異世界の双子と話してみる
星は怪物に突き立てた結果、地面に深く突き刺さったままの剣を、片手で軽々と引き抜いた。埋まっていた白い刀身を、星の上に浮かぶ光球が照らして輝く。
真っ直ぐな両刃。短くとも、包丁やナイフというには長すぎる、紛れもない剣だった。
(馴染みがないものだなあ)
四本腕の筋骨隆々たる怪物よりは身近であっても、やはりここは異世界なのだと感じさせてくれる品物だった。星にとっては、初めて触れた異世界の道具だ。
指を切らないように気をつけながら、刀身のほうを持って、白い二人に近づいていく。
少年と少女。見た目のパーツは人間だ。ただ、肌、髪、目、全てが白い。星の世界にはあまりいない容姿だ。
顔立ちはとてもかわいらしい。人種的にはなんともいえない形だった。日本人のようにも欧米系の顔立ちにも見える。なんとなく、いいところ取りをしたような感じかも、と思う。
そんなことを考えながら近づく星に、二人は強い警戒を抱いているようだった。なにしろ、自分達がかなわない怪物二匹を軽々と屠った、得体の知れない女が刃物を持って歩いてくるのだ。警戒しないほうがおかしい。
星はできるかぎりにこやかに優しく、二人に声をかける。
「はじめまして、こんにちは? 大丈夫だった? これ、返すね」
挨拶(日本語)をしながら、ゆっくりと剣を柄のほうを向けて差し出す。
「……?」
少年は、おそるおそるといった様子で剣の柄に手を伸ばし、握る。それを確認して星も指を離す。そのまま剣を腰にさしてあった鞘におさめ、星のほうを見る。二人の表情は少し、柔らかくなった。かわいい。
言葉はやはり通じていない気がしたが、言いたいことはなんとなく伝わっているように思える。
星は通じていないはずの言葉を継いでいく。
「私は天導星。異世界から妹を探すためにここに来た。何か知っていることがあったら、教えてほしい」
「……シホ」
少年は星を指差してつぶやく。星はうなずいた。彼には、『星』が名前だということがわかっていた。
『なんとなく伝わる』のだ。
少年がさらに話し始める。
リヴィテがなんとか。レウリがどうとか。ワリがなんちゃら。
その言葉の意味は星には全くわからない。
全くわからないが、伝えたいことだけはなんとなくわかる。
少年の名前はリヴィテ。少女の名前はレウリ。レウリは彼の妹なのだそうだ。
これが、転移者が異世界で言葉が通じなくても困らない理由。お互いに向かい合って話せば、相手の言いたいことがなんとなく伝わる。
通じ合うのは、転移者の言葉だけではない。この世界に存在している人々同士でも、違う言葉を話す人間はいる。しかし、向かい合って話せば通じる。
全てが通じるわけではなく、互いに共通した概念のほうが伝わりやすい。複雑な内容や、専門的な言葉、相手の文化に存在しないものは伝わりにくいし、全く伝わらないこともある。
この現象の理由は星の世界ではもちろん、異世界側でもはっきりとは解き明かされていないらしい。
通称【バベル現象】。ある転移者が言い出した、『この世界じゃ、バベルの塔が作られなかった。だから言葉がバラバラにされなかったんだろう』……と言う、冗談とも本気ともつかない発言が広まり、生まれた言葉だ。
星はもちろんバベル現象を知っていたので、遠慮なく話しかけることができた。できるだけ、平易な表現をこころがけている。
「そっか。二人は兄妹なんだね。あんな怪物に襲われて……」
怖かったでしょう、と星が続ける前に、後ろの少女……レウリが叫んだ。
その言葉に、少年……リヴィテが反応する。星に何かを訴えている。
「えっ、えっ」
急に早口で二人が話し始め、星はあわてる。どうやら自分に助けを求めている……ような気がした。
二人は星の両手を取り、ひっぱろうとする。星がここにやってきたのとは逆の方向。星の感覚からすると、『奥』の側に何かしらの危機があるようだった。
「ちょ、ちょっと待って!」
二人の手を軽くふりほどいてから、星は走って反対側へかけもどる。そこには、先ほど自分が下ろしたリュックサックがあった。
