エヴァ編03 怖い先輩たち
「本編に入るみたいなことを前回のラストに言ったんだけどもう一つ触れさせてくれ」
「何だよ」
「当時の「オタク気質」についてだ。これをひとくさりしておかないと評論に入れない」
「はいはい」
「オタクというのは元々SFファンから派生したと言っていいと思う」
「は?オタクはオタクだろ?」
「オタクの定義は難しいんだが、同好の士が群集ってコンベンション何かを開催してしまう流れは「SF大会」なんかに源流があると言えるだろう」
「そうなのか」
「日本と違ってハロウィンみたいに仮装文化のあるアメリカなんかじゃあ大きなイベントごとに参加者が扮装して要るのは珍しくなかった。これを「マスカレード」と呼んでいたらしい」
「へえ」
「コミケことコミックマーケットにおいてもこの仮装ことコスプレが展開して今や欠かすことのできない分野になってる」
「コミケの話も大きいよな」
「今じゃそういう誤解も少なくなってるが「コミックマーケット」「コミケ」「コミケット」はイベントの固有名詞であって、一般名詞じゃない。コミケ以外であるならば個別の名前、そうでなければ「同人誌即売会」などと呼ぶべきだ。ともあれ、コミケはこの手のイベントの元祖的存在で、最大の規模を誇る。出展依頼を断らない方針だったらいつの間にか凄まじく膨張して偉いことになってしまった訳だ。ちなみにこの手のイベントでは『例外的』にコスプレに対して寛容だった」
「寛容…」
「そう。今でこそハロウィンの日には仮装して山手線に集団で乗ったりすることも珍しくなくなってるが、基本的にはわが国には仮装文化そのものが無い。キャプテン翼コスの人がボールを蹴ってけが人を出したり、長物を振り回したりとトラブルも絶えないから大半のイベントでは厳しく制限されるか丸ごと禁止になってる」
「そうなのか」
「幸か不幸か最大のイベントがコスプレに物凄く寛容だったからこそ現在のコスプレ文化があると言っていいだろうな。ともあれ、この「SFファン」気質を観てみるとオタク族…ってなんかレトロな響きだな…の生態が分かりやすい」
「SFファンねえ」
「遥か昔の話なんで伝え聞くだけだけど、SFファンの人たちって何度か訪れたSFブームを自分たちの偏狭な裁量で縮小させてしまった…という忸怩たるトラウマがあるみたいなんだよ」
「どういうことだ?」
「『SFとは何か?』という定義は俗に「準・文学」とすら言われるらしい」
「純文学じゃなくて?」
「そう。余りにも多種多様で収集が付かないからSFの定義そのものが文学ジャンルを形成してしまう…というような一種の諧謔なんだが」
「へー」
「SFブームといえば『未知との遭遇』とか『スター・ウォーズ』あたりで一気に盛り上がった訳だ」
「へ?でも映画ってああいうものなんじゃないの?」
「その辺がオレらには分かりにくいところで、それ以前の映画ってのは矢鱈に主人公が死んだりアンハッピーエンドだったり良く分かんないまま終わる「アメリカン・ニューシネマ」とかいうしみったれた映画が主流だったんだそうだ」
「はあ」
「全世界的に全共闘世代みたいなもんだしな」
「ベトナム戦争の頃だよな」
「そうそう。でもってそこに『悪い奴らをやっつける』という至極単純な「スター・ウォーズ」が大ヒットを飛ばして一気に映画が文学青年や映画マニアのものから「家族で見る健全娯楽」に変化する訳だ」
「それがSFブームか…その人たちってオタク第一世代なのか?」
「もちろんその世代もいるが、SFファンってのは年季の入った筋金入りが多いからな。それこそ「オタク第0(ぜろ)世代」とか「原オタク人」みたいな人たちだ。要は第一世代よりも前だな」
「そりゃ分からん」
「何しろ『戦中派』みたいな人たちもいる。今のオタクは薄いなんていうが、この人たちは進駐軍が読み捨てたパルプSF雑誌を原書で読むのが原体験なんて猛者がゴロゴロいるわけだ」
「…」
「まあ、ゴロゴロは大げさだがとにかく半端じゃなく濃かったのは間違いない。当然「お仲間」なんてあんまりいない。いないが、その分それぞれの結びつきは強烈な訳だ」
「なんかオタクみたいだな」
「それ以上だろうな。戦争直後の頃に、「空想科学小説」なんかがどれくらい市民権があったと思う?」
「…でも「海底軍艦」とかって戦前から戦中原作じゃなかったっけ?」
「ジュール・ヴェルヌやH・G・ウェルズなんかも翻訳はされてたらしいが、要は子供の読み物だ」
「まんまその後のロボットアニメとかと同じ構図じゃねーか」
