表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
闇姫化伝(やみひめかでん)  作者: 三塚章
第八章 帰還
22/38

帰還

 森の中にある占司殿は、いつでも木とこうの匂いがする。都の雑踏もここまで届かず、鳥の鳴き声と、梢の揺れる音で満ちていた。玉砂利を敷き詰められた中庭には、きれいに掃き清められ、落葉一つない。

 朱は頭を悩ませながら中庭を囲む廊下を歩いていた。おともの魁がおとなしく後に控えていた。

 あれから、戻ってきた巫女達が次々と異変を訴えてくる。いわく、荒ぶる神が多くなった。曰く、転じていない神の気も乱れている。明らかに、何かが起こっているのだ。だが、その何かが分からない。

 都に残っていた巫女達の協力で、都の結界は一応完成した。占司殿を覆う清浄な気を術で留める。これで転じた神が都に侵入してくるのを防ぐ事ができるだろう。

 しかし、それとて万能ではない。要である占司殿が汚されたら結界は効力を失う。それに原因をつきとめ対処しない限り、神の転じはおさまらず、荒ぶる神が増え続ける事になる。問題は山積みだ。

 そのとき、戸のきしむような甲高い声を聞いて、朱は我に返った。人間の声ではない。もちろん隣を歩いている魁のものでもない。

「なんだ、ネズミかや」

 廊下のすみで、小さな尻尾がうごめいていた。拳大のネズミが、黒いトリモチのようなものに捕まっている。朱でさえ見過ごしてしまいそうなほど微かな神気が、その泥のようなものから出ていた。その正体を知っている朱は思わず声をあげる。

「馬鹿な! ヒルコが出るなんて。ここは占司殿じゃぞ」

 ヒルコとは、まだ核を得ず、神に成り切れていない力の塊だ。神の素と言ってもいい。普通なら、人のいない自然の気に満ちたところ、森の奥深くや海の底でひっそりと生じる。それが人里に、しかも占司殿にあるなど、異常だった。しかも、黒い物が。黒いヒルコが司るのは、滅び、飢え、腐敗。

 ヒルコがゆらりと波打った。ネズミを完全に包み込む。小さな袋に入れられたように、ネズミはもがく。その動きもみるみる微かになっていく。

「えい!」

 朱は印を結んだ。

 銀色の火花がネズミを覆った。小さな爆発に巻き込まれたように、ヒルコは四散し、飛び散る。ようやく解放されたネズミは、悲惨な姿となっていた。毛並みは荒れ、所々肌と骨が見えている。負の力に触れた生き物は、強い酸をかけられたように朽ちていった。

「間に合わなかったか。しかたない、魁。どこか土に埋めてきやれ」

 魁は床に落ちた亡骸を拾うと、すばらしい速さで廊下の角を曲がっていった。その姿を見送りながら、朱はさらに憂欝な気持ちになった。あんな小さなヒルコが、結界を通れるわけはない。とすれば、この占司殿の内部で生まれたのだ。もうすでに、ここは汚れ始めているらしい。

「きゃっ」

 角のむこうに人がいたのか、突然現われた白い犬に悲鳴があがった。その声に聞き覚えがあって、朱は走りだした。

「その声、鹿子か!」

「朱様!」

 鹿子は、小走りで駆け寄って来た朱に気がつき、ほっとしたような笑みを浮かべた。

 朱は思わず鹿子に抱きついた。鹿子のほうが年上の姿をしているのに、何だかやっと見つかった迷子を抱き締める母親の気分だ。

「鹿子、無事でよかった。従者達は元気か」

「はい、淘汰も殺嘉も元気です。あ、すみません朱様、腕緩めてください。脇腹が少し痛いです」

「まったく、心配したのじゃぞ。でもよかった、神を殺したのはお前ではあるまい? あまりにもお主は変わっていない。優しそうな目もそのままじゃ」

「ありがとうございます」

 じわりと鹿子の目に涙が浮かんだ。

 安心させるように鹿子の背を撫でていた朱は、手の辺りに冷え冷えとした物を感じ、鹿子の腹に押しつけていた顔を離した。

「鹿子、御主呪いをかけられたな」

 巫女の長の顔で鹿子の顔を見上げる。

 いたずらを見咎められた子供のように鹿子は体をこわばらせる。

 朱は鹿子の腕を上げさせ、わき腹に触れる。

 鹿子は痛そうに顔をしかめた。

「図星のようだな。符で押さえているのか。かわいそうに、痛みは符で誤魔化せても、体から力が抜けるようであろ。本当なら立っているだけでもやっとだろうに、この体で荒ぶる神を狩りながら都へきたのか」

 鹿子はうなずき、柚木が神を斬り、鹿子の命も狙ってきたことを話した。そのとき呪いをかけられたこと、燐音や禍刺、そして柚木の元従者、詩虞羅にあったこと。

「そうか、薙覇が…… 薙覇の事ならよく覚えている。外法を使い、よく柚木に仕えていた。おそらく、あ奴は柚木に惚れていたのだろう。鹿子。その薙覇はどこにいる」

「え? ええ。殺嘉達と一緒にいるはずですが」

「鹿子。薙覇から目を離すなよ」

「え、ええ。でも、あの方は悪い人には思えませんが」

「悪い者ではないからといって、害がないとは言えん。優しさが事態を悪化させる事もある。柚木が付け入るとしたら、あの者以外ない」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