第2話:婚約
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「おはようございます、お嬢様」
カタリナの声で目が覚める。――今日は入学式の日だ。小春日和で眠気が取れない。
おもいきり伸びをしてから顔を洗い、制服に袖を通す。
カタリナを伴い食堂へ向かう。
「おはようございますメルフィナ様」
「おはようクラウス」
食堂に入り、クラウスに挨拶をする。ふと既視感を覚えた。
「そういえばあなた、どこかベルンハルトに似ているわね」
クラウスはにこりと笑った。
「彼は私の弟ですので。あまり似ていない兄弟とは言われております」
「クラウスはベルンハルトのように、騎士を目指したりはしないの?」
「人には向き、不向きというものがございます。私には騎士など性に会いませんよ」
そう言うクラウスが、実はシュバイクおじさまの懐刀と言われていることを知っている。何をやらせても優秀で、「安心して任せていられる」と、おじさまは言っていた。
(おじさまの影の護衛役も兼ねているらしいから、戦闘能力もあるみたいなのよね)
単に宮仕えが嫌いなだけなのかもしれない。そう考えつつ席に着いた。
「やあおはよう、メルフィナ」
「おはようございます、おじさま」
「制服が良く似合っているね。今日から学校だ。がんばりなさい」
「はい」
おじさまと笑顔を交わす。
そうして朝食を平らげてから馬車に乗り込む。馬車はゆっくりと発車し、学園に向かっていく。
流れていく街並みを、それとなく窓から眺める。通りを歩く生徒の姿がちらほら見える。魔法学園に通う、平民の生徒たちだ。
(魔法学園は平等な場所、と言われていたっけ)
身なりで差別が起こらないように、と学園では同じ制服を着用するよう義務付けられていた。裕福ではない子供たちには、制服貸与の制度もあるらしい。
おじさまからも、学園内で身分をひけらかすのは、とても下品だから注意しなさい、と言われていた。
そうして馬車は学園に到着する。馬車を下りると、校舎に向かう生徒の流れができていた。
その流れに乗って、玄関をくぐる。
案内板を見て、自分の教室に入っていく。既にそれなりの生徒が居た。
「ごきげんよう皆さま」
教室の中から返事が返ってきた。どうやら、うまくやっていけそうな感じだ。
教卓に置かれている座席表を見て、自分の席を確認する。――そのそばに、ステファンの名前が記されていた。胸がわずかに高鳴った。
(同じクラスだったんだ)
どこかご機嫌になりつつ、自分の席に着いて、ステファンの席を見る。
(まだ来てないか。早く来ないかな)
待ち遠しい気分を抑えていると、声をかけられた。
「ごきげんようメルフィナ様」
「あら――ごきげんようリアン様」
リアン・エズジャン侯爵令嬢だ。夜会で会った覚えがある。人を覚るのが苦手な私にしては、よく咄嗟に名前が出てきたものだ、と自分を褒めた。
綺麗な水色の長髪をしたリアン様は、お人形のように可愛らしい方だった。その特徴的な髪色が印象的だったのだろう。
「同じクラスでしたのね」
「一年間、仲良くしてくださいね」
リアン様の微笑みに、微笑みで返す。
学園は一学年ごとに成績によってクラス替えがある。学力が近ければ、三年間同じクラスだ。
「そうだメルフィナ様、今度小さなお茶会を開きますの。よろしければいらしてくださらないかしら」
リアン様のお誘いに笑顔で答える。
「ええ、私でよろしければぜひ」
リアン様はにこり、と笑うと「ではまた」と席に戻っていった。
振り返って再び、ステファンの席を見る。
(まだかなー)
「おはよう諸君!」
ステファンの声が教室に響いた。声のする方に目を向けると、そこには久しぶりに見るステファンの制服姿があった。
待ち焦がれたその姿に、胸が高鳴った。
(わー、制服も似合ってるなー)
