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エヴァ編14 世界の中心でアイを叫んだケダモノ


「ここで再び映像作品のセオリーの話をしよう」


「それは『構成』の話か?」


「まあ、そうだ」


「何だよ」


「ドラマとは何か?」


「何でいちいち話が大きいんだよ」


「そう大きくない。答えは一応あるとされてる」


「何だ」


「ドラマとは「葛藤かっとう」である」


「…はあ」


「これを「ドラマ=葛藤理論」という」


「葛藤って何だよ」


「よくぞ聞いてくれた。辞書的な意味ではなくて、ドラマ理論的な意味での「葛藤」というのはこういう意味だ」


「おう」


「どちらを取ろうかと迷い、どちらかを取ることを決断すること…だ」


「…ん?」


「これが「葛藤」だ」


「一番分かりやすいのが「自分の命」と「命より大事なモノ」のどちらを選ぶのか?…という最終場面だわな」


「なるほどな」


「あと、『物語の基本はボーイミーツガールである』という言い方もある」


「男の子が女の子に会う…って意味だよな?」


「要するに誰かが誰かに会う…って意味だろ。まあ、男の子がより一般的だからそういう言い方にしただけだ」


「別にガールミーツボーイでもガールミーツガールでもいいよな」


「まあ、ボーイミーツボーイでも…」


「アッ―!」


「『魔女の宅急便』なんかは「ガールミーツボーイ」になってるな。「ラピュタ」は「ボーイミーツガール」とは言えるか。男の子が女の子に会うところから始まる」


「男の娘だったらどうなるんだ?」


「やかましい。例外はどうでもいい。そして最も大切なのは「テーマ」だ」


「またそうやってあやふやなことを言う…」


「世間的に「テーマ」という言葉は最も誤解されてる。例えば『今回の映画のテーマは「友情です」』なんて言ったりするが、こんなものはテーマとは言わん」


「じゃあ何ていうんだ」


「「モチーフ」という」


「モチーフ…」


「絵のモデルさんのこともモチーフと言ったりするらしい。要するに元になるものってことであって「テーマ」ではない」


「じゃあ「テーマ」ってのは何なんだよ」


「モチーフに対して、作者の主観を言い切ること。そうすることで初めて「テーマ」になりうる」


「具体的に言ってくれ」


「「友情」ってのはただのモチーフだから何も言ったことにはならん。これを「友情とは、素晴らしいものである」と言い切って初めて「テーマ」になる」


「あ…そういうことか」


「そう」


「でも、普通は「友情がテーマ」って言えば友情の素晴らしさを謳い上げるものになるんじゃないのか?」


「そんなことはない。「友情なんて下らないモノだ」というテーマだって成り立ちうる」


「そんな…」


「「下らない」が刺激が強すぎるなら「はかないものだ」とか「あてにならないものだ」とかでもいい。とにかく「作者の主観」が入ってないとそれは「テーマ」じゃない」


「なるほどねえ」


「世の中にフィクションが流通する様になってかなりの年月が経過してる。そうする内に「こうすれば確実に面白くなる」というセオリーが幾つか確実にあるわけで、そうした研究成果は決してバカにしたものじゃないぞ」


「で?仮に「テーマ」が決まったら次はどうする」


「簡単だ。最も効果的になるように配置するんだ」


「効果的」


「仮に「友情とは素晴らしいものである」がテーマだとしよう」


「ふん」


「最終的にはそう訴えたいんなら、主人公(A)と友人(B)がいたとする」


「おう」


「AとBをムチャクチャ仲が悪い様子を描く訳だ」


「…え?」


「だから『構成』が一番大事だと言っただろうが。下手な構成だと「テーマは友情です」などとあやふやなことを言った挙句に、「友情の素晴らしさを描く」ために「仲のいい二人」を描いたりする。最低だ」


