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社交怪談 ~夜職には〈その先〉がある~  作者: 水山天気
第1章 夜の店、ラビットコーナー

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1/5

突然の別れ

 ——子供がいなくてよかった。でも、仕事をやめたのは失敗だった。


 結婚してから2年。

 夫から届いた「お別れ」のメッセージを読んだあと、朱利(あかり)がまず考えたのは家賃のことだった。

 手にしているスマホでそのまま現在の引越し費用と家賃の相場をざっと調べ、ああそれよりも就職が先だと気づいて手を止め、ふと「家」ってなんだろうと考えてしまう。


 夫への返信は後回しだ。

 書くべきことを思いつかない。そもそも、返信する意味などないように思う。

 届いたメッセージにあったのは、一方的な宣言と謝罪の言葉だけだった。


 彼がこのアパートに帰ってこなくなり、電話で「大丈夫だから心配するな」とだけ伝えてからすぐに切る形の連絡が入るようになってから約50日。

 たぶんこれが最後の通信なのだろう。

 彼はもう、朱利の前に顔を出す気もなさそうだ。

 家庭を持った大人のすることとは思えない。

 彼と朱利がしていたのは、同棲ではなく結婚だったはずだが。

 けれど、あの人らしいと思う。

 結婚前の自分には、そんな彼の性根も見えていなかった。


 ——いつも目の前のことだけ見ているから、わたしはダメなんだ。


 強く反省し、そこでようやく夫の実家と職場にも知らせなければならないと気づく。

 時刻は夜の9時。

 夫の妹に電話をかける。

 何度もコール音が鳴ったあと、彼女が電話に出た。

「お義姉(ねえ)さん! ごめんなさい……」

 義妹の(しおり)の第一声がそれだった。

 朱利は尋ねた。

「そっちにも、(まもる)さんから連絡が来たの?」

「来てません。でも……」

「え、どうしたの? もしかして警察から?」

 朱利はあわてて()いた。

 栞の声の調子が普通ではない。

 まさか、守さんが自殺? 好きになってしまったという女と二人で? けれど朱利に届いたメッセージには、「これからは彼女と生きていきたい」と書かれていた。


 ——なら生きるのか。


 朱利の頭の中で響いた暗い声に、栞の声が重なった。

「ちがうんです。いきなり家に、家にボーズが来て、んっ、ごめんなさい! あの、仏道(ぶつどう)関係の人たちが家に来て、いまその人たちの車の中で」

「え、なに? 今どこなの?」

「あの、大丈夫です。お義姉さん。大丈夫なんですけど」


 それはまあ、たしかにあるていどは大丈夫なのだろう。

 こうして電話で話すことができている。

 むりやり拉致(らち)されたとか、そういうことではないはずだ。

 屈強な僧兵(ボーズ)たちを全部片づけてから電話に出る。そんなアクション映画みたいなことができる子ではない。

 しかし、拉致より少しマイルドなだけの危機なのではないだろうか。


「本当に大丈夫なの?」

「はい。でも警察に言ったりとか他の寺の人に頼んだりとかだと話が大きくなって兄さんがどうなるかって」

「わかった。落ちついて」

「それで、あの」

「うん」

「そっちにも、もうすぐ——」


 来るみたいです、と栞が言った直後にインターホンが鳴った。


 ドアスコープから外をのぞくと、黒いスーツを着た二人の男が立っていた。片方の男は耳にスマホを当てている。

 葬式帰りのサラリーマンのような服装だが、周囲の様子をうかがう目つきが俗人(カタギ)のものではない。

 朱利が握っているスマホから義妹の声。

「おねえさん、おねえさん」

「うん。聴こえてるよ」

「今、玄関の前にいるみたいです」

「うん。いるね」

「ごめんなさい! 本当に、あの、兄さんが」

「落ちついて。ゆっくり話して。わたしはどうすればいいの?」

「……どちらでもいい、って言ってます。こっちの、車の中の人たちは」

「どちら、っていうのは、何と何?」

「あ、ごめんなさい。ついて来るのか来ないのか、です。そっちにいるお寺の人といっしょに、寺務所(じむしょ)まで来て話を聞くか聞かないか……あの、兄さんの、借金の話だそうです」

「ああ、お金の話か。わかった。行くよ。栞ちゃんも、そっちに向かってるの?」

「はい……あの、いいんですか? べつに強制するわけじゃないって、わたしもそう言われました」

「断わったら厄介なことになるんでしょ。守さんが」

「でも兄さんは、お義姉さんにひどいことを……」

「関係ないよ。わたしはともかく、栞ちゃんはお兄さんを見捨てるのがイヤなんだよね。だから、いま困ってるのは栞ちゃんでしょ」


 義理の妹にそう言って、朱利はドアを開けた。

 外にいた二人の男が、固い動きで頭を下げる。


 ——わたしは少し、投げやりになっているのかもしれないな。


 と朱利は思った。

 思考力、というか考える気力を失っているのは確かだ。

 得体の知れない男たちに対してあっさり扉を開き、それなのに、走りやすいほうの靴を無意識に選んで()いている。ちぐはぐだ。

 それでもとにかく、誰かのプラスになるようなことをしていないと、自分の気持ちがどこまでも暗いところへ沈んでいきそうだった。

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