ハツカレ
チャイムが鳴った。途端、わたしは日直の号令より先に立ち上がった。
教室中の視線がわたしに注がれた。思わず、一瞬たじろぐ。
先生がこっちを見て笑ってる。
「あらあら夕貴さん、何か急ぎの用事でもあるの?」
「あ、はい!」
あんまりすんなり答えたから、周りから笑いがこぼれた。
「そう、じゃあ早く行きなさい。さようなら、気を付けてね」
「ありがとうございます!さようなら!」
カバンをつかんで教室を飛び出した。
先生ありがとう。わたしはやさしい美紀先生が大好き。
階段を2段飛ばしで駆け下りる。
――早く、早く。
下駄箱に上履きを突っ込んで、ローファーはかかとをふんずけたまま。
――早く、早く…!
全力ダッシュで校庭を飛び出す。
――早く行かないと……!
正門を出たら、最初の角を曲がって一本道をまっすぐ。ただひたすらまっすぐ走る。
一歩、一歩、地面を蹴るたび、わたしの胸が大きく高鳴って、大きく膨らんで、大きく詰まる。
いっぱいになって、頭がクラクラしてくる。
目当ての看板が前方に見えて、私はそこで一気に足を止めた。
木の葉2丁目公園――わたしには、大切な場所。
はぁ…はぁ…っ
心臓が、全身が、酸素を求めてるのに、わたしの息は止まってしまいそうだ。
…緊張してる。これは走って息が上がってるんじゃないって。
何度も深く深呼吸した。
思わず目を閉じた。
大きく息を吸って、ゆっくり吐く……。
吐くとき、肺が収縮するみたいに、同時にわたしの心臓も、小さく小さく"きゅぅ"ってなる。
顔がぼぅっとする…。
苦しくて、切なくて、心地良い。
息を整えて、髪を直して。
靴を履きなおして、マフラーをカバンから取り出して、くるくると巻いた。
鏡でチャックして、……OK。
一歩をそっと踏み出すと、ジャリ…と音が鳴った。
ジャリジャリ歩いて、ちょっとずつ公園に近づく。
心臓がばくばく鳴る。
息が上がる。
白い息が、マフラーの間からあふれる。
…ねぇ、不安になるよ。
あの時のことが、やっぱり夢ではないかって。
あの時アナタが「スキだ」って、言ってくれた事が。
早く行きたい気持ちと、あまりの緊張で今にも逃げ出してしまいたい気持ちが、
ぐちゃぐちゃになって苦しい。
でも足は勝手にわたしを運んでいく。変なの。
公園の入り口まで、あと3歩……2歩…1…歩……
わたしの目に飛び込んだのは、わたしとおなじマフラーを巻いた男の子。
ブランコの横で、しゃがんで、小さな子猫を抱きかかえてる。
ちいさな、ほんとにちいさな子猫を、あの大きな手でそっと包んで、優しい顔で見つめてる。
ああ…わたしの大好きな、大好きな男の子。
緊張がぼろぼろ溶けて、次に来るのは、怖いぐらいにこみ上げる幸せと、いっぱいの笑顔になれる力。
「たくちゃん!」
わたしは呼んだ。初めて呼んだ。
うわぁ……恥ずかしい。
今まで"拓哉くん"だったのに。
でもずっと呼んでみたかったから。
その夢が叶うなんて。
たくちゃんは声の方に振り向く。
わたしを見て、ふんわりやわらかい笑顔をした。
あの顔、だいすき。
たくちゃんは子猫を抱えたまま、ゆっくりこっちに歩いてきた。
たくちゃんは背が高い。髪がさらさら…綺麗な茶色の髪。
ぺっちゃんこでボロボロのカバンが男の子らしくて、わたしをどきどきさせるの。
「ゆう、子猫だよ!めっっちゃ可愛いよ!」
くちゃくちゃにした顔で、わたしに子猫を抱かせてくれた。
…たくちゃんの顔も、めっちゃ可愛い。
子猫はわたしの中で「みー」と鳴いた。
真っ白で、茶色のくりくりの綺麗な目。今にも壊れてしまいそうなほど小さくて、繊細な生き物。
あまりに可愛くて目を奪われてた。
「ゆう、その猫ちゃん気に入ったの?」
「え、うん。めっちゃ可愛いね!でも、この子どうしたの?」
「捨てられてたんよ。もう一つ前の公園で。あんまり可愛くて連れてきちゃった」
「えーーっ」
