4/4 盗賊
「……!」
痛みはなかった。
だが、全身に広がる虚脱感と、不可解な酩酊がジュン=ニビを襲った。
「なんだっ、これはっ……」
ジュン=ニビの体が萎んでいく。
体制派に対しての激しい怒りは、今もまだ彼の胸を焦がしているにもかかわらず。
やがて、彼の天を衝くほどだった巨躯は、常人並みまで縮小し。
それと同時に体力も尽きたジュン=ニビは、そのまま背後のソファに腰を抜かした。
「……なっ、あっ……」
力が入らない。
かつてのように――――否、つい先ほどまでのように。
これは疲労ではない。根源的な喪失だ。
なくなってしまっているのだ――――『狂戦士』としての力が、自分の中から。
「何をッ……したっ……!」
歩み寄るサクラ。
目を剥いて彼女を睨みつけるジュン=ニビに、彼女は黙って自分の右腕を見せつける。
その右腕は、仄かに赤く染まっていた。
まるで先ほどまでのジュン=ニビ自身の体のように。
「お前、まさか……」
「ああ、そうさ。『奪った』んだ。盗賊としてな。これが私の力。怪物との戦いで使えなかった理由が分かっただろう?」
サクラが右手を振るうと、指先から赤色の宝石が飛び出した。
腕からは赤みが消え去っている。
「『天才』の才能を、宝物の形にして奪い取る――――それがこの私、サクラ=イシカワに与えられた『他人にはできない唯一無二』」
サクラはポケットから、手のひら大のケースを取り出した。
そしてジュン=ニビの才能が詰まった宝石を中にしまった。
「何ら生み出すことのない。他から奪い取るという形でしか機能しない。一段劣った、ゼロサムの力さ」
なるほどだから、怪物との戦いでは一度も使わなかったのかと、今更になって合点がいくジュン=ニビ。
だが、合点がいくことと納得がいくことは別問題である。
「……奪った、だと……? じゃあなんだ、俺はもう、使えないのか……? 『狂戦士』としての、俺の、力を……」
「ああ」
無慈悲で乾いた、サクラの肯定。
ジュン=ニビの目が血走っていく。
「ふざけるな! それは、その力は、俺のものだぞ!」
「ああ、分かっている」
「俺が生まれながらに備えていた俺だけの才能だ! お前が好きにしていいものじゃない!」
「全部分かっているさ。だから私は、君から盗んだこの力を濫用する予定はない」
「だったら返せっ……! お前が持っていたって仕方ないだろ、使わないなら……!」
「それは無理だ。私は『盗賊』。ものを奪うことはできても、返すことはできない」
「なんだと……?」
驚愕で青ざめていくジュン=ニビの形相。
対するサクラの表情は、憐憫と安堵に満ちていた。
「もう君は、天才じゃない。だから君が立ち上がっても、国家は決して傾かない」
「……っ、ふざ、けるなっ……! 俺の、俺の力を……! 栄光を……!」
「だから、もう危ないことはやめたまえ。本来あるべき君の姿に戻って、慎ましく静かに過ごすんだ」
あるべき姿と言われても、ジュン=ニビには全く飲み込めなかった。
何故なら彼のあるべき姿とは、『狂戦士』の力がある自分であって。
無力な一般人と化した自分の姿ではないのだから。
「返せっ……俺の力を、返せよっ……!」
床を強く殴り、怒りを露わにするジュン=ニビ。
しかしもう無意味だ。
どれだけ途方もない怒りを胸に蓄えたところで彼の身体は拡張しないし、その拳が床板を貫いたりはしない。
もはや彼は天才ではなく、かつて英雄だっただけのただの一般人でしかない。
「……国からもらっている年金は、ただ暮らしていくだけなら十分な量あるはずだ」
かける言葉が見つからないと言った素振りで、サクラは廃墟の外へと歩いて行く。
「これからはそれを元手にして、田舎で畑でも耕して暮らしてくれ」
