第4話:黒い指輪
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パキン、と乾いた音が鳴って、ナイフの刃が弾け飛んでいた。
サラ様も、何が起こったのか把握できていないようだった。
「なに、これ……」
サラ様はそう言って、手の中のナイフをしげしげと眺めている。
私はなんとかサラ様から距離を取り、壁によりかかる。まだ眩暈が収まらない。
(魔法はまだ無理、動いて逃げるのも難しい、周りには誰も居ない――カタリナはさっき出て行ったばかり!)
八方塞がり――いや、ひとつだけあった。
左手の黒い指輪に、必死に念じた。
(助けて!)
指輪から、ぞろり、と黒い影が滲み出た。影は人を形作り、私の前に立ち塞がっていた。
「――どうした、もう必要になったのか」
影は、ケーニヒの姿をしていた。いや、いつのまにかケーニヒ自身になっていた。
ケーニヒは素早くサラ様に一撃を加えて気絶させ、ナイフを奪い取って床に寝かせた。そしてそのまま振り返り、私の元に帰ってきた。
ケーニヒは私の顎を手に取り、目をのぞき込む。
「……毒を盛られたな。身体が思うように動くまい。俺も治癒の魔法は使えん」
そういって私を抱えあげた後、控室の奥、衝立の裏にあったベッドに私の身体を横たえた。
「今、医師をよこす。もうしばらく我慢していろ」
そう言って、ケーニヒは自分の手に嵌った指輪に「医師を連れてこい」と話しかけたようだった。
そして、私の手を握ってくれた。
「なん……で、ここ、に?」
「しゃべるな。まだ辛いだろう。――お前が指輪に願ったからだ。だから俺はここに居る」
(…………)
不思議な時間が過ぎていった。しばらくして、医師がやってきて私を診察してくれた。
「……これなら、持ってきた解毒剤で中和できるでしょう」
医師はそう言って私に薬を打ち「もう少し安静にしていてください。お大事に」と言い残し、部屋を出ていった。
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薬が回ってきたのか、少しは眩暈が収まってきたみたいだ。
ケーニヒはまだ、私の手を握っていた。
「……ケーニヒ」
「なんだ?」
”私”の勘が囁く通りに聞いてみた。
「もしかして、サラ様は聖女の……」
「ああ。生まれ変わりだろうな」
(やっぱり、そうなのか)
「どうしてあの時の勇者一行が、同じ時代に、こんなに生まれ変わっているの?」
「さぁな。言ったろう? 俺にも創世神の考えることはわからん」
”私”の時代の神話では、生命あるものは、死ぬと生まれ変わると言われていた。
死後、魂は創世神の元へ召され、その後また、地上へ戻されるのだと。
(『死ぬ前に奴に願った』、そう、ケーニヒは言っていた)
「ケーニヒ。あなたは死ぬ直前、何を願ったの?」
「……お前との再会だ」
(そんなことを、この人が思っていただなんて……)
ケーニヒはかつて魔族だった。だけど”私”たちと一戦してから「お前を気に入った」と言い、それ以来、『お前だけの味方だ』という言葉を貫き、勇者一行に同行した。
魔王を倒した後は生き残った魔族を統率し、『人類を脅かさず生きる術を探す』と言っていた。
それが、勇者の叙事詩から存在を抹消された、彼の物語。
「ケーニヒ、あなたはなぜあの時、あんなにステファンを煽ったの?」
「奴自身が自覚していない罪を暴き立てただけだ。お前も、少しは自覚しただろう?」
「…………」
さきほどの疑問を、ぶつけてみることにした。
「あなたは、私があなたを選ぶと思っているの?」
ケーニヒはそれを聞いて苦笑した。――彼のこんな表情は珍しかった。
