2:模擬試験
拝啓、私を聖クロス学園に入学させてくださったおじいさま。
あなたの孫は今、死にかけています。
「ラスト十周!」
熊のような大柄な教官の、鬼のように非道な声が轟く。
学園のグラウンドとは別にある、森の中にあるグラウンドで私達塾生は走らされていた。
曰わく、体力なくしてサンタクロースにはなれない。
持久走の他に腹筋腕立て伏せを何十回とねちっこく強要される。
「サンタクロースに体力必要ねぇだろ!!」
「無駄口叩くな。三十回追加!」
「ちっくしょー!」
あの鬼熊教官め。水虫に感染して加齢臭増してしまえ!
屈強な体に向かって呪いをかける。
気付かれたのか睨まれたので、何食わぬ顔で腕立て伏せを続けた。
やり終えてぺしゃりと潰れたら、周りも同じような惨状だった。
「こんなの聞いてないわよ……」
隣の女子がふらりと立ち上がり、他の子を誘って鬼熊教官の方へ行く。教官と話をして、団体でグラウンドから去って行った。
「羨ましい……」
私もサボっちゃおうかな。
これでも体力に自信はある方だが、マジで死にそうだ。
ようやく息が落ち着いた頃、顔の横にペットボトルが置かれた。ボトルに沿って視線を上げていく。
脚、胸、とたどって行き、たどり着いた先にいたのは――トナカイだった。
真っ赤なお鼻のトナカイの顔が、人の体にくっついているのである。着ぐるみなのは分かるが、なかなかにリアルで剥製のようだ。何コレ、子供泣くよ。
「熱中症にならないよう水分補給はこまめにするんだぞ」
「あ……はい」
トナカイに心配された。
抱えたペットボトルを次の子に渡しに行くトナカイを視線で追う。
起き上がってペットボトルを見下ろす。掴んだ時はぬるかったのに、飲んでみると喉に心地良かった。
塾が始まって一週間。
学校では体力回復に時間を費やし、放課後の塾では死に物狂いでトレーニングをこなす。
今や半数以上の人間が消え、女子は私一人だけになっていた。
「うわ~、本当に女の子が残ってる」
教官が来るまで準備運動とストレッチをしてグラウンドで待機する。
そこへへらへら笑いながら寄って来たのは、髪を金色に染め上げたチャラい系男子だった。
塾のオリエンテーションで説明をしていた人だ。耳には幾つものピアスが光り輝いている。うちの兄ちゃん達が最も嫌うタイプである。
彼はくすくすと笑い腰に手を当てた。
「女子は君だけでしょ。凄い根性だよね。そんなにサンタクロースになりたいんだ」
金髪先輩はニヤニヤとさも愉快そうだ。
私だって辞めたいよ。つらいよ。だけど仕方ないじゃん。
「……辞めたら即退学なんですよ」
「あっはは!なるほどねぇ、特別入学か。それなら腹括らないとね。夏の試験で候補生にならないと退学だしね」
そうなんですよ~、と相槌を打ちかけて顎が止まる。
すいません今何だかとっても不穏なものを聞いた気がします。
「候補生にならないと退学って?そもそも候補生って何ですか?」
今度は向こうにびっくりされた。「初日で説明したよ~」と言われたら何も返せない。完全に聞き流してました。
バツが悪くなって黙り込む。金髪先輩はしょうがないなぁと肩をすくめた。
「人の話を聞かないと自分だけじゃなく他人にも返ってくるから注意しなよ」
やべぇ。この人見た目チャラいけどかなりマトモな人だ。兄ちゃん、人は見かけに寄らないようです。
「候補生って言うのは、三級サンタクロースの受験資格を得る事が出来る階級だよ。君は今はただの塾生。オレは候補生。昇級試験は毎年夏に行われ、それに合格したら昇級出来る」
へえへえなるほど。
「ただし、試験があるのは三級に上がるまで。それ以降は一級サンタクロース以上の推薦が必要になる」
「プレゼントを配るのは何級なんですか?」
「二級からだよ。三級は主にサポートだね。各地のイベントに参加したり、サンタ宛ての手紙の返事を書いたりしながら、色々と経験を積むんだ」
ちなみに。
金髪先輩がにっこり笑う。
「三年間で三級試験まで合格出来なかったら、特別入学の君は学園も卒業出来ないからね」
「え……」
つまり留年。
私はあらゆる可能性を考える。考えようとした。しかし特に問題があるとも思えないのですぐにやめる。
「あと二年ですよね。大丈夫大丈夫」
「暢気だなぁ。その前に今年の夏で候補生にならなくちゃならないんだよ。分かってる?」
「試験ってどんな問題がでるんですか?」
「体力測定だ」
不遜な声が割って入る。ついつい顔を顰めてしまうのも仕方がない。
馴れ馴れしく話しかけて来やがったのは、片笑みを浮かべる生徒会長だ。
初対面で随分悪い印象を抱いた私は、会長を睨み付けて威嚇する。敵に嘗められてはいけない。
会長は口元を歪めて笑った。
「試験内容は単純だ。
まず自分の体重を含め総重量120kgになるよう重りを身に着ける。用意された家の煙突に登り、煙突から家の中に入ったのちクリスマスツリーの下にプレゼントを置く。
そして暖炉の上に置かれたクッキーと牛乳を完食し再び煙突から外に出てゴールまで走る。この工程を全て2分以内に行う」
「大変そうだね」
「あ、ダメだこの子全然分かってない」
会長が鼻で笑う。よしきた。背を向けた時がてめぇの最後だ。
臨戦態勢に入った私に気付いた会長が、顔をこちらに向けたまま鋭い声を飛ばした。
「柚流!」
「準備なら出来ている」
