ジブリアニメについて その1
「ジブリアニメについてだ」
「また大きく出たな」
「総花的な話はしない。絞り込む」
「だろうな」
「ジブリアニメは日本アニメの中にあって非常に特異な位置にある。敢えて言うなら「日本アニメ的じゃない」とすら言える」
「…何だよそれは。誰がどう見ても日本アニメだろうが」
「そうかね。美少女は出て来るが童顔で巨乳で、語尾がおかしなことになってる女の子は流石に出てこないぞ」
「…(ドン引き)まさか本気で言ってないよな」
「冗談だが、オレの持論だと日本アニメの魅力が詰まってるのはテレビアニメであって映画じゃない」
「そりゃお前の論だろうが」
「もう一つ「日本アニメらしくない」顕著な特徴がある」
「ほう。それは何だ」
「一般人にも人気なことだ」
「…謙虚も過ぎれば嫌味というが、自虐も過ぎると笑えんぞ」
「まあ、流石に言い過ぎだが、一面の真理だ。そもそもアニメ新世紀宣言をした当時のオタクたちはここまで「アニメ」…いや「オレたちのアニメ」が一般人気になることを本当に望んでいたのかね」
「マイナーアイドルがメジャーになったら冷めるファンみたいなもんだってか?」
「言い得て妙だな。確かに似てる。そもそも夢中になっていた理由の一つが「理解者が少ないから」だった面は確実にある」
「…昔のオタクはクラスメートがアイドルの話をしてる時にアニメキャラに夢中だったりするからなあ…」
「少し前に「アニメの波」の説明で、この文脈の外で目指していた目標を全て達成したアニメ群としてジブリアニメを位置づけた」
「だな」
「それでも違和感があった向きは多いだろう。「ジブリがオタクアニメ」と言われても感覚的にすんなりは納得できない」
「分かってて言ったのかよ」
「理由の最大のものが『ジブリアニメはアニメ映画であって、テレビアニメではない』ということだ」
「そりゃ形式の問題じゃないのか?」
「形式の問題は見過ごせん。映画になっている段階でかなりの程度「計算」が働いていて、「キャラクターの魅力」と言う点では後退するんだ」
「…?つまり、面白くはなっても日本アニメの魅力は低下すると」
「ハッキリ言うとそうだ」
「しかし、「ルパン三世 カリオストロの城」はキャラクターものだが抜群に面白いぞ」
「騙されてるよ」
「何だって?」
「優れたエンターテインメントであればあるほどそうなんだが、ストーリー中心になればなるほどキャラクターは要素としての重要度が下がる。極論すればあの物語だったら別にルパンじゃなくても成立するんだ」
「馬鹿な!ルパンに次元にクラリス、不二子…みんな大活躍してたじゃないか!」
「ギリギリルパンと銭型警部は元の設定を活かしてたな。だが、クラリスがそもそも映画オリジナルキャラで他のルパンエピソードに一切登場しない」
「…それは…」
「カリ城だと次元なんてマグナムが効かねえ!と言うくらいしか見せ場が無い。五右衛門にいたっては存在意義すら危うい。ギリッギリ不二子が有意義に使えてるくらいか」
「…む…」
「完全オリジナルにした方がむしろ「ルパン」ファン以外を取り込む応用が効いたんじゃないかね」
「しかし、ルパンだからこそルパンファンが観るんだろうが」
「そうかね?ルパンが若いころにカリオストロに忍び込んで幼児期のクラリスに会ってたなんてオリジナルエピソードを入れるのに英断が必要だったんじゃないか?人気キャラクターであるが故に足かせになってるぞ」
「…(考え込んでいる)」
「そもそも「カリ城」は映画としては抜群に面白いが、「おじさま」ルパンがハードボイルドなテレビシリーズのルパンから齟齬があるとしてファンには不評だった」
「そうなのか?」
「ついでに言っとくとSFアニメ映画全盛期に公開されたから、スクリーンをフラッシュで撮影するアホなアニメファンが詰めかけたくらいで壊滅的にコケたんだ」
「馬鹿な!あんなに面白いのに」
「事実さ。余りにも酷かったのでこの後宮崎・大塚コンビはしばらく仕事を干される破目になる」
「どうなってる」
「アニメファンと一般人、一般の映画ファンの違いはもう分かるな?アニメファンにそっぽを向かれたとしても一般人に受ければ問題ない。だが、この時はその一般人にも相手にされなかった訳だ」
「…」
「経緯は省略するが、それでもアニメ演出家としての腕前を見出された宮崎駿監督は「風の谷のナウシカ」のアニメ映画化を達成する」
「遂に来たな」
(続く)