ステファンが座席表を確認した後、私の方を見ながら席に座った。
「よーメルフィナ。同じクラスだな」
「おはよ、ステファン。偶然だね」
「偶然じゃないよメルフィナ嬢。このやんちゃ坊主がクラス割に口出ししたんだよ」
ステファンの後ろに居たベルンハルトが声をかけてきた。
(ステファンばかり見ていて、気が付かなかった……)
「おはようベルンハルト。それはどういう意味なの?」
ベルンハルトがそっと耳打ちしてくる。
「ステファンは狙われている身だからね。何かあってもいいように、同学年の護衛役を、同じクラスに割り当てたんだ」
いつのまにか私も、護衛役としてカウントされていた。じろり、とステファンの顔を睨む。
ステファンは楽しそうに、いたずらっ子の顔を浮かべた。
「ま、そういう訳だ」
私は、はぁ、とため息をついてしまう。
「令嬢に護衛を期待するって、それはどうなの……」
「メルフィナは頼もしいからな。信頼してんだよ」
そういって、ステファンはまた楽しそうに笑っていた。
ステファンと異様に仲が良い私の様子を、周囲はおっかなびっくり見ていたようだった。
(まぁ、いくら公爵令嬢と言えど、敬語もなしってのはさすがに目立つよなぁ)
もっとも、私は私で大変だった。ステファンと言葉を交わすたびに胸がやかましい。精いっぱい平静な振りをする。
(久しぶりのステファンは、思ってたより刺激が強かった)
そんな他愛ない会話を続けているうちに、入学式典の時間になった。生徒全員がホールに向かう。
(さすがに、全校生徒はそれなりに人が多いな)
生徒数はおよそ二百人ほどらしい。何が起こってもいいように、ステファンのそばについて歩く。
(警戒魔法も張っておいた方がいいか)
そっと直系三十メートル程度の、敵意に反応する警戒魔法を展開しておく。
本来なら、校内でのむやみやたらな魔法の使用は禁止されている。だが、王族の警護のためならば許してもらえるだろう。
学園内での訓示、そして学園長の祝辞で式典が無事終わりをつげ、生徒が教室に戻っていく。今日の学園はこれで終わりだ。
(何事もなくてよかった)
私がひそかに胸をなでおろしていると、ステファンが口を開いた。
「放課後は校内を探検しようぜ」
(狙われている自覚、あるのかな?!)
学園には厳重な警護があるといっても、相手はなんどもそういったものを潜り抜けて来てるのに。
「ちょっと、本気で言ってるの?」
「ああもちろん。メルフィナとベルンハルトが居れば対応はできるだろ」
(言い出したら聞かないタイプだなぁ。ほんと勇者そっくりだ)
ベルンハルトと顔を見合わせ、一緒にため息をつく。一方で(一緒に居られる時間が増える)と喜んでいる自分も居た。
教室で解散が言い渡され、各々が帰路に就く。私たちは校内探検だ。
魔法を使ったり身体を動かすための教練場、音楽室、図書室、さらには屋上プールと、設備はもりだくさんだ。敷地内には庭園なんてものまである。
「プールなんてあるんだねー」
「男女で分かれてるのが残念な施設だな!」
ステファンの発言に、私のジト目が突き刺さる。
「淑女が殿方と一緒するわけないでしょうが!」
もちろん女性用水着は肌を露出しないように全身を覆うタイプだ。水を使った魔法の訓練などで使う施設らしい。中には水泳を楽しむご令嬢もいるとか。
日に焼けることないように、使用するときには魔法で防護幕を張るとのことだ。ご令嬢にとって、日焼けは天敵である。
ベルンハルトが確認を取る。
「これで一通り見たかな?」
「そうだな。じゃあ貴賓室に行こう。許可は取ってある」
ステファンの足が、貴賓室に向かっていく。
「何をしに行くの?」
「情報の共有だ」
ステファンがニっと笑った。
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ステファンが向かったのは、複数あるうちの一番小さい貴賓室だった。
