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第4話:黒い指輪

******


 パキン、と乾いた音が鳴って、ナイフの刃が弾け飛んでいた。


 サラ様も、何が起こったのか把握できていないようだった。


「なに、これ……」


 サラ様はそう言って、手の中のナイフをしげしげと眺めている。


 私はなんとかサラ様から距離を取り、壁によりかかる。まだ眩暈が収まらない。


(魔法はまだ無理、動いて逃げるのも難しい、周りには誰も居ない――カタリナはさっき出て行ったばかり!)


 八方塞がり――いや、ひとつだけあった。


 左手の黒い指輪に、必死に念じた。


(助けて!)


 指輪から、ぞろり、と黒い影が滲み出た。影は人を形作り、私の前に立ち塞がっていた。


「――どうした、もう必要になったのか」


 影は、ケーニヒの姿をしていた。いや、いつのまにかケーニヒ自身になっていた。


 ケーニヒは素早くサラ様に一撃を加えて気絶させ、ナイフを奪い取って床に寝かせた。そしてそのまま振り返り、私の元に帰ってきた。


 ケーニヒは私の顎を手に取り、目をのぞき込む。


「……毒を盛られたな。身体が思うように動くまい。俺も治癒の魔法は使えん」


 そういって私を抱えあげた後、控室の奥、衝立の裏にあったベッドに私の身体を横たえた。


「今、医師をよこす。もうしばらく我慢していろ」


 そう言って、ケーニヒは自分の手に嵌った指輪に「医師を連れてこい」と話しかけたようだった。


 そして、私の手を握ってくれた。


「なん……で、ここ、に?」


「しゃべるな。まだ辛いだろう。――お前が指輪に願ったからだ。だから俺はここに居る」


(…………)


 不思議な時間が過ぎていった。しばらくして、医師がやってきて私を診察してくれた。


「……これなら、持ってきた解毒剤で中和できるでしょう」


 医師はそう言って私に薬を打ち「もう少し安静にしていてください。お大事に」と言い残し、部屋を出ていった。




******


 薬が回ってきたのか、少しは眩暈が収まってきたみたいだ。


 ケーニヒはまだ、私の手を握っていた。


「……ケーニヒ」


「なんだ?」


 ”私”の勘が囁く通りに聞いてみた。


「もしかして、サラ様は聖女の……」


「ああ。生まれ変わりだろうな」


(やっぱり、そうなのか)


「どうしてあの時の勇者一行が、同じ時代に、こんなに生まれ変わっているの?」


「さぁな。言ったろう? 俺にも創世神の考えることはわからん」



 ”私”の時代の神話では、生命あるものは、死ぬと生まれ変わると言われていた。


 死後、魂は創世神の元へ召され、その後また、地上へ戻されるのだと。



(『死ぬ前に奴に願った』、そう、ケーニヒは言っていた)


「ケーニヒ。あなたは死ぬ直前、何を願ったの?」


「……お前との再会だ」


(そんなことを、この人が思っていただなんて……)



 ケーニヒはかつて魔族だった。だけど”私”たちと一戦してから「お前を気に入った」と言い、それ以来、『お前だけの味方だ』という言葉を貫き、勇者一行に同行した。


 魔王を倒した後は生き残った魔族を統率し、『人類を脅かさず生きる術を探す』と言っていた。


 それが、勇者の叙事詩から存在を抹消された、彼の物語。



「ケーニヒ、あなたはなぜあの時、あんなにステファンを煽ったの?」


「奴自身が自覚していない罪を暴き立てただけだ。お前も、少しは自覚しただろう?」


「…………」


 さきほどの疑問を、ぶつけてみることにした。


「あなたは、私があなたを選ぶと思っているの?」


 ケーニヒはそれを聞いて苦笑した。――彼のこんな表情は珍しかった。


「なかなか辛辣な問いだな。現状は、お前が思っている通りだ」


(やっぱり、私の気持ちもわかっている……)


