11.帝国圧力下の官能心理Ⅰ
第二章開始です。
物語の空気が大きく変わります。
数字の墓標
暴動は、統計表の外側で起きた。
総督府の白い壁の内側では、死者はただの数値だった。
「北部州、今月の餓死者推定二万三千」
「鉄道沿線の略奪件数、増加率一八%」
「反英ビラ、五百七十二枚押収」
サー・マクファーソンの声は乾いている。
シャーロット は紅茶を口に運びながら、報告書に視線を落とした。
「許容範囲です」
即答。
「ボーア戦争後の財政赤字を埋めるには、来年度の地租回収率を五十%まで引き上げる必要があります」
「暴動は?」
「治安維持費は軍需予算から転用すればよい」
紙を一枚、めくる。
それだけで、数千の村が地図から消える。
その背後、三歩の距離に、彼女は立っていた。
白い秘書服。
首元は閉じ、手袋を嵌め、視線は床へ。
外気は四十度近い。
汗が首筋を流れ落ちる。
だが、拭う許可はない。
シャーロット はふいに言った。
「同行しなさい」
「……どちらへ」
政治用語のみ、許可されている。
「徴税現場」
馬車は郊外へ進む。
舗装の剥がれた道。
裸足の子ども。
痩せ細った牛。
乾いた畑。
「地租未納者は?」
シャーロット が尋ねる。
地方行政官が答える。
「即日差し押さえです。
住居も家畜も」
「妥当ですね」
彼女は頷く。
秘書の指先が、わずかに震えた。
許可のない動き。
しかし誰も見ていない。
村。
徴税官が木箱を開き、穀物袋を運び出す。
農民が地面に額を擦りつけて叫ぶ。
言葉は分からない。
通訳のアニラー・デーヴィが淡々と訳す。
「……今年は雨が遅れました。
子どもが病です。
税を……」
シャーロット は遮る。
「法は例外を認めません」
アニラーの声が一瞬、詰まる。
「……彼らは来月まで生きられないと」
シャーロット は、視線を地図に落とす。
「来月の統計には反映されます」
それで終わりだった。
帰路。
秘書は馬車の中で、じっと床を見つめていた。
汗が頬を濡らし、唇が乾いている。
シャーロット は向かいに座る。
「発言を許可します」
少女は、かすかに息を吸う。
「……卿は、あの人たちが死ぬと知っていて、命じたのですか」
「ええ」
迷いなく。
「帝国の維持には必要です」
沈黙。
馬車の揺れ。
「……それでも、私は……」
言葉が続かない。
許可された言葉ではない。
シャーロット は、ほんの一瞬だけ視線を向けた。
「あなたは私の制度の中にいます」
静かに。
「感情は、統治の邪魔になる」
その声は冷たい。
だが、否定ではなかった。
夜。
官舎。
秘書は、いつもの場所に跪く。
膝の下の感覚はもう薄い。
シャーロット は書類を読み続ける。
外では遠く、銃声。
暴動の鎮圧。
死者数は、明日の報告書に載る。
「……卿」
許可されていない呼びかけ。
それでも、止める声はない。
「もし、私が……命令に従えなくなったら……」
シャーロット は、ゆっくりと顔を上げる。
「そのときは、別の配置にします」
それだけ。
罰でもなく、慰めでもなく。
制度の言葉だった。
少女は、わずかに微笑った。
壊れかけた、柔らかい笑み。
「……それでも、私は、ここにいます」
命令は、出ない。
触れない。
それでも彼女は留まる。
帝国の数字と同じように。
翌朝の報告書。
死者推定三千二百。
シャーロット は赤鉛筆で丸をつけた。
「許容誤差」
彼女の帝国は、今日も安定している。
感情は、制度よりも脆い。