「だって、ゆうにも見せたかったから」
「………………」
こんな些細なことに、胸がいちいち”きゅん”ってする。
「たくちゃん、猫ちゃんどうするの?またその公園に戻すの?」
「どうして?」
「可哀想だよ……こんな真冬の下にいたら、もしかしたら……」
「ゆうなら絶対そう言うと思った!」
たくちゃんがにかっとはにかむ。
そして、あの大きくて骨ばった手で、わたしの頭をぽんぽんと撫でた。
手を頭に置いたまま、わたしの顔を覗き込む。
また、胸が”きゅん”って鳴った。
だいすきなたくちゃんの優しい目が、わたしをやさしく見つめてる。
どきどきするけど…愛しいなって思う。
こんな気持ちくれるの、たくちゃんだけだよ。
「ゆうが心配すると思ったからね、その猫ちゃん、俺が家に連れて帰って、一緒に暮らす事に決めたの」
「えっ、たくちゃん飼えるの?」
「うーん、飼うって言い方は好きじゃないんだよね。なんか支配してるみたいで……だから”一緒に暮らす”んだよ」
たくちゃんはまた笑った。この人、なんでこんなに優しいんだろう。
「本当に?ほんとに一緒に暮らしてあげられるの?」
「その子、女の子みたいなんだ。今日から俺の妹!」
「いもうと??」
わたしは思わず笑った。
「猫ちゃん、良かったね!今日からたくちゃんの妹だって!」
わたしの手の中の子猫は、きょとん、とわたしたちを見つめてた。
たくちゃんが自分のマフラーを外して、それで子猫をやさしく包んだ。
「ゆうが名前をつけてあげて」
「あ、あたしが?」
「うん、つけてあげて」
たくちゃんに言われて、わたしは改めて子猫を見つめた。
「……らぶ…がいいかな」
「らぶ?」
「そう、ラブちゃん。愛をいっぱい注がれて、愛されて生きられますようにって」
「……うん。ゆうらしい」
「ほんと?」
たくちゃんは子猫に顔をうずめて、嬉しそうに頬ずりした。
「お前良かったな!ラブなんて可愛い名前をゆうからもらえて。お前は俺をお兄ちゃんて呼べよ?」
わたしは笑った。
今日からこの子はラブ。たくちゃんの家で暮らすことになった。
あのね、その子に”ラブ”ってつけたのには、他にも意味があるんだよ。
たくちゃんにいっぱい愛をあげて、いっぱい愛をもらって。
それから。
わたしとたくちゃんが恋人になれたこの公園で、わたしとたくちゃんの恋をいつまでも繋いでてね…って。
わたしたちの初デートに出会えた子猫ちゃんだから。
わたしは思い切って、たくちゃんに抱きついた。
ぎゅぅってして、たくちゃんの胸に顔をうずめると、すごく暖かい。
あぁ……しあわせ。
「たくちゃん、……だいすきだよ」
「うん。俺もめっちゃだいすき!」
そういってわたしに腕を回して、髪をくしゃくしゃってしてくれた。
わたしの頭なんかすっぽり入っちゃうぐらい大きい手。
「ゆう、とりあえず俺んち行こう。ラブをあったかいとこに連れてってやんなきゃ」
「えっ!!たくちゃんち!?」
「うん、ほら」
たくちゃんがわたしの手を握った。
う、うわぁ……初めて手繋いじゃった…!!
「それじゃ、しゅっぱーつ!」
(えぇーった、たくちゃんちって……たくちゃんの家って………えぇーっ!!)
たくちゃんとわたしとラブ(?)は歩き出した。
たくちゃんの家に向かって…。
付き合って初めの日に家に行くことになるなんて、これってラッキーなの?それとも…。
「みー…」
たくちゃんの肩の上で、ラブがのん気に鳴いた。
「もう、ラブのせいなんだからね」
「ん?なんか言った?」
「う、ううん、な、何でもない!!」
初めてのカレが、たくちゃんで、わたしは本当に幸せです。
読んでくださった方、ありがとうございます。
機会があれば、今度はたくちゃんサイドからもストーリーを書きたいな…なんて思っています。
たくちゃんとゆうの出会いとか、その後も書いてみたくなりました(笑)
まだまだこの二人とは長い付き合いになりそうです◎