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第2話 証拠という名の魔導具



「……いいですか、ヴァンさん。現代社会において、言葉は空気のように消えますが、データは消えない呪いとなります。これが、あなたの『聖剣』です」


 翌朝、午前三時三十分。プレハブ小屋の裏で、九条さんは至って真面目な顔をして、僕の手のひらに一つの黒い小石のようなものを載せた。

 ボイスレコーダー。それも、音を感知して自動で録音を開始する高機能なやつだ。さらに、作業服の胸ポケットに刺しても違和感のない、ペン型の小型カメラまで渡された。


「これは魔法の道具ですか?」

「ええ、ある種のね。これを使って、今日一日、鮫島氏が放つ『暴言』という名の呪いと、『労働』という名の強制イベントをすべて記録してください。これが、後の裁判……いえ、召喚儀式で最強の供物になります」


 九条さんは、スマホの画面を僕に見せた。そこには「クラウド・ストレージ」という名の、無限の容量を持つ四次元ポケットのような魔法の鞄が開かれていた。

 僕が撮った写真や録音は、リアルタイムで九条さんの元へ転送される仕組みらしい。


「ヴァンさん、あなたはただ、いつも通りに理不尽な扱いを受けていればいい。無理をして反抗する必要はありません。むしろ、彼が調子に乗って酷いことを言えば言うほど、私たちの『攻撃力』は上がります。わかりますか?」

「……敵が強く攻撃するほど、カウンターが強くなるスキル、ですね?」

「その通り。実にゲーマーらしい理解で助かります。では、健闘を」


 九条さんは、朝霧の中にスッと消えていった。まるで、クエストを授けて消える謎の賢者のようだ。

 僕は震える手でボイスレコーダーをポケットに忍ばせ、戦場――もとい、サメジマ工務店の朝礼へと向かった。


「おらぁ! 並べクズども! 朝の挨拶が聞こえねえぞ!」


 午前四時。建設現場に、鮫島の怒号が響き渡る。

 昨晩、あんなに酒を飲んでいたくせに、この男の「パワハラ・エンジン」は朝からフルスロットルだ。

 僕を含めた五人の実習生が泥だらけの長靴を揃えて並ぶと、鮫島は一人一人の顔を覗き込み、タバコの煙を顔に吹きかけてきた。


「おい、ヴァン。お前、昨日の夜、ゴミ捨て場で誰かと話してただろ。逃げる相談か? あぁ?」


 心臓が口から飛び出しそうになる。ボイスレコーダーを握る指先が震える。

 でも、頭の中で九条さんの声が再生された。

『相手が吠えたら、それはボーナスタイムです』


「……いいえ、社長。独り言です。お腹が空いて、神様に、パンが食べたいと言いました」

「はっ! 神様だぁ? この土地の神は俺なんだよ。パンが食いたきゃ土でも食ってろ。いいか、お前らのパスポートは俺が預かってる。逃げたら不法滞在。警察に捕まって、一生暗い牢屋だぞ。わかったら返事しろ!」


『はい、神様。わかりました』

 僕は心の中で皮肉を込めながら、カメラのレンズを鮫島に向けた。

 ペン型のカメラは、鮫島の醜い歪んだ笑顔を完璧な画角で捉えているはずだ。九条さんが言っていた「強制労働の証拠(監禁および脅迫の構成要件)」が、今、着々とストレージに貯まっていく。


 そこからの作業は、まさにハードモードの修行だった。

 重さ三十キロを超えるコンクリートブロックを、人力で五階まで運ぶ。エレベーター? そんな気の利いたものは、この「魔王の城(違法建築現場)」には存在しない。


「おい、もたもたしてんじゃねえ! ベトナムの山猿が!」

 鮫島の中間管理職、通称「オーク」こと現場監督の佐藤が、僕の背中を蹴り飛ばした。

 泥の中に顔を突っ込み、口の中に砂利の味が広がる。


 普通なら、ここで心が折れる。でも、今の僕は違う。

(……今、蹴りましたね? 佐藤さん。暴行罪、確定です)


 僕は泥を拭いながら、ポケットの中のレコーダーがしっかり音を拾っていることを確認した。

 昼休み。十五分という驚異の短さ(もちろん労働基準法違反だ)で袋麺を啜っていると、スマホに九条さんからメッセージが届いた。


『素晴らしい画角です。特に「土でも食ってろ」という発言は、慰謝料の加算ポイントとして非常に高い。午後も、できれば「給料の未払い」についての言質が欲しいですね』


 九条さん、あなた、現場を見てないはずなのに、どうしてそんなに楽しそうなんだ。

 僕は指示通り、午後の作業中に鮫島に近づいた。


「しゃ、社長……。先月の給料、三万円……少ないです。残業代、入っていません」

「あぁ? 残業代だぁ? お前、研修生だろ。研修に金が払われるわけねえだろ。寮の電気代と、お前が壊したスコップの弁償代、それにお前を日本に呼んでやった『恩代』を引いたら、むしろお前が俺に金を払わなきゃいけないくらいなんだよ!」


 恩代。新しい単語だ。

 辞書には載っていない、鮫島独自の「魔力徴収システム」だろう。

 鮫島は得意げに、胸ポケットから一冊のノートを取り出した。裏帳簿だ。


「いいか、ここに全部書いてある。お前の借金は増える一方だ。逃げようとしても、このノートがお前の罪を証明する。一生かかっても返しきれねえぞ」


(……出た。裏帳簿だ。九条さんの言っていた「エピック・アイテム」だ!)


 僕はわざと視線を落とし、悲しそうなフリをした。

「わかりました……。もっと、働きます……」

「そうそう、わかればいいんだよ。お前は本当に、使い勝手のいい道具だな」


 鮫島が笑いながらノートを金庫に戻す。

 その場所は、僕のペン型カメラがしっかりと記録した。

 暗証番号を打ち込む指の動きまで、4K画質でバッチリだ。


 午後八時。ようやく作業が終わる。

 全身の筋肉が悲鳴を上げ、指先はひび割れて血が滲んでいる。

 だが、僕の心は、かつてないほど高揚していた。


 スマホを確認すると、九条さんから新しいファイルが送られてきていた。

 それは、今日一日で収集した証拠を法的に整理した「攻撃シミュレーション・シート」だった。


『未払い賃金:120万円(付加金込み)

 慰謝料:300万円

 不当拘束・暴行による刑事告訴:準備完了

 技能実習認定の取消:確実


 ヴァンさん、素晴らしい「インベントリ」が出来上がりました。明日の朝、この国の『勇者』たち……つまり労働基準監督署と警察を連れて、その城へ向かいます。準備はいいですか?』


 僕は、プレハブの固い床の上で、静かに拳を握った。

 明日。

 この地獄のような「異世界」が、現実の法律という巨大な壁に激突して崩壊する。

 

 鮫島社長、あなたは言いましたね。

 日本は「契約の国」だと。


 その通りです。

 だからこそ、あなたは「法という名の契約」に裁かれることになるんです。


 僕のスマホの画面に、九条さんからの最後の一行が表示された。


『さあ、レイドバトルの開始です。魔王の首を、公的に獲りに行きましょう』


 明日の予報は、雨。

 でも、僕の心には、見たこともないような鮮やかな青空が広がっていた。


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