悪魔と天使のせめぎあい、魔が差しました。
気分転換のため、そっと寝室を抜け出し、夜更けのお屋敷内を徘徊しました。
広い広いお屋敷の見取図も、この十日で大分頭に入りました。
お気に入りのコースを辿って、中庭へ向かいます。
サンドフォードのお屋敷は、至るところに緑があります。
大広間には、神話に出てきそうな根っこが波のようにうねった大きな木が鑑賞用に植栽されていますし、手洗い場には季節の花々が美しい花瓶に飾られています。
中庭には青々とした芝生と、ほっそりとした美女のような白木が植わっています。
天井は吹き抜けで、昼間はさんさんとした陽光が降り注ぎ、夜であれば星が見えるでしょう。
夜風に当たりながら星を見上げたい気分です。
しかしそんな私の感傷的な気分が一気に吹き飛ぶ光景が視界に飛び込んできたのです。
中庭に向かう途中の通路にテーブルワゴンが並んでいて、そこに並んでいたのはーーーー
なんて美味しそうなお菓子でしょうか!
一口サイズのちょこんとした焼き菓子に、カラフルなドライフルーツやチョコレート粒がトッピングされています。
一つ一つ、微妙にトッピングが違っていて、どれから食べようかと目移りしてしまう感じです。
わぁ、これは全部種類違いのベリーなのね。
こっちはナッツ&チョコレートね、これも美味しそう!
喉がごくりと鳴ります。それが合図のように、お腹の虫もきゅるると鳴きました。
ざっと見たところ、確実に百個以上はあります。二百、三百はあるかも……ごくり。
一つくらい頂戴しても……
いやいやいや、いくら空腹で発狂しそうだとしても、盗み食いは駄目です。
ですが、これはきっと三日後の結婚披露パーティー用のお菓子でしょう。どちみち私の口にも入るものであれば、一つくらい味見しても……いやいやいや、駄目です!
十分程度は葛藤したでしょうか。
私の中で悪魔と天使がせめぎあいます。
そして勝ったのは悪魔の声でした。
一つくらいならバレないよーって。
ですが、一つ食べるとその美味しさに感動して興奮して、もう一つだけとさらに手が伸びてしまい。気付けば夢中でパクパクと食べていたのです。
「誰だっ!」
大きな声が後ろで響きました。顔を上げるとランタンの光が眩しくこちらを照らします。
「誰だ、そこで何をしてる!」
威嚇の声を上げながらずかずかとやって来たのは、夜間見回りの警備でした。
片手に食べかけの焼き菓子を持ったまま、硬直している私。それを発見した彼は唖然としました。
「えっ……奥様……ですよね。新しい奥様の……え、どうされたんですか?」
いぶかる警備の表情には色んなものが浮かんでいます。驚きと戸惑い、そして不審そうな、心配そうな、怯えの色も滲んでいます。
それは怖いでしょう。深夜の暗闇の中、寝巻き姿の女が一心不乱に焼き菓子を口に詰め込んでいる光景を見たら。
「……どう、したんでしょう。私ったら。……分かりません」
「え?」
「ベッドで眠っていたはずなんですが……気がついたらここへ。夢を見ていて……寝ぼけてしまったのかしら。何がなんだか……覚えていません。こんなこと初めてです」
我ながら苦しすぎる言い訳ーー!
ですが本当のことは言えません。お腹が空いてお腹が空いて眠れず、たまたま発見したお菓子があまりに誘惑的だったので盗み食いしていました、なんて。言えるわけありません。
「ですが、もう大丈夫です。声をかけてくれてありがとうございます。寝室に戻りますね」
「あ、はいっ。ではご寝室のお近くまでお送りします」