「ここは在学中、俺が好きなように使っていいと言われている」
小さいと言えど貴賓室。中に入れば相応の家具が揃っていた。
「まぁ好きに座れ」
各々が席に着く。ステファンの隣にベルンハルトが、向かいに私が座る。
「ここは壁に魔道具が仕込んである。内外に音は漏れない」
(それって、外で何かあっても、中の人が気づけないんじゃないかな……)
「早速だが、暗殺を企てている容疑者の絞り込みが完了した」
ステファンの言葉に、姿勢を正して耳を傾ける。
「確たる証拠はまだだが、状況証拠的に宰相が一番可能性が高い」
「え、そんな偉い人に命を狙われてるの? なんでまた?」
「宰相の姪が、弟の婚約者なんだよ」
第一王子を亡き者として、第二王子についた血縁者を王妃に押し上げる。そうやって国内の政治的影響力を強めるのが目的じゃないか、という話だった。
「このことは父上にも報告済みだ。父上も証拠確保に動いていると思う。だが確実に尻尾をつかむまでは、もう少し囮として動くことになる。」
「つまり、私やベルンハルトの出番はまだある、と。そう言いたいんだね……」
「うむ!」
その威勢のよさに、頭痛を覚えて頭を押さえる。本当に無鉄砲なんだから。
「私が一緒に居られないときは、ちゃんと自重してよ?!」
「例えば、どういうときだ?」
「リアン様にお茶会のお誘いを受けてるの。そういう時は一緒に居られないでしょ」
ステファンが「ふむ」と自分の顎を撫でる。
「サラ様が同伴してるときとかもそう! ちゃんと周りの言うことを聞いて、安全に動いてね」
婚約者同伴の茶会や夜会など、私がそばに居てはマズイだろう。
「何故だ? サラがいる時も、メルフィナがそばに居れば安全だろう?」
(だめだ、こいつ。全然わかってない……)
「あーのーねー! 婚約者より近くに居られるわけがないでしょうが! もう少し自分とサラ様の立場というものをわきまえなさい!」
「わきまえたうえで命令する。俺が呼んだらそばに居ろ」
「私の立場が悪くなるっていってるの!」
「だが、お前には俺のそばに居て欲しい」
まっすぐな視線で言い切られた。
私はその視線に胸が跳ね、思わず頬が朱に染まる。ベルンハルトも呆気に取られている。
「……だからって、できることと、できないことがあるでしょうが」
そう言って視線を逸らす。
(こいつ、こんなに心臓に悪い奴だったっけ?)
「わかった。その件についても俺が何とかする」
「えっ」と思って目を上げるが、ステファンまだまっすぐこちらを見ていた。その目には決意をたたえていた。
その表情の意味を知るのは、一週間後の事だった。
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その日の朝は、教室中がざわついていた。
「ごきげんよう皆さま」
私はいつものように教室に入る。視線が私に集まっている気がする。
(私、何かしたのかな?)
覚えがないので、そのまま席に着く。リアンが近づいてきて「ごきげんようメルフィナ」とあいさつをしてきた。
何度かのお茶会を通じて、私たちは呼び捨てあえる仲になっていた。
「リアン、ごきげんよう」
リアンは少し言いにくそうに口を開いた。
「あの……メルフィナ。あの噂は本当でして?」
「あの噂、とは?」
私はきょとんとしてしまった。
「まさか、まだご存じになっていらっしゃらない?」
私は首を傾げて、次の言葉を待つ。
「殿下が、サラ・ノウマン侯爵令嬢との婚約を白紙に戻したそうですわよ」
突然のことに言葉もない。そんな私に、さらに追い打ちがきた。
「噂では、メルフィナ。あなたと婚約を結ぶためだって。本当でして?」
「初耳だよ?!」
うっかり素が漏れた。
「そう……それもご存じではないのね」
リアンは思うところがあったのか、「ではまた後程」と席に戻っていった。
(あいつ、何を考えてるの?!)
