第7話:金の指輪
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翌日――休日の朝である。
(今日も天気いいなー)
今日はステファンとケーニヒがうちに集まる予定だ。
(長い一週間だった……)
ひどい目に会った。だいたいすべてケーニヒのせいである。
私たちは、すっかり三角関係として有名になっていた。
「メルフィナ、婚約したばかりで愛人を作るのは、とてもはしたないよ?」
「愛人じゃないです、おじさま……」
「じゃあなんなんだい?」
「古い友人なんだよー……でも癖と性格が悪くて手に負えないんだよ……」
朝食の席で、机にべったりへばりついて、おじさまに泣き言を言っていた。
(なんで昨日の今日でもう、おじさまの耳に入ってるの……)
社交界、おそるべしだった。
どんよりとした顔と重たい足取りで部屋に戻り、ソファに倒れこむ。
「カタリナぁ、お茶ちょうだーい」
「かしこまりました」
カタリナの入れてくれた紅茶を、起き上がってそっと口に含む。
「はぁ……なんでケーニヒって、あんなに自由人なの?!」
傍若無人とは、あいつのためにあるような言葉だと思う。
「あの方は……本当に独特でいらっしゃいますからね」
カタリナは実物を目の当たりにしている。ケーニヒが私を気遣う様も見ているので、ある程度は本質も理解しているようだった。
「そのうえで、あの美貌と美声だから人目は引くし声は通るし、とにかく悪目立ちするんだよ!」
カタリナ相手に愚痴を吐き出していたら、まだお昼前だというのにケーニヒがやってきた。
「……早くない?」
「なに、気にするな。俺も好きにする」
そう言って私の隣に座り、カタリナから紅茶を受け取っていた。
「ねぇケーニヒぃ」
「どうした? 最近は夜の会話もこなくなったし、落ち着いたんじゃないのか?」
「その節はどうもありがとうございました! ……そうじゃなくてさ、きみのおかげで、この一週間ズタボロなんだけど?」
「そうか? 俺にはお前が、生き生きと楽しそうに見えたが」
「貴族令嬢としての体面ズタズタだよ?!」
「元からお前に、貴族令嬢など似合っていない、ということだ」
「いやそれひどくない?! 今の一言で私の半生を否定されたんだけど?!」
「お前は野に咲く自由な花だ。天高く広がる青空を目指し、好きに手を広げろ。それが、お前らしい生き方だ」
「……もしかして、そういう生き方をさせるのが、きみの目的なのかな?」
「そうだな。お前がお前を選択する、というのはそういうことだ」
「でもそれじゃ、貴族令嬢なんてやってけないよ……」
「俺は貴族令息をやっているが?」
「きみみたいに誰でも自由に振舞えると思うなよぉ?!」
「何故だ? お前ならできる。好きにやってみろ」
「そんなことをしてたら、王太子妃も王妃も務まらないってば……」
「だから言っただろう。お前が国ではなく自分を選んだ時、その相手になるのは俺だけだ」
「この国を捨てて、帝国に来いってこと?」
「まぁ、そういう道もあるだろうな。お前が望むならそうしよう」
「……望んでない。少なくとも今は」
「では保留にしよう」
「……それ以外、どんな道があるのさ?」
「そうだな……辺境に引っ込んで、読書でもして生きるか? それとも、二人で国を捨て、諸国を旅してまわるか?」
「辺境に引っ込むのはまだわかるけど、旅をしてどうやって生きていくのさー……」
「その辺の、道行く商人でも襲えばいい」
「盗賊?! やだよそんなの!!」
「では、芸でもやってみるか?」
「できないよ?! ケーニヒは持ち芸あるの?!」
「いや、俺もそういったものは持ち合わせていないが」
「それ、無計画って言わないかい?!」
「キッチリ計画を立て、その通りに生きるなど、俺たちらしくはなかろう?」
「それは……そうかもだけどさー」
ふぅ、とため息をついた。
「……お父様や両陛下を、悲しませたくないんだよ」
