1:入学
師走雪野、十五歳。
憧れてやまない聖クロス学園に、落ちました。
家に届いた不合格通知を握り締めたまま砂と化す。
家族は同情するどころか納得の面持ちだった。
そりゃあ確かに、レベルの高い学校でしたよ。模試の判定だって最後の最後までDでしたよ。先生にも止められましたよ。
でも奇跡が起きるって信じたかったのだ。どうしても挑戦せずにはいられなかったのだ。
全寮制って楽しそうな響きだし。何より制服が可愛い。
ダブルボタンの白いブレザーにワインレッドのリボンとスカートが上品で本当に可愛いんだ。あれ着て学校通う自分想像したら、大嫌いな勉強だって頑張れた。
なのに、なのに!
「バカバカバーカ!何で解答欄ずらすかなぁ!私のバカぁ」
不合格通知を握り潰した手で床を何度も殴る。
国語で小論文に時間をいっぱい使ってしまい、見返す時間もなく解答欄のずれにも気付かなかった。あれがなかったら!もしかしたら!もしかしたら!
悔やんでも悔やみきれない。
力任せに不合格通知を破ろうとした時、ふと影がかかった。霞む視界を上へ向ければ、腕を組んだ祖父がいる。祖父は神妙な面持ちで問うた。
「そこまで入りたい学校なのか?」
ぐすぐすと鼻を啜りながら頷いた。
祖父は迷うような素振りを見せ、そうかと呟く。
「それなら」
まさか裏口入学をさせてくれるのだろうか。
曇天に一筋の光が差した。神の光臨を予見させる。
手を組む敬虔な信徒に向かって、神は厳しい顔で神託を授ける。
「死ぬ覚悟は出来ているんだろうな」
意味が分かりません。
*****
白いブレザーに袖を通す。首元を彩るのはワインレッドのリボン。同じくワインレッドのプリーツスカートを揺らし、鏡の前に立った。
ショートボブを整えて胸を張れば、まあ何と素敵なお嬢さんがいらっしゃる。
「うへへへへ」
あらやだ。清楚なお嬢さんが台無しじゃない。顔を引き締めて寝室を出た。
ここは昨日から入っている寮だ。二人部屋だが人数の都合上一人で使う事になっている。
この寮。なんと寝室はしっかり壁で区切られている。共同のリビングはそこそこ広く、トイレどころかシャワー室も完備。高い学費払ってる寮は違うね。他の学校の寮はよく分からないけど。
あぁ。私は入学出来たのか。
裏技入学の後ろめたさは脇に寄せて感動する。
「ここまで来たなら頑張るぞ!」
気合いの拳を突き上げた。
入学式、そしてオリエンテーションもつつがなく終了した。
入学式に来ていた母や祖父と別れの言葉を交わす。祖父が私の肩に手を置き、頑張るんだぞと発破をかけた。母は無理なようなら潔く帰って来なさいと心配してるんだかしてないんだかよく分からないエールをくれた。
二人と別れ、一人ある場所を目指した。
喧騒は遠退き、森は深くなる。
森を丸々収めた聖クロス学園の広大な敷地の中。寮とは正反対の場所にあり、校舎から十五分程歩いた場所にある、煉瓦造りで三角屋根の、雪深い森の風景画としてありそうな建物。
それが目的地だ。
板チョコさながらの扉の前で、ポケットから鍵を取り出した。
アンティーク調のそれは、持ち手の部分は輪になっており、更に中は鈴の形になっている。非常に可愛らしい。
何だか緊張してきた。
扉の前で立ち尽くす私に、背後から突然声がかかった。
「おい、お前」
「うわっはい!」
咎めるようにキツい口調に背筋を伸ばす。
恐る恐る振り返り、一層緊張を煽られた。
いやに端正な顔立ち。可視化出来そうな不遜なオーラ。
紛れもなく入学式で壇上に上がり祝辞を読んでいた生徒会長だった。
どうしてここに。
狼狽えて後退れば扉にぶつかる。生徒会長の片眉が跳ね上がった。この人なまじ顔がいいだけに迫力がある。長身だから見下ろされてなおさら怖い。
「いつまで扉を塞いでいるつもりだ」
「すいません!はい!」
泡を食って譲ったら、会長は鼻で笑った。感じ悪ぃな。
「お前は新入生だろう。入るならさっさと入れ」
「……はい」
扉を開けるのは下賤な者の仕事だとでもおっしゃりたいのだろうか。
扉の取っ手を掴んだものの、押しても引いても動かない。ははーん。ならば引き戸かと横に引っ張るも結果は同じだ。
「何をしているんだお前は。その手にあるのは玩具か」
何だこいつ。いちいち偉そうだな。
内心舌打ちする。私が悪いので不満を取り繕って、持ったままだった鍵を鍵穴に差し込んだ。右に回すとがチャリと音がした。
ホッと息をついて扉を押し開く。
中はこじんまりとしたエントランスがあり、正面には廊下が。左右には緩やかにカーブを描く階段があった。
ふらりと一歩二歩と踏み出した。すると横をすり抜けた影が、エントランスの中央へ行く。
中央の床には色彩豊かなガラスがはめ込まれており、天窓の光を受けて輝いている。クリスマスリースを模した緑色のガラスの中央には、ソリを引くトナカイと、そしてサンタクロースが描かれていた。
会長はその上に立ち、天窓からの光をスポットライトにして舞台役者のように腕を広げて不遜に笑った。
「よく来たな。ここがサンタクロース塾だ」
聖クロス学園は、資産家の子息子女も通う私立学校の他に別の顔を持つ。
それはサンタクロースを養成する塾。サンタクロース塾だ。