金具を外して開け、両手を入れて目当てのものを探す。平和な日本で過ごしたクセで、ついついリュックの底にしまいこんでしまったことを星は後悔していた。
『武器や防具は装備をしないと意味がない』。まさしくそうだ。先ほどは思わず素手で殴ってしまったが、すぐに使える位置に置いておけばもっと楽ができた。単に持っていることと、装備していることには天と地ほどの違いがある。
探る手先に、ひときわ硬質な感触が伝わる。
あった。
短剣と、拳銃。
異世界帰りの友人が作ってくれた、必殺の武器だ。
異世界帰りの友人は、不思議な能力を身に着けていた。
「ほら、こんな感じ」
「わ、鉄だよこれ……素手でこんなくにゃくにゃにできるなんて……」
「すごいでしょ。金属なら、いくらでも自由に加工できるんだ」
「へえ……。異世界帰りの人は、ほとんどが向こう側で身につけたっていう技を使えなくなるって聞いたんだけど」
「それだけ僕が天才かつ努力家だったということだよ」
「で? これで何ができるの」
「……。そうだね。向こうで作れたほどのものはできないだろうけど、武器が作れるよ」
「武器?」
「何がいい?」
「え、何がって言われても……鉄砲とか……?」
「鉄砲ね。作ったことはないけど、できると思うよ。本とかで構造を見れば」
「本当にっ? 法律とか大丈夫?」
「そこはどうにもならない。バレないようにやってくれ」
星は短剣と銃をジャケットの内側のホルダーに取り付け、リュックを背負う。
フラッシュライトから現われた光の球は、まだ浮かせたままだ。明るすぎる人魂に、地下道が照らされている。光の球は星が歩けば、行く道を照らすように動く。
友人いわく、この状態は消耗が激しいとのことだが、便利なのでこのままにしておく。いや、単純に無いと不便すぎる。
そして、不安げにこちらを見ている二人に、微笑みかけてみせる。
「おまたせ。じゃあ、行こうか」
三人があわただしく走り出してほんの数分。その間に、星はおおむねの事情を聞いた。
この先には二人が住んでいた町、あるいは集落、村、そのようなものがあるらしい。
そこは今、地底の悪魔、怪物、邪悪、まあそういうものたちに襲われている。二人は子供だからという理由で、抜け穴から逃がされた。
しかし、狡猾な悪魔たちはすでに抜け穴の先で待ち伏せをしていた。これは、星がぶちのめして脳をえぐって首の骨をへし折ってやった二匹のことだ。
二人は星の強さを見込んで、どうか自分達の町だか村だかを救ってほしい……とのことだった。
「……大体わかった」
星は、走りながら二人に向かって頷いてみせる。
そして通路の途中で立ち止まった。上を見上げればおおよそ3メートルほどの高さの天井に、滑らかに掘られた丸い穴がある。奥は平らな石でふさがれている。上から蓋を乗せられているようだ。
蓋を開けて、この長い通路に降りて逃げる抜け穴というわけだ。
しかし、この通路から蓋を開けることは基本的に想定されていないようだった。一方通行の逃げ道だ。
リヴィテとレウリは、慌てて星をつれてきたはいいが、戻ることができないことに気づいて歯噛みした……が。
「じゃ、行こうか」
星は軽く1メートルほど垂直に飛んで、穴の淵にあった数センチほどのでっぱりに無理矢理指をかけた。右手の3本の指で全体重を支える。
そのまま左腕をジャケットの内側に入れて、短剣を抜いた。両刃で22センチの刃渡り。刀身にはなにやら複雑な黒い模様が描かれ、赤・青・黒の透明な石が埋め込まれている。
「これで蓋を……開けられるかな」
とりあえず蓋に刃を軽く突きたててみる。あっさりと刃は蓋を貫通し、半ばほど埋まった。そのまま力をこめると、特に強い抵抗もなく刃は動く。
「お、いけた」
蓋の直径から一回り小さく、円を描く。ずる、と蓋がズレて丸く抜ける。
「おっと……」
そのまま落ちそうになった蓋を、星は短剣を持ったままの拳で受け止める。下に落とすと危ないし、大きな音がするのもよくないかもしれない。
