真夜中の喧嘩
エルフの里での夜、俺は腹が減って目が覚めた。赤ん坊なんだから仕方がない。とにかく腹が減るのだ。はやく固形物をお腹いっぱい食べたい。
「魔族への迫害…か」
デュピロスの呟きが聞こえた。きっとデュピロスとアクトには睡眠が必要ないのだろう。それはそれで可哀想なことだ。睡眠は嫌なことを忘れさせてくれるからな。
「お前が人間を虐げたんだ、復讐されるに決まっている。そのせいで、リリアも苦しい生活をしているんだ。身を潜めてな」
アクトは遠慮のない責める口調でそう言った。
「ああ…そうだな。だから負けるわけにはいかなかった」
「なっ…!そもそもお前が人間を虐げなければこんなことにはならなかった…!」
「いや、吾輩が何もしないという選択肢はなかったのだ。愛する妻が殺されて吾輩は怒った。怒りで国を一つ滅ぼしたな。今では海になっているのだったか…まあ、いい、それは。吾輩はそれで矛を収めるつもりだったのだよ。しかし、それ以上に魔族のみなが怒っていた。妻は人間だが魔族に愛されていたからな。吾輩があの後、国一つと引き換えに手打ちにすると言ったところで、他の者たちがひかなかっただろう。そして、手綱のない魔族たちを放置すれば混乱が巻き起こることは想像がついた。吾輩はやらねばならなかったのだ。そして、やるからには勝たねばならなかった」
え?デュピロスって国ひとつ滅ぼして海に沈めたってこと?どんだけ強いんだよ…いや、というか魔王の奥さんと国一つ引き換えって等価交換になるのか?うーん、いまいちこの世界の価値観がわからん。国ひとつ滅ぼした時点で人間側が納得しないと思うんだけどなぁ。
「お前の事情は関係ない!お前のせいで今リリアは苦しんでいるんだ!」
アクトは青筋を立て肩を怒らせている。
「そうだろうか、光の勇者。貴様が吾輩との戦いにリリアーナを巻き込まなければ、リリアーナは慎ましくも町で生活が出来たと思うがな。吾輩の娘は王家に嫁いでいたと聞いたぞ。つまり、リリアーナは人間の王族でもある。それに、娘とは違い魔法に長けていたと聞く。力なき妻や娘のように殺されるようなことはあるまい」
「そ、それは…でも、リリアは嫌われ者だった…いつも邪魔者扱いされて…」
「しかし今の生活よりは良かったであろうな」
「…くっ」
「貴様は二つの下心をもって我が孫娘リリアーナに近づいたのであろう。私を倒せるほどの強大な魔力、そして、リリアーナの女としての」
「違う!俺はリリアを利用しようとしたことはない!」
「しかし結果として貴様はリリアに重責を貸した。リリアも貴様のような男に惚れられたのが運の尽きだな。可哀想に、魔力をほとんど枯渇させ、頼るものも少なく、ひ弱な体でこの世界を生きていかねばならないとは」
「黙れ!!!」
アクトは今や口の端から泡を飛ばしながら叫んでいた。
「お前が人間を滅ぼそうとしなければ」
「話がどうどう巡りだな。貴様のような頭の悪い男が勇者などと…人間は数だけは多かったと記憶しているが優秀なものはあまりいないのだな」
「おまえええええええええええ」
アクトはデュピロスに殴りかかろうとして空を切った。
「この体は物体ではない。殴れるわけがないだろう」
デュピロスは拳が空を切ってそのままの勢いで倒れたアクトを見下した。はっきりと侮蔑のこもった目線だった。
というか喧嘩はやめて欲しい。俺は今のところ生涯この二人と離れることが出来ないのだ。この二人が険悪なままだと俺が気まずい思いをして生きていかなくちゃいけないじゃないか。そもそも、なんで戦争になるかもしれないのにデュピロスの奥さんを人間側が殺したのかわからないし、それが分かるまでは、誰が悪いとか話しても無駄だと思うんだよな…
(俺がデュピロスの奥さんが殺された真相を暴くしかない、か)
「なんだと?」「なんだって?」
(え?)
デュピロスとアクトが一斉に俺の方を向いた。二人とも驚愕している。なんなら俺も驚いている。え?今俺が考えたこと聞こえたの?