「それで?」


「最後の最後、単に仲が悪かったくらいだったのが些細な行き違いが積み重なった結果殺し合い寸前にまでなる」


「…お、おう」


「ところが、最後の決断でAはBとの友情を優先し、憎まれ口を叩きながらも並んで去るのさ」


「なるほど」


「逆も同じ」


「へ?」


「「友情なんてくだらないものだ」ということを描きたいのならばAとBを物凄く仲良くさせる」


「え…」


「そして、最後の最後にBがAを裏切って自分の欲望を優先してしまうんだ」


「ぎゃー!」


「それまでベッタベタに仲良くしていたギャップがあるだけに強烈な展開になる」


「うっわー…ってそんなもん見せてどうすんだよ」


「「テーマを表現するための構成」だよ。その物語において「友情なんてくだらないものだ」ってことを訴えたいんだろ?恐らく観客は胸糞悪くなって暗い気持ちで劇場を出るだろうが、「テーマを伝える」ことには成功してる」


「…お前が言ってる「テーマ」って「メッセージ」に近いよな」


「…別に作者がどうあるべきと思ってるかと、その物語で表現することを目的とする「テーマ」とは必ずしも一致してる必要はないんだがな。まあ、そういう理解の方が簡単ならそう思っといてくれ」


「ではここでエヴァに戻る。エヴァの「テーマ」とは結局のところ一体なんだったのか?」


「エヴァのテーマ?…あるのかねそんなもん」


「そこなんだ。実は世の中には「テーマの無い物語」というものが存在する」


「テーマが無い?」


「お前「13日の金曜日」に何か作者の訴えたいメッセージがあると思うのか?」


「えー…無差別殺人はほどほどにね?…とか」


「ねーよ!単に刺激の強い映像つるべ打ちにしてお客から入場料取ることしか考えてねーって。それこそ娯楽エンターテインメント作品の多くは「テーマ」なんぞありゃせん。「インディ・ジョーンズ」にテーマがあるってのかよ」


「あはは…はは」


「こういうのを「無思想のエンターテインメント」という」


「無思想ねえ…」


「JJエイブラムスの連続ドラマなんかはそうだわな。何か新しい事件を起こして「何だ!?」と観客の目を引いちゃあ次回に続く…ことをひたすら繰り返す」


「…」


「映画評論業界で言う「興味の持続」って奴だ。流行の娯楽エンターテインメントが「面白いが、下らん」と言われるのは正にそのためだ。後に残るものが無い」


「…たかが映画だぞ」


「その通り。見世物であって金払って人の説教を押し付けられるためのものじゃない。要はこの「バランス」が大事なのさ。結局のところ「構成」やら「興味の持続」で「面白い!」と思ってるだけだったりするんだけど、そこに何か「感動的(?)なテーマぽい演出」めいたものがあったりすると、時間を無駄にした罪悪感が少し薄れるんで助かる」


「なんじゃそりゃ」


「世界残酷映画なんぞ、最後には「こんなことが許されるのでしょうか」みたいな申し訳程度のナレーションが入ってたらしい」


「あはは…」


「世の中に「テーマ」のある映像作品も無い映像作品も存在することが分かってもらえたところで、では「エヴァ」はそもそもテーマなるものはあるのか?」


「…(考え込んでいる)」


「オレの結論を言ってしまうと、明確なテーマは無い」


「無いのかよ」


「テーマは無いが、「問題意識」はある」


「問題意識…」


「言わんでも分かってると思うが、エヴァは前半の放送を終える辺りではもう終盤をきちんと描くことはスケジュール的に不可能だった」


「うん」


「その現実逃避として、「問題意識」が猛烈に頭をもたげてきた訳だ」


「現実逃避って…」


「この時点でどちらの比重がより高かったかは分からん。ただ、夢の無い話だけど、恐らくは純粋に哲学的な悩みである「表現とは何か」で悩んだ挙句、『パンツを脱いで踊る』に至ったというよりは、スケジュールがパンクしたことである種「壊れて」しまって、「問題意識」そのものを作品そのものを犠牲にしてまで思弁的に直接叩き付けることを「自己正当化」するに至ったんだと思う」


「その「問題意識」って何だよ」


「ハムレットと同じさ。要は「このままでいいのか、いけないのか」ってこと」


「『To be or not to be』か…。分からん」


「具体的に言うと「オレはオタクとしてこれまで生きて来てしまった。こんな人生で本当に良かったんだろうか!?」ってこと」


「そう言われても…」


「結局、これをテーマに昇華することは出来なかった。だから「問題意識」をそのまんま提示するというえらいアニメになってしまう」


「…そっか…」


「だからエヴァの終盤で主人公たちは「自分はこのままでいいのか!?」とひたすら悩み続ける。レゾンデートル(存在意義)って心理学用語もこのアニメからメジャーになったな」