蓋は通路とは違った岩で出来ており、厚さは3センチはあった。切り取った部分の直径は70センチほど。
落とすのはまずいので、ぶらさがったまま上に押し込んでどかす。
「開いた。入ろうか」
と、星が下に声をかけると、なぜか二人は口を開けて変な顔をしていた。その理由が星にはわからなかった。
わずかなでっぱりに指をかけてぶらさがったまま、厚さ3センチの岩を短剣で切り取り、それを片手で持ち上げてどかすことのおかしさが、この時の星にはわからなかったのだ。
(ひょっとして蓋に穴を開けたのがまずかったのかな……。まあいいか、後で謝ろう)
そんなことを考えて、星は短剣を持ったまま、右手をおもいきり引いて勢いよく穴に飛び込む。
すぐさま周囲を警戒。動く者の姿はなし。
何の素材かよくわからない、多くの箱が積まれている。どうやらここは倉庫のような場所らしい。
星は穴を覗いて声をかける。
「二人とも、昇れる?」
呆然としていた白い二人は顔を見合わせた。3メートル近くの穴には手が届かないのだ。
「わかった。じゃあ引き上げるね」
星は迷い無く身体を乗り出し、思い切り手を伸ばした。 白い二人も少し迷ったあとに腕を上げて、星の手を掴んだ。
兄妹の動きやしぐさは、ほとんど鏡写しのように正確に左右対称だ。仲がいいんだな、と、なんとなく星は嬉しくなる。
その手を掴んだ星は、そのまま上半身を起こす形で二人を穴の中に引き上げた。
重さを感じていないかのような、スムーズな動きだ。
妹のレウリが、静かに何かを呟いた。
「ん……? 英雄……力持ち……外側?」
おそらくは、一言では説明できないようなニュアンスのこもった、彼らの文化に根ざした言葉。星ははっきりとは理解できず、近いイメージの言葉を重ねて返した。
レウリとリヴィテはともに頷き、同時につぶやく。
「ファリシスタス・シホ」
「ファリシスタス・シホ」
「……えーっと……ありがとう?」
はっきりと意味がわからなくとも、とりあえず褒められているということは星にもわかった。
バベル現象は、あくまでも言葉を発した当人の意図を伝えるものだ。たとえば、本人がまったく知らない言葉をそのまま音として口にしたとしても、相手にはその意味が伝わることはない。
しかし逆に、言葉を違った意味で使ったとしても、その意図は伝わる。本人が「動くな」、という叫びに「走れ」という意味をこめたつもりでいれば、相手には「走れ」という意味を持った言葉として伝わるのだ。
二人もファリシスタス、という言葉の意味を完全には理解していないのかもしれない。ただ、強い確信だけがあった。
すなわち、星こそがファリシスタスであると。
実のところは、星の本質は彼ら言うところのディヴィニシシスにこそ近いものだったが、二人はそれを知らなかった。
「まあよくわかんないけど、行こうか」
星はなんとなくうなずいて、倉庫の出口を探す。すぐに扉のようなものがみつかった。
壁の中に少しへこんだ四角い部分があり、その奥は壁とは違う素材でできている。大人が三人ほど並んでも余裕がありそうだ。たぶん、これが出入り口のはず。
走りよって開けようとして、星の手がさまよう。
扉の前で固まった星を、後ろの二人が不思議そうにみつめる。
結星は4秒ほど迷った後に、結局、ちょっと恥ずかしいけど素直に後ろの二人に聞くことにした。
「これ、どうやって開けるの?」
扉らしき板には掴む場所も指をかける場所もない。異世界人である星には、その開き方がわからない。
星の言葉を聞いて、ああ、と二人が頷いた。
前に歩み出て、兄であるリヴィテが扉に腕を伸ばす。そのまま手で右のほうを押すと、扉がその中心を軸としてぐるりと横に回転する。
「えっ、回転ドア!?」
なぜ倉庫の扉をわざわざ回転ドアにするのか、星には全くわからない。これが異文化というものか。
そんな困惑の中にある星を置いて、二人はさっさと外に出て行ってしまう。星もあわてて続いた。
扉が開いた瞬間、怒号と悲鳴、金属同士がぶつかるような音、そして何かをあざ笑うような人ならぬものの叫び声が聞こえる。
そこは戦場だった。