「だが、お前があの男に幻滅すれば別だろう。その時、ようやく俺が選択肢として浮上する。だから俺は、あの男を責める」


「…………」


「お前があの男より、そしてこの国よりお前を選ぶ日が来た時。――それこそが、俺が選ばれる時だ」


 クラウスの言葉は止まらない。


「お前がお前を選ぶなら、必ず相手として俺を選ぶ。必ずだ。あの男じゃない。お前のためだけに生きることができるのは、俺だけだ」


「あなたも、ステファンに負けず劣らずの自信家なのね」


 ハッ! と吐き捨ててケーニヒは肩をすくめた。


「あの男と一緒にされると、反吐が出そうになるな」



「お嬢様!」


 室内の様子を見て、異変を察知したのだろう。カタリナが控室を走り回っている気配がする。


「こっちよカタリナ!」


 まだ眩暈は収まらないが、声は出るみたいだ。


 カタリナが衝立を回り込み、ベッドのそばに来た。が、ケーニヒを見て怯んだようだった。


「お嬢様、この方は?」


「危ないところを助けていただいたの。ヴィシュタット帝国のケーニヒ様よ」


 ケーニヒは軽く会釈をした。


「危ないところ、とは?」


 ステファンの声だ。カタリナの背後に居たらしい。カタリナに続いて姿を見せた。


「サラ様に襲われたわ。そちらにいらっしゃるでしょう? 身柄を拘束してちょうだい」


「わかった」


 ステファンは頷いて部屋を後にした。衛兵を呼びに行ったのだろう。


「カタリナ」


「はいお嬢様」


「この方は心配いらないわ。昔からの恩人なの。そう、遠い昔からの」


 警戒心をあらわにしていたカタリナに言葉をかけておいた。少しは警戒が解けるとよいのだけれど。


「……でも、昔から場をかき乱すのが大好きでね。彼に、ステファンと私の仲をかき乱されてしまって、このざまよ」


 私は自嘲して嗤った。


 そんな私の頬を、ケーニヒがそっと撫でた。


「メルフィナ、お前が悪いのではない。悪いのはあの男だ。自分を責めるな」


「……婚約発表の晴れの場で、こんな無様を晒しておいて、責めるなという方が無理よ。自分がこんなにも無力だとは思っていなかったわ」


「お前は前から忠告をしていたはずだ。おそらく『時間が足りない』とな。その結果がこれだ。この結果を招いたのはあの男の決断だ。お前のせいじゃない」


「……時間があれば、違う結果になったのかしら」


「お前たちがもっと信頼関係を積み重ねていれば、あの程度で揺るぎなどしなかったさ」


「……それをすべて見抜いたうえで、あなたはステファンを煽っていたのでしょう?」


「そうだな」


「……あなたの目的は何?」


「おまえの幸福だ。忘れるな。いつでも、どこまでも俺は『お前だけの味方』だ」


「……私たちは、あのままではいけなかったの?」


「あのままでは、お前が磨り潰されるだけだったろう。俺はそれが我慢ならん。そう言ったはずだ」


「…………」


 思いが言葉にならなかった。いや、その思いすら千々に乱れてまとまらない。


(私とステファンはこれから、どうしたらいいの?)


「まだ指輪に力は残っている。また俺の助けが欲しければ、指輪に願え」


「……ナイフを阻止してくれたのは、指輪の力?」


「そうだ。お前ほどの強度はないが、見様見真似の防御結界を仕込んである。お前だけを守る結界だ」


 会話を聞いていて、ケーニヒが敵ではないと悟ったのだろう。カタリナが紅茶を用意して持ってきてくれた。


「ありがとうカタリナ」


 上体を起こし、少しのどを潤す。


 ケーニヒも一口飲んだようだ。


「……ねぇケーニヒ。毒を盛られたって、誰に?」


「直前になにを口にしたか、覚えているか?」


(……クラウスの持ってきた軽食?)


 まさか。クラウスはシュバイクおじさまの懐刀ともいえる従僕だ。毒を盛る理由などない。


「事実から目をそらすな。全てを疑え」


(…………)


 ステファンが帰ってきて、衛兵がサラ様を連行していった。


 ステファンは、未だにケーニヒが居ることを不満に思っているようだった。


「なぜお前がまだここに居る?」


「満足に動けないメルフィナを放置してはおけまい。だが貴様が帰ってきたなら話は別だ。これで俺はお暇しよう。交わすべき言葉は交わした」


 そういってケーニヒは部屋を去っていった。


 ステファンがカタリナを見た。


「あいつとは何を話していた?」


「いえ、私には話がさっぱり……ですが、お嬢様を第一に考えて動き、言葉をかけていらしたのは確かです」


「…………」


「ステファン、もう大丈夫。立てるようになったから。戻りましょう?」


「いや、それには及ばない。ノウマン侯爵令嬢に襲撃されたことは父上に報告した。メルフィナは大事を取ってこのまま下がることになった。二週間、王妃教育の休暇も頂けた。少しゆっくりと体を休めるといい」


