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七本目

 莉桜の問いに桜生は目を翳らせた。心当たりがあるともないとも取れる表情。もしくは悲しい思いを抱えている表情だ。

「優樹くんは生前、よく私の元を訪ねてくれていました。あの快活な笑顔が、今はもうないということがとても信じられません。だから、そうであってほしくない、と私はずっと秘めてきましたが、とうとう私もお話しするときが来たのですね。向き合うべきときが……来てしまったのですね」

 元々は大きな病院に勤めていた医者だ。人の死などいくつも見てきただろうに、やはり、長年自分を慕ってくれていた子どもの死は悲しいものであるのだろう。いや、人の死をいくつも見てきたからこそ、なのだろうか。

 目は悲しみを湛えているが、そこに涙はない。情がないのではなく、覚悟と使命感が大きいのだろう。強い光が宿っていた。

「質問にお答え致します。『三本目の桜』はこの診療所の駐車場に沿って立つ桜の建物側から見て三本目にある桜です」

「そこを調べてもよろしいでしょうか?」

「いえ、その必要はございません」

 桜生のきっぱりとした主張に、三人は目をぱちくりとした。小さな診療所ではあるが、駐車場は大きく、今時珍しい土の地面の駐車場だった。桜の木が立ち並んでいるのを莉桜たちも横目に見てきたが許可を得たら根元を掘り返そうと思っていたのだ。

 通行の妨げになるなどの理由もあるだろうが「必要ない」という断言は奇妙だった。

「優樹くんの遺品のことでお尋ねになられたんですよね。『三本目の桜』……その下に埋めるよう、言われたものがあります。ですが、今はもう何もありません」

「何故ですか!?」

 動揺したのか、茅乃がテーブルをどん、と叩いて立ち上がる。笑萌はきょとんとした顔だが、莉桜は察したようで、茅乃を宥めた。

「落ち着いてください。桜生先生は埋めるように言われたものはあると言っています。もしかしたらついこの間までは実際に埋まっていたのかもしれませんし」

「そんな、言い方一つじゃありませんか! せっかく答えに辿り着きそうだったのに!」

「辿り着いていますよ」

 莉桜がきっぱりと言うのに、茅乃はもう自棄になったようにぶん、と手を振り払った。どこが、とか、何が、とか棘のある言葉が飛び出してくる。

 莉桜は冷静に指摘した。

「入り口の掲示板に貼り紙がありました。近々、駐車場の改修のための工事のため、一時休業になる、と。おそらく、コンクリートを敷く工事なんじゃないでしょうか。そうなると、桜の木の扱いは問題になります」

「それがどうしたっていうのよ」

「桜の木の場所を移すか、桜を囲うように石段を作る必要があります。もちろん、そうしなくてもコンクリートの駐車場にはできますが、いずれにせよ、『三本目の桜』の位置が変わるか、根元が掘り返せなくなります。それは工事の説明を受けた桜生先生も承知済みでしょう」

 そこまで丁寧な説明をされて、ようやく茅乃が落ち着いてくる。今度は疑問符を浮かべて桜生を見た。

 桜生は答える。

「ええ。掘り返せなくなってしまうので、迷いはしましたが、埋めないことにしたんです。事情を話したら、優樹くんは少し残念そうな表情をしましたが、それなら預かっていてほしい、と私にそれを託しました」

 そう言って桜生は、タイムカプセルにでも使うようなお菓子の箱を棚から取り、テーブルに乗せた。

「『三本目の桜』と口にした人に渡して、と言われたものです。小川くん、中身をご確認ください。私も開けてはいないのです」

「ちょっと!」

 茅乃がまたヒステリックに声を上げる。

「優樹は私の息子です。私がこれを受け取るべきでは? 今ここにいるのに!」

 遺品を探してほしい。確かに茅乃からのその依頼で莉桜と笑萌はここまで来た。莉桜の推理と交友関係がなければここまで来られなかったが、亡くなった人物の遺したものはそもそも遺族の手に渡るべきなのだ。

 しかし、桜生は臆することなく答えた。

「優樹くんとの約束です。『三本目の桜』と私に最初に言った方にこれをお渡しすることになっています」

「そんな死人の言ったことばかり……!」

「優樹くんを冒涜するおつもりですか?」

「なんですって!?」

 揉め始める茅乃と桜生を莉桜は沈黙して眺めていた。止めるつもりがないのか。否──

「お言葉ですが」

 澄んだ声で割って入ったのは、その場の険悪な雰囲気には不似合いなほどの笑顔の笑萌だった。とても穏やかに笑っていて、桜生はすぐ冷静になり、茅乃はファミレスで感じた恐怖で背筋を凍らせた。