(あー、てすてす。聞こえますかー?)
「お前!これはなんだ!?」
(いや、俺だってわからないよ。アクトはすぐに感情的になるのがよくないぞ)
「なっ…」
アクトは驚いて絶句してしまった。
「ほう…これは念話だな。特定の者に思考で話しかけることが出来る古い魔術だ」
デュピロスはどうやらこの謎現象を知っているらしい。俺は意図せず魔法を使ってしまったということか。純朴な赤ん坊のフリをしようとしていたが、失敗だな。
(デュピロス、これは魔法なのか?)
「いや、魔法ではなくて魔術だ。たいして違いはないから魔法でもいいけどな」
(そうか、便利だな。教えてくれてありがとう)
「ふむ。どうやら貴様はただの赤ん坊ではないな。やはり転生者か。貴様は人間だったのか?それとも魔族か?エルフのような他の亜人か?」
(うーん、一応人間かな。でも魔法のない世界に住んでたからこの世界の人間ではないよ)
「魔法のない世界…だと?そんな話はきいたことがない…」
デュピロスは眉根を寄せて深く考え込んでしまった。
(えっと、気になることがあるんだけど聞いていいか?)
「なんだ?」
デュピロスは金色の目で俺のことを見定めるように鋭い目つきを向けてくる。
(さっき、リリアーナの魔力が枯渇したとか言ってなかった?)
「ああ、言ったな」
(てことは、リリアーナは普通の人間ってことか?)
「いや、普通は魔法が使えなくても少しぐらいは魔力があるものだ。今のリリアーナは普通の人間よりも遥かに弱い」
(え…それって危険じゃない?)
「その通りだ」
(…俺も危険じゃない?)
「そうだな」
なるほど…リリアーナはこの世界では最弱になってしまっていて、赤子の身でリリアーナと一緒にいる俺は危険だと。しかもこの強そうな二人は体がないから戦闘なんか出来ないだろうし…これは、予定が早まったと思って頼み込むしかないな。
(デュピロスさん!俺に魔法を教えて下さい!)
「断る」
(えー!今自分で危険だって言ったじゃないですかー!)
「貴様がその力でリリアーナを害さない保証がない」
な、なるほど…確かに…いや、でもそんなつもりないし、教えてくれないにしても赤ん坊のうちに第二の人生終わるとか嫌だし…
「俺も反対だ!こんな得体のしれないやつに力を与えられるか!」
アクトもか…そもそもアクトに頼む気はなかったけど、こうも反対されると困ったな。
(うーん、リリアーナには危害を加えないって約束するよ。俺前世でこれから頑張るぞって思った矢先に死んじゃってさ、新しい人生は努力して出世して生きようと思ってたところなんだよ。この世界って強くないと生き残れなさそうだしさ、何とかして協力してもらえないかな?試しに?魔法だって教えるだけ教えても使えないってこともあるかも知れないしさ。お願いします!自分の身だけじゃなくて、もちろんリリアーナのことも守るから!)
誠心誠意お願いするしかないもんな。俺が信頼できるって証明するって言ったって、身元の証明できるものなんてないしな。
「ふむ…いいだろう」
「なっ!何言ってんだお前!どんな奴かも分からないんだぞ!」
アクトはやはり反対のようだ。
「どんな奴かも分からないようなやつにさえ、リリアーナの身の安全を任せなくてはいけないほどの状況だと吾輩は思うだけだ。それと、先ほどのこと、約束してもらおう」
(ん?なんのことだ?)
「吾輩の妻が殺された理由を知りたい」
あー、なるほど。よっぽど奥さんが好きだったんだな。でも今までデュピロスもわからなかったことが急にわかるわけないし、時間がかかるだろうな。俺、まだ赤ん坊だし。ちょっと面倒なことだけどしょうがない、生きていくためだ!
(わかったけど、それを調べるのは時間がかかるだろうから今すぐって訳にはいかないぜ?)
「わかっている」
(あと、その真相が分かるまでは二人ともその話で喧嘩するのはやめてくれ。俺聞いてたけど、二人とも俺に封印されてるようなもんなんだろ?ずーっと喧嘩されてると俺まで気がおもくなっちゃうよ)
「わかった」「…わかったよ」
こうして俺は魔法の先生と喧嘩を聞かされない日常を手に入れたのだった。