第1話 ふたりとひとり その3
『国防陸軍東部方面隊第十二旅団第十三歩兵連隊隷下、第一中隊所属一等兵』
それがかつてのシオの肩書きだった。
『財団法人施設管理公社隷属、記念公園管理事務所職員』
これが現在のシオの肩書きである。
戦闘で右腕を吹き飛ばされたシオは帰国後に軍病院を経て傷痍軍人療養所へ転院し、そこで数ヶ月のリハビリと職業訓練を受けて除隊した。
任務中、しかも戦闘中での負傷という事もあり名誉戦傷章の授与も検討されたが、国内世論への配慮もあって結局は見送られた。同時に名誉除隊でも負傷除隊でもなく飽くまで希望除隊と処理された。これは情報が流出し、派兵された兵士が特定される事を軍当局が危惧した為だといわれている。その為、軍から斡旋された記念公園管理事務所には障害者枠での就職となった。閑職であり採用枠も少ない記念公園管理事務所に取って付けたような障害者採用枠が設けられたのは傍から見れば不自然であったが、それを追究しようとする者はいなかった。除隊時に昇進し、退役上等兵として扱われた事も。
シオの詳細を知るのは、シオだけだった。
かつて新型爆弾を搭載した大型輸送機の墜落事故で穿たれた巨大な『クレーター』を囲うように造られた記念公園は、隣接する記念病院ともども大層な呼び名と広さの割りに他に目立った施設も無く、いつも閑散としていた。爆弾の誘発によって起きた事故の悲惨さを表すのは骨組みだけが残ったサグラダファミリアを模した大聖堂くらいで、それすらも慰霊碑としてはあまりに場違いな改造を施されてからは、客の付かない大道芸人のような物悲しさをたたえながらそこに存在し続けていた。不良たちの溜まり場にされても、肝試しに使われても、悪趣味なライトアップをされても、慰霊に訪れる者が減っても。慰霊碑は存在し続けていた。
神様はよほど心が広いのか、それとも馬鹿馬鹿しくなっていなくなったのか、あるいはあの爆発で吹き飛ばされてしまったのか。赤いスプレーで汚された慰霊碑の落書きを左手だけで器用に掃除しながら、シオは鉄骨に浮いた錆を見つめた。赤茶けた錆は、乾いた血と同じ色をしていた。『クレーター』と、同じ色合いだった。
ホテルの屋上で弧を描くライスシャワーの先に、小さく記念病院と慰霊碑が見えた。盛大な拍手と少し大袈裟な音楽を伴って、キミちゃんは伴侶となった男性と腕を組み参列者たちに笑顔を振りまいていた。
ライスシャワーって確か新婚夫婦が子供に恵まれる事を祈ってする儀式だったと思うけど、すでにお腹の中に赤ちゃんがいる場合はどんな効果があるんだろう? 双子が産まれるのかしら?
ナツミは親友の晴れ姿を眺めながら夏の空の下でぼんやり考えていた。
「しかし暑いわねー」
隣で共通の友人エミコちゃんがハンカチで丸々とした顔を仰いだ。今日の為に美容師の彼氏に気合を入れてセットしてもらったというアップの黒髪は、夏の日差しを浴びて昼過ぎの朝顔の鉢植えのように少々グッタリしているように見えた。
「いくら夏が好きだからって炎天下の下で挙式は勘弁してほしいわー」
愚痴っているものの悪意は無い。しかし暑いのは確かで、ナツミもさすがに早く建物内に戻りたいと思ったが、口には出さず軽く頷きながらエミコちゃんに笑顔を返した。屋上のプールが陽光を反射し、時折眩しかった。
冬生まれなのに夏とマリンスポーツが大好きなキミちゃんは、結婚式は絶対夏の海辺でやると昔から言っていた。だが、夏の海辺でかつての彼女をサーファーに奪われた経験から海嫌いになったという旦那様から猛反対にあい、あわや破談かというほどのすったもんだの末、何とか大きなプールが備え付けられているホテルの屋上で挙式と相成った。ちなみにその背景を知る者は当事者たちと相談を受けたナツミを含む友人数名だけなのは内緒の話である。
「ナツミの時は春か秋にしてよね。あたしもそうするし。自分の誕生日に挙式とか素敵だと思うけど、アンタはダメよ。夏だし」
少しぽっちゃり気味のエミコちゃんの丸顔に、玉のような汗が浮んでいた。アップされた髪は、いつの間にか記念公園に佇む半壊した大聖堂の骨組みのように傾いていた。
「春か秋かぁー」
呟きながらナツミは右手の薬指にはめた指輪に視線を落とした。付き合いだして一ヶ月目に今の彼氏から贈られた当時流行ったブランド物だった。もう二年ほど前の事。大事にしていたが、今は所々に小さな傷が付いていた。
そういえばお姉ちゃんの指輪、どこにいったんだっけ?
二人のイニシャルが刻まれた特注のプラチナリング。有名な賞をもらって新聞にも載った姉の恋人が、昔の仕事で知り合ったデザイナーに作ってもらったというお揃いの指輪。姉の誕生日にプレゼントされたそれは、同時に婚約の契りでもあった。誕生日の翌日、始終ニヤニヤと惚けたかのように顔を緩めていた姉の姿がナツミの脳裏に甦った。
たった一つの小さな金属製の指輪が、姉を世界中で誰よりも幸せな人間に見せていた。
戸惑いにも似た気持ちで姉を見やるナツミに、姉は言った。
「イイでしょー」と。
ふと顔を上げた視線の先で、キミちゃんが白い手袋をはめた左手をナツミに向かって振っていた。白い手袋に包まれた左の薬指が、金の光を煌めかせた。
「イイでしょー」
眩しさに目を細めたその光の先に、姉と恋人がかつて住んでいたマンションの最上階が小さく見えていた。