悶々としていると、教室に「おはよう諸君!」という、いつもの声が響き渡った。
まだ思考がまとまらない私をよそに、ステファンが着席する。
「ちょっとステファン! 婚約を白紙撤回したって――」
私は立ちあがり、ステファンに詰め寄っていた。
「そのことか。耳が早いな」
ステファンはにやりと不敵に笑った。
「どういうつもり?!」
「どうもこうも、聞いての通りだが? ――サラとはもう許嫁ではなくなった。これで、お前が俺のそばにいられない理由もなくなった」
呆然と話を聞くが、言葉が頭を素通りしていく。理解ができない。
「そして、シュバイク侯爵には、お前との婚約を打診している」
ようやくその言葉の意味を飲み込めた時、教室中がさらに騒がしくなった。
私たちのやりとりを、固唾をのんで見守っていたクラスメイトたちが、みんなして声を上げていた。ご令嬢方も興奮気味だ。
「なんで?」
やっと一言絞り出せた私に、ステファンが応える。
「最初に言っただろう? 『伴侶を選べるならば、俺はお前がいい』と。そのための行動をとっただけだ。近いうちにジルケ公爵もこちらにくるだろう。お前との婚約はその時だな」
不敵な笑みを浮かべながらも、その瞳は優しく私を見ていた。
「……私が、その婚約を断る、とは思わなかったの?」
「断らせはしない。どんな代償を払おうが、俺は必ずお前の首を縦に振らせて見せる」
(だから、その自信はどこからくるのよ……)
それ以上の言葉を紡げなくなった私は、頭痛を覚えながら自分の席に着いて頭を抱えた。私とステファンが婚約予定という噂は、瞬く間に学校中を駆け巡っていった。
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休み時間にリアンが近寄ってきた。放課後のお茶会のお誘いだった。
(少しステファンから離れて考えたいし、ちょうどいいかな)
そう思って了承の返事をすると、ステファンが割り込んできた。
「俺もそれに参加して構わないか?」
「ちょっと待った。きみは何を考えているのかな?!」
私は、少し怒り気味に口を開いた。私の心をこれだけかき乱しておいて、どういうつもりなんだ。
「お前のそばにいたいだけだが」
(こいつ、ここまで強引だったっけ?)
その言葉に顔を赤らめながら、必死に断りの言葉を探す。
「まぁ! 殿下もいらっしゃるなら、ご一緒にお話をお聞かせくださいな!」
リアンの目当てはやはりそれか。リアンとステファンが頷きあい、二人の視線が私を見た。特にリアンの視線は、期待に満ち満ちていた。
「……わかったわよ。ステファンもくればいいじゃない」
私が諦めて、ため息とともに承諾すると、リアンはとても嬉しそうに「では後程!」と席に戻っていった。
私は再びため息をつく。
「きみね。どういう席になるか、わかってるんでしょうね?」
「ん? 俺とお前の婚約について、根掘り葉掘り聞かれるんだろう?」
(わかってて言ってるのか……)
その日の授業は、すべて私の頭を通り過ぎていった。
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放課後、食堂のテラスで私とステファンは、リアンとそのご友人に囲まれていた。遠くにはベルンハルトが控えている。
紅茶を片手に、リアンの友人が話を切り出してくる。
「殿下は本当に、メルフィナ様と婚約を結ぶおつもりなのですか?」
「ああ、本気だ。メルフィナやジルケ公爵から返事はまだ貰っていないが、必ず勝ち取って見せる」
固い決意表明をするステファンの後頭部を手ではたく。
「どうしてそんな大事なことを隠してたのかな?!」
「隠していたつもりはないぞ? ただ俺は、一度決めたことはやり抜くと決めているだけだ。放っておいても、ジルケ公爵からお前に話が言っただろう?」
「だから、私がその話を断ったらどうするつもりなのよ!」
「だから、そんなことはさせないと言った」
(ぐぬぬ、この自信過剰め!)
