五本目
画面には白い線一本。莉桜はそれが「つくも」という名前になるという。
笑萌は首を傾げた。
「何がどうやってこれが『つくも』さんになるの?」
莉桜はスマホを示した。
「スマホの変換機能で『つくも』と打ち込んでみるとわかります」
「どれどれ……」
笑萌が莉桜のスマホを借り、茅乃にも見えるようにキーボードで「つくも」と打ち込む。すると一番で候補に出てきたのは「九十九」の文字。
「『九十九』? これで『つくも』って読むの?」
「付喪神は聞いたことあるでしょう。あれが『つくも』神なのは『百年に一年足らぬ』っていうことで『九十九』と書いて『つくも』と読むようになったのが元々なんですよ。『次は百』って意味の『つぐもも』が『つくも』と呼ばれるようになったとも言われますね」
それが白と何の関係が? と笑萌が首を傾げている脇で、茅乃がはっとしたように呟く。
「白髪のことを『つくも髪』ということがあると聞いたことがあります。神様の付喪神と似たような由来ではなかったでしょうか」
「はい、その通りです。この場合の『九十九』というのは『八百万』などと同じで『たくさんの』という例えなんですよね」
「でも、白髪だけじゃ、白と九十九が繋がる理由には足りなくない? 昨今は白髪っていうのはあんまりいい意味じゃないって認識だし、海外だと『グレイヘア』って呼んでて灰色でしょ? 本なんかでは『銀髪』『銀糸』の方が一般的な表現だし、『つくも髪』なんてぱっと出てこないよ」
笑萌の意見は謎解きへの難癖に他ならない。すぐにわからないようになっているからこそ、謎は謎なのである。これは小学生が考えた駄洒落紛いのなぞなぞではないのである。
が、そんな意見は想定の範囲内だったらしく、莉桜は続けた。
「じゃあ『つくも』は一旦脇に避けましょう。『九十九』という数字で何か思い浮かぶものはありませんか?」
「九十九……」
悩む二人に、莉桜は告げる。
「先程も言った通り、『百に一足りない』のが『九十九』という数字です。『百』から『一』を引いたらわかると思いますが」
そこで笑萌がぽん、と手を打った。
「『白寿』ね!」
白寿とは、九十九歳のお祝いである。由来は九十九が百に一足りないことから、「百」という漢字から「一」を取り除くと、「白」という漢字になることからである。
つまり、この白い線は隠された「九十九」という漢字を示すものとなるのでだ。
「しかし、この謎を考えた優樹くんは頭柔らかいよね。『3ばんめ』と『3ぼんめ』のダブルミーニングと言い、隠された白い線にまでそんな意味が込められているなんて」
「病気がちだけど、成績はよかったからな。あいつ。学年ツートップだよ」
「ツートップって、もう一人は?」
「俺」
笑萌が「まじか」とでも言いたげな顔で固まる。莉桜はその顔をスルーして、少ししなっとなったポテトをつまむ。
「まあ、桜生九十九先生の名前が出てきたのは、優樹がよく話して聞かせてくれた人だったからっていうのがありますけど」
「そういえば、小川くんは優樹くんと仲良かったって言ってたっけ? 中学の頃は不登校じゃなかったの?」
優樹は享年十五、高校生にはなっていないという。莉桜は優樹と同級生で親しくしていたと言っていた。
笑萌は莉桜の方から「親しくしていた」と表現する人物がいるのは初めて聞いた。笑萌が知っているのは高校生になって、不登校で昼間からふらふら街の中を歩いていた若干人嫌いなところのある莉桜だけだ。
高校には友達もいないし、不登校になったからといって家にいたくもないし、と言っていたことを笑萌は覚えている。詳しい事情を聞いてはいないが、思春期と呼ばれる時期。家族との折り合いがつかないのも、対人関係に悩むのも当然のことで、むしろ健全なことであると判断した笑萌が、バイトしなよ、雇うから、と告げたのが莉桜が結城探偵事務所に来た経緯である。
頭のいい莉桜を雇ったことで、結城探偵事務所はそこそこ繁盛していたが、莉桜はここに来た当初、初対面の人間にこうして丁寧に説明することなどなかった。必要最低限ギリギリアウトくらいの接客には笑萌もあちゃー、と思ったことが何度もある。