「おや、ステファンは悲しませてもいいのか」
「あれ? なんでステファンが抜けたんだろう?」
「ククク……この間、奴に幻滅しただろう? それの影響だ」
「なんか怖いなぁ。”私”と勇者の想いが消えちゃいそうで」
「何をいまさら。どちらも死人だ。想いなど、とうに消えている」
「私の中には残ってるんですぅー!」
「空虚な幻だ。既に、勇者の記憶を持った男はいない。報われなかった想いなど、とっとと葬ってしまえ」
「……ステファンは、ちょっとだけ記憶があるもん」
「そうだな。――だが、うっすらとお前の面影を覚えているだけだ。それ以上を期待するのは酷というものだ。やめておけ」
「酷、なのかな……」
「残酷だ。どう頑張ろうと、ステファンは勇者の代わりにはなれん。どうせなら、きちんとステファン自身を見てやれ」
「……そのためには、”私”の想いは邪魔ってこと?」
「そうだな。勇者を想った魔術師の心は、花を手向けて寝かせてやれ。そしてステファンには、お前の心で応えるんだ」
「もしかしてケーニヒ、ずっとそれが言いたかったの?」
「さあな。ただ俺は、お前の幸福を願っているだけだ。忘れるな、いつでも、どこまでも、俺は『お前だけの味方』だ」
そのやりとりを聞いていたカタリナは、なぜかやさしく微笑んでいた。
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「なるほど、あなたが噂の帝国第一皇子殿下ですか」
昼食のテーブルには、私とシュバイクおじさま、そしてケーニヒが居た。
「ほう、俺はそんなに噂になっているのか」
「むしろ噂にならない方がおかしいとか思わないのかな?!」
「全く思わんが?」
「昨晩の夜会でも、きみが散々好き勝手やったのが、この国の社交界中に轟きまくってるんだけどな?!」
「社交界などそういうものだ。言ったろう? 噂好きには、好きにさえずらせておけ」
「その結果、私とステファンときみが三角関係って噂が、この国中に知れ渡ってる訳なんだけど?!」
「だから、それは事実だろう? 事実を否定してどうするのだ」
「だーかーらー! 私はステファンと婚約したばかりなんだってば! 醜聞なんだよ醜聞!」
「俺には関係ないな。興味がない。醜聞など、噂好きな連中の酒の肴に過ぎん。言いたいだけ言わせておけ」
私とケーニヒのやりとりをみていたおじさまは、何かを納得するように頷いていた。
「なるほど、噂通りの御仁のようだ。メルフィナは『愛人ではなく古い友人だ』と言っていたけれど、三角関係ならば、友人以上恋人未満、といったところかな?」
「そうだな。今はそんなところだろう」
「『今は』ってなんだよ?! 私はきみと恋人になるつもりなんて――」
「ないのか?」
「……わかりません」
私の声は消え入りそうである。
「まぁ、そうだろうな。――なに、俺はいつまでも待つ。お前がその気になった時は、遠慮なく言え」
「はっはっは! この国の王子と隣国の皇子を両天秤なんて、メルフィナも隅に置けないね」
「おじさま?! 朝は嗜めていたのに、どうして今はそんなに楽しそうなのかな?!」
「お前の態度を見ていれば、悪い方でないのは手に取るようにわかる。一時期塞ぎ込んでいた時はどうしようかと思っていたけれど、元気になれたのはきっと、この方に助けていただからなのだろう? ――殿下、私からも礼を言わせてほしい。ありがとう」
「なに、俺は大したことなどしていない。気にするな」
ケーニヒに対して向き直り、頭を下げるおじさまに対して、ケーニヒはおじさまの方を見ようともせず昼食をつついていた。
「ケーニヒ?! せめておじさまを見てあげて?!」
「頭を下げられる覚えなどないからな。ならば、見る必要もあるまい? ――シュバイク侯爵、だったか。そういうことだ。貴君も無駄なことはせず、昼食を楽しむといい」
(ケーニヒが人の名前を憶えていた?!)