お父様の事だ。この話には二つ返事で応じるだろう。
ステファンを睨みつける私をよそに、リアンがステファンに聞いた。
「殿下は、メルフィナのどこに惹かれたのですか?」
ステファンは紅茶を一口含んだ後、遠くを見ながら答えた。
「そうだな……まず、一目惚れだった。伴侶にするならこの人がいいと、俺に思わせた」
リアンたちから黄色い声が上がる。
ステファンは続けた。
「共に時間を過ごすうちに、その思いは強くなる一方だった。俺の隣にいて欲しい。そう思ったんだ」
そのままステファンは私に目を向け、優しく微笑んだ。
私は頭の先まで真っ赤になりながら、その言葉を聞いていた。
(なんでこいつは、ここまで赤裸々に自分の気持ちを語れるのよ?)
リアンが今度は私を見て聞いてくる。
「メルフィナは? 殿下の事をどう思ってらっしゃるの?」
「……その気持ちは嬉しく思っています」
ステファンにつられて、つい暴露してしまった。
また黄色い声が上がり、ステファンの顔がほころぶ。
「ほんとか?」
「……ほんとだよ」
出した言葉は戻せない。私は渋々、己の気持ちを認めた。だけど。
「でも私には、将来この国を背負っていく人の伴侶になる自信なんてないよ」
俯いて紡いだ私の小さな声に、ステファンが力強く反論する。
「自信などいらない。不安になる必要もない。お前はただ、俺のそばで、お前なりに俺を支えてくれればいい」
「……どうしてそこまで自信を持てるの?」
勇者もそうだった。その自信の根拠が、”私”には理解できなかった。だが勇者は、言った通りのことを常に実行して見せた。きっとステファンも同じなのだろう。
「さあな? ただ、俺は一度決意したことは覆さない。それだけは揺るいだことがない」
その自信に満ちた眼差しが、私にはなぜか心地よかった。この人にならついていける、そう思わせるものを、ステファンは持っていた。
私がステファンと見つめあっていると、リアンがぼそりと呟いた。
「熱烈ですわね……」
その日は、テラスから黄色い声が途切れることなくお茶会が終わった。
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「おじさま、私に婚約の打診があったというのは本当ですか?」
夕食が終わってから、おじさまに切り出してみた。
「もう耳にしたのかい? ――ああ本当だとも。ジルケ公爵には早馬を走らせてあるから、早ければ来週にはこちらに着くだろう。正式な話はそれから、ということになる」
(となると、この話はもう確定だろうなぁ)
カタリナにも言われていたが、私を王都の学園に通わせているのは、良縁を作るためである。
それが、第一王子から婚約の打診としてやってきたのなら、お父様が断るはずがない。
(気持ちは嬉しいんだけど、あまりに強引過ぎて、私の気持ちがついてきてないんだよなぁ)
私は思わずため息をついた。
確かに私はステファンを悪からず思ってはいる。正直に言えば、惹かれていると言っていい。だけど、二人が積み上げた時間はあまりにも短い。
(いきなり婚約とか言われても、ピンとこないんだよなぁ)
勇者と”私”は幼馴染として、時間をかけて心を通じ合わせていた。だが勇者にいくら似ているといっても、ステファンと私は出会ってまだ数か月だ。
私は早々に「部屋に戻ります」と言い残し、その場を後にした。
階段を上る足が重たい。ゆっくりと自室に入り、ベッドに身を投げる。
仰向けになって、自分の気持ちに再び向き合ってみた。
(性急すぎるんだよなぁ。もっとこっちの気持ちも考えて欲しい)
だけど、気持ちの整理をつけられたとき、私は彼の気持ちに応えることができるのだろうか。それはまだ、わからなかった。
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ある日、ステファンからまた二人で出かけるお誘いが来た。