「なかなか辛辣な問いだな。現状は、お前が思っている通りだ」
(やっぱり、私の気持ちもわかっている……)
「だが、お前があの男に幻滅すれば別だろう。その時、ようやく俺が選択肢として浮上する。だから俺は、あの男を責める」
「…………」
「お前があの男より、そしてこの国よりお前を選ぶ日が来た時。――それこそが、俺が選ばれる時だ」
クラウスの言葉は止まらない。
「お前がお前を選ぶなら、必ず相手として俺を選ぶ。必ずだ。あの男じゃない。お前のためだけに生きることができるのは、俺だけだ」
「あなたも、ステファンに負けず劣らずの自信家なのね」
ハッ! と吐き捨ててケーニヒは肩をすくめた。
「あの男と一緒にされると、反吐が出そうになるな」
「お嬢様!」
室内の様子を見て、異変を察知したのだろう。カタリナが控室を走り回っている気配がする。
「こっちよカタリナ!」
まだ眩暈は収まらないが、声は出るみたいだ。
カタリナが衝立を回り込み、ベッドのそばに来た。が、ケーニヒを見て怯んだようだった。
「お嬢様、この方は?」
「危ないところを助けていただいたの。ヴィシュタット帝国のケーニヒ様よ」
ケーニヒは軽く会釈をした。
「危ないところ、とは?」
ステファンの声だ。カタリナの背後に居たらしい。カタリナに続いて姿を見せた。
「サラ様に襲われたわ。そちらにいらっしゃるでしょう? 身柄を拘束してちょうだい」
「わかった」
ステファンは頷いて部屋を後にした。衛兵を呼びに行ったのだろう。
「カタリナ」
「はいお嬢様」
「この方は心配いらないわ。昔からの恩人なの。そう、遠い昔からの」
警戒心をあらわにしていたカタリナに言葉をかけておいた。少しは警戒が解けるとよいのだけれど。
「……でも、昔から場をかき乱すのが大好きでね。彼に、ステファンと私の仲をかき乱されてしまって、このざまよ」
私は自嘲して嗤った。
そんな私の頬を、ケーニヒがそっと撫でた。
「メルフィナ、お前が悪いのではない。悪いのはあの男だ。自分を責めるな」
「……婚約発表の晴れの場で、こんな無様を晒しておいて、責めるなという方が無理よ。自分がこんなにも無力だとは思っていなかったわ」
「お前は前から忠告をしていたはずだ。おそらく『時間が足りない』とな。その結果がこれだ。この結果を招いたのはあの男の決断だ。お前のせいじゃない」
「……時間があれば、違う結果になったのかしら」
「お前たちがもっと信頼関係を積み重ねていれば、あの程度で揺るぎなどしなかったさ」
「……それをすべて見抜いたうえで、あなたはステファンを煽っていたのでしょう?」
「そうだな」
「……あなたの目的は何?」
「おまえの幸福だ。忘れるな。いつでも、どこまでも俺は『お前だけの味方』だ」
「……私たちは、あのままではいけなかったの?」
「あのままでは、お前が磨り潰されるだけだったろう。俺はそれが我慢ならん。そう言ったはずだ」
「…………」
思いが言葉にならなかった。いや、その思いすら千々に乱れてまとまらない。
(私とステファンはこれから、どうしたらいいの?)
「まだ指輪に力は残っている。また俺の助けが欲しければ、指輪に願え」
「……ナイフを阻止してくれたのは、指輪の力?」
「そうだ。お前ほどの強度はないが、見様見真似の防御結界を仕込んである。お前だけを守る結界だ」
会話を聞いていて、ケーニヒが敵ではないと悟ったのだろう。カタリナが紅茶を用意して持ってきてくれた。
「ありがとうカタリナ」
上体を起こし、少しのどを潤す。
ケーニヒも一口飲んだようだ。
「……ねぇケーニヒ。毒を盛られたって、誰に?」
「直前になにを口にしたか、覚えているか?」
(……クラウスの持ってきた軽食?)