「そう。いい年こいた大人になっても読むものと言えばせいぜい立川文庫とかだろうな」
「何だっけ」
「講談って奴だ。今の「ドリフターズ」何かと同じでやれ宮本武蔵だ柳生十兵衛だのを復活させて戦わせるみたいな妄想を…それだけに馬鹿馬鹿しいほど面白くでっち上げる娯楽だよ」
「へー」
「元は「講談士」が朗々と読み上げるものだったのを本の形にしたものだな。いずれにしても日本人に馴染みがあったのは「時代劇」「人情下町もの」であってSFじゃない」
「ああ、そういうことか」
「だからこの時代のSFファンは「日陰者」という自意識があったらしい」
「大げさな」
「80年代後半から90年代前半のオタク族と同じだな。おかしなもんで、こうなると逆転した選民思想・エリートみたいな自意識すら持ち出しかねん」
「まあ、オタクにはそういうところは無いではないが」
「そこに降ってわいた様なSFブームだよ」
「さぞかしはしゃいだんだろうな」
「ところがそうじゃないんだこれが」
「え?どうしてだよ」
「プライドが高くて「SFのことだったら俺たちの方がずっと昔から読んできたし、ずっと詳しい。お前らブームに浮かれただけのにわかSF好きみたいなのが俺たちの縄張りでちょろちょろしてんじゃねえ!」ってな態度を取ったらしい」
「…あーあーあー…」
「都市伝説の類だけど、「宇宙戦艦ヤマト」がブームになった時、夜の7時台のNHKニュースにSF関係者がゲストで呼ばれたことがあったらしい」
「そりゃ誇らしかっただろうな」
「まあ、局としては「SFに詳しい人」に当たり障りのないコメントもらおうという以上の事なんか考えてないだろう」
「まあそうだろう」
「ところがこのSF関係者は「宇宙戦艦ヤマト」がブームってな流れからコメントを求められたら開口一番、小ばかにしたように見下した態度を取ってこう言ったらしい「…ところであなた、ワープ航法をご存じですか?」」
「いたたたたたたたっ!」
「番組の流れを完全に無視して「おバカなあなたたちにSFエリートであるこの私が親切にも解説してあげましょう」ってな態度を取り続けたんだと」
「…これは…」
「この話はウソかホントか分からんけど、当時のSFファンの閉鎖的な気質、歪んだエリート意識を端的に説明できるエピソードだとは言えそうだな」
「…まあ、そういう人いるけどさ…これはヒドい」
「何しろつい最近に至ってすら「スター・ウォーズはSF映画なのか!?」ってな議論をずっとやってた」
「は?SF映画以外の何だってんだよ。ファンタジーか?ミステリか?」
「スペース・オペラであってSFじゃないんじゃないか?だと」
「一生やってろ。どうでもいい」
「お前はそうやってSFファンに冷淡な態度を取るけど、オレは半分足を突っ込んでるからそこまで言いたくはないね」
「いや、馬鹿だろ」
「馬鹿と言えるかどうか分からんけど、某SF雑誌誌上ではそれこそロボットアニメやらSFアニメが巷で大ブームになってても案外紙面に登場しないらしい」
「え?先を争って特集したりしてんじゃないのか?」
「古参のSFファン読者がうるさいんだってさ。「あんなもん(SFアニメなど)を歴史と伝統のあるSF雑誌に載せるな!紙面がけがれる!」とかなんとか」
「…(ためいき)何なのこいつらは?」
「SFファンだよ」
「滅びれろ」
「こんな調子だからSFブームの時に次々に登場したSF映画もばっさばっさと斬り捨てまくった「これはSFじゃない」「こんなのSFじゃない」「SF魂が足りてない」とか何とか」
「…(天を仰いでいる)」
「そうこうしてる内にSFブームはすっかり過ぎ去ってしまう」
「自業自得だ」
「それどころか、「SFである」ことを隠さないと売れない…なんて冬の時代が到来することになる」
「なんてことを」
「ともかく、『SF魂』みたいなことはSF者はよく言うよ。宇宙人やロボットが出て来てもそこにSF魂が無ければSFじゃないって」
「訳が分からん。宇宙で巨大ロボットが敵を倒してりゃ充分SFだろうが」
「一応フォローしとくと、確かに「SF魂」がある作品とそうでない作品は雰囲気が全く違うのは間違いない」
「具体的に言ってくれよ」
「…この流れだとSFに分が悪いんだけど」
「いいから」
「言うまでもないことだが、ヒットしたかどうかとか面白いかどうかとは別の評価基準だからな?」
「言えって」
「…それこそ「スター・ウォーズ」や「アルマゲドン」なんかにはSF魂は足りてないと言われるかもな」
