著者と読者(暗中模索)
読者が悪い訳ではない
著者は自分の書いた文章を読んで欲しくて文面を残す。
読者は著者の書いた文章を読みたくて、その文面に目を通す。
著者の訴えは様々で、ただ読んで欲しい人、評価の欲しい人、感想の欲しい人、それぞれである。
読者の訴えは様々でただ読みたい人、評価のしたい人、感想の書きたい人、それぞれである。
著者も読者も、孤立無援。それぞれがそれぞれの考えの基、それぞれの基準に従い、書いたり読んだりしている。
どちらが悪い訳では無い。どちらも良い訳でも無い。孤立無援であるが故に、それぞれの感性で独立していて当然である。
感想が欲しい著者もいれば、感想を書きたく無い読者もいる。
互いが互いを理解しなければ、ただのいたちごっこだ。
感想が欲しい著者がいるから感想を書く。感想を書きたく無い読者がいるから感想を無理強いしない。
それでいいではないか。それで良いではないか。
所詮人間は勝手な生き物。書いて欲しいとワガママを言い、書きたく無いとワガママを言う。
そんなものだ。だから私は思う。(本来ならば私も感想が欲しい人間なのだが)書きたい人が書けばいい、書きたく無い人に無理強いする必要は無いと。無理強いしても、良い感想は得られないのだから。
求めるな、求めるのではなく、自分で自分の道を切り開くのだ。
人の人生は『暗中模索』、『暗中模索』なればこそ、求める事に意味がある。
そう思わないかい?
著者が悪い訳ではない