葛の葉の三
「柚木様の妹君が、この村の人間に殺められたのです。そしてその後、私の前から姿を消しました」
まるで切っ先が目に入っていないように、詩虞羅は淡々と続ける。取り乱さないように、感情を殺しているようだった。
「え……」
吐き気すら感じて、鹿子は左手で口を押さえた。緑に染まっていた希月の骨を思い出す。
薄々気がついていたとはいえ、頭の中で考えていたのと、人の口から聞かされるのとはまったく重みが違っていた。
「なんで、どうしてそんな事を」
「柚木様が狩ろうとした荒ぶる神は、長い年月を生きた、強大な力を持った物でした。柚木様は、戦いの途中、神の呪いを受けたのです。今のあなたのように、体から力の抜ける呪いを」
荒ぶる神と向き合って、体の力が抜ける。刀が握れなくなる。聞いているだけでも恐ろしさで体中が粟立つ。
「私達は、いったん退くしかありませんでした。柚木様をかばいながら。そのとき、従者の薙覇が命を落としました」
鹿子は唇をかみしめた。荒ぶる神を浄化できるのは巫女だけだ。村を常黄泉の地にしないためには、何よりも巫女の命が優先される。
「村に逃げ帰った所で、呪いが解けるわけではない。占司殿から援軍の巫女を待っている時間はない。そんな時、希月様が恐ろしい提案をしたのです。柚木様の呪いを、ご自身に移してほしいと」
「そんな事が……」
淘汰が呟いた。
「できるのですよ。形の似た物同士には見えない縁がある。それを使えば。お二方は姉妹ですから、姿形も似通っていましたし」
詩虞羅は手をきつく握りしめる。
「私は、柚木様の呪いを希月様に移しました。そうするしかなかったのです。それに、かけた神を浄化すれば呪いも解ける。柚木様は、荒ぶる神を浄化しにむかいました。何度も希月様に『すまない』と『すぐに帰る』を繰り返してから」
「殺されたなんていうから、希月って嫌われてたのかと思ったら、村の恩人じゃねえか。なんでそんな奴が殺されたんだよ」
殺嘉の言葉はもっともだった。
「呪いが、一部の村人達の恐怖を呼んだのです」
握り締められたままの詩虞羅の手は、細かく震えていた。
「市井の人々は、呪いに関しては無知です。希月様の呪いが、伝染病のように他の人間に移るのではないかと思った者がいた。呪いを得た人間を村においていたら、他の荒ぶる神の怒りをかい、また新たな禍を呼ぶかもしれない、そう思った者もいた。ならば今のうちに殺してしまった方がいいと」
「そんな……」
巫女は、女性ならば誰でもなれるというわけではない。神を浄化するには、神の気配を感じ取り、猛り狂う力を自分の心と同調させ、鎮める能力がなければならない。
だからこそ。だからこそ、自分にその力があると知った少女は巫女となり刀を取る。親を、兄弟を守れるのは自分達しかいないのだから。顔を見た事もない、誰を、その誰かの大切な誰かを守れるのは自分達だけなのだから。
それなのに、柚木様は自分の守ろうとした者に、一番守りたかった者を殺されたのか。
従者を失ってまで守ろうとした者に。
「毒を飲まされたのでしょう。神を狩ってかけつけたとき、希月様はすでに息絶え、枕元には毒の入った碗が転がっていました」
「なんだか、村の奴ら全員叩っ斬ってやりたくなったよ」
淘汰がそう呟くのも、今の鹿子には当然に思えた。殺嘉は無言で腰に差した刀の柄を指で叩いている。
「『村の人間が生きていることが許せない』。柚木様はそう言っていました。『薙覇を犠牲にし、希月を殺し、なぜのうのうと生きていられるのだ』と。『そして、二人を守れなかった自分自身も許す事ができない』と」
冷たい柚木の眼差しが見えるようだった。
「私は、そんな柚木様に巫女を続けろとは言えなかった。私は柚木様の髪を占司殿に送り、我らの巫女は死んだと。それでも私は柚木様と共にいき、彼女の世話をするつもりでした。しかし柚木様は目を離したすきに姿を消したのです」
「これでわかったな」
陰欝に殺嘉が言った。
「柚木は、村の人間……いや、この世界を憎んでいるのか。そして神を斬り殺して常黄泉の地を作り出そうとしているのか」
「でも、信じられない。柚木様が、こんなことを」
「神を斬って常黄泉の地をつくる、か」
どこかうわの空と言った感じで凛音が呟いた。
「それだけならいいがな」
「繰吟帝」
詩虞羅は繰吟の前に跪いた。
「凛音でいい」
いらだたし気な調子のまま繰吟は言った。鎧を脱ごうとするが、手が震えてうまくできない。もう少しで荒ぶる神に殺される所だったのだ。戦いなれていない操吟が恐怖を感じるのも無理はない。見兼ねた鹿子が手伝う。
「とりあえず、荒ぶる神が異常だという事も、神殺しの件もわかった。都に戻る」
「私達も、ご一緒させてください。朱様に報告をして、指示を仰がないと」
鹿子は都のある方向へ顔を向けた。
「早く都に帰って、少しだけでもゆっくりしてえよ。胸クソ悪い事ばっかだったから、正直辛えわ」
珍しく殺嘉が弱音を吐いたが、鹿子はそれを咎める気にはならなかった。