「次の休日、一緒に街を散策しないか?」
もちろん、本当の狙いは暗殺者の尻尾をつかむこと。だがこの嬉しそうな表情を見る限り、私と共に居られる時間が待ち遠しいらしい。
私が「いいよ」と答えると、ステファンの表情が満面の笑みに変わった。
(なんか、犬に懐かれた気分だ)
休日になり、ベルンハルトを伴ったステファンは、私と商店街を歩いていた。
あちこちの店を回って、服や装飾品を身に着けてみせて遊んでいく。
魔道具屋に入り、新商品のチェックをする。子供のように目を輝かせるステファンの姿を見るのも楽しかった。
結局何も買わず、手ぶらで道を歩きながらステファンに聞いてみた。
「ステファンは、お守りの魔道具を持ち歩かないの?」
装身具の中には、防御結界を張れるタイプのものも存在した。それがあればもう少し安心できるのに。
「あの手の魔道具に込められている防御結界は、案外脆いんだ。高度な暗殺者はそれを見越して手を出してくる。それを何度も防ぎきっているメルフィナの魔法がすごいんだよ」
使われる暗器の方にも、防御結界を突破する細工がしてあることが多いのだという。
商店街を通り過ぎるころには陽が落ちてきた。あたりは夕暮れに染まっている。
「今日は収穫なし、か。帰るか」
「そうだね」
そうして大通りから延びる路地を横切ろうとしたとき――
「ベルンハルト!」
”私”は、一歩後ろを歩いていたベルンハルトに向けて声を投げかけると同時に、防御結界を展開してステファンに抱き着き、暗器を弾き飛ばす。
(路地の奥から?!)
ベルンハルトは衛兵を指揮して路地の奥に駆け出していった。
しばらく防御結界を維持して路地の様子を伺っていると、遠くにベルンハルトが見えた。今回も取り逃がしたようだ。
「そろそろ尻尾をつかみたいものだがな」
ステファンが忌々しそうに吐き捨てる。思ったより時間がかかっているようだ。
(ふぅ)
私は結界を解除して一息つく。ステファンに傷はない。
――”私”の勘が再び警告を上げた。
慌てて振り向くと、黒づくめの男が、私に向かって突進してくるのが見える。その手にはナイフを持っていた。距離はもうほとんど残っていない。
(――だめだ、結界が間に合わない!)
気を抜いた直後の隙を狙われた?
(油断した!)
身体が咄嗟に動かない。ゆっくりと流れる時間の中で、迫りくる男を見ていた。
痛みを覚悟して目を強く瞑る。
(……あれ?)
予想していた痛みがこないので、そっと目を開けた。
ステファンが、男のナイフをつかみ取り、立ちふさがっていた。
”私”は急いで男を魔法の蔓で捕縛していく。
捕縛された男は、身動きが取れず地面に転がった。駆け寄ってきたベルンハルトが男を取り押さえている。
(いつもとパターンが違う)
いつもはステファンのみを狙い、失敗したと判断したら痕跡も残さずすぐに撤収していた。手馴れたプロの手腕だ。
だがこの男の動きは、素人のそれに近い。
「メルフィナを狙っていたな」
ステファンがぽつりとつぶやいた。
(いつも暗殺を防いでいた私が邪魔だった? それとも……)
考えてもよくわからなかった。今はこの男の取り調べを待つべきだろう。
男は衛兵二名に連行されていった。
「――あ! ステファン、無事?!」
私をかばって、怪我などしていないだろうか。心配になって顔を覗き込む。
「ああ、問題ない」
ステファンは両手を挙げ、手のひらを広げてみせた。
私は安堵のため息をつく。
「よかったー……というか! なんで護衛対象が危険に身を晒すかな?!」
「お前が危ない、そう思ったら身体が勝手に動いていた。それだけだ」
悪びれもせず言ってのける。
「もっと自分の立場を考えて行動してよ!」
「だが、やっとメルフィナを守ることができた。いつも守ってもらってばかりじゃ癪だからな」
ステファンはにやりと、いたずら小僧の笑みを浮かべる。
