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3.書簡と秘密の逢瀬

距離が少しずつ縮まっていきます。

ベンガル総督府の夜は、昼よりも重い。

白壁の回廊に湿った風が流れ込み、遠くで祈りの声と銃声が、同じ高さで溶け合っていた。


エレノア・ハーグリーヴス総督は、執務机の前に立ったまま、書類を一枚ずつ暖炉に投げ入れていた。

反乱分子の名簿。徴税計画。処刑認可書。

紙が燃えるたび、植民地の地図の上で小さな影が揺れる。


「……来なさい」


扉の外に控えていた副官、アーシャ・ラオが静かに入室する。

褐色の肌に軍服。階級章は少佐。

だがその肩書きは、この部屋の中では意味を持たない。


「総督閣下」


彼女は膝をつき、視線を落とす。

それだけで、部屋の空気が張りつめる。


エレノアは振り向かない。


「今日、港湾労働者の蜂起は誰が鎮圧した?」


「……私の部隊です」


「死者は?」


「三十二名」


即答だった。


エレノアはようやく振り返る。


「嘘ね」


アーシャの喉が、小さく鳴る。


「四十九名でしょう。女性が六人、子供が二人」


沈黙。


「あなたの癖よ。

 罪悪感があるときほど、数字を削る」


エレノアは歩み寄り、アーシャの顎に指先を添えて、無理やり顔を上げさせた。

視線が絡む。


憎しみと忠誠と、説明のつかない渇きが、同じ場所に沈殿している。


「……命令でした」


アーシャは低く言う。


「誰の?」


「あなたの」


一拍。


エレノアの口元が、わずかに歪む。


「ええ。そう」


指先が離れる。

だが、距離は近いままだ。


呼吸が触れる。


「だから、あなたは正しい」


「……」


「正しい部下。

 正しい植民地の犬」


その言葉は刃のはずだった。

だが、アーシャは目を逸らさない。


「それでも」


震える声で、続ける。


「あなたの命令なら、私は――」


言葉が途切れる。


エレノアは初めて、迷うような表情を見せた。


「……続けなさい」


「……地獄でも、従います」


その瞬間、エレノアの理性がわずかに遅れた。


彼女はアーシャの襟元を掴み、壁に押しつける。

音は小さい。

だが、衝撃は部屋の政治より重い。


「それは忠誠?」


「……違います」


「依存?」


「……違う」


「なら、何」


アーシャの指が、震えながらエレノアの袖を掴む。


「……罰です」


エレノアの呼吸が乱れる。


「あなたが私を壊した」


「ええ」


「あなたの国が」


「ええ」


「私の命令が」


「……はい」


二人の額が、触れるほど近づく。

だが、口づけはしない。


代わりに、エレノアは囁く。


「なら、生きなさい」


「……?」


「私の地獄として」


その夜、総督府に新たな布告が出た。


戒厳令の延長。

反乱地域への追加徴兵。

指揮官:アーシャ・ラオ少佐。


それが、恋でも、赦しでもない。


――契約だった。


言葉が増えるほど、沈黙もまた重くなっていきます。

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