神狩りの巫女七
地面が揺れていた。その度に傷が痛むので、とめて欲しいと鹿子は思う。体に当たる感触から、自分が横になっているのが分かった。ずっと同じ格好をしていたのか、背中が痛い。
体勢を変えようと、息を吸って力をこめる。傷がえぐられるように痛んだ。痛みで体を強ばらせる。
「う……」
小さく呻くと、傍でばたばたと木を叩くような音がした。
うっすらと目をあける。淘汰が四つんばいになって、心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。さっきのばたばたは、淘汰が急いではい寄って来た音らしい。
「ここは、どこ?」
淘汰の後に抜けるような青空が見えた。
「荷車の上です。それから、下級の荒ぶる神はすべて浄化しました」
鹿子がゆっくりと体を起こす。鹿子が寝ていたのは、板に車輪と引き手を付けただけの車だった。黒毛の牛が重たそうに歩くたび、軋んだ音を立てる。鹿子のまわりには稲の束や芋、酒の壷、クワやスキが積まれていた。前をみると、村人達が黙々と歩いているのが見える。
「あの場所には、もういられません」
柚木が生まれ変わった神を斬った。生の力の加護を失った土地は滅びるだけだ。水は魚を育てず、稲は実らず、獣は去る。草すら生えず、不毛な大地が広がるだろう。
「夜露をしのがなければならないので、皆で隣村に行くことにしました。新しく糧を得るための土地ができるまで。住み慣れた場所を離れたくないというものはおいてきました。もちろん、新しい場所に落ち着いたらもう一度迎えに行ってみるそうだけど。勝手に決めちゃってごめんなさい」
「ううん、私もそうしたと思う。ありがと」
会話が途切れるとなんとも居心地の悪い空気が流れた。
淘汰はおそらく柚木のことを訊きたいのだろう。
美貌の巫女の噂は彼もきいたことがあるはずだ。
二人の従者を連れ、祓いの中でも強い浄化の力を持っていたという。だが十年前、自身の産まれた村に現われた荒ぶる神に従者ともども返り討ちにされてしまったと。
だがそれは芝居で、柚木は生きていたのだろうか。十年も何をしていたのか。なぜ神を殺したのか。そしてなぜ鹿子を殺そうとしたのか。
淘汰は一度強く唇を噛み締め、それから口を開いた。
「殺嘉は」
結局彼が口にした言葉は、柚木とはなんの関係もない名前だった。
「殺嘉は、一足先に隣の村まで行っています。受け入れてもらえるように話をしてくるって」
「そう」
幸いなのは、穀物倉が無傷だったことだ。どの村も、ほかの村全員分を養えるだけの食料はない。自分達の分の食べ物を持って来られなかったら、いくら巫女の口利きがあっても容赦なく追い出されただろう。
隣の村に近づくと、殺嘉の声が聞こえてきた。
「ああ、だからまずは寝床だけ貸してくれるだけでいいって。女子供と病人の分だけでいい。食べ物はこっちにけっこうあるからよ」
殺嘉は隣村の村長と話していた。近づいてくる牛車を見つけ、駆け寄ってくる。
「鹿子! 怪我は?」
そう聞かれて、鹿子は初めて自分の怪我が意外と浅いことに気がついた。確かに少し動いただけでひどく痛むし、しゃべるのもつらいが、普通なら数日意識が戻らなくても不思議ではないはずだ。
「あれ、そういえば、私なんでこんなに平気なんだろ。確かにとっさに急所ははずしたけど」
「おう。それは俺も驚いた。傷はあるけど、血がすぐに止まったし。直前まで神様を浄化していて、生気に触れてたからその影響だろうな」
蜘蛛が浄化された時の光を鹿子は思い出した。運がよかったということか。結局あの蜘蛛は殺されてしまい、完治はしなかったようだが……
鹿子は長老に顔をむけた。
「長老、話は殺嘉から聞いたと思います。私は浄化に失敗しました。私達がつれてきた者達に助勢をお願いします」
淘汰の肩を借り、鹿子は車から降りた。
「ええ、わかりました」
一見従順に顔をさげた村長だが、鹿子にいい感情を持っていないのは明らかだった。臥せられた目が、曲げられた口が鹿子を責めている。
「どうするんですか鹿子様、これから。傷が癒えるまで、ここにいさせてもらいましょうか」
鹿子は首を振る。
「いったん、都に戻ろうと思う。今回は、変な事が多すぎる」
「そうだな。なあ、鹿子よ」
殺嘉は鹿子に向き直った。自分より少し下にある鹿子の目をひたと見据えた。
「さっき、お前を殺そうとした女、本当に柚木だったのか」
もう一度身を切られたように鹿子は目を閉じ、体を強張らせた。
「君はなんてことを!」
襟首をつかんできた淘汰の手をはらいのけようともせず、殺嘉は低い声でいう。
「うるせえな。黙って保留にしてすむもんじゃねえだろうがよ。神殺しは大罪だ。許されるもんじゃねえ。これからあの土地、常黄泉の地になるんだぞ」
生きる力を失った土地を常黄泉の地と呼ぶ。神が斬られた場所を中心に、滅びは何年もかけゆっくりと広がる。運が悪ければ、今いるこの村も滅びに飲み込まれるかも知れないのだ。
「それにしても、言い方ってものが!」
