君あれば
「うわ、なんだ、気持ち悪りい」
殺嘉は思わず両肩をさすった。
淘汰も鹿子も、この奇妙な感覚の原因を突き止めようと緊張している。
「あっちからだ」
鹿子は顔を都の西にむけた。
「あそこに、何かあったっけ」
考えて、殺嘉はすぐに思い当った。玲帝の陵墓がある方向だ。
「おおい!」
反対側から聞き慣れない男の声がした。木々の間から、兵が今にも転びそうなほど慌てて全力疾走しているのが見えた。格好からして、都の外を見張っていた兵だろう。
「誰か! 占司殿の方はおらぬか! 朱様に伝えてもらいたい!」
「なんだ、一体!」
「壁の外に、なにかおかしな物が!」
「おかしな物?」
「黒い、へどろのような物が。半分溶けたような獣や怪鳥も現れて。操吟様が兵を従えて人々を守っていますが、このままでは」
「ヒルコだ」
そう言って、鹿子がこくりと唾を飲み込んだ。
「今はまだいい。でも、犠牲者でたらますます穢れが強くなる。ヒルコも本格的に荒ぶる神になるかも知れない」
「巫女の内から何人か、援軍に回そう。操吟に伝えよ。清めの人数が減るのは痛いが。わらわは占司殿に戻る。後援の場所もつくらねばならないからの。これから荒ぶる神がわんさと現れるぞ」
一礼して、兵は伝言を伝えに森の中へ消えていった。
「やはり、玲帝の陵墓か」
声を姿に似合わぬほど低く落として、朱は呟いた。
「僕も確かにさっき陵墓の方から嫌な気配を感じたけど。帝が何か関係あるの?」
殺嘉が聞きたかった事を、淘汰が代わりに聞いてくれた。
「実はね。りん、いえ、操吟様が鏡を持って来られたらしいの」
「もし柚木がどこかで何かやってるとしたら、玲帝と関係のある場所の可能性があるってわけか」
鹿子うなずいて衿を正す。
殺嘉が淘汰をうかがうと、淘汰もこちらを見ていた。うなずきも合図もなく、視線だけで互いの考えを確認する。
「淘汰、殺嘉。傷があるなら、手当てを早く。これから、玲帝の陵墓に行く。柚木様を止めるわよ」
「ごめんなさい、鹿子様」
淘汰がにっこりと微笑んだ。
噛み合わない応えに、鹿子が振り返ろうとした。その細い首に、淘汰が手刀を叩きつけた。
驚いて一瞬見開いた鹿子の目が、力なく閉じていく。
「とう……た?」
崩れ落ちる鹿子の体を、殺嘉が支えた。
暖かできゃしゃな体を、抱き抱えるようにしてゆっくりと地面に寝かせる。
「二人とも、何を」
詩虞羅が驚いたように二人を見上げた。
「柚木を殺す」
殺嘉と淘汰の声が重なる。
「詩虞羅、鹿子の呪いは柚木を殺さなければ解呪できない。そうだったな」
「だからといって、鹿子様に柚木を殺させるわけにはいきませんよ」
殺嘉も淘汰も、鹿子が巫女をめざした理由を本人から聞いて知っている。そして、憧れの巫女様を語るときの、鹿子の嬉しそうな顔も。淘汰の言う通り、そんな鹿子に人殺しを、まして柚木を殺させるわけには行かない。
「詩虞羅。悪いが、鹿子を占司殿の中に入れてやってくれ。逃げないように牢へでもつないでおけ」
殺嘉の言葉を聞いていた朱がうなずいた。
「ふむ。鹿子には今度こそ刀を置いて休んでもらおう。占司殿に指示を与えたら陵墓へむかう。淘汰、殺嘉。早まって二人きりで乗り込むなよ」
「朱様、私もともに……」
「黙りや、薙覇!」
詩虞羅の言葉を遮り、斬りつけるような勢いで朱が言った。
「たわけがぁっ! 御主は告屠の偽物すらも斬れなかったではないか! 仲間が姿を盗られ、冒涜されているというのに、惑わされおって! もし鹿子が柚木に刀を向ければ、御主は鹿子の邪魔をするであろ。逃げる逃げないではない、運命に立ち向かう資格すらないわ!」
詩虞羅は胸をえぐられたように顔を背ける。
朱は魁にまたがり、物凄い速さで占司殿へ駆けさって行った。
「二人きりで乗り込むな、だってよ。待ってられるかよ」
地面に横たわった鹿子は、眉をしかめていた。薄く開いた唇も、両の頬も青ざめているいる。
元気そうに見える鹿子だが、それは符のおかげにすぎない。傷はそのままに、薬で痛みだけを無理やり押さえているようなものだ。このままにしていて、長く持つはずがない。何よりも、柚木の事は他の巫女達に任せて起きたくはなかった。
「まさか、今からすぐに行く気ですか」
「そういうこと」
驚いた様子の詩虞羅に、殺嘉は不敵に笑って見せた。
「呪いの進行が心配です。詩虞羅さん。鹿子についていてくれますか?」
珍しく敬語の淘汰に詩虞羅は頷いた。
「あばよ、じゃなかった、またあとで、な」
「お互い、生きていたらまたお会いしましょう」
二人は手を振ると、詩虞羅に背を向けた。




