家族会議
三栗は帰宅中も目の前でカラスが突然死、バイクのお兄さんが三栗に向かって突っ込んできたり、様々な不幸に見舞われたが、のらりくらりと避け、逃げ、すり抜けた。…そして日が暮れる前に無傷で帰宅することに成功したのだった。
「ただいま帰りました!」
三栗の大きな声が玄関に響くと、奥から母、柿八子が出てきた。
「おかえりなさい。今日は帰りが早いのね。」
と、三栗の体中についたホコリや葉っぱを払って柿八子は言った。三栗もにこにこと「寄り道せずに帰りました。」と、答えた。
「お父さん、もうちょっとで帰ってくると思うから、先にお風呂済ましちゃいなさいね。」
と、柿八子は言った。
「お母さんも今日、帰りが早いですね。」
と、三栗が靴を脱ぎながら言うと、「今日は午前だけだったの~!」と、嬉しそうに柿八子はキッチンへ戻っていった。
柿八子は凄腕検察官なのだが、家ではゆるふわ系の母親なので三栗は法廷での母はどんな人なのだろうといつも疑問に思っていた。
父が言うには「母さんは、法廷にいるときはずっと眉間にしわが寄っていて怖い。」とのことだったが、三栗には想像がつかなかった。
三栗がお風呂を済ませ母の家事手伝いをしている中、父が帰ってきた。三人で食事中ずっと父である山椒は仰々しい面持ちをしていた。
夕食の片付けを終えた母と三栗はいそいそと自分たちの席に座り、父の様子を見た。
「片付けてくれて、どうもありがとう。」
山椒は眼鏡を光らせながらそう言った。どんなときも山椒はお礼を忘れないのだ。
「三栗、早速だけど、話をしてもいいかい?」
山椒がそういった。三栗はただならぬ緊張感を肌に感じ、一瞬で喉が渇いてきたのでぐびっと一口お茶を飲み、大きく頷いた。
「いきなりだけど、君は生まれながらの《ファーストペンギン》なんだ。」
三栗が茫然と山椒の話を聞いていると、三栗の手を柿八子が机の下で握った。
「この世には運に恵まれた人間と、恵まれなかった人間がいる。三栗、君は恵まれなかった人間だ。これまでの生活でおかしなことが多々あったろう。狙われに狙われ、襲われに襲われ…。君の運の悪さはさながら《ファーストペンギン》。けど君は、これまでに一度も命を落とさなかった。
氷の崖っプチに常に立たされながらも絶対に海に落ちなかった。君は運が最高に悪くて、運が最悪に良い子なんだ。」
山椒はつらつらと話すが、三栗は話の三割も理解できていなかった。
「君は、神様が僕とお母さんにさずけてくださった、《おとり捜査官》になりうる子どもなんだ。」
山椒はそういって机を乗り出した。
「お、おとり捜査官?」
ずっと黙って話を聞いていた三栗もさすがに声を発した。
「三栗、君が生まれてからというもの、この家には計147回強盗に入られたね。」
腕を組んだ山椒は確認するかのように腕を組んで頷いた。
「そのどれもお父さんが現行犯逮捕、帰宅時に発覚した強盗事件の場合は私が証拠をつかんで犯人逮捕に終わっているわ。147件すべてよ。」
柿八子は湯飲みを持ったままそういった。
「三栗が生まれてからというもの、お父さんはもう…。」
山椒はガタガタと震え、手元のお茶はぼたぼたとこぼれている。
「お、お父さん。」
三栗はこれまでの苦労を謝罪し、労おうと父に手を伸ばした。
「三栗!生まれてきてくれてありがとう!」
そういって顔を上げた山椒の顔は涙でぐちゃぐちゃだ。
「確かに、三栗の小さい頃はお父さんもお母さんも必死だった。」
山椒はぼたぼたと涙を流しながら話し続ける。
「とにかく、三栗を死なせまい!不運から助ける!どうにかして普通の子のように育て上げる!…それだけでがむしゃらに頑張ってきた。」
山椒の言葉を聞いて柿八子もうう…と唸り涙を流し始め、目頭をレースのハンカチで抑えた。
三栗は自宅だというのになんとも居辛い気分になった。
「けど!三栗が生まれてきてくれてからというもの、父さんも母さんも昇進昇進昇進の嵐…!」
そういって、山椒は三栗の両手を思い切り握り「三栗!生まれてきてくれてありがとう!」と、近所から苦情がくるんじゃないかというくらいバカでかい声で言った。
三栗はあまりの勢いにぎょっとしていたが、とりあえず「お父さん、涙と鼻水で、顔がぐちゃぐちゃですよ。」と山椒に声をかけた。
柿八子はいつのまにやら涙が止まったようでにこにことした表情のまま、机を拭いていた布巾で山椒の顔を乱暴に拭いた。山椒はされるがまま「ありがとう…!」と言った。
「そして三栗…。そんな君に頼みなのだが、」
山椒はこすって真っ赤になった顔のまま、三栗の手を放し席に座りなおした。
「これから、父さんと母さんと一緒に《おとり捜査官》として捜査に参加してほしい。」
山椒のその言葉に、三栗はぱちくりと瞬きをした。意味が理解できなかったのだ。
「お父さんの上司さんがね、三栗のうわさを聞いておとり捜査官としてどうだって言ってくれたのよ。」
柿八子はにこにこと簡単に説明した。…それでも三栗は理解ができない。
「実は最近、テロ行為や殺人が過剰に増えていてな。父さんと母さんが専属でそれらの調査に取り組むことになったんだ。」
生真面目そうに言う山椒の言葉を聞いて、三栗は口をパクパクさせた。
「ま、まってください。まず娘、それよりも、女子高生を事件に巻き込んでいいんですか?」
三栗は勢いよく立ち上がり、机をたたいた。冷や汗がだばだば溢れるのを感じた。
「それにそれに、お母さんは検察官じゃないですか。捜査なんてするんですか?」
三栗は自分の頭から水蒸気がでているような気がするほど体がほてってきていた。
「事件があればそこに向かって、検察官も捜査をするのよ。」
柿八子はにこやかに答え「それに、三栗がいればそこは事件現場になるんだから、呼び出される時間ロスもないってわけよ。」と、ウィンクをして言った。
「大事な娘を危険な場所に連れて行くというのですか!」
もう三栗はその場でじっとしていられなかった。優しくて大好きだった両親に余命宣告、いや、殺害予告をされた気分だった。
「何言ってるの三栗、アナタを危険な目にはあわせないわ。それに、アナタ自身も守られなくても大丈夫なほど、武術を身に着けてきたはずよ。」
隣の席に座っていた柿八子の眼光が鋭くなる。
「そうだ、父さんと母さんは大抵の武術は会得しているし、三栗の安全が確保されていなければこの話は飲んでいない。」
山椒の眼鏡がぎらりとひかる。三栗は「そうはいっても…」と、テロだの殺人だのと言う単語を想像してぞっと背筋が寒くなった。
「今までいろんな目に合ってきたけど、どれもまぐれでどうにかなってきただけなのに。そんなの無理です…。」
三栗はもう今にも泣いてしまいそうだった。なんならすでに少し泣いている。
「大丈夫!」
山椒は立ち上がり天に向かって人差し指を立てた。メガネは煌々と光を反射している。
「三栗は!」
そういって柿八子が続くと、二人は声を合わせて言った。
「「僕(私)たちの!子どもだから!」」
三栗はもう二人に話は通じまいとがっくりとうなだれ、ぼたぼたと涙を膝にこぼした。