 場違いな表情と朗らかな声は確かに却って恐ろしい。けれど莉桜だけは慣れた様子で上司を見上げていた。

「桜生先生の提案に何か問題がありますか? 桜生先生が仰ったのは小川くんに中身を確認してほしいということだけです。別にこの場で開ければ、茅乃さんも同席していますし、問題ないですよね? そもそもこれは私たちが茅乃さんから依頼されたものです。中身がどうあれ、優樹くんの遺品であると確認できれば、茅乃さんにお渡ししないと、私たちが契約違反になります。最終的に手に入り、なおかつ今この場で一緒に中身を見ることができるのですから、茅乃さんが不満を抱くことは何一つないと思うのですが、いかがでしょう?」

 笑萌がにこにことしたまま、一言一言を丁寧に紡ぐ。反論のしようがない弁論に、茅乃は呆気にとられ、おろおろとしながら座り直した。

 桜生はほっとした様子で、笑萌に頭を下げる。笑萌はにこにことしたまま、小川くん、と莉桜の肩を叩いた。

 莉桜は頷き、開けますね、と箱に手をかけた。

 中に入っていたのは大量のアルバムと一台のスマートフォン。見覚えがある。先程メモの調査の際に茅乃から貸してもらったのと同じ機種だ。

「アルバム、見ますか?」

「結構な量あるね」

「……見てもいいですか?」

 茅乃が慎重に桜生に伺うと、桜生はどうぞ、とすんなり許可した。

 アルバムたちの表には「榎本優樹」「榎本雪奈」と書いてあった。

「これは……せつなちゃん? ゆきなちゃん?」

「せつなだな。優樹の妹」

 アルバムをぱらぱらと開いていく。そこには兄妹の仲睦まじい様子が描かれていた。一緒に昼寝をしたり、ごはんを食べたり、学校に行ったり。微笑ましい光景だ。

「私も見ていいですか?」

 向かい側から桜生が問いかけてくる。桜生は中を見ていないと言っていた。預かっていただけの身だから、気を遣っていたのだろう。それでもあれだけ慕ってくれた子の遺したものだ。気にならないわけがない。

 笑萌が茅乃を見ると、茅乃が桜生に軽く頷いた。許可を得て、桜生はアルバムを一冊手に取る。

「妹との写真を遺したのね、あの子……」

「弟さんを亡くされたのを悔いてらしたんじゃないですか? 兄弟思いのお兄さんって素敵ですね」

 茅乃の呟きに笑萌がにこにこ応対する中、桜生は顔色を悪くしていた。ちら、と莉桜に視線を送る。莉桜は少しだけ目を合わせて小さく頷いた。

「桜生先生、ありがとうございました。そろそろ午後の診察が始まる時間でしょう。長々とありがとうございました」

「いえ。お力になれたなら何よりです。では、仕事がありますので、私は失礼致します。遺品は全て持ち帰っていただいてかまいませんので。改めて、優樹くんのご冥福をお祈り致します」

 そうして、桜生は部屋を後にした。

「さて、茅乃さん。これらが優樹くんの遺品ということで間違いないでしょうか?」

「はい。本当にありがとうございました」

「見つけられてよかったです」

 結城探偵事務所の探し物発見率がキープされた。

「この後はまあ依頼達成証明ということで、遺品の写真を何枚か撮らせていただくことになりますが、よろしいでしょうか?」

「はい。その後は持ち帰ってもいいんですよね?」

「もちろん。今日の調査と依頼達成の請求については後日お送り致しますので、お名前、電話番号、ご住所をお伺いして、本日は終了となります」

 茅乃がほう、と息を吐き、時計を見上げる。時計は間もなく二時を指すところだ。

「本当に三時間足らずで終わってしまいましたね……」

「ふふ、今後も何かございましたら、ご贔屓に」

「まあ、探偵の厄介にならない方がいいですけどね」

「こーら、莉桜ちゃん?」

 はいはい、と二度返事する莉桜に肩を竦める笑萌。その場で写真と諸々の情報交換を終え、撤収することとなった。

 茅乃と別れ、事務所に戻っていく帰り道、笑萌が莉桜をちらりと見る。

「莉桜ちゃんの感じからするに、この件はここからって感じかな?」

「ええ。本人は全く気づいていないみたいですけど、桜生先生が気づいたので、仏壇に上がればすぐわかるんじゃないですか?」

 はあ、と溜め息を吐く莉桜。

REVERSI(リバーシ)──始まったよ、優樹」

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