まさか。クラウスはシュバイクおじさまの懐刀ともいえる従僕だ。毒を盛る理由などない。
「事実から目をそらすな。全てを疑え」
(…………)
ステファンが帰ってきて、衛兵がサラ様を連行していった。
ステファンは、未だにケーニヒが居ることを不満に思っているようだった。
「なぜお前がまだここに居る?」
「満足に動けないメルフィナを放置してはおけまい。だが貴様が帰ってきたなら話は別だ。これで俺はお暇しよう。交わすべき言葉は交わした」
そういってケーニヒは部屋を去っていった。
ステファンがカタリナを見た。
「あいつとは何を話していた?」
「いえ、私には話がさっぱり……ですが、お嬢様を第一に考えて動き、言葉をかけていらしたのは確かです」
「…………」
「ステファン、もう大丈夫。立てるようになったから。戻りましょう?」
「いや、それには及ばない。ノウマン侯爵令嬢に襲撃されたことは父上に報告した。メルフィナは大事を取ってこのまま下がることになった。二週間、王妃教育の休暇も頂けた。少しゆっくりと体を休めるといい」
「…………」
「さぁ、馬車を用意してある。帰ろう」
ふと、クラウスの件を思い出す。
「待って!」
ステファンに、クラウスから毒を盛られた可能性を話した。ステファンも「まさか」と言っていた。クラウスはベルンハルトの兄なのだ。
「だが、共犯容疑者の一人だな。彼も拘束させよう」
その日、クラウスを発見することはできなかった。
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私はおじさまの屋敷に戻り、念のためもう一度医師に診てもらった後、ベッドに身体を沈み込ませていた。
(……ステファンと、ちゃんと話せなかったな)
前世の事――ケーニヒのこと。”私”のこと。サラ様のこと。そしておそらく、ステファンの事。
(このまま疑われて終わるのは、なんだか嫌だな)
それは”私”と勇者の想いすら終わらせてしまうような気がして。――私には耐えられそうになかった。
(私はこの後、どうしたらよいのだろう)
ステファンを選ぶのか。――関係を修復できるのだろうか。
ケーニヒを選ぶのか。――『私が私を選ぶ時』って、どういう意味?
それとも、どちらも選ばないのか。
(ステファンを選ばない、ということは婚約を白紙にするということ。そうなればこの国の運営に影響が出る)
両陛下とも良い人たちだった。あの方々の嘆く顔は見たくなかった。
(そもそも、私は公爵令嬢。家や国家を守るために、身を捧げる務めのある者。そう思って生きてきた。……ケーニヒは、それが間違いだ、とでも言いたいのかな)
心が寂しいと叫んでいた。誰かと話したい。
「――ねぇケーニヒ。聞こえてる?」
口が勝手に動いていた。私の口は、黒い指輪に向かって話しかけていた。
『……どうした? 泣き言か?』
指輪から声が聞こえた。
「……誰かと、話したくて」
『あまり指輪の力を無駄に使うな。本当に俺が必要な時に使え』
「今は……そうじゃないの?」
『……いや? お前が必要とする時、それが指輪の使い時だ』
「……ねぇケーニヒ。私はこれから、どうしたらいいのかな」
『答えが見つからないんだろう? お前は賢いから、そういった状況が不安でしょうがないんだ』
「……そうかもしれない」
『人の気持ちというのは、簡単に答えを導き出せるものじゃない。自分の心と向き合って、なおわからないのが心だ』
「…………」
『そして今のお前には、自分の心と向き合えるだけの力が残っていない。だから、今は休め』
「……すぐに答えを出さなくても、いいのかな」
『言っただろう? おれはいつまでも待つ。あの男のことは知らんが、勝手に待たせておけばいい。耐えられなければ、その程度の男だったというだけだ』
「……そんなわがままを私が言っても、いいのかな」
『お前にはその価値がある。少なくとも、俺にとってはな』
「うん……ありがとう」
『なに、たいしたことじゃない。もう寝ておけ』
「うん……おやすみケーニヒ」
その夜は、不思議と穏やかに眠りに入った。
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翌日。
お父様から「今日は一日、安静にしていなさい」と言われてしまったので、私はベッドで本を読んでいた。
「お嬢様、ステファン様がお見舞いに来られるとのことです」
「そう……わかりました」
私は読みかけの本を閉じて返事をした。
(何を、どこまで話したらいいのかな)
昨日の夜、ケーニヒは『今は休め』と言ってくれた。
(じゃあ、今すぐ打ち明けなくても、いいのかな……)
そんな思考がいったりきたりしているうちに、ステファンが見舞いにやってきた。
「……身体は、もう大丈夫か」