「ハハハ、では、お言葉に甘えさせていただくとしよう!」
やけに楽しそうな表情のおじさまは、言われた通り昼食を楽しみだしていた。
「……ねぇケーニヒ、きみが人の名前を覚えるだなんて、どういう風の吹き回し?」
「お前の住んでいる家の持ち主だからな。こう何度も短期間に足を運べば、さすがに名前くらいは覚える」
「名前だけなの?! 顔も覚えてあげて?!」
「考えておこう」
そんな私とケーニヒのやりとりを、実に微笑ましそうにおじさまは見守っていた。
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昼過ぎになり、約束通りステファンがやってきた。
「随分遅かったのだな。あれだけ待ち侘びていた魔道具だろうに。行儀のいいことだ」
「朝からメルフィナのところに駆けつけるわけにもいかないからな」
「俺は昼前から居たが?」
「ケーニヒがマイペース過ぎるんだよ! 普通、誘われてもいないのに昼食をごちそうになろうとか思わないよ?!」
「だから、一度は遠慮しただろう? 『賄い飯で構わん』とも伝えたはずだが、是非にと言われたから同席したまでだ」
「隣国の第一皇子に賄い飯なんて出したら外交問題だよ?!」
ステファンがぼそりと呟く。
「お前の口から、遠慮なんて単語が飛び出るとは思わなかったな……」
それは私も同感である。
「心外だな。俺だって、わきまえる所はわきまえる」
「どの口が言うのかな?!」
「この口だろうな」
「それより! ――ケーニヒ、約束のものを渡してくれないか」
いつもの応酬が止まらなくなりそうな気配を察知したステファンが、無理やり本題を差し込んできた。
「ふむ、いいだろう。――メルフィナ、隣室を借りるぞ」
「え? 目の前で渡せばいいじゃないか」
「お前は気にするな。――さぁ、行くぞステファン」
「ああ、わかった」
ステファンはケーニヒに連れられて、隣室の空き部屋に入っていった。
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「まーだーかーなー……」
あれから三十分ほど経つ。二人はまだ、隣室にこもったままだ。
「なんで魔道具を受け渡すのに、こんなに時間がかかるんだよー」
私が不貞腐れていると、ようやく隣室から二人が戻ってきた。
「遅いよ! 何をしてたのさ?」
「使い方をレクチャーしていただけだ。少し、コツがいるのでな」
ステファンの顔を見ると、妙に表情が硬かった。
「どうしたの? ステファン」
「あ、いや……なんでもない。大丈夫だ」
「それで? ステファンはどんな魔道具なの?」
ステファンは私の言葉に応えて、おずおずと手のひらを開いた。そこには一対の金の指輪がある。片方はリングだけ、もう片方にはエメラルドが嵌め込んであった。
「石のついている方がメルフィナ用だ。受け取ってやれ」
「はーい」
私が指輪に手を伸ばすと、指輪が逃げた――いや、ステファンが、手の平を遠ざけていた。
「ステファン?」
「どうしたステファン。何を怖気づいている」
(怖気づく?)
ステファンの表情は硬いままだ。
「――しょうがないな。使う気がないなら返してもらうぞ」
ケーニヒはため息をつきながら、金の指輪に手を出す。
「いや! ある! あるから少し待ってくれ!」
そういうとステファンは、目を瞑ってから大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。そうして目を開け、意を決したように私を見ている。
「小指用の指輪だ。メルフィナ、左手を出せ」
「こう?」
私は言われるがままに左手をステファンに差し出した。
そこには既に、薬指に婚約指輪、人差し指に黒い指輪がはまっている。
ステファンは黒い指輪を一度凝視した後、私の左手を取って、ゆっくりと小指に金の指輪を嵌めた。
(あれ? ステファンの手、震えてた?)
