十本目
莉桜と笑萌、茅乃とスーツの男がそれぞれ並んで座った。向かい合った二組はあまりにも雰囲気が対照的だ。莉桜と笑萌は余裕があり、笑萌に至っては笑顔まで浮かべている。一方、茅乃は苛立ちが顕著に表れており、小刻みに貧乏ゆすりをしている。親指の爪でも噛み出しそうな勢いだ。
ぴりぴりとしている茅乃の様子など目にも入っていないかのような満面の笑みで笑萌が男性に問う。
「あなたはどちら様でしょうか? 私はここ、結城探偵事務所の所長を務めている結城笑萌と申します。こちらはバイトで助手をしてくれている小川くんです。まあ、茅乃さんからお話は聞いているのでしょうが、一応までに」
「あ、はい。北村と申します。弁護士です」
名刺を交換する。茅乃は苛立ち、ヒステリーを起こしそうだが、この北村という男は話し合う気がありそうだ。
名刺をテーブルに置くと、笑萌はにこにことしたまま、問いかけを続ける。
「それで、先程、詐欺罪と聞こえましたが」
「はい。榎本さんがこの探偵事務所に騙されたということで、訴えを出したいとのことで」
「何故詐欺罪なのでしょう? 私たちはまだご依頼の請求書すらお送りしておりませんが」
え、となる弁護士。莉桜はきちんと調べろよ、と内心で文句を垂れた。
笑萌は本来なら一日で請求書の額を算出するはずなのだが、今回はあまりにも解決が早かったということで、計算すらしていない。お金を取られたわけでもないのに何が詐欺だというのか。
まあ、予想はついている。
「私は騙されたのよ!! 息子の遺品を探してほしいと依頼したのに、偽物を掴まされたの」
「あらあら」
笑萌は笑みを深める。ちら、とだけ莉桜に目配せすると、莉桜はボイスレコーダーを取り出した。
「茅乃さん。依頼の件については、依頼の受付から解決まで、こちらで録音していたのはご存知ですよね?」
「え、え……」
すかさず北村が間に入る。
「その録音は本人も了承の下、行われたものですか?」
「もちろんです。疑うのであれば、この事務所についている防犯カメラでご確認いただいてもかまいません」
「防犯カメラ!? なんで!?」
何にでも難癖をつけようとする姿勢の茅乃に笑萌はにこにこと朗らかに答える。
「なんでって、そりゃ女の一人暮らしですからね。小川くんはここに入り浸っていますが、夜には帰ってもらっています。ここは所長である私の家でもあるんですよ。それに、お客さまのプライバシーを侵害するような情報を盗まれても困りますし」
それより、と笑萌が続ける。
「ご依頼について何かご不満があったのなら、ご相談いただければ対応致しましたのに、何故こちらに一報もなく、弁護士さんをお連れになったのでしょう。ご説明いただけますか?」
「なんでって、私一人ではあなたたちにはぐらかされて終わると思ったからよ」
「なるほど。ところで私が聞いたのは何故、ではなく経緯だったのですが。小川くん」
「はい。第三者にも聞いていただいた方がよろしいですね。依頼を達成したときの録音記録です」
桜生と揉めた場面もあったが、莉桜と笑萌はきちんと茅乃に「これが遺品ということでいいのか」を問いかけ、茅乃から返事をもらっている。
莉桜が北村に向けて言う。
「そもそも、茅乃さんの依頼は『息子の遺品を探してほしい』というもので、『遺品がどんなものかはわからない』と前置きされました。どんなものかわからないものを探して、見つけて、確認して、依頼達成扱いになったのに、偽物だ、詐欺だ、と騒がれても理解に苦しみます」
笑萌が続ける。
「私たちがお教えいただきたいのは、一度は依頼品と認められたものを何を以て偽物というのか、偽物だとして、何故訴訟まで持っていこうとしているのか、ということです。こちらに心当たりがない以上、そちら側から見た経緯を聞かないと対処のしようがございません」
茅乃の顔が歪む。北村が代わりに答えた。
「詐欺云々はさておき、そうですね、経緯を説明させていただきます。
まず、榎本さんの息子さんの遺品が大量のアルバムとスマートフォンだというのは合っていますか?」
笑萌が頷く。
「アルバムの写真は先程の録音からすると、一緒にご覧になったのですよね? 何もお気づきになられませんでしたか?」
笑萌は莉桜と顔を見合わせ、それから肩を竦めた。剽軽な仕草に茅乃の方から殺気が立ち上るのを感じたが、笑萌は完全無視である。
「さて、兄妹の仲睦まじい様子がたくさん記録されているなあ、とは思いましたね」
そう、あのアルバムには優樹と妹の雪奈の二人の様子が撮られた写真ばかりだった。構図に拘りのない素人写真であることは明白。おそらく優樹が自ら撮ったものを現像したのだろうと思われる。
茅乃がわなわなと肩を震わせ、怒鳴る。
「シラを切る気!?」
「シラを切ると言われましても」