(ほんとうにわかってるのかなー)
先ほどから警戒魔法も展開しているが、近くに敵意は感じられなかった。今度こそ大丈夫だろう。
(今日は人通りが多いからって油断したな。”私”だったらやらないミスだ)
私は自己嫌悪に落ち込みながら帰路についていた。
******
夜、私はベッドにあおむけになりながら反省していた。
(今まで何度も防いでこれたし、人間相手だからって、あそこまで油断するだなんて……)
”私”の相手は魔王軍だったが、ときには人間も含まれていた。彼女だったら、こんな失態は犯さなかっただろう。防ぎ切ったと安心して、”私”を引っ込めてしまった。完全な私のミスだ。
(”私”の経験も、万能じゃないんだなぁ。私だってしっかりしないと)
そしてその時のことを思い出す。『やっと私を守れた』と笑みを浮かべるステファン。その気持ちは正直にうれしかった。
(けど、二度とあんなことさせちゃいけない)
私は今、彼を守るためにそばに居るのだから。
深く決意をして、瞼を閉じた。
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「男の身元が割れたぞ」
放課後の貴賓室で、ベルンハルトが報告書をステファンに手渡しながら言った。
報告書を手繰りながら、ステファンが口を開く。
「貧民街の薬物中毒者、か」
「明らかに、今までにないパターンだな」
この手の刺客を仕立てるのは裏社会ではセオリーらしいが、プロの犯行ではあまり見られないという。成功率が高くないし、手掛かりを残しやすいのを嫌うのだと。
ベルンハルトが続けた。
「この男の言葉は要領を得ないが、見知らぬ男に金で頼まれたことだけ聞き出せた。今は人相を問い質しているところだ」
「随分と雑だな。今までのやつらが好む手口じゃない」
「それにターゲットも違った」
二人の目が私を見る。
「私は王都に来たばかりだし、誰かに恨まれるようなことはしてないと思うんだけど?」
ベルンハルトが苦笑した。
「いや、一人だけいる。――サラ様だ」
「あっ……」
急遽、婚約を白紙撤回されてしまった彼女。確かに恨みは買っているだろう。だけど、殺したいほど?
ベルンハルトが報告を続ける。
「今は念のため、宰相とノウマン侯爵家、二つの線で追っている。手口の雑さから、メルフィナ嬢を狙った方はすぐに割れるだろう」
「ノウマン侯爵家はこういったことに疎いからな。伝手がなかったんだろう」
私の脳裏には、サラ様と聖女の顔が浮かんだ。勇者を手に入れるために”私”を手にかけた聖女と、その面影を感じるサラ様。
(まさか、生まれ変わっても同じような目に会うなんてなー)
”私”は人の悪意に疎いところがあった。多分、私もそうなのだろう。
物思いにふける私に、ステファンが声をかける。
「油断はするなよ。今回は防げたが、次も防げるとは限らん。お前は変なところが抜けているからな」
「変なところとは何よ!」
「普段は頼りになる癖に、思わぬところで油断をするだろう?」
ぐうの音も出ない。今回がまさにそうだった。
「――クレープを食べれば、鼻にクリームがついてることにも気づかず『おいしい』と笑っていたりな」
ステファンが昨日の光景を思い出して、にやりと笑った。
「ちょっと! それは今関係ない!」
私は耳まで熱くなった自分の顔を無視して否定した。
あの後、ステファンに笑いながらクリームをふき取られ、かなり恥ずかしかった。
(なんでああいうことを、人前で平然とできちゃうかなー)
「はいはい、お楽しみは後にしてくれ。――宰相の方も、わずかだが動きを捕捉できた。だがまだ足りない」
「ま、僅かでも収穫があったのは儲けものだ。この調子で宰相に縁のある組織を追ってみてくれ」
ベルンハルトが頷いた。
私は二人の話を聞きながら一人、顔のほてりを覚ましていた。