私は受け取った指輪を光にかざし、まじまじと眺めてみた。
「きれいだねー」
「さぁ、これで条件は同じだ。メルフィナは話をしたくなった時、好きな方の指輪を使え。――ただし、どちらの指輪も、決して無駄に使うな」
「わかったー」
「…………」
私ののんきな返事とは裏腹に、ステファンは黙って残った指輪を見つめていた。
「どうした? ステファン。対になる指輪を自分に嵌めねば、会話はできんぞ?」
「へー、そういう魔道具なんだ? じゃあケーニヒも、黒い指輪をつけてるの?」
だけれど、ケーニヒの両手を見ても、それっぽいものは見当たらなかった。
「どういうこと?」
「俺は隠し持っている。失くすと困るからな」
おそろいの指輪を見てみたかった気もするんだけど、私に見せるつもりはないみたいだ。
「けーちー!」
「まぁそういうな。これでも一応、帝国の軍事機密だ。みだりに見せびらかすものでもない」
「え、そんなものを私が受け取って大丈夫なの?」
「お前には必要なものだ。問題ない。だが、指輪で会話できることは極力、他人には漏らすな」
「ステファンが、使い方を知っちゃっても大丈夫だったの?」
「この男とも、機密を漏らさない約束を交わしてある」
「そっかー。じゃあ、今夜にでも試してみようかな!」
「無駄遣いはするな、と言ったはずだ。特に、ステファンの指輪は手加減してやれ」
「んー? よくわかんないけど、わかったー。でも、ちゃんと私と会話できるか、試した方がよくない?」
「使い方を教える時、俺とこの男で試してある。機能に問題がないことは確認済みだ」
「ちぇー。……ステファンの指輪、少し小さいけど、こっちも使用回数に制限とかはないの?」
「そうだな。お前が気にすることではないが、ないと思っていい。お前が必要だと思ったときに使ってやれ」
「はーい」
「では用が済んだ。俺たちは戻るとしよう」
「え?! ステファンも帰っちゃうの?」
「どうやら、もう少しレクチャーが必要なようだからな。なに、男と男の話し合いだ。メルフィナは大人しく明日を待っていろ。ステファンと一緒に来てやる」
「うーん、それはいいけど。ステファン、さっきから顔色が良くないよ? 大丈夫?」
「……ああ、大丈夫だ」
結局、二人はそのまま帰っていったけど、ステファンの表情は硬いまんまだった。へんなの。
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夜になり、私はベッドの上でぜいたくな悩みを抱えていた。
月明かりの中で、私の左手には指輪が三つはまっている。
婚約指輪と、黒い指輪。そして金の指輪だ。
(ケーニヒとステファン、どちらとお話しようかな)
ステファンの様子がおかしかったので、気になっているのだ。
ケーニヒに聞いてもはぐらかされそうだし、ここは素直にステファンに聞いてもいいのかな?
『指輪は無駄に使うな』
(うーん、でもこれは『私が必要だと思う時』とも言える気がする。でも『特に、ステファンの指輪は手加減してやれ』って言ってたしなー)
どういう意味かは分からないけれど、なんとなく、今日は使っちゃいけない気がしてきた。
(んー。どうしよう?)
迷った結果、私はひとつの指輪に語りかける。
「――ねぇケーニヒ。聞こえる?」
『――どうした? 久しぶりだな』
「今日のステファン、なんか変じゃなかった?」
『言っただろう? この魔道具を使うにはコツがいる』
「コツって、どんなもの?」
『軍事機密だ。そして、お前が気にするようなことではない』
「けちんぼー」
『まぁそういうな。――ちゃんとステファンの指輪には、手加減をしてやったのだな』
「んー。そうだね。なんか今日は、ステファンの指輪を使っちゃいけない気がして」
『フッ。偉いじゃないか。ちゃんと我慢ができたのだな』
「我慢くらいできるよー!」
『いいこだ。……不安だったのだな』
「そう……なのかな」
『ステファンの様子が、気がかりだったのだろう?』
「そう……だね」