「足りてるので言うと?」
「「2001年宇宙の旅」がそうだし、実は「ダーティ・ペア」や「クラッシャー・ジョウ」なんかは結構ゴリゴリのSFだ」
「へ?…あの軟派な感じのアニメが?」
「そりゃ見た目に騙されてるよ。どうせストーリーなんか覚えちゃおるまいからもう一度しっかり観てみな。特に劇場版なんかずーっと頭使ってないと振り落とされる。単なる萌えアニメなんかじゃ断じてない。リメイク版じゃなくて旧版観る様に」
「一般人にゃあ基準が分からんよ。「スター・ウォーズ」がSFじゃなくて「ダーティ・ペア」がSFって言われても…」
「こればっかりはセンスだな。ちょっと慣れてくるとこの分類はしっくり来るんだけど」
「で?これがオタクとどう関係する」
「脱線したな。すまんすまん。この人たちは「月刊OUT」の宇宙戦艦ヤマト特集が組まれるあたりにはもう思春期だ。物心つくどころか、大学生やら社会人の頃にも酔狂なことに「ロボットアニメ」を見続けてきた」
「…なんか駄目な人たちな気がしてきた」
「オレは「機動戦士ガンダム」ってプラモを始めとした一般人の人気に支えられたと思ってるけど、ある意味この「オタク第一世代」の人たちが「論理的裏付け」をする重要な役割を担ってくれたとも思ってる」
「論理的裏付けって何だよ」
「当時は子供時代が終わっても漫画雑誌から卒業しない層がある意味社会問題化し始めた頃だ」
「そんな時代もあったのか」
「この頃は、アニメを観るのには「理由が必要」だったんだよ」
「???」
「だから論理的に『武装』する必要があった」
「ちょっと待て。「理由が必要」って何だ?」
「だから、「いい年こいて子供向け番組であるアニメを観る理由」だよ」
「…?観たいからだろ」
「それがオタク第3世代以降の顕著な特徴さ。アニメを観るのになんの屈託も無い」
「たかがアニメだ」
「そこなんだって。オタク第1世代、そして宮崎事件の直撃をくらった第2世代は『いかにして、我、アニメを観ざりや!』という理論的根拠が無くては観ることが出来なかったんだ。「こう言う理由があるから『観なくてはいけない!』だから半ば仕方なく観てるんだ!」って」
「全く共感出来ないんだが」
「これは記録しておかんと風化してしまう歴史だろうな」
「普通に観ればいいだろうに」
「「機動戦士ガンダム」は確かに面白かった」
「そうだな」
「だが、オタク第1世代はもう子供じゃないから、「自分がどうして「ガンダム」などというアニメを観ているのか」という証しを建て、「理論」を打ち立てる必要があるんだ」
「…?」
「要するに「かくかくしかじかという理由で、このアニメは素晴らしい。観る価値がある『だから観る』のだ!」…という訳」
「はあ」
「この理論は一見正しそうに見えて正しくない」
「ほお」
「これは帰納法だ。この論で行くと、「素晴らしいアニメ」であるなら「観なくてはならない」ということになってしまう」
「まあ…そうだな」
「だが実際は「面白いアニメ(例:ガンダム)」がまずあって、それを見る理由を後からでっち上げてるんだから」
「ぶわははははは!何だよそういうことじゃねえか!」
「その意味で言うと、「ガンダム」は受け止めるだけの素養は十分だろ。緻密に作りこまれた設定やら人間ドラマやら」
「まあ…」
「その『観るに足る根拠』の内の1つが「リアル」だったとしたら?」
「あっ!…」
「論理が転倒してしまう。つまり、自分たちがこれだけ夢中になって観てるんだから「ガンダム」というアニメは『素晴らしいものでなくてはならない』ことになる」
「おいおい」
「富野監督は作劇場の都合ででっちあげた「ニュータイプ」という概念が視聴者の間で肥大していくことに危機感を覚えてたらしい」
「ほう」
「遂には「ニュータイプになるためにはどうしたらいいでしょう?」なんてファンレターを受け取るまでになってしまう」
「…それって小学生が書いてるよな」
「多分な。とはいえ、かくいう富野監督自身が「ニュータイプ」に魂が惹かれて行って「Z」では第一話から連呼するまでになってしまうわけだが」
「む~ん」
「また話が逸れたが、オタク第2世代の知人によると、80年代にはオタク界(?)には怖い先輩が大勢いたらしい」
「オタク界って…」
「要するに半端な知識・見識じゃあ太刀打ちできない猛者みたいなのがゴロゴロいた訳だ。それこそSF界みたいにな」
「どういうことだよ」
