落とした包丁
ある神社の裏山に、神の湖、と呼ばれる湖があった。
その湖は浅いところは水が澄んでいて美しいのだが、
実は底が深く、底なし沼のように下は水が濁っていて湖の底が見えない。
神の湖に沈んだものは決して再び浮かび上がることが無いという。
この湖の底はあの世に繋がっていて、神の居場所に通じている。
そんな言い伝えから、この湖は、神の湖と言い伝えられていた。
神の湖の底はあの世に繋がっている。
そんな言い伝えを信じているような信心深い人ばかりではない。
中には不埒者もいて、神の湖に沈んだものは決して浮かんでこない、
という言い伝えをいいことに、大小様々な廃棄物や工場廃液など、
簡単には捨てられないものを捨てる者が絶えなかった。
しかし神の湖は不埒者に神罰を与えたりすることもなく、
放り込まれた廃品を吐き出すでもなく、
ただ静かに投げ込まれたものを飲み込んでいくのだった。
神の湖がある山を下った先には街がある。
電車の路線がいくつも合流する大きな駅があり、大きな繁華街がある。
ところが、一歩繁華街を離れると、途端に野や山が増えて、
人の気配が感じられない静かな場所になる。
よく見れば住宅の明かりがあるのだが、一軒一軒の間が広い。
それが売りで、ここには大きな家を持つ人達が多く住んでいた。
しかしどんなに富が集まる場所でも、貧しい者はいるものだ。
ここにある貧しい男がいた。
その男も、金を求めてきらびやかなこの街へやってきた。
しかし学のないその男が得られる仕事など、ろくなものではない。
働いても働いても金は貯まらず、金持ちになるなど夢の話。
根は正直者だったその男を、環境が変えてしまった。
ある日の夜遅く。
その男は、人気のない通り道で、若い女を襲ってしまった。
「キャー!止めて!ギャッ!」
騒ぐ女の喉に包丁を刺し、声を出せないようにした。
若い女はすぐに大人しくなって、二度と動かなくなった。
「金・・・!金・・・!」
その男は、若い女の遺体を漁って、金目の物を手に入れた。
財布、クレジットカード、キャッシュカード、飲食店の割引券の数々。
豊かな中にも一片の貧しさを感じさせる内容だった。
その時になって初めて、その男は自分が犯した罪に気が付いた。
「俺としたことが、なんてことをしてしまったんだ。
金目の物を目当てに人を殺すなんて、強盗殺人じゃないか・・・!」
しかも相手は大富豪でもない、ただの一般人の女。
震える手は血にまみれていた。
後悔してももう遅い。
「どうする?警察に自首するか?・・・いや、それはできない。」
男は動揺して反省しつつも、芽生えた良心は一片でしかなかった。
犯した罪は消せない。しかし警察に自首するつもりはない。
ではどうしようか?
その男はまず、死体を隠すことを思いついた。
「死体をこんな道端に置いてたんじゃ、
すぐに見つかって通報されちまう・・・!」
その男は殺した若い女の死体を抱えて、山の中に入っていった。
何も無い道端にはただ、真っ黒な染みだけが遺されていた。
その男は若い女の死体を担いで山を歩いていた。
若い女は華奢な体をしているのに、死体になるとやけに重たかった。
それに死後硬直が始まっていて、持ち難いことこの上ない。
その男は死体を山の地面に埋めてしまおうかと考えた。
しかしシャベルも無いのに掘れる穴など、たかが知れてる。
腐臭からすぐに見つかってしまうだろう。
では、どこかの使われていない山小屋に捨てていくのはどうだろう。
そうすれば、山小屋で事故にでも遭ったと思わせられるかもしれない。
「いやいやいや!喉に包丁の刺し傷があるんだぞ!
山の事故に見せかけるなんて無理だ!」
男は無能な自分の頬を叩いた。
では山の中の人気のない倉庫などに隠すのはどうだろう。
これもやはり腐臭ですぐに見つかってしまうだろう。
「クソッ、殺し方を早まったな!
喉にこんなでかい刺し傷があったんじゃ、
事故や病死に見せかけるのは不可能だ!」
その男は頭を抱えていた。
初めての強盗殺人だった。
殺し方を選んでいる余裕なんて無かった。
犯行中に誰かに姿を見られなかっただけでも良しとせねば。
それからその男は、山の中を無心で歩き回った。
担いだ若い女の死体は全身が固くなって、
もうすぐ日が明けてしまいそうだ。
その時。その男の行く手に、輝く何かが見えた。
「何だ?あれは・・・」
朝の光に美しく輝く水面。それは神の湖だった。
その男は山の中を一晩歩いて、神の湖にたどり着いたのだった。
もちろん、神の湖の言い伝えはその男も耳にしていた。
「しめた。この湖は底なしで、一度沈んだものはもう浮かんでこない!
