影からのメッセージ
生まれた時からずっと、私達は影と生命共同体だ。
ト◯ロ死神説が一時期流行ったように、影は私達にとって特別な意味を持っている。
それは生きていることの証だったり、はたまた幼い子が遊びとして使ったり。こと、影は私達を飽きさせない。
小学生の頃に、何かの戦争の話を読んだことをいまだに覚えている。女の子が、空に影を送る遊びを真似して、校庭に出て私達もやった記憶がある。
青い空に、自分の姿が白く映って、それはそれは不思議に思っていた。
そう、あの時は、自分の姿がそのままに空に映っていた。
受験を控えた私は、夕食にも顔を出さずに部屋に篭っていた。
初めて受けた模試の結果に絶望し、それを見た先生の顔の歪みようは、今でも忘れられない。つまるところ、私はテスト恐怖症に陥っていた。
結果が出なかったらどうしよう。
出来ない子だと、思われたくない。
親に失望されたくない。
私は、恐怖を勉強で誤魔化し続けた。そのうち考えも、感情も計算と理屈で染まって、私はひねくれ者になっていた。
ゴミ箱にプリント、散乱していく消しかす。
煩雑に積み重なった参考書に、耳障りな音を出して使えなくなったシャープペンシル。
そして、センター試験がやってきた。変な人参のリスニングテストに動揺しながら、人生で一番長いテストが終わった。
当時の私を支えていたのは、努力は裏切らないという言葉だった。ひたすらにその言葉を信じ続け、努力をしてきた。
それがどうだ。自己採点をしてみるとケアレスミスが何箇所において発覚し、私は志望大学の足切りギリギリに立たされてしまっていた。
二次の筆記が苦手な私は、センターで点数を稼がなければならなかったところを、見事に失敗した。
そして、記憶はフラッシュバックする。
「この結果は厳しいですね……」
「こんなんで、本当に受かるつもりなの?」
「お前は将来をどう考えているんだ?」
私は吐き気を催した。部屋の中でうずくまり、何度も嗚咽を漏らした。袖は涙でぐしょ濡れになり、足の震えは止まらなかった。
そんな時だった。鍵をかけ忘れていたのか、小学生の弟が私のことを呆然と見ていた。
お前も、私を小馬鹿にしにきたのか。
お前も、あの顔をするのか。
やめて、お願い、やめて。
再度顔を腕にうずくめ、私は必死に弟が去ってくれるのを待った。
「お姉ちゃん、これ」
弟が差し出してきたのは、国語の教科書だった。
私がおそるおそるそれを受け取ると、弟は小走りで去って行ってしまった。
私は弟の意図が汲み取れなかった。何をして欲しいのか、読解をすればいいのか、それとも感想文の代行でもして欲しいのか。
何が何だかわからぬまま、震えた手を制御して、ページをめくっていく。
カニのお話、神父のお話、カレーライスのお話。
「あっ……」
思わず声が漏れたそのページは、懐かしきあの戦争のお話だった。水彩画のような、優しいタッチで描かれた絵は、なんとなく心に温もりを与えてくれた。
「影おくり……」
翌日、嘘のように澄み切った青空の下、私は公園に立っていた。ビクビクしながら受けていた模試の時以外に外に出たのはいつぶりだろうか。
私は十数秒間自分の影を見つめ、そのあと空を見上げた。
「……だろうな」
空に映っていたのは、膝を抱え、うずくまっている私だった。目には立った影が見えていても、長年私と連れ添ってきた影には誤魔化しは効かないようだ。
影は鮮明に今の私を、恐怖や期待に押しつぶされそうな私を映していた。
いずれ白い影は消え、代わりに涙で空が滲んだ。
「あんなの、私らしくないな」
私の顔には、自然と笑みが戻っていた。
結局、私は第一志望校に受かる事は出来なかった。
浪人という選択肢もあったが、私は滑り止めの大学に進むことを決めた。
迷いはない。期待値ゼロなら、かえって気が楽だ。
どうせなら、プライドやなんかも撒き捨てて、恥をさらして生きていこう。
完璧な奴よりも、その方がよっぽど人間臭くて、私は好きだ。
あの日、私は影を通して自分を振り返ることができた。
これを読んでいるあなたも、自分の姿がわからなくなった時には、影おくりをしてみたらどうだろうか。
影は誰よりもあなたの事を知っているはずだから。