颯爽と去って行く彼女の姿が、ジュン=ニビにはあまりにも眩しく、そして妬ましかった。
俺はあいつに全てを奪われた。なのにあいつは、まだ持っている。
「他の……体制派の連中も憎かったが……」
去って行く背中を、涙でにじむ目で追いながら、ぐちゃぐちゃな顔でジュン=ニビは叫ぶ。
「俺は、お前が一番許せない! お前のことを、一生憎んで暮らしてやる!」
サクラはそれ以上ジュン=ニビに何も言わないまま、廃墟から姿を消した。
◆◆◆◆◆
ジュン=ニビの廃墟から近隣の町までの間には草原がある。
地平線の先まで続く草原だ。
帰り道、その草原を歩くサクラ。
途中彼女は、何もない場所で突然足を止めた。
「……これで、ジュン=ニビは無力だ。君が見張る必要もないし、彼を危険因子として排除する必要もない」
かさかさ。
誰もいない草原の雑草が、踏みしめられるようにさざめいた。
「ひとまずは出てきてくれ、『ハヤテ』。虚空に向かって話すのは気分が悪い」
「やれやれ、姉さんには敵いませんね」
薄暗闇が具体的な形を得て、
影に潜んでいたのは、『天才』の一人である、『忍者』ハヤテ=ミドリカワであった。
全身を包む黒装束。
顔は黒い包帯でぐるぐる巻き。
口元だけが露出している。
包帯の隙間からは、鮮明な緑色の髪が覗いている。
「いつから気付いてたんですか、姉さん」
ミドリカワは、サクラと同い年だが――――彼女のことを姉さんと呼ぶ。
戦争中、サクラは何度もその呼び方をやめろとミドリカワに言っていたが、ミドリカワはついに終戦まで変えなかった。
それ以降はサクラも諦めて、呼称を変えるようには言わなくなったのだ。
「……最初からだよ。戦いが終わったときから予想はついていた」
ミドリカワはいわゆる『体制派』の一人である。
『勇者』が新皇帝に即位したあと、諜報員として彼に雇われた。
そんな彼が、今まで何人かの『叛意を示した天才』を闇に葬っていたことを、サクラは知っていた。
「君たちのような国家に迎合できる人間と、ジュン=ニビや私のような国家に迎合できない人間が分かたれた時からね」
「へえ、そんな前から。と言っても俺は、そういうことを聞きたかったわけじゃないんですけどね」
何の意味もなく、その場で宙返りをするミドリカワ。
『天才』の中でも特に身のこなしに優れた彼にとって、この程度は常人の欠伸にも匹敵しない。
「まあいいでしょう。確かにもう、ジュン=ニビは無力化された。今後彼が帝国の治安を乱す可能性は、万に一つもありえない。しばらくはマークを外しても問題なさそうですね」
ミドリカワの言葉に、サクラはどこか安心したような視線を送った。
「でも姉さん、良かったんですか?」
「何が」
「ジュン=ニビさんとの関係ですよ。元はそれなりに仲が良かったでしょう。でもあんなことしたら、もう二度とまともに口を聞いてもらえませんよ」
「いいさ。それで彼がまさに今こうして助かったんだから。『私の望みは、最初からそこにあったんだ』」
『忍者』一人で『狂戦士』を殺せたかは分からない。
だが、目を付けられていた以上どう足掻いても反乱は失敗しただろう。
ジュン=ニビの蜂起が他の『天才』に伝播するより前に、体制派から派遣された『天才』複数人が、彼を秘密裏に処分してしまったに違いない。
それを防げたというだけで、サクラにとっては満足だった。
「アハハ……それにしても姉さんは面白いことを考えますね。異分子となった天才を守るために、本人から才能を奪い取ってしまうだなんて! ですが妙案です!」
「妙案でもなんでもない。私だって、こんなやり方できれば取りたくなかった」
「才能とは、個人にとってのアイデンティティーも同然だ。私がやったのは、そのアイデンティティーを奪い取ること。守るためとはいえ、許されることじゃない」
