神狩りの巫女六
斬る、斬る、避ける、斬る、激痛、斬る。ただ、自分の身に襲いかかる攻撃を避け、斬る。殺嘉と淘汰はひたすら荒ぶる神を斬り続けた。神達の前進を許せば、村は踏み潰されてしまう。とどめを後回しに足を斬られた異形の神達が、適当に斬り捨てられ、転がって呻き声をあげている。
「ふう、なんとか目標達成」
衣の袖を自身の血で濡らして、淘汰は刀を持つ手を垂らし大きく息をする。
「……」
殺嘉もしかめ面をしたまま刀を振るのをやめる。これから倒れて動けない神に止めを刺さなくてはならない。殺すのではなく、もとの純粋な力に戻るよう浄化してあげるだけなのだが、あまり気持ちのいい作業にはならないだろう。
「あとは鹿子様の所へ加勢に!」
光につられた蜘蛛は幸い村をそれ、小川の中に入り込んでいた。村へ進むそぶりはみせないものの、山へ引き上げもしなかった。鹿子は膝まで水に浸かり、神と対峙している。 鹿子が何度斬りかかっても硬い外皮に阻まれ、決定的な攻撃を与えることができなかった。相手の攻撃を避けることで、こちらの体力は確実に奪われる。少しずつ少しずつ、動きが緩慢になっていく。早く決定的な一撃を与えないと、たまった疲れで攻撃を避けきれず死ぬことになる。
駆けつけた従者二人が鹿子の両脇に並んだ。
「おい淘汰、とどめは刺すなよ」
「うん、もちろん!」
下級神はともかく、強力な荒ぶる神を浄化できるのは巫女だけだ。巫女自ら刀で斬り、祝詞を唱えなければ浄化はできない。巨大な塊となった神を無理に散らせば、浄化されることなくその力は消えてしまう。それはすなわち、神の力がおよんでいた土地の死を意味する。
鹿子はあちこちすりむいていたが、たいした怪我はないようだ。
「鹿子様、手伝います!」
頭を狙った淘汰の一刀も、あっさりと跳ね返される。
「だめ。向こうも警戒してる。もう目を狙うのは難しい。口の中に刀を突き立てられればいいんだけど」
風を斬る音がして、蜘蛛の足が淘汰の胸を狙い、突き出される。飛び退いた淘汰に、鹿子が叫ぶ。
「まだ来る! 気をつけて!」
何かが外れたような、骨の折れたような音がした。淘汰の頭を指差すように伸ばされた、右前足の先端が、針のように細まりながらさらに伸びる。淘汰はとっさに身を沈めた。針が空気を貫いたときに生まれた微かな風を頭のすぐ上で感じる。立ち上がる間もないうちに、みぞおちを狙って残った左足の針が繰り出された。避ける時間はない。
真横から鹿子が思い切り淘汰を蹴り飛ばした。しゃがみこんだばかりの不安定な姿勢をしていた淘汰は横に倒れこむ。みぞおちを貫くはずだった針は横腹を軽くかすめただけだった。
それからも、ほとんど目が見えないはずの蜘蛛は執拗に淘汰を攻撃した。まるで鹿子の存在を忘れてしまったように。
「鹿子様に攻撃がいかないのはいいけど、なんで僕ばっかり?」
下級神との戦いで受けた肩の傷は、血がまだ止まらない。少しづつ力が抜けていくようだった。前脚を避けながら、鹿子のほうへ目をやる。淘汰に向かう攻撃を払い除けてくれた鹿子は、疲労が蓄まっていて辛そうだが大きな傷はない。
「そうか! 匂いか」
よく考えるまでもなく、視覚をつぶされた神が嗅覚や嗅覚に頼るのは当たり前だ。
淘汰は血のしみ込んだ袖を引き千切った。それを蜘蛛の頭の上に放り投げる。蜘蛛はその布を捕まえようとするように前脚を持ち上げた。守られていた目と口が剥出しになる。切り刻まれた布が紙ふぶきのように風に舞った。
水を蹴立て、鹿子が走る。乱杭に生えた牙の間に刀を差し込む。荒ぶる神の悲鳴が木霊した。
「やったか?」
「わかんない」
荒ぶる神の口に刀をねじ込んだまま鹿子が答えた。
蜘蛛が動きを止める。あげられたままの前脚が、ゆらりと揺れる。このまま前脚落ちれば、鹿子は叩きつぶされてしまうだろう。鹿子は急いで刀を抜き、後へ跳ぼうとした。だが、腕が動かない。
蜘蛛の口の奥から伸びた糸が、鹿子の両腕を捕らえていた。
「なっ!」
荒ぶる神が蜘蛛の姿をしている以上、糸を警戒していなかったわけではなかった。しかし普通蜘蛛は口から糸を吐かない。
蜘蛛は下げかけた鈎爪を再び振り上げた。殺嘉と淘汰は走ったが、間に合わない。鼻の先に触れそうなほど近くにある八つの目が、わずかに笑い、歪むのを鹿子は見た。水煙が上がった。土砂降りの雨のように、舞い上がった水が体を打つ。
いつの間にか閉じていた目を、鹿子は開けた。自分の身の丈ほどもあった蜘蛛の姿は目の前から消えていた。その代わり、世にも美しい女性がその場に立っていた。鹿子と同じ、白い着物に緋の袴。膝まである黒い髪。どこか陰のある、しかしだからこそ美しい瞳。肌は白く、頬と唇だけが淡い桜色をしていた。手には細身の刀。
