑んでしまった。
「そっか。なら、私も納得、できるかなー」
「じゃあ、婚約指輪だけ、返してくれ。婚約解消する以上、持たせてられないからな」
「……この金の指輪は、返さなくていいの?」
ステファンの手を見ても、そこには金の指輪がなかった。
「その指輪は、メルフィナが持っていてくれ。……俺にはまだ、対の指輪をつける資格がない。でも、必ず俺の指にも嵌めて見せる! その決意を忘れないように、メルフィナには、その指輪をしていて欲しいんだ」
「……それも、『一度決めたこと』?」
「もちろんだ!」
いつのまにか私は、ステファンと微笑みあっていた。
(なんだか、怖がってたのがバカみたい)
ステファンが、最初に出会った頃みたいに輝いて見えた気がした。
今まで黙っていたケーニヒが口を開いた。
「どうだ? メルフィナ。お前は今、どちらを選びたいと思った? 俺か? ステファンか?」
「んー。そうだね。まだ、わかんないや! ……でも、いつかは、答えを出さないとダメだよね」
「なに、俺はいつまでも待つ」
「俺だって! 今度は期限なんか付けない!」
「……あれ? もしかしてこれって、ケーニヒが言ってた状況なのかな?」
「そうだな。片方はまだ時期尚早だが――お前を確かに幸福にできる男たちが自分を取り合う。どうだ? 女冥利に尽きると思わないか?」
私は吹き出していた。
「だーかーらー! 私にそんな趣味はないって!」
婚約解消の話し合いは、明るい笑顔と笑い声で幕を閉じた。
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翌日――朝の教室。ケーニヒもステファンもまだ来ていなかった。
「メルフィナ! ステファン殿下と婚約解消されたってほんとですの?!」
耳聡いリアンが私の席に駆け寄ってくる。
「うん、そうだよー」
「どういう状況ですの?」
「無理矢理だった婚約を一度清算して、今度はちゃんと、友達から時間を積み重ねていきたいって言ってた」
「それで? メルフィナはどちらを選ばれますの?」
リアンの目が輝いた。
「んー、今は、だいぶケーニヒがリードしてる、かな? でも、まだわからないかも?」
私は左手の黒い指輪を、そっと撫でている。
いつかは、金の指輪を撫でる日が来るのだろうか。そこは、ステファンの頑張り次第かもしれない。
(でも、対の指輪を嵌める資格って、どういう意味だろう?)
「そういえば、昨日から小指にも指輪をしてらっしゃいますのね?」
「これはねー、ステファンが新しくくれた、お守りの指輪だよ」
「まぁ、ステファン様もお守りをくださったのですね……ところで、メルフィナ? 素に戻ってますわよ?」
「私は、私らしく生きてみようかなーって、最近思い始めてるんだー。だから、私に似合わない言葉遣いは、もうやめちゃうかも!」
「あら……じゃあお茶会とか夜会はどうしますの?」
「こんな公爵令嬢でよければ、いつでも呼んで! 遊びに行くよ!」
「……その時は、どちらを連れてきますの?」
「二人とも連れて行くよー!」
「メルフィナ? あまり殿方を弄び過ぎると、そのうち刺されますわよ?」
「あー、それは嫌かな……でも、二人とも大切な友達だから!」
リアンは何かに気づいたように、にっこり笑うと「では後程!」と言って席に戻っていった。
「――お前は、お前を選択する気になったのか?」
背後からケーニヒの声が聞こえた。
私は振り向いて答えた。
「そうだね! なんだか婚約解消で気持ちがスッキリしたから、私も新しい一歩を踏み出してみようかなって! ステファンに負けてられないし!」
「だが言ったはずだ。『お前がお前を選択するなら、その相手は必ず俺だ』と。忘れたわけではあるまい?」
ケーニヒがにやりと笑っていた。
「……そうだね。なんとなく今は、私もそんな気がしてる。いつもケーニヒがそばに居てくれるから、私も新しい一歩を踏みだす勇気を持てたのかなーとか」
「お前が必要とするならば、俺はいつでも傍に居る。忘れるな、俺は『お前だけの味方』だ」
私はケーニヒに微笑んだ。
「じゃあ私は、『きみだけの味方』にならないと、ずるいよね! 守ってもらってばかりいたら、いけないと思うし!」
「いいのか? そんなことを言っていると、ステファンが泣くぞ?」
「ステファンが本気なら、きっとそんな私でも振り向かせてくれるんじゃないかな?」
大魔王退治を成し遂げた勇者の生まれ変わりの男の子が、今度は元・魔王の息子を退治する決意をしたのだ。きっとケーニヒも油断はできないと思うんだよね。
「――まぁそうだな。それぐらいできないようでは、話にならんからな。せいぜいあの男の頑張りに期待しておこう。だが、あまりいじめ過ぎるなよ?」