「…………」


「さぁ、馬車を用意してある。帰ろう」


 ふと、クラウスの件を思い出す。


「待って!」


 ステファンに、クラウスから毒を盛られた可能性を話した。ステファンも「まさか」と言っていた。クラウスはベルンハルトの兄なのだ。


「だが、共犯容疑者の一人だな。彼も拘束させよう」




 その日、クラウスを発見することはできなかった。




******


 私はおじさまの屋敷に戻り、念のためもう一度医師に診てもらった後、ベッドに身体を沈み込ませていた。


(……ステファンと、ちゃんと話せなかったな)


 前世の事――ケーニヒのこと。”私”のこと。サラ様のこと。そしておそらく、ステファンの事。


(このまま疑われて終わるのは、なんだか嫌だな)


 それは”私”と勇者の想いすら終わらせてしまうような気がして。――私には耐えられそうになかった。


(私はこの後、どうしたらよいのだろう)


 ステファンを選ぶのか。――関係を修復できるのだろうか。


 ケーニヒを選ぶのか。――『私が私を選ぶ時』って、どういう意味?


 それとも、どちらも選ばないのか。


(ステファンを選ばない、ということは婚約を白紙にするということ。そうなればこの国の運営に影響が出る)


 両陛下とも良い人たちだった。あの方々の嘆く顔は見たくなかった。


(そもそも、私は公爵令嬢。家や国家を守るために、身を捧げる務めのある者。そう思って生きてきた。……ケーニヒは、それが間違いだ、とでも言いたいのかな)


 心が寂しいと叫んでいた。誰かと話したい。


「――ねぇケーニヒ。聞こえてる?」


 口が勝手に動いていた。私の口は、黒い指輪に向かって話しかけていた。


『……どうした? 泣き言か?』


 指輪から声が聞こえた。


「……誰かと、話したくて」


『あまり指輪の力を無駄に使うな。本当に俺が必要な時に使え』


「今は……そうじゃないの?」


『……いや? お前が必要とする時、それが指輪の使い時だ』


「……ねぇケーニヒ。私はこれから、どうしたらいいのかな」


『答えが見つからないんだろう? お前は賢いから、そういった状況が不安でしょうがないんだ』


「……そうかもしれない」


『人の気持ちというのは、簡単に答えを導き出せるものじゃない。自分の心と向き合って、なおわからないのが心だ』


「…………」


『そして今のお前には、自分の心と向き合えるだけの力が残っていない。だから、今は休め』


「……すぐに答えを出さなくても、いいのかな」


『言っただろう? おれはいつまでも待つ。あの男のことは知らんが、勝手に待たせておけばいい。耐えられなければ、その程度の男だったというだけだ』


「……そんなわがままを私が言っても、いいのかな」


『お前にはその価値がある。少なくとも、俺にとってはな』


「うん……ありがとう」


『なに、たいしたことじゃない。もう寝ておけ』


「うん……おやすみケーニヒ」




 その夜は、不思議と穏やかに眠りに入った。




******


 翌日。


 お父様から「今日は一日、安静にしていなさい」と言われてしまったので、私はベッドで本を読んでいた。


「お嬢様、ステファン様がお見舞いに来られるとのことです」


「そう……わかりました」


 私は読みかけの本を閉じて返事をした。


(何を、どこまで話したらいいのかな)


 昨日の夜、ケーニヒは『今は休め』と言ってくれた。


(じゃあ、今すぐ打ち明けなくても、いいのかな……)