『なに、心配せずとも、明日には会える』
「――そうだね」
『では、また明日な』
「うん! ――おやすみケーニヒ」
『ああ、いい夢を見ろ』
静寂が訪れた部屋の中、月明かりが、静かに私と指輪を照らしていた。
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「ステファン、遅いねー」
翌日、午後になっても、ステファンは姿をまだ見せていない。
「今日も一緒に来るって話してたよね?」
「ああ、そう言ったな」
「でもケーニヒとは一緒じゃなかったね」
「一緒に住んでいる訳ではないからな」
「それもそっかー。ケーニヒはどこに住んでるの?」
「限定留学に合わせて、空き屋敷を買い取ってある」
「じゃあそこから通ってるんだ?」
「ああ、そうだ」
「今度、遊びに行ってもいい?」
「残念だが、それは諦めろ。あそこは物々しいからな。帝国外の人間を招き入れる場所ではない」
「そっかー残念……一応、帝国の人間なんだ?」
「留学の都合上、やむを得ず、だな。どうしても必要な手続きというものがある」
「そういえば、限定留学の話はどうして黙ってたの?」
「黙ってたわけじゃない。直前まで見極めていただけだ。ステファンの様子を見て、必要だと思ったから踏み切った。それだけだ」
「ステファンには、ケーニヒの留学が必要だったの?」
「あの男は迷走していたからな。少し尻を叩いてやる必要があった。実際、貴賓室では俺が必要だっただろう?」
「昔話してただけじゃーん!」
「だが、気まずい空気には全くならなかっただろう? 俺がいなければ、危うい所だったんじゃないか?」
「そう……かな」
「だがもう、それはふっきれたはずだ。次から心配する必要はあるまい」
「心配もなにも、学校じゃケーニヒがずっとひっついてくるじゃんかー!」
「俺がそうしたいからな。お前以外に興味がない。俺が行くところなど、お前のそば以外にはない。それだけだ」
「それじゃあ心配もなにも関係ないじゃんかー」
「お前も気にせず、好きに振舞えばいい」
「きみは好きに振舞い過ぎじゃないかな?!」
「問題があるのか?」
「あり過ぎるよ! また明日から頭の痛い一週間だよ?!」
「言ったろう? お前は周りを気にしすぎだ。肩の力を抜いて生きてみろ」
「最近、ケーニヒのそういう生き方が羨ましくなるよ……」
「羨ましいも何も、本来のお前は、そういう生き方ができる人間だ。お前がお前らしくあるだけでいい。何も難しいことではないはずだ」
「家のしがらみとかあるんですぅー!」
「前も言ったろう。お前にそんなものは似合わん。窓からでも投げ捨ててしまえ」
「それができたらとっくにしてるよ……」
「お前が、自分で自分を縛り付けているだけだ。それに気が付くだけでいい」
「公爵家を背負ってるのは自覚してるよ……」
「だから、そんな重たい荷物は窓からでも投げ捨てろ。お前が抱える必要などないものだ」
「……ケーニヒみたいな生き方をする公爵令嬢が居てもいい、ってこと?」
「お前なら、それができる」
「でも……怖いよ」
「俺がいる。忘れるな。いつでも、どこまでも俺は『お前だけの味方』だ」
「……ケーニヒと一緒なら、怖くないかもね」
「そうだな。――そろそろ、俺を選ぶ気にでもなったのか?」
「……まだ、わからないかな」
「焦る必要はない。時間はいくらでもある」
「時間……あー、明日からまた王妃教育再開だー」
私はべちゃり、と机の上に潰れた。
「まーたー忙しくなるよー」
「そんなに忙しいのか」
「ケーニヒと一緒に居られる時間も少なくなると思う……」
「心配するな。その指輪がある。話ぐらいはいつでも聞いてやる」
「でも、顔が見れなくなるよ……」
「どうした? 俺に会えないのが寂しいのか?」
(あれ? ケーニヒと会えなくなるのが? 寂しいのかな。そうなのかな……)
「よくわかんない……」
「では、ステファンはどうだ。あの男と会えなくて、寂しいのか?」
(前は「寂しい」と思う自分がいた。じゃあ今は?)