「淘汰ありがと。でも殺嘉が正しいわ」
その言葉に、淘汰の手が殺嘉から放れた。
「私も、よくわからないの。あれは確かに柚木様だった。でもなんであんなことをしたのか」
鹿子は顔を両手で覆った。泣くのを我慢するように、一回深い息をした。
「それだけわかればいい。悪かったな」
殺嘉は車の荷降を手伝いにいった。
「鹿子様、立ってるの辛いでしょう。どこか横になれる所がないか、訊いてきますね」
淘汰も行ってしまい、鹿子は荷降の邪魔にならないように隅の岩に腰をおろした。ぼんやりと殺嘉の動きを目で追う。木依と兄弟達が殺嘉を見つけて駆け寄っていく。三人の会話がここまで聞えた。殺嘉は彼らしく飾り気のない言葉で子供達を慰めていた。
「でもよかった。皆死んじゃうと思ったから。ムラトはかわいそうだったけど」
木依の言葉に、他の子供達がうなずく。ただ小さい澄が泣きじゃくっていた。
「そうか。鹿子が聞いたら喜ぶだろうよ」
「ねえ、あんちゃん、村から持ってきた食べ物はどれだけあるの? 今年の分足りるかな?」
殺嘉の担ぐ袋を見ながら木依が訊く。
「ん? ああ、ちときついかもな。これから畑の作物は枯れちまうだろうし。けどまあ、遠出をすれば狩りもできるし、平気だろ」
殺嘉は刀の柄を軽く指で叩く。それは『あまりよくない』とか『嬉しくない』を表す彼の癖だった。
鹿子の胸が痛んだ。
殺嘉の言葉は嘘ではないが本当でもない。平気だ、と言ったのは村の者が全滅しない、というだけの意味だ。不自由しない、という意味ではない。
田や畑を作るとしても、昨日今日でできるものではない。きちんとした作物がなる前に蓄えがつきるかも知れない。栄養不足で、今殺嘉と話している子供達の何人かが黄泉津比良坂を下ることになるかも知れないのだ。
殺嘉の癖の意味が読み取れなかった子供達は無邪気にほっとした笑みを浮かべた。
「はいはい、お話はもう終わり。父ちゃん母ちゃんの手伝いに行った行った」
殺嘉は子供をにわとりのように追い散らした。
一人、木依だけが何か言いたそうな様子で残っている。
「ん? どうした?」
殺嘉が訊くと、緊張した様子で話始めた。
「ね、ねえ。僕を連れて行ってよ、い、いや、連れて行ってください」
「連れて行ってって、都に?」
鹿子の質問に、木依はコクリとうなずいた。
鹿子は木依と視線を合わせた。
「荒ぶる神をみたでしょう? 私達はあんなのと戦ってるのよ。木依みたいな小さい子を連れて行くわけにはいかないの」
食料が乏しいとはいえ、いつ荒ぶる神に襲われるか分からない旅に出るよりは、村にいた方がまだしも安全だ。
諭すようにいった鹿子に、木依は「でも」と口ごもる。
近くにいた淘汰がちらりとこちらに視線をむけてきた。
「どうせ、遊びに行くつもりなんでしょ? これぐらいの歳って外の世界が見たくてたまらないから」
彼は柚木のことで少しいらだっているようだった。
「違う!」
淘汰がびっくりするぐらいの大声で木依はいった。
「僕は、都へ行って帝にお願いするんだ。都にはたくさん食べ物があるんでしょ。だから少しわけてって」
噛み付きそうな勢いで木依は言った。
その言葉を聞いて、鹿子は思わず木依を抱きしめたくなった。しかし、それはやめにする。幼くとも、村を守ろうと覚悟を決めた者に対して失礼だ。
「そこまで覚悟を決めてくれたんなら連れて行ってやりてえのはやまやまだけどな」
抱えていた荷物をいったん降ろして、殺嘉が言った。
「都って、むちゃくちゃ遠いんだぞ? そこまで普通に行くのも大変なのに、荒ぶる神もやっつけながらだ。悪いけど、お前の面倒を見ている余裕はない。分かってくれ」
木依はしばらく唇を噛みしめてうつむいていたが、やがてゆっくりとうなずいた。
「悪いな、連れて行けなくて」
殺嘉は木依の頭をくしゃくしゃとなでた。
「じゃあ、殺嘉あんちゃんにこれあげる。旅のお守り! 僕が作ったの!」
気を取り直した笑顔で、木依が懐から取り出したのは、龍の形をしたワラ細工だった。
「へえ、器用だな。ありがとさん」
「えへへ……じゃあね」
木依は元気よく先に行った子供達を追っていった。
「さて。速いとこ手伝い終わらせて次の村行こうぜ。そんでゆっくり休もう」
「うん、そうだね」
力なく鹿子は微笑んだ。
その時、柚木に斬られた傷が痛み、自然と眉根がよった。
「なんだ、まだ痛むのか?」
「うん。でも手当てしたから落ち着いてきてる」
嘘だった。柚木から受けた傷は、時間がたつにつれ痛みを増していった。傷口がまたじわじわと開いていくように。もし神の生気に触れて、ある程度まで回復したというのなら、すぐに治りはしなくても悪化はしないはずなのに。明らかに普通の傷ではない。なにか、刃に毒でも塗られていたのだろうか。
「それから…… 都の前に柚木様の村に行ってみようと思うの。一体何があったのか」
「柚木が死んだことになっていた場所か。何か分かるといいんだが。まあ、これ以上悪い事にはならないだろうよ」
自分に言い聞かせるような殺嘉の言葉だった。