アニメはいつから有料になったのか その1
「「艦これ」アニメがえらいことになってるな」
「知らん」
「あ、提督じゃないんだ」
「初期に弾かれたんでそれっきりだ」
「意外だな。俺は今でもイベント参加してるぞ」
「とりあえずケッコンカッコカリは2艦としてて、赤城はオレのヨメだ」
「やりこんでるじゃねえーか!」
「…そうか?ちっとも揃わんのだが。「これくしょん」と銘打ってるのに全くドロップせん」
「弾かれたってのは何なんだよ」
「2回目で入れたんでな」
「まったく…むっつりオタクが…」
「で、何だって?」
「前回お前は『有料アニメ』と言ってたな」
「ああ言った」
「アニメってのは基本的に有料じゃないのか」
「それは正しいとも言えるし間違ってるとも言える」
「どういうことだ?」
「日本の商業アニメを軌道に乗せた偉人は知ってるな?」
「知らいでか。手塚治虫先生だ」
「その通り。オレは手塚先生が受賞してない「国民栄誉賞」なんぞ全く価値が無いと思ってる」
「う~ん、漫画家だからじゃ?」
「『サザエさん』の長谷川町子は受賞してるぞ」
「…なんでだ?」
「一応、左翼系の新聞に連載漫画を持っていた経歴が引っかかったとされているらしいが…先生の事だから来た仕事断らなかっただけだと思うがなあ」
「確かにそりゃおかしいな」
「ベストは藤子・F・不二夫先生との同時受賞だな…。F先生が受賞してない国民栄誉賞なんぞありえん。…ともあれ、手塚治虫先生の尽力によって「毎週30分の新作アニメ」という狂気のコンテンツが成立する」
「…冷静に考えれば週刊連載漫画より凄いな」
「ここも誤解が多くてな。曰く「手塚がダンピングしたのでアニメ業界が極貧にあえいでる」とか」
「違うのか?俺もそう聞いてる」
「ややこしいのは、この「ダンピング」が無ければ「安価なコンテンツ」として普及するのは難しかったと言うことだ。映画業界だと、嘘かホントか「今回の映画は予算が無いからアニメにしよう」なんて言われてた時期もあったらしい」
「どういうことだよ…」
「とにかく、作るのに200万円(当時)掛かってたアニメを70万円で請け負うみたいなことをしてたわけだ」
「そら無茶だ」
「実はこれ、「雑誌連載漫画」に例えると分かりやすい」
「??」
「しつこいが映像はタダなんだ。寧ろ広く宣伝するにはタダである方がいい。テレビ局がそれこそ「映像を売って」いるんなら手塚先生だってもっともっと製作費を要求しただろう。だが、過大に要求しない代わりに、グッズ収入を取った」
「あっ!」
「当時のアトム関連商品の売り上げはそりゃすごかったらしい。この売上でアニメ製作費を稼いでた」
「…今と同じじゃねえか」
「全く同じって訳じゃないが似てるところはある。といっても下敷きだのクリアファイルだのといった「純粋なアニメグッズ」とかよりはキャラクターの入った魚肉ソーセージとか、プリントされた水筒(?)とか、靴とか」
「靴って何だよ」
「靴は靴だ。今でもあるだろ。子供向け販促アニメのプリント靴とか」
「…あったっけか」
「ジョージ・ルーカスもまだ誰も目を付けていなかった「キャラクターグッズ版権収入」にいち早く目を付けた人だが、手塚先生も同じだった」
「…それで製作費が安かったのか」
「安くても問題無かったってことだ。メイン収入はグッズの売り上げであって、テレビに掛けるところまでは手出しでも成立しちゃってたんだ」
「そういうことか…」
「雑誌連載時点では漫画家は赤字だって聞いたことないか?メインの収入は単行本の売り上げによる印税であって、「原稿料」はメインじゃないって」
「なんとなくあるな」
「それよりも「アニメってのは安価ないい埋め草だ」とテレビ局と言う巨大な利権に認識してもらえたのは大きい」
「でも手出しは無茶だ。それくらい要求してもいいんじゃないか」
「要求してるぞ。「鉄腕アトム」の最終盤に至っては製作費も2~3倍になってたらしい」
「え?じゃあ手塚ダンピング説は嘘なのか?」
「完全に嘘じゃない。だが功罪で言えば明らかに功の方が大きい。それに自ら改善もかなりしてる。それなのに今もって断罪されるのはちとどうかな…と思う」
「アニメーターは食えないって聞いたことがあるぞ」
「そうかもしれんが、仮にそうだとしてそれは業界の中の労働運動などで改善すべき問題だろ」
「労働運動ねえ…」
「話がそれたが、かなりの長きにわたってアニメってのは無料だった。見るのはな。これはいいか?」
「いや、タダだってのはどうも理解しがたい」
(続く)