黒龍三
「そうと知っていたら、抵抗などせずおとなしく喰われていたものを」
そこで初めて舞扇がうつむいた顔をあげた。
「これ以上隠していても、神々の怒りをかうだけでしょう。玲帝を、あなたの兄上を殺 (あや)めたのは私の手の者です」
「な、何を、何を言っているんだい?」
兄の死は、病だったのだ。悲しい事だが、起きてしまった事は変えられないから、苦労しながらも――そうとうな苦労だった――何とか現実を受け入れた。
それなのに、本当は暗殺だった? 舞扇は口うるさいやつだが、私達兄妹のためを思い、誰よりもよく仕えてくれている。そんな舞扇が兄を殺した? 何を言っている?
「私は玲帝よりも、あなた様の方が帝としてふさわしいと思った。ですから、病に見せ掛け玲帝を暗殺したのです」
「なぜ……」
操吟はそれだけをしぼり出した。
兄を殺してまで、帝になりたかったわけではなかった。兄の傍ら立ち、補佐をしたかった。優しかった兄のもとで。いや、兄は今でも優しかった。胸にくさびを打ち付けられてなお、妹をゆるそうとしていた。
そんな兄を、なぜ殺したのか。
「私は、寒村の生まれました」
身じろぎもしないで舞扇は言った。淡々とした声が虚ろな墓に響く。
「売られた先は、地獄でした。しかし、それでも父母を恨むことはできず、私の恨みは主人と、生まれた村を顧みてくれなかった玲帝に向かいました。生れ付きここで育ったあなた様には、私が初めて絢爛な内裏を見たときの驚きはわかりますまい。私があばら屋で震えていたとき、帝は絹の布にくるまれていたに違いない。小さな村一つ救うこともできないのに……」
「もういい。舞扇」
「そして、繰吟様に救われた。あなた様は私の才能を認めてくださった。お優しくしてくださった。政も玲帝よりも聡明でいらした。だから私は!」
「やめよ!」
何かを断ち切るように、操吟は言った。
「兄は、玲帝は、私達を怨んでいる」
操吟が鏡を拾いあげた。
「この異変を収めるには、生贄を捧げる必要があるかも知れないねえ。あんたと、この私の命を」
舞扇を殺したくはない。
確かに、兄を殺された憎しみはある。それは生きている限り肌に刻まれた焼印のように消えないだろう。これから二度と、舞扇を前にして無邪気に笑えないだろう。
それでも、操吟は舞扇を殺したくはなかった。憎しみと同じように、今まで共に泣き、笑い、苦しんだこともまた用意に消せる物でもないのだ。
しかし、それは操吟の個人的な願いにすぎない。今もこの宮廷の外では荒ぶる神が現れている。このまま手をこまねいていては状況は悪化し、民の間に犠牲者が増えるだろう。この異変を止めるためになるならば、私は舞扇を犠牲にしなければならない。個人の心や願いなど、そこに入り込む余地はない。
操吟は手を叩き、兵を呼んだ。兵は、帝に直接呼ばれた事に驚いていた。
「理由は言わないよ。獄につなげ」
操吟は舞扇に背をむけた。彼の顔は見られなかった。見れば、たぶん取り乱す。
舞扇は抵抗もせず、兵にうながされるまま立ち上がったのを気配で知る。
「操吟様」
穏やかな声で舞扇が名を呼んできた。
「やはり、あなたの方が玲様よりも帝の方がふさわしい」
「……とりあえず、朱に教えておいた方がいいんだろうね」
そう思った物の、舞扇の足音が遠ざかった後も、操吟は立ち尽くしたまましばらくは動くことができなかった。