「下手に若造の分際で「ガンダム好きです」なんて言った日には「ふっ」と失笑されて「ガンダムもいいけど、ちゃんとザンボットとかも観てるの?」とか小ばかにされる」
「うっっっっっぜえ!」
「そう怒るな。当時の話だよ」
「そんなに閉鎖的だったのか?オタク界って」
「ああ(キッパリ)。立派な人たちもいたし、そういう人たちはライターや作り手側に回ってるけど、中には何しろ「アニメファン」いや「アニメマニア」であることにアイデンティティを見出してる様なのもいるから、にわかには辛辣だわな」
「下らん」
「これはSFファンの話だけど、こんな逸話がある」
「なんか気分が落ち込んできたんだが」
「とあるSFファンが、大学に入ってみると「SF研究会」とやらがある。これはいい!と早速入会し、飲み会があったんで参加した」
「はあ」
「すると古参の先輩らしき人物が隣に座って来て「ところでキミ、何(作品)が好きなの?」と聞いてきたんだそうだ」
「そりゃSF研究会だからな」
「そこで『アシモフの初期短編集が好きです』と言ってしまった」
「しまった?」
「するとその先輩は「ふっ…」と一笑してその場を去ってしまい、以降相手にされなかったらしい」
「相手にする必要ねえよそんな(自主規制)は」
「要するにアシモフの初期短編などという「基本文献」などをありがたがるような下らん奴なんぞ、お呼びじゃない…ってことだったらしい」
「…なんなんだこの閉鎖ぶりは…じゃあ何て言えば良かったんだよ」
「さあね。少なくとも星新一とか答えたりしたら酒をぶっかけられてたのかもしれん」
「全く理解できないんだが」
「それこそ「ドグラマグラです」とか言えば良かったのかな。ともあれ当時のオタク社会の『空気』は分かってもらえたかな」
「…知る必要あんのかこれ?」
「大いにある。というのは1995年当時はこの「オタク第1世代」がまだまだバリバリの若手の時代だ。作り手としてフレッシュなのは勿論のこと、ただ単に「観る」だけのことに大げさに言えば命を賭けて来て、地獄の様な九十年代初頭を生き延びてきた精鋭ぞろい。その「理論」たるや戦国時代の兵士クラスの古兵ばかりだ」
「…なんか笑いがひきつってきたんだけど」
「繰り返すがエヴァのスタッフの平均年齢は24歳だ。作り手がここまでフレッシュってことはそれを支える「論客」はオタク第0世代を筆頭に胆汁に浸ってるみたいな濃いのがバックアップを固めてる」
「…」
「賭けてきたものがまるで違う。いい悪いはともかく、オタク第3世代以降とはその「濃度」が違うわい」
「はあ」
「何しろ当時のオタクたるもの、「アニメは、全て観る」のが基本だ」
「ああ、毎週30本とかあっても」
「違う。そうじゃない」
「じゃあ何だよ」
「だから『全部観る』んだって」
「…まさかとは思うが、過去にさかのぼって「全部」観るって意味かぁ!?」
「当たり前だ」
「ムチャクチャだ!出来るもんか!どこにそんな物理的な時間があるんだよ」
「それを何とかしてたのが当時のオタクたちだ。しかも気に入ったアニメともなれば完全暗記した上でも更に何十回でも観るものだった」
「…ついていけん…」
「とはいえ、今ほどソフトが発売されてた訳じゃないから環境は整ってない。家庭用ビデオデッキは確かに発売はされていたんだが、テープもクソ高いから「その時観られない番組を押さえておく」のが主な使い方で、「ソフトを撮りためてライブラリにする」使い方が一般化するのにはそれなりに時間が掛かったらしい」
「え…じゃあどうするんだよ」
「ムチャクチャ気合を入れて画面を凝視して必死に「覚える」んだよ」
「…(ひきつっている)」
「これでもオタク第0世代に比べると薄いんだが、これがオタク第1世代だ」
「頭がおかしくなりそうだ」
「オタクってのはそもそもこういう存在だったんだ。今オレがくっちゃべってる「歴史」なんぞぺらっぺらに薄いそれでしかない。この人たちには適わんよ」
「はあ」
「当然ながら、こういう人たちも「ガンダム」以降のロボットアニメも観る」
「うん」
「といっても流石にもう「大人」なんで、純粋な子供視点では楽しめなくなってくる」
「…アニメ観るのは卒業するのがいいんじゃ?」
「そうはいかんのさ。ここまで人生を捧げてきたものをあっさり捨てたんじゃアイデンティティの放棄だ」
「いや、違うだろ」
「確かに、本来ならば適正対象年齢ではないものを『敢えて』見続けざるを得ない状況に自らを追い込んだ反動として、オタク第1世代には顕著な特徴がある」
「何だよ」
「それは次のチャプターで」