現在の莉桜を見てわかる通り、別にコミュ障というわけでも、あがり症というわけでもない。莉桜は単純に人が嫌いで、話したくもない、友達もいないというより、人嫌いに起因して、友達を作りたくなかったから作らなかったと聞いていた。
そんな莉桜に友達がいたとは驚きだ。
「まあ、あいつ──優樹がいたから通っていたところはあります。高校に入ったのも、優樹との付き合いだけは続けたかったからです。彼が生きていたら、きっと大学にも一緒に行ったでしょうね」
「それくらい優樹と仲が良かったんですね……」
茅乃の感嘆を聞き、笑萌はあれ? と思う。最初から妙ではあったが、優樹の友達である莉桜と優樹の母である茅乃は面識がないかのような接し方だ。まあ、ネットの掲示板やSNSが広まりを見せるこの時代だ。本人同士のみの交流というのも大いにあり得る。
が、そうは思えない。莉桜は人嫌いだが、人と接するのが嫌いというわけではない。もし人と接するのが嫌いならば、家に引きこもり、誰とも接触を絶ってしまえばいい。家族が嫌いでも顔を合わせなければいいのであればそれで済むし、声も聞きたくないのであれば、ヘッドフォンで音楽でもかけていればいい。別に街に出てくる必要はなかったのだ。それが、街をふらふらと歩いていた。
家で引きこもって、SNSなどネット上の繋がりをよすがに生きたってよかったのに、莉桜はそうしなかった。
曰く、「廃人になりたいわけじゃないので」とのことだったが。
ということは、人を嫌っていても、人と交流することは真っ当に生きていく上で必要である、という認識だと言えよう。それが、友達の家族と交流がないのはあまりにも不自然だ。
「俺はあんまり人間って生き物が好きじゃないんですけど」
莉桜がオブラートもなくそう告げたので、笑萌は一旦考えるのをやめた。
「優樹はなんだか、違ったんですよね。今まで会った人の中で、唯一差し伸べられた手を素直に取ることができたんです。なんでかはわからないんですけど」
これは優樹側が莉桜の気質を理解して他者と接触させるのを避けていた可能性もあるな、と笑萌は結論づけた。まだ引っ掛かる点はあるが。
「まあ、不登校になったのは、優樹の死がきっかけですね。同じ高校にも行けなくなったし、中学での登校日はほとんど終わっていたので、なんかこう、脱け殻みたいに過ごしてましたよ」
詳しく聞くようなことでもないので流れから察するしかないが、優樹が亡くなったのは中学卒業の本当に直前だったのだろう。高校受験も終わり、合否も出て……仲のいい唯一の友達と行けると思っていた高校に、行きたくなくなるのは仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。それしか莉桜のモチベーションがなかったのだから。
「っていうか、『桜生診療所』って言えば、この辺じゃ結構有名なところですよ。知らなかったんですか?」
「え、あー……」
笑萌は言葉を濁した。病院にはあまりかからないので知らなかった。
茅乃が莉桜の言葉を次ぐ。
「数年前に大きな病院から出た先生が小さな診療所を立ち上げたんです。そういえば、優樹はあの先生をいたく気にいっていて、先生が担当から外れて診療所を開くってなったとき、その先生の診療所に通いたいとまで言っていましたね」
「何故そうしなかったんですか?」
「優樹の病気は小さな診療所では見切れない、と桜生先生本人に諭されたんです」
「深刻なご病気だったんですね」
「ええ。何度か入退院を繰り返していました」
診療所にベッドがないわけではないが、普通の病院のように二十四時間態勢というわけではないため、入院が必要な病気なら、診察は受けたとしても、他の病院に紹介するのが妥当だろう。
「優樹もそれは理解してくれて、それでも桜生先生のことは大好きで、たまに訪問して、他愛もない話をしていると聞きました」
「それは」
笑萌は閃いた顔で言った。
「それはその中で桜生先生に『遺品』の話をしていてもおかしくないですね」
「確かに……!」
笑萌と茅乃が頷き合うと、莉桜もまた静かに首肯した。
「ええ、行きましょう。桜生診療所へ」