アニメはいつから有料になったのか その2
「間違いなく無料だ。「映像ソフト」が発売される方が珍しかったことがその証明だ」
「アニメのDVDなんて幾らでも出てるだろうが」
「いや、そもそも家庭用ビデオデッキが登場するまで「映像」を売ろうったって売ることは出来なかったんだ」
「あっ!!」
「今では考えられんが、テレビで流される映像を記録することが出来るようになったのは80年代に入ってからだ」
「そっか…じゃ、それ以前のテレビ番組ってのは」
「当然ながら流しっぱなしだ。家庭用ビデオデッキの登場はこの辺をがらりと変えることになる」
「オレ、生まれて無いんだが」
「俺だってそうだ。ビデオデッキの発売によって希求されたのが「映像ソフト」だ。何しろ映すものが無ければただの箱以下だからな」
「知ってるぞ。『洗濯屋ケンちゃん』だろ?」
「…生まれてもおらんくせに妙なことに詳しいのはオタクのサガってところか。まあアダルトソフトが本体の普及に貢献したとは言われているが良く分からん。ここで登場するのが「レンタルビデオショップ」だ」
「今でも普通にあるな。まあ置いてあるのはDVDやブルーレイだが」
「当時のレンタルビデオショップのカオスぶりは物凄いぞ。当然、β(ベータ)のテープも並べて置いてある店もあった」
「β(ベータ)って何だ?」
「嘘だろ?」
「冗談だよ。しかしそれじゃあ種類が置けないだろ」
「当時はまだどっちが残るか分からんかったんだな。ちなみにVHSが最終的に勝利したのは画質を目一杯落とす「3倍」モードを搭載するという技術者は悔しくて涙が出そうな英断を下したことで、「6時間」の録画が可能となり、アメリカ市場で「アメリカンフットボールの試合が全て入る」という売りが出来たから…と言われてる」
「え?VHSって日本が作ったのか?」
「おいおい、勘弁してくれよ。ちなみにアメリカ市場の要求ってのは日本の産業に与える影響がムチャクチャ大きい。お前、「スト2」シリーズは知ってるな」
「ウル4で現役だぞ!ちなみにアドン使いだ」
「6つボタンが画期的なあのゲームは元はラバーボタンで弱中強を打ち分けられるゲームだったものをボタンに置き換えた廉価版から洗練されたものだと言われている。ちなみに当時の基盤だと4つボタンにまでは対応できるが、6つにするには特製でないといけなかったらしい」
「で?」
「何故かアメリカから「2」を作ってくれ!という要求が凄くて、仕方が無いから「ファイナルファイト」が出来た」
「ちょっと待て。「ファイナルファイト」はベルトスクロールアクションだろうが」
「その通り。ちなみに最初のタイトルは「ストリートファイター」の名前が残っていたらしい。これはこれで大ヒットしたんだが、アメリカは「いいから格闘の続きを出さんかい!」としつこく要求して来て、折れたカプコンによって「2」が作られた」
「そうだったのか…それは知らんかった」
「この点は全ての格闘ゲーマーはアメリカ人に足を向けて眠れないな。ちなみにちょいと話は飛ぶがアメリカ人はソニーはアメリカ企業だと思ってる人も多いらしい」
「は?何言ってんだよ」
「日本人ならそういう反応になるわな。それほどあっちの生活に浸透してるってことみたいだぞ。人によっては任天堂すらアメリカ企業だと思ってるそうだ」
「おいおい、ソニーならともかくモロに漢字の名前じゃねえか」
「アメリカではファミコンことファミリーコンピューターは「ニンテンドー・エンターテインメント・システム」という名前で売り出されて、みんな面倒臭いんで「ニンテンドー」と読んでる」
「え?ファミコンじゃなくてニンテンドーって呼ぶのか?あの機械を」
「そう。どうでもいいが「ファミリー(家族)コンピューター」ってのは「パーソナル(個人)コンピューター」の対義語のイメージらしい。「ワーク(仕事)ステーション」に対する「プレイ(遊び)ステーション」みたいなもんだな」
「何の話だっけ」
「すまんすまん。ともかくVHSが残った」
(続く)