あれはトナカイ先輩じゃないか。改めてトナカイ先輩を見ると、彼はさほど身長は高くないもののがっしりとした体格をしている。
ちょっとやそっと押したくらいでは微動だにしなさそうだ。
会長は塾生達を見渡す。みんな初めてグラウンドに顔を出した会長に注目していた。
「これから夏に行う候補生昇級試験の模擬を行う。俺について来い!」
突然投じられたイベントには、みんな興味津々のようだ。
ついて行く事数分。森の中に二軒の煉瓦造りの建物が登場する。煙突が高いだけで、建物自体は小屋くらいにこじんまりしていた。
離れた場所には白いラインが引かれており、その側には荷車と、オリエンテーションに見た物腰が穏やかな王子様系の先輩がいた。
穏やか先輩はバインダーを持って手を挙げる。
「呼ばれた人は来て下さい。黄島芙由実君」
「はい!」
『ふゆみ』なんて名前だから女子がまだ残っていたのかと驚けば、穏やか先輩の元に行ったのは短髪長身の男子だった。如何にもスポーツしていますといった風体だ。
「黄島クンはこれだね。重いから気をつけて」
「え~、全然軽いっスよ」
短髪男子は軽く笑って、金髪先輩からジャケットとリストバンドを受け取った。もう一人呼ばれて一式渡される。
「小さな緩みが怪我に繋がるからしっかり着用して下さい。用意が出来たら白いラインへ」
穏やか先輩は穏やか~にこれから行う試験の内容を説明する。最後にプレゼントの入った袋を渡した。プレゼントは一個だけではないようで、サンタクロースの持つ袋に相応しく膨らんでいる。
第一走者の準備が整った。金髪先輩がストップウォッチを構える。
「位置について、よーい、スタート!」
二人は走り出した。 軽いっスよー発言の短髪男子は重りを持っても速い。もう一人を突き放してひょいひょいと煙突の梯子を上って煙突の中へ。しばらくしたらまたひょっこり顔を出し、スルスルと梯子を降りてきた。
そしてラスト50mを走りきりゴール。時間は2分を切っていた。
「っはー。疲れた。案外キツいわこれ」
短髪男子は重りを落として服をパタパタさせて中に風を送る。キツいと言いながらなかなか余裕が残っている。
結構私でもいけるんじゃないか。そりゃ体格差もあってあの男子程余裕というわけにはいかないだろうけれど。
入れ替わりで次々と塾生が挑戦する。みんな悪戦苦闘して、二分切れたのは短髪男子だけだった。
一番最後に私の名前が呼ばれる。
金髪先輩から重りを受け取った瞬間確信した。
あ、これ無理だ。
あまりの重さに持つ手が震えた。しかしあそこでニヒルな笑みを浮かべる会長の手前弱音は吐けない。
ちきしょう見てろよ。その余裕ぶっこいた顔を驚愕に染めてやる。
息巻いたその結果は――散々でした。
まずまともに走れない。重りプラスプレゼントの所為だ。こいつがまた叩きつけたくなる程重いのである。
煙突だって登る度に腕が怠くなっていくのだ。
結局ゴールまでに十分以上が経過していた。二分どころか五分の壁さえ厚い事を思い知る。
重りを外す気力もなく転がった。
「君本当に根性あるね~。まさかゴールするとは思わなかったよ」
金髪先輩がパチパチ手を叩く。それがバカにしているように見えた。
、喧嘩売ってんだな。売ってるなそれ。よしきた。でも買う気力がない。
芋虫みたいに転がる私に影が差す。会長がバカにしたような顔で笑っていた。
「そのざまじゃすぐに退塾だな」
あぁ?
「精々夏までに精進するんだな」
高笑いして去ろうとする会長の背にドロップキックをお見舞いしてさしあげたのは言うまでもない。
人間体力が底突いてもやれる時はやれるのだ。
一日経てども腹の虫が収まらない。
腕も脚も怠くて学校を休みたかったが、会長に負けた気がして根性で登校した。
午前中を体力の回復に注ぎ込み、午後の授業も同じくしようとした時、こんな会話が耳に入る。
「今日のLHR球技大会の種目決めなんでしょう」
「生徒会長、球技大会バレーに出るんだって」
「えーっ。絶対見なきゃ」
きゃわきゃわとはしゃぐ女子達は、私が聞き耳を立てている事に全く気付いていない。
球技大会。そんなものがあるのか。
六時間目のLHRには、私の腹は決まっていた。
「月末に行われる球技大会の種目を決めます。希望する種目に手を上げて下さい」
サッカーとバレーという二つの種目のうち、私が狙うのはただひとつ。
「次。男子バレー」
「はい!」
皆まで読み上げられる前に手を挙げた。
クラスの注目が一身に集まっても、天井に向かって真っ直ぐ伸びる手に躊躇いはない。
「えっと師走さん。これ男子の種目よ?」
「それでいいです」
今の私は復讐心に燃えていた。
あのすかした顔を絶望の淵に蹴り落とす。ただそれだけを望んでいる。
「全力で会長をぶっ潰す」
今に見てろ。人をバカにしてると痛い目見るって事を思い知らせてやる。
完全に沈黙に飲まれた教室で、たった一人だけ場違いに声を上げた人物がいた。
「おっもしろそーじゃん。じゃあ俺もバレーにする」
振り返って驚いた。手を挙げていたのは、模擬試験で唯一二分を切っていた短髪男子だったのだ。
「同じクラスだったの?」
「知らなかった?実は俺も今知ったんだよ」
お茶目に笑った彼もきっと、私と同じように学校では体力回復に時間を費やしているのかもしれない。
「会長に一泡吹かせてやろうぜ」
この瞬間、『会長の長っ鼻をへし折る同盟』が結ばれた。