やはり、ぎこちない。
「うん、体調はもう大丈夫! ただ、念のために安静にしてろって言われたんだよ」
笑って返した。いつものように、笑えてるといいのだけれど。
「あの男、ケーニヒ第一皇子とは、本当に初めて会ったのか」
私の笑顔が凍り付いた。
ため息をついて、笑顔の仮面を脱いで俯いた。
「……そうだよ」
ステファンが私のそばに座った。
「では何故、ああも親しげだったんだ?」
「…………」
「俺には言えない事、なのか」
「もう少し、待ってもらえるかな。今は、何をどこまで話したらいいのか、私には決められないから」
「すべてを話してはくれないのか」
「……話したら、それを信じてくれるの? それが、どんなに信じられないことだとしても?」
「…………」
しばらく返答を待ったが、ステファンは応えてくれなかった。
「ほら、やっぱり時間が足りなかった」
私はステファンを見て、にっこりと微笑んだ。
「私が我慢すれば、ちょっとくらい時間が足りなくてもなんとかなるって、そう思ってた。……でも、思い上がりだったね」
自然と笑みがこぼれていた。――自嘲の笑みが。
「メルフィナ」
「なーに?」
「すまなかった」
私はきょとんとしてしまった。
「なんでステファンが謝るの?」
「俺がお前に甘えすぎていた。お前のことを、きちんと考えていなかったんだ。それを気づかされた」
「…………」
「……まだ、間に合うだろうか」
「何に、かな?」
「俺とお前は、また元の関係に戻れるだろうか」
「……まだ、わからない」
「……ケーニヒは、お前になんて言っていたんだ?」
「『今は休め』って。『いくらでも待つ』って」
そう――彼はそう言ってくれた。とても心が落ち着いたのを覚えている。
「あいつは、どんな奴なんだ?」
「……いっつも場を乱しては、”私”を困らせるトラブルメーカー。でも”私”の言うことだけはいつも信じてくれた。口癖のように『俺はお前だけの味方だ』って言うの」
「…………」
「でも、”私”が『仲間を助けて』って言えば、ちゃんと助けてくれた。嫌そうな顔をしながらだけどね。……”私”のお願いは、できる限り応えてくれてた」
”私”の記憶が懐かしくて、笑みがこぼれた。
「それ、寝る時でもつけてるのか?」
ステファンの目が、黒い指輪にとまっていた。
「……今の私にとっては、お守りだから」
私の左手には、ステファンからもらった婚約指輪と、ケーニヒからもらった黒い指輪が同居していた。
「……婚約を後悔してるのか」
「……それもまだ、わからない」
「わかった。また明日も来る。……来て、いいか?」
「……いいよ」
ステファンは頷いた後、部屋を後にした。
「ねぇカタリナ。これで……よかったのかな」
入り口に控えていたカタリナに語りかけた。
「私から申し上げられることがあるとすれば、一つだけです」
「なにかな?」
「お嬢様は、ステファン様に笑いかけているとき、とてもお辛そうでした。――ですが、ケーニヒ様のことを話すときは、とても穏やかに笑ってらっしゃいました」
私は、左手の黒い指輪に目を落とした。
「……そっか」
そうして私は、また読みかけの本を開き、ページをめくり始めた。
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夜になり、ベッドに月光が差し込んでいた。
私はまた、左手の黒い指輪を眺めている。
「……ねぇケーニヒ。聞こえる?」
『……どうした、今日も泣き言か』
「今日はね、ちょっとほうこくー」
『ほう? どんな話だ?』
ケーニヒの声に、楽しそうな音色が加わった。
「私は今ね。ケーニヒから安心を貰ってるらしいよ」
『そうか。お前の力に成れているなら、それは喜ばしいことだ』
「そしてね……ステファンからは、不安を貰ってるらしいよ」
『ふん……まぁそうだろうな』
ちょっとつまらなそうな音色に変わった。
「私は、どっちを取るんだろうね」
『それは、お前が決めることだ』
「んー、ケーニヒは、こういう時の相談相手にはならないかー」
『だが、今日のお前の声は弾んでいる。良いことがあったということだけはわかる』
「……ねぇケーニヒ。この指輪って、あとどれくらい使えるのかな?」
『そうだな……こうして話をするだけなら、あまり気にしなくていい』
「使用回数が決まってるの?」
『そうではない。――まぁ、お前が気にすることではない。だが無駄遣いはするな』
「はーい。……じゃあ、もう寝るね。おやすみ」
『ああ。今夜もゆっくり寝ろ』
ケーニヒの声が途絶え、部屋に静寂が降りてくる。
「えへへ……」
私は、その黒い指輪を月にかざして笑っていた。
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