「では、何と言ってほしいんですか、茅乃さん。一枚もあなたの写真がないのが不自然だとでも言ってほしいんですか?」
莉桜がとても愛想がいいとは言えない顔で返す。
莉桜は茅乃の身に何が起こったのかわかっていた。シラを切る気かと言われたら、笑萌がそうしているので、それに倣っているだけだ。別に言ったってかまわないが、言質にならないようにしているのだろう。
言質を取ると鬼の首でも獲ったかのように振る舞い出すのだ。こういう手合いは。
「北村さん、続きを」
「はい。アルバムの中を見返すと、怪我をした妹さんの手当てをするお兄さんの写真があるのですが、それを見た近所の方から、榎本さんはあらぬ噂を立てられるようになったのです」
噂が事実かそうじゃないかなど確証はないだろうに、「あらぬ噂」と断定する辺りがおかしくて笑えない。
どのような噂が立ったのかは容易に想像がつく。
「もしかして、虐待、と……?」
笑萌がぱっと閃いたかのように言うので、莉桜はじとっと見ていた。わざとらしいというか、笑萌はこの状況をそこそこに楽しんでいる模様だ。訴訟を起こされるかもしれないというのに。
「はい。虐待でつけられた傷なのではないか、と噂が立つようになったのです。それからよくよく見ると兄妹二人で様々なことをしています。炊事洗濯掃除……仲睦まじい様子に見られるが、これはもしかして育児放棄なのでは、とまで言われるようになりまして」
「それは大変ですね」
「何よ、他人事みたいに!」
がたん、と立った茅乃に、笑萌は笑顔のまま返す。
「私からすると他人事なのですが、何か?」
ぐうの音も出ない。そう、笑萌からすれば、茅乃は依頼をもらっただけで赤の他人だ。探し物を探し出して、それを受け取った後、依頼人がどうなるか、なんて関係はない。ましてや物は見も知らぬ少年の遺品である。血縁でも友人でもない笑萌が口出しをするのは烏滸がましいというものだ。
笑萌は続ける。
「あのとき、私は写真の全部を見たわけではありませんから、そういったことになるなんて想像もつきませんでした。けれど、虐待や育児放棄が事実でないのなら、堂々とそう仰ればいいでしょう? 何故私たちの探偵事務所に殴り込み紛いのことをしに来るのですか?」
「これは! あんたたちが私を陥れるために偽装したものでしょう!? そこの助手が優樹の友達だったなら、簡単なことだわ!!」
「へえ」
笑萌が聞いたこともないくらい、感情のない、平坦な声を出す。ぞくりとした茅乃が見ると、笑萌には先程までの笑顔などなかった。石膏像のように恐ろしく整った顔にはそれこそ像のように何の感情も宿っていない。
「小川くんは優樹くんとは中学で知り合ったと聞きましたが、何故小学生の頃の写真とわかるものまであるのでしょう? 知り合っていない小川くんがどうやって偽装するというのでしょう?」
「そ、れは、ほら、今時コンピュータなんかで画像を加工するのは簡単でしょう? こないだの調査のときもパソコンかたかたしてメモの謎を解いていたりしたじゃない」
「加工された証拠はあるんですか? アルバムには写真店の名前があったように思いますが。まさか確認もせずにこのようなことを仰っているわけではありませんよね?」
「今時写真店じゃなくても写真を出力することはできるわ! ネットプリントとか!」
「ええ、そうですね。それで?」
「それで、自分ででっち上げたのよ」
「自分って誰ですか? あのアルバムを桜生先生に預けたのは優樹くんだと聞いていますが」
「だから、あの医者も共謀して……」
「だったら私は何ですか? 小川くんに騙されていたとでも?」
「あなたも共犯でしょう!」
「私たちがあなたを陥れるメリットは? ないですよね? すぐこんな感じで訴えられるでしょうから。嘘は百害あって一利なしです」
「五月蝿い五月蝿い五月蝿い!!」
茅乃がテーブルの上のものを見境なく退け、笑萌の方に乗り出してくる。笑萌の胸ぐらを掴んだ。
「メリットだの、何だの、そんなの知らないわよ! 私からしたらなんでもないことがあんたらのメリットになるかもしれないでしょう!? 小娘が!!」
ばしん。
笑萌の頬が思い切り張られた。北村は固まっている。
笑萌は頬を打たれたというのに、途端に満面の笑顔になって、茅乃はぞわりと鳥肌が立った。
不気味で、怖くて、真実を射抜くような目。茅乃には忌々しいものにしか見えなかった。
振り上げた茅乃の腕を何者かが掴む。
「一度殴ってしまえば、二度も三度も変わりないらしいですよね、人って」
振り向くと、莉桜が淡々と告げた。
「生前、優樹はあなたのことをそう言っていましたよ」
絶望に光を失う茅乃の瞳。外は騒がしく鳴り始めた。赤い光がちらちらと瞬き、警察のサイレンがわんわんと泣いていた。