「……そうでも、ないかな」
「そうか。やはりあの幻滅が大きいな。荒療治過ぎたかもしれん」
「そこまでする気はなかったってこと?」
「そうだな。そこまでお前に幻滅させるつもりはなかった」
「ねぇケーニヒ」
「なんだ?」
「どうしていつも、ステファンの背中を押すような真似をしてるの?」
そう、ケーニヒはいつも、ステファンを戒め、励まし、引き上げようとしている気がした。
「前も言っただろう? お前を確実に幸福にできる男が二人、お前を取り合う。女冥利に尽きるだろう?」
「前も言ったけど! 私に! そんな! 趣味はない!」
「ククク……なに、俺が願うのはお前の幸福だけだ。それに必要だと思うことをしているに過ぎん。お前が気にすることではない」
「私の幸福なのに、私が気にしなくていいの?」
「これは男の問題だからな。最初に言ったが、路傍の石をお前に添えるつもりはない。許すつもりもない。だが、石は磨けば光るものだ。ステファンという原石を磨けば、あるいはお前の隣に並べる気になるかもしれん。つまりはそういうことだ」
「もしそれで、ステファンがピカピカの宝石になったら、ケーニヒはステファンを私の隣に添える気になるの?」
「お前にふさわしい輝きになっていれば、あるいはそうかもな」
「……そうなったとき、ケーニヒはどうなっちゃうの?」
「お前が幸福になることが確認できたなら、国に帰るさ」
「…………帰っちゃうの?」
「今はまだ、俺は帝国の人間だからな。帰るべき場所は、一応帝国、ということになっている」
「私が、『帰らないで』っていったら、ケーニヒはどうするの?」
「そうだな。お前が望むならば、この国に居られるよう手を尽くそう。お前が望む限り、お前の隣に居てやる」
「私がこの国じゃなく、帝国に住みたいって言ったらどうするの?」
「どうした? この国を捨てる気になったのか?」
「そうじゃないけど……聞いてみたくて」
「そうだな。とりあえず第一皇子の客人として招いてやろう。お前が望むなら、皇子妃にでもなればいい」
「結婚前提?!」
「お前が望まぬなら、客人のまま居ればいい」
「うーん、結婚かー。まだ実感が湧かないんだよねー」
「ならば焦る必要もあるまい? お前は、お前が思うときに婚姻し、子を成せばいい」
「子供、子供かー……ケーニヒの子供って、どんな子になるんだろうね?」
「さぁな? 俺に似た子になるか、お前に似た子になるか……どちらにせよ、美しい子になるだろう」
「私限定?!」
「俺は、お前以外と婚姻を結ぶつもりがないからな。お前が望むなら婚姻をするし、望まぬなら生涯独り身だろう」
「第一皇子がそれで大丈夫なの……?」
「前も言ったが、俺は皇帝を継ぐつもりがないからな。……だが、お前が皇后になりたいと望むのならば、俺が皇帝となろう」
「ちょっと! 王妃よりハードル高そうなんだけど?!」
「なに、名前が違うだけだ。それに、俺がお前に、お前らしくない生き方を強いると思うのか?」
「まったく思わないけど……」
「ならば、お前らしく生きればいい。お前らしい皇后になるだろう」
「それこそ帝国の将来が不安だよ?!」
「関係ないな。興味がない。もし俺が皇帝を継ぎ、俺の代で帝国が滅びようとも、お前が幸福のまま人生を終えられるのであれば帝国も本望だろう」
「帝国民が可愛そうだよ?! もっと国民のことも考えてあげよう?!」
「国が滅びようとも、人は滅びんよ。所属する国が変わるだけだ。攻め滅ぼされでもしない限り、その土地にはその土地の文化が根付き、受け継がれてゆく。例え俺が帝国を滅ぼすとしても、他国に蹂躙されるような真似はさせんさ」
「それって普通に皇帝をやる方が楽じゃないかな……」
「まぁそうだろうな。だが俺は自分を変えることができん。そんな人間が皇帝をやるとしたら、俺らしい皇帝にしかならんよ」
「ケーニヒらしい皇帝かー。でもなんだか、ケーニヒが治める国なら、みんなが笑っていられる国になる気がするね!」
「お前が望むのならば、そういう国を作ろう」
「んー、でも私はまだ、ケーニヒのお嫁さんになると決めたわけじゃないよ?」
「お前が望めば、いつでもそうなる、という話しだ」
「それで私は幸せになれるのかな?」
「お前がお前らしく生きる限り、お前の傍には俺が居る。ならば、必ず幸福にして見せるさ」
「そっかー。それはそれで、楽しそうだね!」
「そうだな。そういう道もまた、お前にはある、という話だ」
「私はどの道を選ぶのかな?」
「なに、時が来れば、自然とお前は選択するだろう。それまでは悩むのもまた、面白いものだ」
そうして、いつものようにケーニヒと話していたら、カタリナが私を呼びに来た。
「お嬢様、シュバイク侯爵がお呼びです」
「おじさまが? なんだろう? ――じゃあケーニヒ、ちょっと行ってくるね!」
「ああ、行ってこい」
「おじさま? お話ってなーに?」
おじさまの顔がなんだか暗い気がした。
「メルフィナ、気を確かに持って聞いておくれ」
「どういうこと?」
「……ステファン殿下が、お前との婚約を白紙に戻したい、と打診してきた」
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