死体をこの湖に隠してしまおう。」
よいしょ、よいしょ、ぽい。ザブーン。
と、その男は若い女の死体を神の湖に投げ込んだ。
死体を運んだ汗を、湖の冷気が覚ましてくれた。
冷静になって、その男は自分がしたことに気が付いた。
なんて愚かなことを、ではない。
それとは対局にある考え方だった。
「これ、もしかして死体の処分方法に使えるんじゃないか?」
その男が湖の底を覗く。
もう若い女の死体は奥深く沈んで見えなくなっていた。
と、思ったら、何かがスーっと浮かび上がってきた。
「うん?なんだあれ・・・うわっ!」
音もなく湖に若い女が浮かび上がってきた。
今は湖の上に手を揃えて立っている。
「な、な、な?」
その男は混乱していた。
確かに殺して湖に沈めたはずの若い女が、
飲み込んだものを吐き出さないはずの神の湖から浮き出てきた。
その男が慌てるのも無理はない。
全てが超常現象。信じるには時間がいる。
よくよく見てみれば、湖から浮き出てきたのは、
その男が殺した女とは別人。歳も背格好も違う。
殺した女よりはもう少し大人で、薄い羽衣のようなものを纏っていた。
神の湖から浮き上がってきた女は、無表情に話し始めた。
「私はこの湖の精霊。あなたに問います。
あなたが投げ込んだのは、ただのネックレスですか?
それとも、金のネックレスですか?」
頭がどうかなってしまったのか?
湖から女が浮き出てきて、湖の上に立って喋ってる。
その男はそこで、もう一つの言い伝えを思い出した。
こちらの言い伝えは、神の湖の言い伝えではない。
よくある童話にもなっている言い伝えだ。
湖に斧を投げ込み、正直に答えれば、金の斧が貰えるという話だ。
もちろん、その男にも純粋な子供だった時代はあり、
子供の頃は夢中でそんな童話を読んだものだった。
「これは、あれか?
正直に答えれば金の斧が手に入るってあれか?」
そうしてその男はまた思い出した。
先ほど殺して神の湖に投げ込んだ女の首元を包丁で刺した時。
首にネックレスが巻かれていたことを。
あれは確かそのまま死体と一緒に湖に投げ込んだのだったか。
だから精霊が出てきたのか。
そしてその男は答えた。
「えーと、あれは、うん。
確かにただのネックレスだったな。
金のネックレスではなかった。」
すると、湖の精霊と名乗る女は、優しく微笑んで答えた。
「そうです、その通り、あなたがこの湖に投げ込んだのは、
ただのネックレスでした。
正直なあなたに報いるために、この金のネックレスを差し上げましょう。」
こうしてその男は、死体を投げ込んだ結果、金のネックレスを手に入れた。
湖の精霊なんて、誰かのいたずらじゃないのか。
どうせイミテーションだろう。
その男は半信半疑で金のネックレスを慎重に扱い鑑定に出した。
結果は。
「こちらのお品、純金で間違いございません。」
「な、なんだって!?」
湖の精霊がくれた金のネックレスは本物だった。
と、いうことは、湖の精霊も本物ということだ。
あそこは霊験あらたかな神の湖。
精霊の一人や二人、いてもおかしくないだろう。
そしてさりげなく街の様子を探ってみる。
するとニュース番組で、若い女が一人行方不明になっていて、
帰り道に血痕が発見された、とまでは報じられていたが、
山に痕跡があったとか、神の湖から死体が発見された、
などということは情報として挙げられていなかった。
「どうやら今のところ、完全犯罪らしいな。」
その男は内心、ホッとしていた。
死体が見つかる可能性は少ない。
そして死体が身につけていたアクセサリーは金になる。
その男にはもう、毎日汗水垂らして働くような考えは消し飛んでいた。
「昨日と同じ様にやるだけで金が手に入る。
まとまった金を作って、この街からおさらばしよう。」
それはつまり、犯行を重ねるという決心だった。
それから、その街では若い女の行方不明事件が複数発生していた。
警察はまだそれらの事件が連続事件なのかを決めかねていた。
というのも、どの事件も死体が見つからず、詳細がわからないからだ。
そうして警察が二の足を踏んでいる間にも、被害者は増えていた。
真っ暗な夜。神の湖。
ザブーンと何か大きなものを投げ込む音がする。
するとしばらくして、神の湖の水面に、輝く精霊が姿を現した。
「あなたが今、湖に投げ込んだのは、このただの指輪ですか?