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翌日、学校にいる間にお父様が来たらしい。カタリナが学校まで伝えに来てくれた。
「ジルケ公爵は今外出してらっしゃいますが、夕食は一緒にとれる予定だと」
「そう、ありがとう」
私はカタリナに礼を言って教室に戻った。
(ついに来る日が来たかー)
放課後の貴賓室。私は二人に報告をした。
「お父様がいらしたわ」
「お! じゃあとうとう二人の婚約か」
ベルンハルトが、楽しそうに茶化し始めた。
「私は! まだ! それを了承した覚えはない!」
ベルンハルトの顔に、指を突き付けて言い放った。
それを見たステファンが切なそうに「……そんなに嫌なのか?」 と聞いてきた。
(うっ、なんで私が悪いことをしたみたいな気持ちにさせられるのよ)
「……まだ早い、と思うのよね」
目を伏せて正直に告白する。
「私はまだ、ステファンとそれほど時間を積み上げていないの。だから、ステファンがどうしてそんなに自信満々なのかもわからない」
「足りないのは、時間だけか?」
「えっ……」
「俺とお前の間に足りないのは、『時間』だけなのかと聞いている」
私は俯いて考える。
「――うん、そうだね。心を見極める時間が欲しい」
惹かれてはいる。ただその自分の気持ちに、確信が持てない。時間があれば、その見極めもできるだろう。尊敬なのか、恋愛なのか、――あるいは”私”の郷愁なのか。
「なら俺に時間をくれ。婚約者となってその機会をくれ。そうだな。――三年間。在学中にお前が納得しなければ、婚約は解消していい。それより前に答えが出た場合でも応じる」
とんでもない破格の条件。でたらめもいいところだ。
「ステファン! あなた王位継承順第一位の婚約者がどういうものかわかってるの?! 三年間試して『ハイ駄目でした』なんて話、通用すると思うの?!」
「通用させる。そもそも、それほど時間をかけて女一人を振り向かせられない男が、一国を背負えるものか。駄目だった時は継承権を返上する」
二の句が継げない私にステファンが続ける。
「なに、弟は二人いる。どちらも王としてやっていけない器ではない。俺が補佐に回れば国はなんとでもなる。――もちろん、その後もお前を諦める気はないけどな」
――わかった。彼の中で、私との婚姻は『決定事項』なのだ。『決意したことを覆したことはない』と豪語した通りに行動するだけなのだ。
勇者もそうだった。「魔王を倒す」という荒唐無稽な決意をし、実際に達成して見せた。
”私”は勇者の、そんな力強い生き様に憧れていたのではなかったか。私は「そんな人が今も居れば」と思ってはいなかったか。
脱力しつつも、ついつい微笑んでしまった。ステファンのそんなのところに、惹かれている自分に気が付いたからだ。
「……わかった。その期間限定の婚約、受けて立とうじゃない。ただし! 廃嫡については受け付けないからね!
私はステファンに指を突き付けながら叫んだ。
そのまま静かに言葉を続ける。
「あなたには生来のカリスマ――人々を惹きつけ率いる力がある。それは国を率いるうえでもっとも必要なもの。廃嫡して弟君の下に着いたとしたら、きっと争いの種になる。それだけは駄目」
(本当に考えなしなんだから!)
誰かがそばで軌道修正してあげなければ、危なっかしくて見ていられないのだ。
「メルフィナ……」
「あと、これもよく覚えておいてよ! その婚約期間中、私は王妃教育を受けなきゃならない! 例え後で断るとしてもね! 私にこれだけのことをさせておいて失望させるなんて、絶対許さないからね!」
「――わかった。肝に銘じる。ありがとう」
こうして私とステファンは、婚約を結ぶことになった。
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