その女性を、鹿子は知っていた。
「柚木様」
荒ぶる神に襲われた村で、初めて会ったときと同じ姿だった。駆け寄ろうとした鹿子だけど、足がもつれてうまく進めない。よろけて、態勢を整えようと真横に手を伸ばす。なにか濡れた物が手に触れた。
それは、頭から尻まで真二つに切断された荒ぶる神の死体だった。きれいに分かたれた右半身と左半身が壁になり、鹿子はその間を通っていたのだ。顔を左右に向ければ、蜘の断面が見える。
「柚木様、助けてくれたんですね」
柚木はふわりと微笑んだ。どんな者でも微笑み返さずにはいられないようなやわらかな笑みだった。
「鹿子、大きくなったな。そして、強くなった」
「よかった、生きて、いたんですね。今まで、どこへ。連絡も、なしに」
気を緩めると泣いてしまいそうだった。言葉を一つ一つ丁寧にしゃべらないと声が震えてしまう。
荒ぶる神は、いつの間にか無数の黒い光の粒になっていた。その真ん中に立っている鹿子と柚木は黒い霧に包まれているようだった。霧はゆらゆらと虚空に集まり、一抱えもある大きな丸い塊になった。
「ああ、えっと、話をお伺いする前に、この神様を浄化しないといけませんね」
多少慌てながら、鹿子は祝詞を唱え始めた。柚木が見ていると思うと緊張する。
黒い固まりは少しずつ輪郭をなくし、透明になり、揺らめき、まるで陽炎のように実体のないものになった。
鹿子は両手を差し出しだす。陽炎は光の粉になり、見えない手に丸められているように凝縮されていく。そして真球の珠となる。鼓動のように明滅する、夕暮れに似た暖かな金色の光。照らされた鹿子の指先がすけ、血の緋色が鮮やかだった。
珠からは、蜘蛛のまがまがしさは微塵も感じられなかった。転じていた荒ぶる神が命を育む力に戻ったのだ。この神を祭れば、前のように村は豊かになるだろう。
柚木は小さくうなずいた。
「本当に、いい祓いになったな、鹿子」
柚木の持つ細い刃が小さく鳴った。
「だから邪魔だ。死ね」
突き飛ばされたような衝撃を鹿子は感じた。背中が火か氷を押しつけられたように熱く、冷たく、痺れた。ゆっくりと自分の体を見下ろす。刀の先端が横腹から突き出していた。傷口を押さえようとすると、刃に触れた指が切れた。
柚木は刃を引き抜く。小さく咳き込んだ鹿子の唇から血が溢れた。傷口からぼたぼたとたれた血は着物を濡らし、地面を染めていった。
殺気を感じ、柚木は刀を低く掲げる。金属のぶつかりあう音がすぐ耳元でした。
淘汰の刃と柚木の刃が、巫女の首筋すぐ近くで噛み合っていた。柚木の反応がもう少し遅かったら、彼女は間違いなく首を刎ねられていただろう。
「鹿子の従者か。ためらいもなくこの私の首をはねようとするとは、見所がある」
柚木は無造作に淘汰の刀を払い除ける。
グラリと傾いた鹿子の体を殺嘉が支える。
「なんのつもりだ、柚木姫ェッ!」
殺嘉の叫びに、柚木は眉一つ動かさなかった。生まれ変わったばかりの幼い神に視線を向ける。
銀の光が走った。淡い、黄金色に輝く小さな珠は、無残に砕かれて消える。
「あはははは!」
柚木は笑った。白い喉を見せ、のけぞって。
声すらあげず、再び淘汰が切りかかる。沸き上がった激しい怒りがかえって淘汰の顔から全ての表情を消していた。藁の束でも斬ろうとしているように、躊躇も罪悪感もない一刀だった。
「いい動きだが、少し癖がある。踏み込みを半呼吸遅くしてみろ」
いつのまにか背後に回られた淘汰の耳に囁かれた言葉は、辛抱強い剣の師匠のように静かだった。柚木に笑っていた余韻はもうない。
淘汰の背と衣の間を汗がすべり落ちる。
「今度会ったときまでに、直すといい。まあ、その時があるかどうかはわからんが」
淘汰が振り返れば、堂々と背中を見せ、柚木は山のほうへと歩いて行った。荒ぶる神にけずられ、地肌の見える坂を危なげなく登っていく。
「ッ!」
小さく唾を吐き捨てて、後を追おうとした淘汰の襟首を殺嘉がつかんだ。
「阿呆。あいつはもういい。鹿子のほうが先だ」
殺嘉は乾いた地面に鹿子を寝かせた。
「診てやってくれ。傷の治療はお前のほうが得意だろ」
まるで鹿子を傷つけたのは殺嘉だというように、淘汰は殺嘉の方を睨みつけた。鹿子を斬られ、あれほど舐められて悔しくないのか、と言いたいのだろう。
「あとで倍返し」
ひらひらと手を振ってから、無意識に傷を押さえつけている鹿子の手を退かした。着物のたくしあげ傷口を露出させる。
「鹿子様!」
木依が駆け寄ってきた。
「清潔な布と、湯を。できるだけ早く」
淘汰は傷口から目を離さず木依に言った。