第1話 ふたりとひとり その1
「死んじゃうよー」
小さな体に不釣合いな大人用のリュックサックを背負った男の子が弱音をこぼしながら歩いていた。まだ10歳にもなっていない位だろうか。
男の子の少し前を歩いていた同じ年くらいの女の子が大袈裟なため息をついて立ち止まり、
「あとちょっとでしょ。頑張りなさいよ、男なんだから」
と励ますと、男の子は小さな口を尖らせフテ腐れたような泣きそうな表情を作りながらその後を付いて行く。
自然の多い公園の中とはいえ、この暑い時期に体に合わぬ荷物と萎えた気持ちを持ったままではさぞかし辛いだろう。 だが、少年。それが今の君に与えられた試練なんだよ。後で役に立つかどうかは、分からないけど。
記念公園の古ぼけたベンチに座ってタバコをふかして束の間の休憩を取りながら、シオはぼんやりと遠足途中であろう子供たちの一団を眺めていた。そういえば教導師団にいた頃も上官たちが「ピクニック」と称した行軍訓練があった事をシオは思い出した。実弾以外はフル装備で、延々と深夜の市街地を時折奇異の視線を浴びながら歩き続ける地獄の訓練。あれで辞めて行った者も少なくなかったし、シオも逃げ出したいと何度となく考えた。しかし他に行くあての無い彼にとって軍だけが最後の砦であり、生きるための手段であった。だから耐えた。今になって思えば他に選択肢もあったはずだが、それも飽くまで年齢と経験を重ねた今だから思う事で、当時の切羽詰った状況では最善で唯一の方法だとシオは思っていたのだ。
「生きるってのは、大変だ」
誰に聞かせるでもなく呟くと、シオは錆びついた灰皿に吸殻を捨て、白髪のまじった頭に帽子を乗せるとベンチから立ち上がった。浅黄色の制服の右袖が力なく揺れる。記念病院の敷地内は全面禁煙のせいか、公園内には投げ捨てられたタバコの吸殻が非常に多い。灰皿を設置していてもクズカゴ代わりにされ、本来の役割を果たしていなかった。まあ、そういった清掃もシオの仕事であり、暇つぶしと気分転換には向いていた。
左肩にゴミ袋を入れたアルミ製の篭を背負い、子供たちの一団がやってきた方へ向かって歩き出す。もう一回りして、夕方前に戻ってこないと。
車椅子のお嬢さんは最近少し気難しいから。
「大変だ……」
「死んじゃうよー」
ビール瓶の詰まった強化プラスチック製の箱をか細い腕で持ち上げながら、女の子が悲鳴を上げていた。まだ20歳にもなっていない今どきの女の子。彼女の傍らで笑みを浮かべながらモヒカン頭の若い男が、少女の倍以上太い腕で易々と3段重ねたビール箱を持ち上げてトラックの荷台に載せながら、
「大丈夫、大丈夫。死なないから」
と励ます。
そうは言っても大変でしょうね、その体じゃ。慣れてもいないし。明日はきっと筋肉痛かな? アタシも昔はなったけど。
商店街の酒屋の倉庫の脇で受け取り伝票にサインしながら、ナツミはお金を得る事の大変さと労働の厳しさを体感しているアルバイトの少女を優しげに見つめていた。最近はお酒を飲む人も減ったとの事で、飲食店も不景気が続いて納品する酒屋も昔ほどの忙しさは無くなった。それでも夏と冬は従業員たちが交代で1週間ほどの休暇に入る事もあって、期間限定のアルバイトを何人か雇う事になっている。中には毎年やってくる常連のコもいるが、悲鳴を上げている女の子は新顔だった。
しかし今どきのコといっても細すぎるし、社長もなんで雇ったのかしら? 本人も大変だろうに。自分が働き出した時もあんな感じだったのかな?
ナツミにとって働き出して7回目の夏。相変わらず倉庫の中は暑かった。でも慣れた。誰だって暑い。自分だけが辛いわけじゃない。それが仕事なのだから。
「生きるってのは、大変だねー」
サインした納品書をエプロンのポケットにしまいながら、ナツミは依然ビール箱に悪戦苦闘し続けている少女の方へ向かった。コツを教えてあげようとする親切心と、少女の放つどこか楽しげな無邪気さに軽い苛立ちを併せ持ちながら。
ふと立ち止まって濃い影で分けられたアスファルトを見つめた。耳朶のピアスが陽光を反射して小さく光る。日差しはまだ強いが、昼はだいぶ過ぎていた。今日は病院に行く日だから、仕事は早めに片付けなくてはならなかった。
車椅子のあのヒトは最近少し気難しいし。
「大変だよ……」