 そんな思考がいったりきたりしているうちに、ステファンが見舞いにやってきた。




「……身体は、もう大丈夫か」


 やはり、ぎこちない。


「うん、体調はもう大丈夫! ただ、念のために安静にしてろって言われたんだよ」


 笑って返した。いつものように、笑えてるといいのだけれど。


「あの男、ケーニヒ第一皇子とは、本当に初めて会ったのか」


 私の笑顔が凍り付いた。


 ため息をついて、笑顔の仮面を脱いで俯いた。


「……そうだよ」


 ステファンが私のそばに座った。


「では何故、ああも親しげだったんだ?」


「…………」


「俺には言えない事、なのか」


「もう少し、待ってもらえるかな。今は、何をどこまで話したらいいのか、私には決められないから」


「すべてを話してはくれないのか」


「……話したら、それを信じてくれるの? それが、どんなに信じられないことだとしても?」


「…………」


 しばらく返答を待ったが、ステファンは応えてくれなかった。


「ほら、やっぱり時間が足りなかった」


 私はステファンを見て、にっこりと微笑んだ。


「私が我慢すれば、ちょっとくらい時間が足りなくてもなんとかなるって、そう思ってた。……でも、思い上がりだったね」


 自然と笑みがこぼれていた。――自嘲の笑みが。


「メルフィナ」


「なーに?」


「すまなかった」


 私はきょとんとしてしまった。


「なんでステファンが謝るの?」


「俺がお前に甘えすぎていた。お前のことを、きちんと考えていなかったんだ。それを気づかされた」


「…………」


「……まだ、間に合うだろうか」


「何に、かな?」


「俺とお前は、また元の関係に戻れるだろうか」


「……まだ、わからない」


「……ケーニヒは、お前になんて言っていたんだ?」


「『今は休め』って。『いくらでも待つ』って」


 そう――彼はそう言ってくれた。とても心が落ち着いたのを覚えている。


「あいつは、どんな奴なんだ?」


「……いっつも場を乱しては、”私”を困らせるトラブルメーカー。でも”私”の言うことだけはいつも信じてくれた。口癖のように『俺はお前だけの味方だ』って言うの」


「…………」


「でも、”私”が『仲間を助けて』って言えば、ちゃんと助けてくれた。嫌そうな顔をしながらだけどね。……”私”のお願いは、できる限り応えてくれてた」


 ”私”の記憶が懐かしくて、笑みがこぼれた。


「それ、寝る時でもつけてるのか?」


 ステファンの目が、黒い指輪にとまっていた。


「……今の私にとっては、お守りだから」


 私の左手には、ステファンからもらった婚約指輪と、ケーニヒからもらった黒い指輪が同居していた。


「……婚約を後悔してるのか」


「……それもまだ、わからない」


「わかった。また明日も来る。……来て、いいか?」


「……いいよ」


 ステファンは頷いた後、部屋を後にした。




「ねぇカタリナ。これで……よかったのかな」


 入り口に控えていたカタリナに語りかけた。


「私から申し上げられることがあるとすれば、一つだけです」


「なにかな?」


「お嬢様は、ステファン様に笑いかけているとき、とてもお辛そうでした。――ですが、ケーニヒ様のことを話すときは、とても穏やかに笑ってらっしゃいました」


 私は、左手の黒い指輪に目を落とした。


「……そっか」


 そうして私は、また読みかけの本を開き、ページをめくり始めた。




******


 夜になり、ベッドに月光が差し込んでいた。


 私はまた、左手の黒い指輪を眺めている。



「……ねぇケーニヒ。聞こえる?」


『……どうした、今日も泣き言か』


「今日はね、ちょっとほうこくー」


『ほう? どんな話だ?』


 ケーニヒの声に、楽しそうな音色が加わった。


「私は今ね。ケーニヒから安心を貰ってるらしいよ」


『そうか。お前の力に成れているなら、それは喜ばしいことだ』


「そしてね……ステファンからは、不安を貰ってるらしいよ」


『ふん……まぁそうだろうな』


 ちょっとつまらなそうな音色に変わった。


「私は、どっちを取るんだろうね」


『それは、お前が決めることだ』


「んー、ケーニヒは、こういう時の相談相手にはならないかー」


『だが、今日のお前の声は弾んでいる。良いことがあったということだけはわかる』


「……ねぇケーニヒ。この指輪って、あとどれくらい使えるのかな?」


『そうだな……こうして話をするだけなら、あまり気にしなくていい』


「使用回数が決まってるの?」


『そうではない。――まぁ、お前が気にすることではない。だが無駄遣いはするな』


「はーい。……じゃあ、もう寝るね。おやすみ」


『ああ。今夜もゆっくり寝ろ』




 ケーニヒの声が途絶え、部屋に静寂が降りてくる。


「えへへ……」


 私は、その黒い指輪を月にかざして笑っていた。





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