天才を尊敬していた。そんな彼女だからこそ、天才を天才でなくしてしまう自分のやり方に疑問を抱かずにはいられない。
だがミドリカワには、そんなサクラの懊悩が無意味で滑稽なものにしか映らなかったようだ。
「考えすぎじゃないですかね? そんなこと考えてたら、心が病んじゃいますよ」
「だったら、君たちが私が病まないで済むような世界を作ってくれよ」
ミドリカワを含めた体制派への文句を、彼は無言で受け流した。
答える気のない彼の態度に、脱力して回答を諦めるサクラ。
変わってミドリカワが
「ところで姉さん。まさかとは思いますが、拾い上げられなかった五〇人全員に、同じ事をしていくつもりですか?」
「とんでもない。余計な気を起こしそうなのだけを狙って、一人一人諫めていくだけだよ」
サクラは気のない声色で手をひらひらと振った。
「言うことを聞いてくれればそれでよし。聞かなければ、対処するだけさ」
「……そうですか。ま、俺が思うに全員とは言わないまでも、八割くらいは何らかの叛意を抱いているようですが……」
ミドリカワはサクラの背中を見て笑った。
「その全員に、嫌われながら生きていくつもりなのか?」
「私が嫌われるだけで、彼らの命を救えるなら安いものさ」
何のてらいもなくサクラはそう言う。
「私はゼロサム。何も生み出さない劣等の『天才』。そんな私が、嫌われるだけで大好きな人達を助け出せるなら……それ以上に幸せなことはない」
「大好きな人達、なあ」
ミドリカワの口元が、嫌味に歪んだ。
「俺にはこういう風にも見えるがな。姉さんは、俺たち『天才』のことなんかちっとも好きじゃなかった。むしろ嫌いだった。劣等感塗れだった」
「……!」
「だから今、適当な理屈をつけて才能を奪い、かつて目の上のたんこぶだった奴らを見下せるというのは最高の快感だ……違うかい?」
サクラがじろりとミドリカワを睨む。
ミドリカワは恐縮したように頭をかき、口を閉じた。
「君がそう思うのは勝手さ。それで私の本心が変わるかというと、そうではないけどね」
やれやれと肩をすくめるミドリカワも、彼女の後を追った。
「でもいいのかい? 姉さん。姉さんにたとえ使う気がなかったとしても、『狂戦士』の力は今確かに姉さんの懐に収められた」
ポケットの中の宝石を指さすミドリカワ。
「それってさ、姉さんがそれだけ強くなったってことだよね? つまりは僕達帝国の人間にとって、姉さんがそれだけ脅威になったってわけだ」
黒装束に隠れていても、その目がぎらついているのがサクラには良く分かった。
隙あらば奪ってしまおうとでも思っているかのような、脂ぎった目だ。
「今のままならまだいい。だけどこのまま姉さんが『天才』から才能を奪い続けて力を蓄えていったら……最終的には姉さん自身が、国家にとって大きな憂いとなる」
ミドリカワのどこかからかうような口調をあしらうように、サクラは溜息をついた。
「いずれは俺のような暗殺者が差し向けられるよ。俺一人くらいならなんとかなるとしても、いずれは限界が訪れるだろうね」
「それならそれで、別に構わないさ」
そして彼女は、それ以上ついてくるなとミドリカワに手振りで示す。
ミドリカワは素直にその場で足を止めた。
「私一人が犠牲になることで下らない争いを止められるなら、私はそれで幸せなんだよ」
草原を行くサクラの背中を、ミドリカワは立ち止まって見送っていく。
「姉さんがそうしたいのなら、俺は止めませんよ。どこまでその意地を貫き通せるか、見守ってあげようじゃないですか」
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