「はーい」
そう言って笑いあってると、背後から声が響いた。
「おはよう諸君!」
爽やかな笑顔でステファンが入ってきた。
「ようメルフィナ! おはよう!」
「おはよーステファン!」
その日も、ケーニヒを中心に騒がしい学園生活が始まった。
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ベッドの中、今日も月光が降り注いでいる。
私はゆっくりと左手を月明かりにかざした。
黒い指輪と、金の指輪。私の大切なお守り。
お守りはキラキラと月光を反射して輝いていた。
私は、そっと目を瞑る。
”私”の想いは、婚約指輪と一緒に、私から離れていった気がする。あの時見たステファンの笑顔は、勇者の面影なんかじゃなく、ただ、ステファン自身の笑顔が眩しかった。
うん――私はちゃんと、ステファンが見えていた。だから今度はきっと、私の心で答えを出せると思う。
目を開けると、そこには黒い指輪。
ケーニヒの瞳のようなトパーズが、月明かりを浴びていた。
まるで、ケーニヒに見つめられているような錯覚を覚えるそれを、優しく右手で撫でる。
この指輪があれば、私はどこにでも歩いていける気がした。
左手を降ろし、胸元に抱え込む。
「おやすみ、ケーニヒ」
指輪から声が返ってこなくても、今は大丈夫。
私はゆっくり、夢の世界へ落ちていった。
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廊下を歩く。窓の外から、春の日差しが降り注いでいた。
私の足音と重なるように、ケーニヒの足音が聞こえる。
貴賓室のドアを開ける。そこにはステファンが座っていた。
今、私の目の前には、二人の男の子が座っている。
私は一度、目を瞑る。自分の心と向き合って、一つの答えを確認する。
私の右手は、左手からひとつの指輪を引き抜いた。
私はそっと、その指輪を彼の前に置く。
「これが、私の答えだよ」
彼といくつかの言葉を交わす。
私は立ちあがり、貴賓室を出た。
廊下を歩く。私の足音の後ろから、遅れてもうひとつの足音がついてくる。
ふと足を止めて、彼と並ぶ。
こうして並んでいることに、私は幸せを感じていた。
左手をお日様にかざす。そこにあるのは指輪が一つ。
私はその黒い指輪を、優しく撫でる。
「じゃ、いこうか! ケーニヒ!」
「ああ、行こう」
今度は並んで、廊下を歩いていく。――この先がどんな道だとしても、この指輪があれば、私は大丈夫。
あの日を最後に私は、この指輪に語りかけていない。だけど、手の中にこの指輪があるだけで、言葉はいらなかった。
月明かりの中でその指輪に見つめられれば、それだけで満たされた。
「今度は、私が帝国に遊びに行ってみよっかなー」
「そうか。ならば客人としてもてなそう」
「お嫁さんじゃなくていいの?」
私は彼の横顔を見上げる。
「お前が望むならば、そうしよう」
私はにっこり笑って応える。
「んー、『ケーニヒが望むなら』、私はそうするよ。――ケーニヒは、どうしたい?」
ケーニヒと私の視線が交わる。
ケーニヒは足を止め、少し考えた後、口を開いた。
「俺がしたいこと、か。……答えを出すのは存外、難しいものだな」
いつも私の事しか考えてないケーニヒに、少しずつ自分の幸福について考えるよう促すのが、最近の私の楽しみだ。
「じゃあ、また一緒に考えよう!」
私はそっと彼の頬を撫でる。
「私は、『きみだけの味方』だからね!」
「――ああ、そして俺は『お前だけの味方』だ」
最近気が付いたのだけど、私がこの言葉を使うと、彼の頬が少し暖かくなるみたい。よく観察すると、耳も少し赤いのがわかる。
「きみは、愛されることに慣れてないのかな?」
「――そうだな。お前から愛されるというのが、これほど刺激的な体験だとは想像していなかった」
私はにっこりと笑う。
「まだまだ! 今までもらった分を返しきれてないんだから、覚悟しとくよーに!」
「では俺は、今まで以上にお前を愛そう」
「これ以上重たくなるのーっ?!」
「おまえが望まぬなら、それはすまい」
「あはは、ケーニヒがしたいなら、それが私の望みだよ」
「そうか。……この場合、俺はどうしたらいいんだ?」
「じゃあ、それも一緒に考えよー!」
私たちは歩いていく。
私たちなりの歩き方で、先を決めないまま歩き出す。
それがどんな道だとしても、彼と二人ならば、きっと楽しいことだろう。
ステファンENDも書いたのですが、綺麗に収まったのはこちらかなー、ということで採用となりました。
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