サンタクロースとはクリスマスの夜に子供達にプレゼントを配るアレで間違いない。トナカイの引くソリに乗る赤い服着たアレ。
十二月に大量発生するぱちもんではなく、正真正銘本物のサンタクロースだ。
祖父が入学条件として示したのが、このサンタクロース塾への入塾だった。何でも入塾すれば学園の方にも入学出来るらしい。
ただし、退塾となれば当然学園も退学だ。
私はこの裏技を使い、憧れの聖クロス学園に入学を果たした。そして卒業するためには何としてでも塾に居続けなければならない。
沈黙を通す私に、生徒会長は嘲笑を向ける。
「女の身では厳しいだろうが、精々頑張るんだな」
鼻で笑った。あいつ鼻で笑いやがった。
ぴくぴく引きつる口元にも気付かず、奴は極めつけに明らかに見下した笑みを寄越して背を向けた。
男三人の更に下の末っ子長女。
それが私、師走雪野である。
弱肉強食の我が家は、待っていたら手に入る物も入らない。大皿で出される唐揚げも、夕飯に少し遅れただけでありつけなくなる。誰も分け与えてはくれないのだ。
兄達はまた粗暴な男衆で、小さい頃から勉強をする暇なく連れ回された。人んちの塀には上るし、木には登らせられるし、ありとあらゆる場所が遊び場だった。喧嘩は日常茶飯事。売られたら買えが教えである。
おかげで兄達に似た粗暴な娘の出来上がりだ。ベリーショートな髪と相俟って、中学では男女と揶揄され、私服では男と間違われるのも当たり前。
数少ない女友達がオシャレに花を咲かせても宇宙語を耳にするようにちんぷんかんぷん。
小学校からの顔馴染みがほとんどの中学では、私のイメージを払拭するのは最早不可能だった。
ならばと、聖クロス学園の受験を決めたのだ。
ここの制服を着れば、自分も清楚な女の子になれる気さえした。
しかし三つ子の魂百まで。雀百まで踊り忘れず。
可愛く清楚な服を着たところで、中身まで華麗なる変身を遂げるわけがない。
「その喧嘩買ってやるよ会長様」
絶対卒業してやる。
密やかな宣戦布告として中指を立てた。
振り返った会長にばっちし目撃された。
講堂に集まった塾生は、一クラス半といったところか。男女比は若干男子の方が多いように感じる。みんな学園の制服を着ていた。
どっしり構えた、そのまま赤い服に帽子、白い髭をつければサンタクロースに見えるだろう男子もいれば、いいとこの坊ちゃま風の優男もいる。女子の方は垢抜けた子ばかりで、この教室の半数以上が物見遊山といった空気を醸し出していた。
そりゃサンタクロース塾なんて響きは楽しそうだ。
如何にもいいとこ育ちな暢気な空気に、何だか気が抜けた。
祖父の不穏な発言に大袈裟の判を捺して横に流した頃、扉が開く。
生徒会長が後ろに男子生徒を引き連れ入ってきた。
女子が密かに色めき立った。
そりゃ会長様はお顔がよろしいですからね。
会長様は目敏く此方に気付いて口角を上げた。目は笑っていない。
おうおう。何だこら。やんのかこら。
会長は教壇に上がり、教卓に手をついた。あまりに堂々と偉そうな立ち居振る舞いに、高校生になったらあんな風になるのだろうかとちょっと心配になる。
人の懸念なんぞ露とも知らず、朗々と話し始める。マイクいらずだ。
「俺は聖クロス学園生徒会長、そしてお前らを監督する氷室嘉月だ。何かあれば生徒会室に来い。手が空いていれば直々に相談に乗ってやる」
誰が人を見下した奴になんか。と思っていたけれど、前の席に座る女子が色めき立った。
マジか。相談相手があれでいいのか。鼻で笑われて終わりだぞ絶対。
納得いかないまま、続く会長様の言葉を耳半分で聞いた。
「初めに言っておく。サンタクロースとは知力体力精神力、全てを兼ね備えていなければならない。生半可の覚悟では脱落する。肝に銘じておけ」
会長が教壇の脇に立っていた男子生徒に目配せする。会長とは対照的な柔和な雰囲気にふわふわした髪。たれ目が愛らしい王子様系の男子だ。
彼は持っていた冊子を配っていく。
会長はその間に教壇を降りて壁に凭れた。代わりに上がるのは、真面目とは対極にいる金髪で制服を着崩したチャラい系男子だ。
冊子が配り終えられると、金髪がにっこり笑う。
「冊子は行き渡りましたかー?初めまして。会計、二年生の前沢侑夜です。冊子を配った彼は同じく二年生、書記の春待至。
副会長の湯川柚流は入学式の後片付けを見ているのでここにはいません。だから今日はオレが塾の説明をします」
会計先輩の話をやはり聞き流しながら、冊子に目を落とす。
それにはサンタクロースまでの道のりと、サンタクロース協会の図式が書かれていた。後でちゃんと見よう。
説明が終わると再び会長が壇上に上がった。
「最後に。塾をやめるのは自由だ。だが本気でサンタクロースになりたいなら形振り構わず食らいついてこい」
大袈裟だな。
椅子に背を預け、冊子を衝立代わりに欠伸をする。まばたきを繰り返し目尻に浮かんだ涙を拭い、はたりと、会長が目が合った。気がした。
あともう一つだけ。
よく通る声が言う。
「学園に通う塾生は生徒会入りが義務づけられている。扱き使ってやるから覚悟しておけ」
その悪役の笑み、私に向けてませんか?向けてますよね、そうですよね?
拝啓おじいさま。
自業自得とはいえ、入学したその日に厄介な人に目を付けられてしまったようです。
南無三。