「つまり…?」


「エヴァが極めてプライベートなフィルムだということは論を待たないが、庵野監督は「わからーん!どうしていいのかオレにはわからーん!」というストレートな気持ちを全部作品に投影させたわけだ」


「…あはは…はは」


「結局エヴァが時代を越える歴史的アニメになった最大の要因はこれさ。結論は出てないが、その「凄まじいばかりの問題意識」がフィルムからにじみ出るアニメだった。それに「心動かされた」視聴者が続出したってこと」


「…はあ」


「エヴァを観てると、「何だか分からんが凄い」という気になることがよくあるけど、結局その「気合」ってのは伝わるもんなんだな。オレが冷やかし半分に縷々述べて来た「オペレーターが専門用語を怒鳴る」とかも、ここの芯があって初めて効果を持つのさ」


「…」


「事ここに至って庵野監督にとって「謎の解説をする」ことの比重が作品にとってどの程度の比重を占めていたか…分かるな?」


「本当にどうでもいいとしか思ってなかっただろうな」


「そう。本当に勝手な話だけど、庵野監督はアニメを作ることで自分をセラピー(治療)してたんだよ」


「それで最終回の『自己啓発セミナー』に至るのか」


「そういうこと。ただ、あれも興味深い代物でね」


「というと?」


「強引な否定はゆるやかな肯定を、強引な肯定はゆるやかな否定を意味する」


「?」


「例えばある女の子がある男の子のことを「嫌い」と言ったとする」


「ふん」


「ところが、その女の子が延々20分も30分もその男の子の悪口を言い続けていたとしたらどうだ?」


「…何かヘンだな」


「そう、誰でも「実は好きなんじゃないか?」と思ってしまうわな。強引に自分自身に「あの男の子は嫌い」と言い聞かせてるんじゃないか?と邪推してしまう」


「ああ」


「つまり、「強引な否定は緩やかな肯定を意味する」んだ」


「うん」


「逆も真なりで、ある女の子がある男の子が好きだとする」


「…嫌な予感がしてきたぞ」


「ところが、延々20分も30分もその男の子のことを褒めちぎり続けたとしたら…?」


「実は嫌いなんじゃないか?…と思うわな」


「そう。強引な肯定は緩やかな否定を意味する」


「…ちょっと待てよ。それじゃあ…」


「エヴァ最終回は、最後の場面において突然真っ青な空の元「自分は自分でいいんだ!」と勝手に合点した挙句、「おめでとー!おめでとー!」と祝福されて終わる」


「あ…」


「自分は自分でいいのか?と只管ひたすら「自分探し」よろしく悩みまくっていたが、結局結論は出ず、強引に「いいんだ!」と断言して終わる。これは…」


「…緩やかに否定してる…。結局自分の中でいいとは認め切れてないんじゃないか?」


「恐らくそうさ。だからエヴァは何度描き直してもその時の監督の心情で「結末」…いや「結論」がコロコロ変わる」


「あ…」


「妙な話だが、仮にあの最終回の最終結論において、観ている側も本当に納得出来るだけの演出に成功していたなら「おめでとう!よかったね!」と視聴者の心情的にも納得して終われていた可能性は微粒子レベルで存在する」


「…本当に微粒子レベルだがね」


「しかし、99%の視聴者の感想は…『何じゃこりゃ??』だった」


「そりゃそうだろ」


「そりゃつまり、演出が失敗してるってことだよ!でも監督は良くも悪くもテレビ版のあの最終回を描き切って満足だったと思う。一応は強引だけど自分の中の「問題意識」に結論は出せたんだから。セラピー完了だよ」


「勝手な話だ」


「ただ、その共感はどうやら得られなかったらしい」


「当たり前だ」


「それどころか、世の中では「オタク」連中が大バッシングを繰り広げてる」


「オタクでなくたって怒るだろ」


「庵野監督のオタクフォビア(オタク嫌悪症)はこれで大爆発するのさ。『オレは自分がオタクであることに真剣に悩み、向き合って克服したのにお前らはなんだ!』…ってことになる」