それとも、金の指輪ですか?」
「もちろん、ただの指輪さ。ただし3つはあったと思う。」
「その通りです。正直者のあなたには、金の指輪を3つ与えましょう。」
「よし!今回の仕事もまずまずだ。」
その男は夜の闇に紛れて、もう何度も強盗殺人を繰り返していた。
貯まった金も相当な金額で、生きていくには十分なほど。
しかしその男は、贅沢がしたかった。
「まだまだ、この仕事は止めるわけにはいかないな。」
次の獲物を求めて闇に紛れて消えていくその男を、
神の湖の精霊は、哀れみの眼差しで見つめていた。
ザブーン。
今夜もまた、その男は若い女を毒牙にかけ、
死体を神の湖に運んで投げ込んだ。
するとしばらくして、いつもと同じ様に、
湖の中から水面に輝く精霊が姿を現した。
神の湖の精霊が問う。
「あなたが投げ入れたのは、ただの包丁ですか?
それとも、この血まみれの包丁ですか?」
いつもと違って、金のアクセサリーが答えに無かった。
そこでその男は、自分がうっかりしていたことを思い出した。
「しまった。
さっきヤッた女、飾りっ気がない奴だったな。
もしかして、アクセサリーを何も身につけていなかったのか。」
それにもう一つ、その男は重大なミスを犯していた。
死体に包丁を突き刺したまま、死体を湖に投げ込んでしまったのだ。
この二つの条件が重なって、精霊はこの問いをすることができた。
精霊はこの時を待っていたのだが、顔は無表情のまま。
だからその男は何の考えもなく答えた。答えてしまった。
「俺が放り込んだのは、ただの包丁だよ。」
その男の答えを聞いて、湖の精霊はいつも通りに微笑んだ。
その微笑みに影が差していることに、
ギラリと輝く瞳に、その男は気が付かなかった。
「・・・なるほど、わかりました。
あなたがこの湖に放り込んだのは、ただの包丁ですね。
正直者のあなたには、この血まみれの包丁をあげましょう。
今まであなたが欲望のままに殺めてきた女達の恨みとともにね。」
「あ?金の包丁じゃないのか?」
「包丁は体に刺して使うアクセサリーではありませんよ。
・・・ほら、もうお迎えが来ています。」
ブクブクと神の湖に無数の泡が浮き上がってくる。
そして湖の水面に姿を現したのは、
その男が今までに殺してきた女たちの亡骸。
亡骸だが生きている。
生きた亡骸となって、その男の手足に、体に、まとわりついた。
「止めろ!放せ!こいつら、幽霊か!?」
神の湖の底はあの世に繋がっている。
どうやらその言い伝えは事実だったようだ。
無念の死を遂げた女たちは、神の湖の底、
あの世とこの世の狭間で、あの世に行くこと無く、
憎きあの男を引きずり込む機会を伺っていたのだ。
「放せ!放せ!」
無数の手がその男の体を掴み、湖へと引きずり込んでいく。
あの世へ連れて行くために。
幽霊となった亡骸にすら乱暴に暴力で引き剥がそうとするその男。
しかし後ろから精霊が迫ってくるのには気が付かなかった。
ズッ・・・。
「血まみれの包丁、確かに渡しましたよ。」
精霊の手には、血まみれの包丁が握られていた。
果たしてその包丁が最初から血まみれだったのか、
それとも、その男の血で血まみれになったのか、もうわからない。
その男は口から血を吐きながら、
自分が殺してきた女達の亡骸によって、
神の湖の底へと引きずり込まれていった。
後には波紋一つ立たぬ水面。
湖の中では、精霊に女達の亡骸が感謝の涙を流していた。
涙は湖の水に混ざり、神の湖の一部となっていった。
こうして連続強盗殺人事件は終わった。
終わってみてから、これが連続事件だったと警察にはわかった。
被疑者不詳、被害者多数。
やりきれない、残酷な犯行の結果だった。
ただ一つ、女達の涙によって、神の湖は少しだけその美しさを増していた。
透明な水面はあの世の入口。精霊が見張っている。
もう誰もこんな目には遭わないようにと願いを込めて。
終わり。
湖に斧を落とす童話は、誰もが耳にしたことがあると思います。
しかしもしもそんな湖があったら、いいゴミ捨て場にされるのでは。
それがエスカレートして、今回の話になりました。
最悪のゴミと言えば、公害になるような廃棄物か遺体かのどちらかでしょう。
廃棄物が金になるのは良いとして、遺体が金になっても救いにはなりません。
どうすれば被害者達の救いとなるのか。
その結果が、血まみれの包丁でした。
悪人をせめて道連れに。それが被害者たちの願いでした。
湖の精霊はただ願いを叶えるだけ。
正しい願いが行われるのを待っていたのでした。
お読み頂きありがとうございました。