「知るか!ンなもん勝手な妄想じゃねえか!」


「夏エヴァ編でやるけど、「夏エヴァ」はとにかく「オタク」相手に「導いてやろう」とばかりに「いいからアニメばっかり見てるな!現実見ろ!」と説教ばかりする妙な映画になってしまった」


「大きなお世話だ!」


「非常に子供じみてる。みんな大好き綾波を「AKIRA」の鉄雄よろしくグチャグチャに気色悪い異形の怪物として描いたり、弐号機が食われて内臓みたいなのが露出したり、とにかく「生理的嫌悪感」を催す描写をこれでもかこれでもか!と叩き付け、オタクが劇場で画面を見てる実写映像まで流して「脱構築」してみせた」


「何をやってんだ」


「結局、それは成功してオタクはエヴァに夢中だったのが「エヴァンゲリオンなどという単語すら思い出したくも無い」という反吐へどが出そうな気持で劇場を後にすることになる」


「…」


「実際「夏エヴァ」の後はあれほど盛り上がっていたエヴァ熱は冷水を浴びせられたかの様にピタリと沈静化し、その後数年は全く名前も意識されなくなる。少なくともホットな話題ではなくなっている」


「そう…みたいだな」


「象徴的な出来事があって、オタク第3世代を初めてリアルに描いた漫画「げんしけん」では格闘ゲームや「ガンダム」は矢鱈やたらに出て来るのに、彼らが正に14歳(!)ごろに体験したはずの「エヴァンゲリオン」の話題が全く、まるっきり出てこないんだ」


「…あああああっ!ホントだ!」


「あれだけガンダムガンダム言ってるから版権的な問題って訳じゃないだろう。そもそもガイナックスは同人上がりみたいなもんだからきちんと手続きを踏めばその辺りは寛容だ。つまり、この時期(2002~2004年ごろ)にはエヴァンゲリオンと言うタイトルは『思い出したくも無い忌まわしい記憶』に化けてるってことなんだよ」


「…なんてこった。これは気が付かなかった」


「ただ、これはあくまでも『作ってる側』の事情だ」


「…?そうだが」


「エヴァブームで踊ったのは視聴者、そしてオタク、更にはサブカル文化人たちだ」


「まあな」


「とりあえず外側から1995年10月に戻って振り返ってみようか」



・「新世紀エヴァンゲリオン」は「とにかく格好いい」「興奮する」シチュエーションをひたすら並べ立てている

・その為には設定や統一感すら犠牲にする

・元は「連続するストーリー」にする予定すらなかった(?)


*****

・とにかく情報を大量にぶち込む。意味はどうでもいいから(例)マルドゥック機関、ネオパン2000、ガフの部屋)

・よく聞いてないと分からん用語を絶妙に配置する(例)使徒、セカンドインパクト)

・ダブルミーニング、見立て用語を多用する(例)ATフィールドは人の心の壁の象徴、LCLは羊水)

・ディティールが格好いい(第壱話、初号機、弐号機、参号機…)

・敵の正体が不明で、得体がしれない感じ

・戦闘シーンでは重厚で格好いい音楽を流す(低音を効かせる)

・オペレーターが緊迫した表情で「格好良く聞こえる」専門用語を怒鳴る(例:強羅絶対防衛線を突破されました!)

・意味は良く分からんが、「何だか格好いい」用語を使う(例:汎用人型決戦兵器、ヤシマ作戦、人類補完計画、死海文書)

・人類が滅びそうなピンチに陥る


・「とにかくなんか大変なことになってる」感じにする(例)BGMがクラシック)


・感情移入できそうなキャラが機転を利かせて危機を突破する

・ちょっとシリアスもありよ(例)一見明るく見えるミサトやアスカも心の闇を抱えている)

・敵相手、そして味方相手にも「びっくり解説」をする(例)もうエヴァを止めることは出来ないわ!)

・誰か何かたくらんでいそうな雰囲気を出す(例)リツコ)

・「何もかも分かっている」風を装うキャラがにやりと意味深に笑う(例)ゲンドウ、カヲル)

・やっと判明したと思ったら次の新しい「謎」が提示される

*****


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